第十四話
「ガイシャはファルコ・コルディアリテ、29歳。例のバーのバーテンダーですね。犯行時刻は夜の7時から8時の間。凶器は刃渡り20センチ程度の刃物であると見られています。現場に凶器は見つかっていません」
ぱたりと手帳を閉じたラヴィックはハットを被ったマリウスの後頭部を仰ぎ見、つづいて世闇に悄然としゃがみ込んだ探偵その他を見た。
「まさか君が第一発見者になるとはね。夜の犯行現場に忍び込んで、何をしていたんだい?」
「――」
ルーシュミネを尾行していた刑事からの連絡を受け現場に急行したマリウス・ブラス警部は尋ねる。ルーシュミネは蒼白な顔で唇を引き結んだままだ。
「彼は、真相究明を私に依頼したのです! あなたがた無能な警察がたどり着けないような真実を、私に明らかにしてほしいと!」
黙り込んだルーシュミネに向けたマリウスの視線の中に、探偵が割り込む。
「君には聞いていないよ。少し黙っていてくれないか」
「冷たいですなあ! 知らぬ仲じゃなし、ともに真相究明に邁進しようではないですかあ!」
「君の言う、無能な警察と共にかね?」
「…。そんなこと言いましたか私?」
とぼける探偵に取り合わず、ラヴィックは4人を車に誘導する。第一発見者の証言を署でゆっくり聞き出さなければいけない。監視付きだったはずだから、奴らのアリバイには疑いがないが――
「ともかく、拘束されたままのレヴォネ氏は今回の件とは関わりがないということです。もし同一犯の犯行なら、レヴォネ氏の無罪は確定するのでは? あなたがたは無罪の人間を長時間拘束していたということになるのでは?」
「同一犯かどうかはこれから調べる。黙って車に乗れ」
探偵の饒舌にうんざりしたようにラヴィックは眉を顰めてバタンとドアを閉める。
顎を撫でながら思案顔のマリウスのもとへ行くと、彼は厩の方を眺めて目を細めていた。
「今回のガイシャは腹に複数の傷がある。血痕から、この場所で犯行に及んだことは疑いがない…なぜこの場所を選んだ? 模倣犯か? レヴォネの犯行を知って、同様の罪を犯したくなったとでも? …」
「ブラス警部、一度署に戻りましょう。…また聞き込みのやり直しですね」
相棒と場違いな苦笑を交わし合いながらマリウスは空を見上げる。よく晴れた空には満月が浮かび、しらじらと夜を照らしていた。
湖畔沿いのヨットハーバーでその姿を見つけたセデュイールは、知らず知らずのうちに駆け出していた。
ぼんやりとしたルーは湖畔に向かって覚束ない歩を進めている。魂の抜けた人形のようなその風情はまるで湖に呼ばれているかのようで、焦りがセデュイールの鼓動を早める。
水に付くか付かないかの時点でがしりと二の腕を掴んで引き戻したルーは、汚れた頬と泣き濡れたような眼をしてセデュイールを見上げた。
そしてセデュイールは、自分の恋する青年が、事件に巻き込まれたことを知る。
モーターボートの陰にルーを隠したセデュイールは厩へ急ぐ。ルーの握っていたと言う凶器の指紋を拭い去って、他にルーのいた痕跡がないか調べなくてはいけない。
――おそらくルーは殺していない。誰かを傷つけるくらいなら、すすんで自分の身を差し出すような子だ。だが状況証拠から、彼が犯人だと目される可能性は極めて高い。ルーを救わなければいけない。どんな手を使っても、あいつを守らなければ。…
厩の前までたどり着いたセデュイールはぴたりと足を止める。厩からは灯りが漏れている。小さな懐中電灯の光だ。もう、見つかってしまったのか。
愕然としつつ扉の陰に身を潜めて中を窺う。ゆらりと影が揺れて、その人影が床から凶器のナイフを、白いハンカチ越しに摘まみ上げるのを見た。
「ずいぶん派手にやりましたねえ。可愛い顔して、こわーいひとだなあ」
くすくすと顰めた笑い声が聞こえる。少年の声だ。ほっそりとした影が振り返る。小柄な巻き毛の少年が、セデュイールを呼ぶ。
「隠れてないで、出てきていいですよお。これを探しに来たんでしょお?」
ハンカチ越しのナイフをぶらぶら揺らしながら少年は言う。管理会社のロレンツォだ。セデュイールも何度か顔を合わせたことがある――
「…君はどうしてここに居る」
観念して厩に踏み入ったセデュイールは不審げに聞く。ロレンツォはにんまりと底の知れないような笑顔をして、その愛らしい唇を開いた。
「ボクは管理会社の人間ですから。夜の見回りしてたんですよお、不審者がいないかなーとか、浮浪者が紛れ込んでないかなーとか。いつもやってるんです。別荘地の皆様の安全のために」
「……君は何か見たのか」
「ええ? そーですねえ、この厩から、あなたのお屋敷にいるあの子…なんて言いましたっけ? まあいいや、あなたの恋人が、ここから逃げ出すのを見たんですう。血まみれで、ただ事じゃない感じでしたねえ。それでここに入ってみたら…死体があるじゃないですか! いやあ第一発見者ってやつですね。映画とか小説の中でしかみたことないような役柄を演じられて、とっても光栄でーす♡」
「君の要求は何だ」
ロレンツォの語る言葉に苦々しい目を向けつつ尋ねると、彼はきょとんとセデュイールを見返す。
「…どうしてあなたがそんなこと聞くんですう? まさか、庇うつもりなんですかあ? あの殺人者を」
「…ルーはやっていない」
「ええーそれはちょっと、苦しい言い分じゃないですかあ? 他に人影も見ませんでしたしい…」
「ルーが刺したところを君が見たわけではないのだろう」
「……」
ロレンツォは笑顔を消して黙り込む。ブルブルと馬が身を震わせる音がしている。
「あなたはそんなに、あの子がだいじなんですか? 犯罪を包み隠そうとするほど?」
「ルーは人殺しなどできないと私は知っているからだ」
「えーそんな…ハア、参っちゃうなあ…」
ぱっとロレンツォが手を離して、カラカラと血まみれのナイフが地に落ちる。
それを拾い上げようと屈みこむセデュイールの前に立ったロレンツォは、懐中電灯とカチリと消す。真の闇が厩を包み、一瞬何も見えなくなる。
目を慣らそうと屈みこんだまま瞬くセデュイールに、どんとぶつかるものがあった。
同様に屈みこんだ少年が、彼の胸元に飛び込んできたのだ。
ぎゅうと首の後ろに回された腕にしがみ付かれて、セデュイールは戸惑う。耳元に、少年の、掠れたような声が囁く。
「…あのひとを追い出して、ボクをあなたの恋人にしてください。それが、黙っている条件です。カンタンでしょ? …」
「…退いてくれ。凶器を探さなければ…」
「あなたがボクに、命令できる立場だとでも思ってるんです? いますぐ警察に駆け込んでもいいんですよおボクは。見たことをそのまま全部、刑事さんに話しちゃいますから。あのひとの身は破滅ですねーまあ殺人犯が捕まるってだけですけど!」
「…ロレンツォ、…」
「どうしますう? それともあなたもボクを殺しますか? ナイフもありますし。絞殺でもイイですよ…」
暗闇の中でロレンツォの手指がセデュイールの掌を探り当て、指を絡め、睦言のような声が言う。
「ボクをあなたの、共犯者にしてくださいよ。ボクは役に立ちますよ、あの子よりもずーっと…」
「……」
セデュイールは暗闇の裡で目を瞑る。瞼の裏にはルーがいる。怯えて震える彼が、モーターボートの影で凍えているのが見える。早く戻らなくてはいけない。あの子を一人にしてはおけない。あの子はすぐに自暴自棄になって、自傷行為に走るだろう。弱くて、繊細で、不安定な子だ。丹念に父親によって壊され、同様に私が、…彼に踏み込めないままの私が、傷つけつづけてきた子だ。…
「君の要求を呑もう。君には私の共犯者になってもらう」
「…うれしい、大好きですよ、セデュイール様♡」
チュッと蟀谷にキスされる。闇の中でロレンツォは立ち上がり、パンパンと膝に付いた飼葉を払った。
「明日15時に、カフェ、ブエナ・ヴィスタで落ち合いましょ。凶器の処分は任せてください。あなたはあの子をつれて別荘に戻って、…そうですね、夜はボクと一緒にいたってことにしましょうか。あなたのアリバイですよ、念のための…」
「不要だ。第一君と共にいる理由がない、不自然だろう」
「つれないですねえ。まあいいです。あなたはいずれボクのものになるんだから…」




