第十七話
「もお、知らないですよオ、あの人のプライヴェートなんて。あのひとが死んじゃって、もーてんてこまいなんですからア!」
ゴミの入ったポリバケツを路地裏に出しながらぼやくのはチャーリー・トーンだ。
同じ職場で働いていた先輩が殺されたと言うのに、その口調に悲惨さは微塵もない。
マリウス・ブラス警部はラヴィックと目を合わせてから、再度チャーリーに向き直る。
「昨夜、このバーは何時に開けて何時ごろ閉めたのかな?」
「夕方の5時開店で、閉めたのは…深夜1時くらいですかねエ。なにしろ先輩がいなくて俺一人だから、手が回らなくって…」
「ファルコについて、何か聞いたことはない? 交友関係とか、恋人とか…」
「恋人はいないんじゃないかなア? 1人暮らしで、家族がどこにいるかは知りません。噂好きで、トラブルを嬉しがるようなタイプで…あんまりいい人間じゃあなかったですよ。バーで小耳に挟んだ情報を誰かに売ったり、いろいろしてたみたいで…」
「ほお。誰に売ったかはわかる?」
「さあ、そこまでは。もういいですかね? 開店準備しなくちゃなんで」
腕を組んだチャーリーはイライラと警察を睨み上げる。仕事に忙殺され、一寸の余暇もないといった様子だ。
「ありがとう。もういいよ。また何かわかったら知らせてくれたまえ」
「はいはい」
手をひらりと振った小柄な赤毛の若者はバーの裏口に消える。昨夜一晩働きづめだった彼が犯人ということはないだろう。客からの目撃証言もある…。
「やつに弱みを握られていた人間ってのが、臭いですね。ルーシュミネの奴も、脅されていたんじゃないでしょうか。あいつは訳アリみたいですし、あの探偵たちも、共犯かも…」
「殺された男に恨みのある人間は、他にもいるかもしれん。現場百遍、地道な聞き込みだ、ラヴィック」
空き瓶の散乱する路地裏を出ると焼けつくような日差しが肌を射る。路上には割れたワインの瓶が、血だまりのような赤い水たまりをつくっていた。
セデュイールの拘留から3日が経過した。ルーはセラノの運転するシートに凭れて、ぎゅうと包みを握りしめる。
遂に面会が許されたのだ。ルーの握り締める包みの中には、新品のシャツやスラックス、石鹸、下着や靴下などが入っている。使用人のヨランダが出発前に用意し詰めてくれたものだ。
やっとセデュに会える。彼は憔悴していないだろうか、疲弊してはいないだろうか? 無実の罪を被って捕まえられた彼は、理不尽な暴力に晒されてなど、いないだろうか。
不安がルーの胸を締め付け、気持ちを急かす。
あの夜、二度目の殺人のあった夜は、型通りの事情聴取をしたのみでルーたちは解放された。
ルーに対する不信感は刑事たちの間にあるようだが、アリバイがあるということでひとまずお役御免となったのだ。
捜査は暗礁に乗り上げ、進展がない。探偵たちも刑事たちとは別のルートで聞き込みを行っているが、捗々しい結果は齎されないようだ。
――やはり自分が名乗り出、セデュを釈放してもらうのが早道なのではないだろうか。このままセデュが有罪なんてことになれば――ルーは俯いて唇を噛む。掌の震えを必死で抑え込もうと拳をつくるルーに、セラノの気遣わし気な声が掛かった。
「到着です、リーヴェ様。坊ちゃんがお待ちかねですよ、…」
面会室は殺風景な、机と椅子のみ置かれた部屋だった。業務用の机に向かいあうようにパイプ椅子が置かれ、壁には立ち合いの警察官用の椅子が用意されている。
面会室の机に包みを置いてソワソワと待つルーの元に、セデュが連れてこられる。
手錠をかけられ、警官に引き立てられたセデュは、しかしピンと背筋を伸ばし凛とした眼差しを周囲に投げた堂々とした佇まいだ。まるでこれから指揮台に上がらんとするかのような。
「セデュ!」
ばっと立ちあがったルーがその胸に飛び込むのを警官が慌てて制する。過度な接触は厳禁なのだ。ルーを一瞬だけ強く抱いたセデュはその身体を捥ぎ離される際に一度だけ抵抗を示したが、二人がかりで引き裂かれて大人しく椅子に掛けさせられる。
「面会時間は3分です。事件に関することは口にできません。いいですね?」
何度目かの念を押す警察官に覚束なく頷いたルーは、瞳に涙を一杯に溜めたままで着替えの包みをセデュに差し出した。
「…留置所は、さむくない? つらい思いをしていない? ほかのひとに、虐められたり、とか…」
「…ほかの人間との接触は禁じられている。大丈夫だよ。安心しなさい」
「……」
こんなときなのに、まだルーを励ますような、慰めるような言葉をかけるセデュに、視界がどんどん滲んでいく。手の震えは抑えられない。
「ぼく、…ぼく、やっぱり、きみを…」
「ルー。それ以上はいけない」
机に置いた震える手を、セデュの掌が握りしめる。大きな掌だ。節の高い、清潔で綺麗な長い指。暖かいその体温。
「――探偵さんにね、おねがいして…調べてもらってるんだ、いろいろ…」
「事件の話はやめてください。面会中断とさせていただきますよ」
「あ、…ごめんなさい…」
女性警官に冷然と言われてびくりとしたルーは慌てて口を噤む。見上げた時計は間もなく3分になる。何か言わなければ、セデュに何か――
「――ブエナ・ヴィスタ」
「え?」
「カフェの名だよ。アップルパイが美味しいそうだ」
「…うん、…え?」
「時間です。面会はここまで」
女性警官がセデュを引きたてる。悔いなど何もないかのようなある種清々しい顔で面会室を出ていくセデュを、ルーは呆然と見送る。
呪文のようなセデュの言葉だけが、ぐるぐると頭の中を巡っていた。




