第二話
「ちょおっと遊んでたんだよお、ずーっと屋敷に籠っててもタイクツなんだもん。いーだろお!? 君だっていろいろ忙しいみたいだし…」
「家を抜け出すときはどこに行くか教えろといつも言っているだろう…何か事件に巻き込まれでもしたのかと思ったぞ」
「おおげさだなあ。君は僕の保護者かよ! 僕もう23なんですけど! 成人してるんだけど!」
「お前はまだ子供のようなものだ」
「子供じゃないし! 一人前だし! 女の子のことだってたっくさん知ってるし! だいたい、僕が夜に遊び歩くのなんていつものことだろ、いい加減慣れろよなア。君だって好きにすればいいじゃんか。相手もいるんだし…」
ぺらぺら軽薄に並べ立てるルーに対して、セデュは苦虫を噛み潰したような顔をする。しっかりと襟首は掴んだままだ。ルーはどうやって抜け出そうかと抜け目なく考えて、セデュの後ろから執事に傘を差されてやってくるご婦人に気付いた。
「ふふ、またその子に手を焼いているの? セデュイール。だから言ったのに、その子を別荘に連れてくるべきじゃないって…」
「…ルーは目を離したら何を仕出かすかわからない。近くに置いておかないと安心できないんだ、オリンピア」
「まあ、貴方ったらまるで若い保父さんみたい。わたくしたちの子供ができたら、きっと貴方は良い父親になるのでしょうね…」
「……」
執事に傘を差されて歩み寄ったのはセデュの婚約者だ。もう10年も婚約中の許嫁。長すぎる春を経ても、ちっとも彼への熱の冷める様子のない乙女だ。華やかな厚い唇に泣き黒子、肉感的なふくよかな体形をした、亜麻色の髪の美女だ。
ルーは鼻白んだ様子でふたりのやりとりを眺めて、フイと視線を逸らす。なんとかセデュの指を捥ぎ離して逃げる算段を立てられないものだろうか。婚約者ふたりのイチャイチャなんてクソ面白くもない。これ以上聞いていたくもない。じたばたと藻掻くとセデュはルーに目を戻して、「こら」と一声叱った。
「まだ話は終わっていない。屋敷に戻るぞ」
「いーやーだーよー、僕もう腹ペコで歩けないもんー。一歩も歩きたくないもんー」
「…ならば抱き上げて運んでやろうか?」
「ぜってえ嫌だ!!」
「車を呼びましょう。お屋敷までお送りしますわ」
婚約者・オリンピアは執事に優雅に申し付け、手にしたレースの扇子で口元を隠して笑う。
「その子を屋敷の使用人に引き渡したら、今度こそ、わたくしの別荘に来ていただけますわね? セデュイール」
「…今朝は人と会う約束がある。すまないが、別の日にしてくれ」
「あら、そうですの? 貴方はいつもお忙しいのね。仕事を離れた休暇中でも…」
オリンピアは不服そうに言うが、婚約者に惚れ込んでいる彼女は結局いつでも彼を許してしまうのだ。何度誘いを断られても。仕事を理由に、デートをキャンセルされても。10年も待たされたまま、一向に進展がないとしても。
「まあ、いいですわ。今夜は貴方の教え子の結婚披露パーティーですものね。とびっきりおしゃれして参加する予定ですから、楽しみにしていらして」
「…ああ」
オリンピアの執事が車を2台呼んで、セデュイールとルー、オリンピアと執事はそれぞれの車に乗り込む。名残惜し気に窓を開けて手を振るオリンピアを見送って、セデュイールは隣でぐたりと席に凭れるルーを振り返った。
「どこに行っていたか、話す気はないのか」
「……。なんて言ったらいいのか、わかんないし。名前も知らない人だったから」
「…お前は、いつまで遊蕩を続ける気なんだ」
「さあね、知らない。死ぬまで、かも」
シートに掛けたルーとセデュの間には、埋められない隙間がある。10年前に生まれたその隙間は、埋まることがないまま今日まできてしまった。それをもどかしく感じるような感情も、もう枯れ果てた。
ルーは車窓を流れていく景色をただ見つめる。色とりどりの、カフェや、ホテルを超えて、湖畔沿いの凸凹道を車はひたすら走っていく。まぶしい朝日に海はきらめき、風が立ってちらちらと光が波間に踊る。静かで美しい風景だ。セデュの屋敷の居候、手に職もなくやるべきこともやりたいことも見つからず、遊び歩いてばかりのルーからは隔絶されたような。
教え子の結婚披露パーティーに、セデュは招待されていた。セデュは学生時代、アルバイトで声楽の教師をしていたことがあって、その縁での繋がりだ。
彼を招待した新郎はロックミュージシャンR&Bのギタリストであるブルース・トゥルーズ。新婦はイギリスの名門バレット家の姉娘・パール。コモ湖に別荘を持つバレット家のパールが、ここの教会で式を挙げたいと希望し、今日それが叶うというわけだ。
いずれにしてもルーには何の関係もない。セデュの屋敷の居候としてパリからはるばるイタリアまでついて来たが、やることもなく毎日遊び歩いている。
毎夏、ルーを連れてこのコモ湖に避暑に来るセデュは別荘地の住人たちとも交流があり、先週はこっち昨夜はこっちと様々なパーティーに招かれては律儀にそれに出席し、交友関係を広めているようだが、セレブというものに対して若干の嫌悪感のあるルーはそれらには滅多について行かない。ひとりでフラフラ夜の町を歩いて、可愛い女の子がいればその子と遊んで、裕福そうなお姉さんに誘われればついて行って。そんなふうにしてもう二週間もここで過ごしているのだ。いい加減、セデュも諦めてほしい。パリにいたときからそうだったのだ。セデュの家に居候し養われておきながら、働きもせず、性行為しか楽しみのないろくでなし、それがルーだ。自慢ではないが、なぜ今日までセデュに追い出されないのか疑問で仕方がない。もう10年もの間、セデュはルーを家に置いて、自由気儘に過ごさせているのだった。




