一章 三話
実習二日目から、研修の内容が変わった。
見学は初日で終わり。二日目からは実際に各工程を補助として回っていく。検査ライン、組み付け、洗浄工程。一週間かけてひと通り経験する流れだ。
岩崎に「面倒見ろ」と言われたが、俺にはラインの管理や品質記録の確認など、リーダーとしての仕事がある。一日中実習生につきっきりになれるわけじゃない。それに、各工程を担当しているベテランから直接教わった方が、実習生にとっても本来はいい。現場を知るなら、一人の人間からじゃなく、各持ち場の人間と関わりながら覚えていくものだ。
だから三人はそれぞれ別の工程に配置した。自然と現場の人間と話す機会ができる。そうやって少しずつ打ち解けていってくれれば、それが一番いい。
田中と木下は昨日より少し表情が柔らかくなっていた。一日経って、現場の雰囲気に慣れてきたということだろう。田中はもう何人かの作業員と軽口を叩けるくらいには打ち解けていた。
真昼は変わらなかった。
昨日と同じ表情で、同じ姿勢で、工程に入っていった。
昨日の昼休み、食堂で向かいに座ってきた真昼のことを、今朝もどこかで引きずっていた。
それを自分の仕事とは切り離して考えようとした。切り離せなかった。
「この確認って、なんのためにここで入れてるんですか?」
補助に入って三十分も経たないうちに、最初の質問が飛んだ。
担当の作業員が手を止める。
「最終確認だよ。出荷前の」
「前工程でも同じ箇所を見てましたよね」
「まあ、ダブルチェックってことで」
「それって規格で決まってるんですか?それとも慣習ですか?」
作業員が少し間を置いた。
「……ずっとこうしてるから」
「なるほど。ありがとうございます」
真昼はメモに何かを書き込んで、手を動かし始めた。
悪気はない。むしろ真剣だ。
でも作業員の顔が微妙に曇ったのを、俺は離れたところから見ていた。
質問の内容は正しい。ダブルチェックの根拠が慣習なのか規格なのかは、改善を考える上で実際に重要な問いだ。
ただ、場所と順序が違う。
初日から来た人間にそれを言われたら、どう感じるか。長年その工程を担当してきた人間なら、なおさらだ。
質問はそれで終わらなかった。
「この部品、持ち方に決まりはありますか?」
「打痕ってどの程度から不良になりますか?」
「さっきと持ち場が変わりましたけど、ローテーションの基準は?」
一つひとつは的外れじゃない。むしろ鋭い部分もある。
ただ、手が止まる。流れが乱れる。
現場のリズムというものを、まだ体で掴めていない。
真昼が悪いわけじゃない。本人はただ、全部知ろうとしているだけだ。
それでも現場には現場の空気がある。その空気を読めていない。いや、読もうとする前に動いてしまっている。
作業員たちの間に、少しずつ微妙な空気が流れ始めていた。
休憩時間。
田中と木下が自販機の前で話していた。
「高坂さんって、すごいよな」
「うん……」
木下が少し言いよどむ。
「でも、ちょっと質問多くない?」
「俺もそう思った。作業員の人、困ってたし」
二人は声をひそめていたが、静かな休憩室ではそれなりに聞こえた。
真昼はその少し離れたベンチに一人で座って、手元のメモを読み返していた。
聞こえていたかどうかは、表情からわからない。
ただ田中にも木下にも目を向けず、メモだけを見ていた。
昼休み。
三人で食堂に向かうかと思ったが、真昼は一人でさっさと歩いていった。田中と木下は顔を見合わせてから、別のテーブルを選んだ。
特別な出来事があったわけじゃない。
ただそうなった。
俺は真昼と同じ席に座ろうと向かったが、途中目が合って顔をそらされてしまう。
やっぱり、無理か。
お互いに急に再開して距離感がつかめないのだろう。
俺は自分にそう言い聞かせながらいつもの端の席に座った。
真昼は隅の席に座って、静かに定食を食べている。
食堂のざわめきの中で、そこだけ切り取られているみたいだった。
昨日の昼休みとは別人みたいだ、と思った。
「先輩」
陽菜がトレーを持って隣に来た。
「今日の実習生、なんか分かれてますね」
「最初はそんなもんだろ」
「そうですかね」
陽菜はちらりと真昼の方を見た。
「あの子、一人ですね」
「見ればわかる」
「先輩も見てたじゃないですか」
「……仕事だ」
「ふーん」
納得していない声だったが、それ以上は聞いてこなかった。
陽菜は自分の定食に箸をつけながら、もう一度だけ真昼の方を見た。
それきり何も言わなかった。
午後の補助が始まった。
午前とは別の工程に入る。
田中はすぐに担当の作業員と雑談を交えながら手を動かしていた。木下も無理なく周囲に合わせている。
真昼は黙々と作業していた。
質問は午前より減っていた。意識して抑えているのかもしれない。それとも、午前中に何かを感じ取ったのか。
手を動かしながら、目だけが忙しく動いている。工程を見て、部品を見て、周囲の動きを見て。
吸収しようとしているのはわかった。
ただ、吸収の仕方が少し違う。田中や木下が人と話しながら覚えていくのに対して、真昼は一人で覚えようとしている。別に悪いわけではない。でも、それだけ周囲との距離は縮まっていかない。
一日が終わった。
更衣室へ向かう廊下。
田中と木下が並んで歩いている。少し先に、真昼が一人で歩いていた。
三人の間に、三メートルほどの距離があった。
まだ二日目だ、と思った。
でもあの距離が、なんとなく気になった。
このまま三週間が終わったら、真昼にとって何が残るのか。
仕事の知識は残るだろう。
でもそれだけじゃないかもしれない、と思いながら、俺はその背中を見ていた。




