第一話
ウンディーネシリーズのセルフパロディ、幼少期のピアノコンクールに優勝したのがセデュだった場合のIF世界線のセデュとルーの話です。
ぱちりと瞼を開く。カーテンの引かれていない窓辺から眩しい日差しが目を射る。ルーは湿ったシーツに手を突いてむくりと起き上がり、隣で丸くなって眠っている黒髪の乙女にちらりと目を遣る。昨夜遅くまでベッドを共にした相手だ。褐色肌に黒い巻き毛、きらめく黒い瞳の女の子。年の離れた相手と結婚して、浮気されて、別荘で1人寝の夜を過ごしているとバーで語っていた女の子。
彼女の語った言葉について、真偽の程はわからないが後腐れない相手としては上々だと彼女のもとについて門をくぐったルーは一晩そこで遊びまわり、疲れ果ててシーツの海に倒れたのだ。そして今はその翌朝である。
ひょいと眠る彼女を跨いでベッドから降りたルーは放り棄てられていた下着を身に着け、スラックスを履き、シャツを羽織る。きょろきょろ時計を探したけれど見つからない。日は高く昇っているようだから、7時はとうに過ぎていそうだ。
「昨晩はありがとう、楽しかったよ」
白いボタンシャツをスラックスの中に入れジャケットを羽織りながら眠る彼女に囁く。起きる気配のない彼女をそのままにしてルーは屋敷を出た。砂利道を歩いて自分で門を開け、音のしないようにそっとそれを閉める。若干キイと撓るような音が鳴ったけれど、人気のない通りには小鳥が囀る音が降るだけだ。彼女の旦那はまだ帰宅していない様子で、それにひとまずほっとする。
ぶらぶらと湖畔沿いの小道を歩いてルーは盛り場に向かう。ホテルやカフェ等がある通りだ。腹が減ったのでひとまず腹ごなしのために。もし懐の豊かそうなお姉さんがいたら擦り寄って奢ってもらおうという下心を満載でルーは鼻歌交じりに歩く。スッキリして気持ちのいい、いい朝だ。歩いていくとホテルが見えてくる。可愛らしいベージュの壁にアールヌーヴォー風の鉄柵のついたベランダが並んでいる。まるでここの宿泊客のような顔でドアマンの開ける扉を潜り抜け、受付嬢に愛想よく「Ciao」と声をかけてレストランに向かう。
夏の盛り、観光客が大挙して押し寄せるコモ湖のホテル付レストランは空席などないほどの様相だ。
一人で座っている寂しそう(?)なお姉さんはいないかなア、などと考えつつ食堂内をぐるりと見回す。
バイキング形式の朝ごはんは中央に湯気の立つウインナーやベーコン、スクランブルエッグにオムレツ、フルーツにサラダ、ヨーグルトやミルク、クロワッサンやライ麦パン等々、匂やかな芳香を放ちつつ据えられている。
くうと腹の虫が鳴って、ルーは迷いのない足取りで窓際の席に向かう。
そこには一人の少女が掛けていた。
白いブラウスに赤いタイトスカートを履いた、赤味がかったオレンジ髪の少女だ。頬杖をついて人待ち顔で窓の外を眺めている。きりっとした大きな青い瞳が凛々しい美少女である。胸はたぶんFカップくらい。幼い顔には不釣り合いなほど大きな胸だ。実にいい眺めだ。ルーの好みど真ん中である。
「ヤア、こんにちは。誰かと待ち合わせかな? ここ座ってもいい?」
何気ない風を装って彼女に声をかける。ついでに回答を聞く前に椅子を引いて腰かける。人懐っこい無邪気な笑顔をすればたいていの女の人は警戒心なくルーを受け入れる。少女めいた華奢な体躯だとか、成人男性にしては高めの声だとか、清楚な美貌だとか、飄々とした雰囲気だとかが、威圧感を与えないせいだろう。
ところが今回の彼女は、そうはいかなかった。
「座っていいって、言ってないんだけど。あなた誰? ちょっとぶしつけじゃない? 紳士の行動とは思えないわね」
「ごめんごめん、自己紹介が遅れたね。僕はルー。ここの別荘地に滞在してる。君の名前は?」
「…言いたくありません」
「そうなの? 警戒心が強いんだ。いいことだね。いやあ、入口で見かけた時から君の美しさは輝きわたっていてね、ついつい惹かれてここまで来ちゃったのさ。ねえ君ひとりなの? 僕と遊ばない?」
ぐいと身を乗り出して笑顔で話しかけるがFカップの美少女はツンとしたままだ。応える気は一切なさそうである。これは、堕とすのは難しそうだとルーが諦めかけたその時、背後から不満げな声が掛かる。
「ルージュお前、何やってんだよ。そいつ誰だ?」
「知らないわよ。いきなり来て座られたの。許可も得ずにね!」
くるりとルーが振り向くと、そこにはパンやらベーコンやらフルーツやらを満載にしたトレイを抱えた青年がいた。ふわふわの猫っ毛の赤毛の、小柄な青年だ。眉間に皺を寄せてルーをじとりと睨みつけている。
「俺の嫁に何か用? 事と次第によっては、表に出て決着つけてやってもいいけど」
見たところ、ルーとそう遜色ないひょろりとした身体で、そんなふうに凄む。なんなら身長がある分、ルーのほうが力が強そうにも見える。
けれど実際、貧弱を自負していて喧嘩もろくにしたことのないルーはひょいと立ち上がって退散の準備をはじめる。この娘は駄目だ、どう見ても10代だけど、旦那さんがいたなんてな。カモにするには面倒すぎる。勝気でちっとも堕ちそうにないし…。
「ごめんよ、奥さんだったなんて知らなかったんだ。君が羨ましいよ、こんなに愛らしいお嫁さんがいるなんて。いやあ妬けちゃうなア。じゃあ僕はこれで」
そそくさと退散するルーを胡散臭そうに眺めていた二人は、ルーの姿がレストランから消えた途端に口論を始める。
「お前に隙があるから」
「勝手に座られたって言ってるでしょ」
「あいつほんとに知り合いじゃないんだよな」
「初対面よ」
「そのわりには親しげだったけど」
「なによ、嫉妬? あんたもかわいいとこあるじゃない」
「……」
「何か言いなさいよう! 調子狂っちゃう!」
いわゆる、痴話喧嘩である。犬も食わないようなヤツだ。
ルーはすきっ腹を抱えてホテルを出、カフェを探してうろつく。もう好みがどうとか言ってられないな、手っ取り早く奢ってくれそうな裕福そうなおばあちゃんとかを狙ってみよう。この際おじいちゃんでもいいや…。
空のポケットに手を突っ込んで重さなどないようにひょいひょい足を運ぶルーは、しかしカフェの手前でぐいと襟首掴まれた。
「ぐえっ」
「やっと捕まえたぞ。一晩どこに行っていた?」
「ひええ、セデュ…おはよう、いい朝だねえ…」
くるりと振り返ったルーは朝の光に燦然と輝く美貌に目を細める。眉間に皺を寄せた仏頂面をしているが、睫毛の長いすっきりとした目元と通った鼻筋、唇を引き結んだ精悍な顔立ちは匂い立つような色気がある。清潔な、皺ひとつないグレーの三つ揃えのスーツをきっちりと着込んだ紳士はそこにいて、猫の子のようにルーの襟首を掴んで持ち上げていた。




