第四話
「――なんだとテメエ、もういっかいいってみろ!」
「何度でも言うがね、君らの曲は音楽に対する冒涜だよ。ただ喧しいばかりで芸術性ってものがない。感情に訴えかけるリビドーがない。空疎な騒音にすぎない」
「おお、いい度胸じゃねえか、表へ出ろい! ぶっとばしてやんよ!」
「やめてくださいロッキー! もう、飲みすぎですよ! ゼンさんもロッキーに絡まないで!」
赤毛の青年と画家の老紳士が口論をしている。慌てて止めに入るのは黒髪に青いメッシュの新郎だ。新婚初夜に、とんだ騒動だ。ルーはカウンターの片隅で白けたようにそのやりとりを見ている。芸術に一家言あるらしい画家は彼らの音楽がお気に召さないらしい。ルーは初めて知ったのだが、彼らはアメリカではそれなりに名の知られたロックミュージシャンらしい。今度レコードを買って聞いてみようかな、どんなもんだか、試しに…。以前パリに住んでいたことがあるというブルースは、セデュの声楽の訓練を受けていたらしいけど今はギタリストで、今喧嘩している赤毛の青年のほうが、ボーカルらしい。たしかに声はいいかな、澄み切って、部屋の隅までよく届く…。
うとうとしてきたルーにバーテンダーが水を差し出す。ソバカスのある赤毛の少年だ。
「のみすぎですよ」
という声もついでに寄越す。
「らいよーぶ。はいたりしにゃいから、あんしんして…」
「呂律まわってませんけど…」
「チャーリー、そっちはいいから、こっちを頼む」
もうひとりのバーテンダー――黒髪を撫でつけた垂れ目の、目つきの悪い男――に促されたチャーリーはカウンターを出て、胸倉を掴みあった男たちのもとに向かう。喧嘩の仲裁も、バーテンダーの仕事なのだろうか。タイヘンだなア…。
「もう一杯、いかがです? お嬢ちゃん」
黒髪のバーテンダーから琥珀色の液体を差し出される。頼んだ覚えはないそれを、何の警戒心もなくルーは呷る。ルーの悪い癖だ。ふとした瞬間に自暴自棄になって、外からの刺激に対してひどく無防備になる。どうにでもなれと思ってしまう。
思い返せば10年前からその悪癖は始まった。父親の支配する家を出てから。セデュの元に身を寄せてから――
くらりと眩暈に襲われ、カウンターに手を突く。なんだか頭が重い。吐き気はないけど、瞼が勝手に降りてくる。あ、やばい、これ、だめなやつかも…。
がたんとルーはカウンターに突っ伏す。そのまま彼はしばらくの間、目覚めることはなかった。
パシャパシャパシャ、とシャッターを切る音がする。
厩の外でマリウス・ブラスは紙巻き煙草に火を点ける。早朝の空がやっと明るんできている。胸に斑点のあるミミズクが低空を飛んで過ぎ去る。ずいぶん早起きな鳥だ。もしくはねぐらに帰るところなのだろうか…。
「ブラス警部、現場検証終わりました」
「おう」
煙草を摘まんで口から離して、マリウスは傍らで手袋を外す相棒を見遣る。
今年で勤続3年目のラヴィックは朝のしんとした空気の中でこほんと咳払いして、厩にちらりと視線を遣った。
「背中から凶器で何度も刺された痕跡あり。他殺でしょう。財布、身分証の類はナシ。物盗りの犯行かもしれませんね」
「凶器は?」
「ナイフだろうというのが、鑑札の見立てです。凶器は見つかっていません」
「犯人が持ち去ったか、既に処分されたか…」
再び煙草を咥えるマリウス・ブラス警部は厩から女性刑事に付き添われて出てくる小柄な少年に目を向ける。
褐色肌に巻き毛の少年は青褪めた顔色で、涙ぐんでいる。第一発見者、厩の番をしている別荘地の管理会社のロレンツォだ。
「刑事さん、いったいだれがあんな、惨いことを…はやく捕まえてください、ボク、怖くて、怖くて…」
震える声で言う。その頼りない肩を女性刑事に励ますように支えられると、少年はその場でわっと泣き崩れた。
被害者はピエトロ・ゼン。名の知れた老画家で、コモ湖畔に別荘を構え、夏のくるたび毎年のようにここに避暑に来ていたらしい。
管理会社のロレンツォとは顔見知りだが、互いに別荘地の主人と管理会社の社員としての付き合いしかなかったらしい。真実かどうかはこれから調べていくことだが。
早朝、厩番のロレンツォが馬たちに飼葉を与えに厩に入り、画家の死骸を発見した。死後少なくとも、数時間は経っているであろう死骸を。
動転したロレンツォは管理会社の事務所に転げるように逃げかえり、警察に連絡を入れた。これが朝6時のことだ。
画家はおそらく夜の闇に紛れて刺殺され、この厩に放置されていた。財布を抜き取ったのは身元不明を偽装するつもりだったのかもしれないが、発見者が顔見知りであったためにそれは無駄な努力となった。
犯人は、行きずりの物盗りか、別荘地にゆかりのある人間か、あるいは彼に恨みのある人間か――いずれにせよ、地道な聞き込みで証拠となるものを探すしかないだろう。
湖を浚って凶器や彼の所持品を探すこともしなければならない。閑静な別荘地が、不穏な殺人現場に様変わりだ。まあ、俺たちは自分の仕事をするだけだ。別荘地の住人どもの恐怖など知ったこっちゃない。
「署に来て、もう少し詳しい話を聞かせてもらおう。車に乗れ」
促すとロレンツォは特に抵抗もなく車に乗り込む。ランプを消した車は特に急ぐでもなくぐるりと方向転換し、繁華街にある警察署へと向かった。




