第十五話
セデュイールはモーターボートの陰で茫然と俯くルーを見つける。セデュイールの上着をぎゅうと握りしめた彼は宝物を湖に落としてしまった子供のような目でセデュイールを見上げ、覚束ない足取りで立ち上がる。
「あ、セデュ、ぼく、…やっぱり、けーさつに、いかないと…死刑にして、もらわないと…」
「警察には何も言うな。お前は殺していない。私は信じている」
「ちが、ちがうよ、ぼくがやったんだ、ぼくが…ごめんなさい、きみを巻き込んで…いつでも、ぼくは…碌でもないことしかできなくて…きみに、迷惑ばっかり…」
「もういい、何も言わなくていい。屋敷に戻ろう、大丈夫だから…」
抱き寄せた薄い肩がぐたりと凭れ掛かる。今にも千切れそうなかぼそい糸を必死に手繰るようにルーを抱き締め、セデュイールは屋敷へと戻った。
道中、汚れたルーのシャツはロマの焚火にくべて燃やした。
「あ、こっちですよー、セデュイール様!」
町はずれのカフェ、ブエナ・ヴィスタの扉を潜ると同時に声を掛けられる。
奥の席に掛けたロレンツォはなんの憂いもないかのような満面の笑みで手を振っている。寝不足の目元でじろりと彼を睨みつけ、セデュイールは奥の席に進んだ。
ルーは屋敷に残してきた。使用人によく彼を見ているよう申し付けたので警察に出頭するような真似はしないだろうが、一刻も早く彼のもとに帰りたい。罪悪感に打ちのめされている彼を、立ち直させなければ――
「何か食べます? ここのアップルパイ、おいしいんですよお…」
「昨夜のことだが」
メニューを差し出す少年に構わず話し出すセデュイールに面食らったように、ロレンツォは口元に指をあってて「シッ」と息を吐いた。
「もう少し声を低く。これだけ騒がしければ他のテーブルに聞こえるってことはないでしょうけど…」
混雑する店内をちらりと眺めてから、ロレンツォはテーブルに乗り出した。
「凶器は夜の裡に湖に捨てました。あと念のため、身分証入りの財布も。あのひとの痕跡は何も残ってないはずですよ」
「…ああ、ありがとう」
「あのひとの調子はどうです?」
「ひどく憔悴している。怯えて…今にも崩れそうだ。今日も、早く帰ってやらないと…」
「仕方のないヒトですねえ。自分の行いを自分で受け入れる覚悟ももてないなんて。大人なのにー。どっこがいいんですかあ? セデュイール様は…」
「…ルーは私の恋人ではないよ」
「えええ? 恋人じゃないヒトのために、ここまで尽くせますかねえ? それこそ、不自然な言い訳でーすよー」
「……」
近づいてきた愛想のいいウエイトレスにコーヒーを頼んで、すいすいと離れていく少女を見送り、視線を逸らしたままでセデュイールは尋ねる。
「君はあの夜のアリバイはあるのか?」
「え?」
「私と共にいたことにしようと言っていただろう。他に君のアリバイを証明してくれる人間はいなかったのではないか?」
「…そうだったら、どうだって言うんですう?」
「……」
セデュイールは温度のない目でロレンツォを見返す。ロレンツォは表情を変えない。にこにこした無邪気な笑顔のままだ。
どこかうすら寒いものを感じるセデュイールに、しかしウエイトレスが駆け寄ってきて声をかけた。
「セデュイール・レヴォネ様、ですよね? お屋敷の使用人から、緊急のお電話が…」
電話コーナーに立って受話器を耳に当てたセデュイールは、使用人から、警察がルーを連れ去ったことを告げられる。ガチャンと受話器を置いたセデュイールはレシートを掴んでロレンツォのもとに駆け戻る。
「ルーが警察に行った。迎えに行ってくる」
「そーですかあ。お疲れ様ですう。じゃあまた明日、朝9時に、ここで」
「…失礼、」
ウエイトレスに目配せし会計を済ませたセデュイールは表に駆け出す。待ち構えていた運転手のセラノが開ける扉に滑り込みシートに掛けながら、逸る心臓を落ち着ける。走り出す車のシートの上で疑惑と懸念が渦巻いて、胸が悪くなってくる。
ともかくルーを救い出すのだ、まずはそれからだ。
飛び去る車窓の風景にも目を向けず、セデュイールはひたすら自分の心と向き合っていた。
「警察には、何も言わなかったか」
「…うん、なにも…」
取調室から奪還したルーはシートに凭れて脱力している。セデュイールはひとまずほっとして、運転手のセラノに目配せする。こくりと頷いたセラノは黒い肌の中できらきら光る小さな目を前方に注ぎ彫像のように口を引き締める。セデュイールの屋敷の使用人はみな一様に主人に忠誠を誓い、主人と一心同体である。もちろん、車内で聞いたことを他所に漏らすようなことは決してしない。
「それでいい、犯人はお前ではないのだ」
「……」
ルーは眉尻をへにゃりと下げた頼りなげな瞳で傍らのセデュイールを見上げる。力づけるように肩に置いた手に力を籠めれば、そのまま倒れ掛かってくる。
両手できつくルーを抱き締めて、セデュイールはフロントガラスを、仇敵がそこにいるように睨みつけた。
飛び去っていく湖畔沿いの風景に、いつかの夜会の、シャンデリアや燭台のきらめきが重なる。…




