第十二話
ちらちらと粉雪の舞う中をセデュは駆ける。明け方の空に吐く息が白く燻る。ワインレッドのマフラーに口元を埋めたセデュはきょろきょろと通りを見渡す。朝のシャンゼリゼで開店している店は少ない。その数少ないひとつ、あるカフェの奥の席、見慣れたブロンドを見つけたセデュは扉を押して店に入る。
カランと扉に付いた鈴が空疎な音色を奏でる。
「ルー、ここにいたのか。…帰るぞ」
ウエイトレスの声掛けも他所にずかずかと奥の席まで突き進んだセデュはぴたりと足を止め、ソファに掛けた少年を見下ろす。化粧の濃い中年の女性を左右に侍らせた少年はへらりと笑って顔を上向けた。
「やあだよ。ぼくもっと遊ぶんだもん。君はひとりで帰れよ。暖かいおうちにさア」
呂律が回っていない。くすくすと周りで忍び笑いを漏らす女たちは、ルーに酒を飲ませたのだろうか。まだ未成年の彼に。14歳の、ルーシュミネに。
「ほうっておいてよ。婚約者サンのところにでも行けよ。ぼくもうすこし飲んでいくから。おんなのひとってあったかいんだ、ぬくぬくして、きもちいいんだよ、きみ、知っていた? 婚約者サンとはもう寝たの? きみはどんな子が好きなのかな。どんなふうにおんなのひとを、抱くんだろう…」
「遊蕩はせめて成人してからにしてくれ。…お前たちも、こんな子供を食い物にして恥ずかしくないのか。手を離せ、こいつはすぐに連れ帰る、」
「キレイなお兄さん、一緒に遊んでいかない? 4人で愉しみましょうよお。部屋にコカインがあるのお、ぶっ飛んで何もかも忘れましょうよ…」
「…薬をやったのか」
さっと青褪めたセデュは縋りつく女たちを捥ぎ離し、ぐたりとソファに凭れ掛かったルーに屈みこむ。
「目を開けろ。歩けるか? 無理なら背に乗れ、屋敷まで運ぶから…」
「キレイなお兄さんはルー君にご執心なのオ。残念だわア」
「二人纏めて食べちゃいたいのに。ゲイだなんてねエ」
きゃははと嘲笑を浴びてもじろりと睨みつけるだけで何も言わず、セデュはのしかかってくるルーを背中で受け止める。
「あったかい、きみの背中、ひさしぶりだねえ…なんだか胸がくるしいな、なんだろう…」
「屋敷に付いたら医者を呼ぼう。他に苦しいところはないか?」
「ちくちくするんだ、ずっとそうだ、きみをみてると、ぼくはいっつも…」
「ルー、それは…」
「わすれたいんだ、きみのことわすれたいんだよ。でもできないの。おんなのひとと一緒に居ても、ずっと、ちくちく、ちくちく胸が痛いの。どうしよう、病気かな? 頭がヘンになっちゃったのかな。クスリのやりすぎかもしれない…」
「薬はもう、やめてくれ。それはお前を壊すだけだ…」
ルーを背負ったセデュはカフェを出る。通行人にぎょっとした目を向けられても平然としていたセデュは、しかしルーの覚束ない告白に眉を顰める。
セデュが婚約してから、目に見えて荒れ始めたルーに気付いていた。
自分の感情の所在におそらくは気付かぬまま、自傷行為のような放蕩をつづけるルーに、苦しいものを感じていた。
守りたいと思った、その気持ちは今も変わらない。セデュイールにとってルーは行き場のない、ひとりぼっちの幼い子供であると同時に、懸命に不器用に生きる、ほうっておけない儚い男の子だった。
…いつから恋に落ちていたのか、セデュ自身もわからない。自覚したのはもうしばらく経ってからだ。
そのころには既にふたりの距離は埋めようもなく広がっていた。互いに相手を求めながら、その感情を押し殺して、ふたりは今日まで来たのだった。
「――レヴォネ氏は、リーヴェ君を庇って罪を負った、と、そういうわけですかな?」
「…はい」
長い物語を語り終えた疲労からか、幾分ぼんやりしたルーシュミネにフォンダリが尋ねる。ルーシュミネはあの夜に自分の身に起きたことを洗いざらいぶちまけた。自分が犯人であり、セデュイールには何の非もないのだと。息をのんで聞き入っていたロッキーが頭を掻きむしりながら苦言を呈す。
「じゃああいつは、あんたのために逮捕されたってことかよ!? マスコミにあることないこと書き散らされて侮辱され、世間には後ろ指差されて…あんたそれで平気なのか!? 今すぐ警察に行って自白しろよ!」
「待ちたまえ、バートン君。そう勇み立つものじゃない。第一、彼が実際にやったかどうかもまだわからないのだよ」
冷静を装ったフォンダリがいきり立つロッキーを宥める。内心冷や汗をだらだら掻いているのがバロットにはわかる。こんな大型な案件、久しぶりすぎてどうしたらいいかわからない、ってのが今のやつの心境だろう。探偵を名乗っちゃいるが、てんで度胸のないヘタレ野郎だからな。バロットはそう心で呟いて、薬缶をコンロに置く。
「…やっぱりぼく、もう一回警察に行ってきます。きちんと筋道立てて話せば、聞き入れてもらえるかも…」
「君には記憶がないのだろう!? 罪を認めれば不利になる。申し出ても、今のレヴォネ氏のような状況に君が陥るだけだよ」
「それは…そうですけど…でも、じゃあどうすれば…」
心細いような声で呟いてルーシュミネが探偵を見上げる。可憐な緑の瞳が潤んでいる。ああ、惜しいなア。依頼人じゃなけりゃあ口説いてドライブにでも連れ出して、気晴らしをさせてやれるってのに。
だいたい、ルーシュミネさんを庇ったのはセデュイールってヤツが勝手にやったことなんだろう? 部外者がどーこー言う筋合いのことでもねえよな。ルーシュミネさんは探偵に縋らにゃならんほど思いつめてる様子だし、セデュイールを誑かして罪をおっかぶせたようにはとても思えない。第一、探偵の言い分じゃねえが、犯人がルーシュミネさんだって確証はねえんだ。そんな段階で自白するのどーのってのは、話が違うんじゃねえか?
バロットは内心でぶつぶつ呟きながらようやく淹れ終わった紅茶カップを人数分、テーブルに運ぶ。途中話に集中して手がお留守になっていたのでかなり濃くなってしまったが、まあミルクとか入れて薄めてもらえりゃいいだろう。
「じゃ、ひとまず現場検証に行きますか。車出すっすよ。管理事務所の厩でしたっけ?」
黒いエプロンを外しながらバロットが言うとテーブルに着いた面々が一斉に彼を見る。
「彼は私の助手だ。信頼してくれていい…」
探偵が慌てたように言葉を添える。空気に呑まれたような探偵と3人の男性陣を載せた車はすぐに発進した。オンボロの黄色いフィアットだ。凸凹道を行くたびにウサギのように跳ねる。
ちなみに女性陣は屋敷に帰ってもらった。殺人現場のような生臭い場所に、レディを連れて行けるものじゃない。…妹娘のほうは好奇心に目を輝かせて共に生きたいと粘っていたが、姉娘のパールに諭されて諦めたようだ。やれやれ。




