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白か黒か白と黒か  作者: 丑十八 higure
肆章 アクマカツニンゲン
39/40

#13 校則②「課外活動にも全力で取り組め!」

「おはようございま〜すっ!」

 今日は晴れ。気温は冷涼で、気持ちいい一日の始まりだ。お兄ちゃんのサンドイッチも、いつも美味しいけど更に気合の入った格別な逸品だったし、朝から元気満タン。校門で仁王立つ生活指導の淀先生への挨拶も、自然と気合が入ってしまう。

「━━おお、おはようございます、日暮先生。今日は随分とご機嫌ですね」

 私の勤める魔法学園、中等部国語科担当教諭の淀先生は、職員室における私の隣席の先生だ。私より一回り二回り年齢は上だが、席が隣ということも相まって仲良くしてもらっている。

「はい! 今日行けば休みなんでっ……!」

 フンスと鼻を鳴らし、ガッツポーズをして見せる。淀先生は妖麗に口に手を当てて微笑んだ。

「フフ、日暮先生らしいですね。週末は、部活の方はお休みですか」

「そうなんですよ。たまには部員たちにも休みを満喫してもらいたいので! ……なんて言って、ただ自分が休みたいだけなんですけどねっ」

「あら」

 ウフフと上品に笑う淀先生。冗談を言いつつ、私もつい笑いが溢れる。

「━━先生たち、仲良しですねっ!」

 唐突に背後から声がして、振り返ると中等部の女生徒がニコニコしながら鞄を身に寄せている。普通に挨拶をしようと息を吸った瞬間、淀先生が私より先に声を出す。

「金田さん、それよりも先に言うべきことがあるでしょう」

「あっ、おはようございまぁすっ!」

「はい、おはようございます」

 焦ったように大声で挨拶する金田ちゃんと、満足したように素敵な笑顔で挨拶を返す淀先生。それに続いて私も声を上げる。

「おはよ〜! あれ、金田ちゃん、時間大丈夫?」

 訊かれて、金田ちゃんは携帯を取り出して画面に目を落とす。途端に目を見開く彼女。

「やッば! 輝チャンありがとっ! 先行きますっ!」

「こらっ金田さん、無闇矢鱈に走らない」

「すみませぇ〜んッ‼︎‼︎」

 走るにやや届かない最速の速歩きで教室へ駆ける金田ちゃんの背を見届けて、一つ軽い溜息を吐く淀先生。

「……日暮先生、生徒と信頼関係を築くことは大切なことですが、適度な距離感も大切ですよ」

「ハイ、スミマセン……つい仲良くしてしまって」

 反省して肩を竦める私に、一息吐く淀先生。表情は、困り眉ながらも笑っている。

「……まあ、もしも私が日暮先生の生徒であっても、つい距離が近くなってしまいそうですが」

「えっ! もしかして淀先生も、学生時代はあんな感じのギャルっぽい生徒だったんですか⁉︎」

「……ほら先生、私たちも職員会議がありますから、急ぎますよ」

 途端に踵を返して校舎へ向かう淀先生。私はその背を追った。遠くの校舎の大時計が、私たちを見守っているようだった。


 午前の授業が終わり、ガララっと職員室の扉を開けるとコーヒーの匂いが飛び出してくる。やや上がってしまった息を整えて呼吸を繰り返すと、コーヒーの匂いの奥に、無数のカップラーメンやらお弁当やらの匂いを感じる。季節に似合わず立ち昇る湯気を掻き分けて、荷物の雑多に積まれた私の机へ歩いていく。隣席では、既に淀先生がお弁当箱を開いて手を合わせていた。ふと視線を上げた淀先生と目が合う。

「お疲れ様です〜」

「日暮先生、お疲れ様です。授業終わりですか」

 ビブスやら小型三角コーンやらを乱雑に入れた籠(かご)をどさっと置いて、椅子に腰を落とす。

「そうなんですよ〜、三クラス連続だったので、流石に息上がっちゃいました」

「三クラス連続……全部体育、ですか」

「そうですね、全部バスケでしたねぇ」

 引き出しに仕舞っておいたお兄ちゃんの手作り弁当を取り出しながら、てへへと笑ってみせる。見ると、淀先生は信じられないものを見る目で私を見つめながら絶句していた。

「……私は本当に、日暮先生を尊敬しています」

「そんなそんなっ! 淀先生には敵いませんよ〜!」

 手を合わせて小さく「いただきます」と呟く。体を動かしたお陰でお腹ペコペコだ。慎重かつ期待しながら弁当箱の蓋を開けると、海苔弁当が顔を出す。海苔の上にはアジフライと、端にはほうれん草のバターソテーとポテトサラダ。今日もとっても美味しそう。

「いえいえ……私はただ、快適な教室の中でただ話してるだけですから。三時間も連続してバスケをやれと言われたら、間違いなく卒倒する自信があります」

「あはは、私だっていきなり国語を教えろなんて言われたら、自分で音読している最中で眠たくなっちゃいそうですし、文法を教えている内に自分でも何言ってるか分かんなくなっちゃいそうです」

 そう言うと、箸を口へ運ぶ淀先生はあたかも「んー」と唸り始めるかのような顔をして俯く。私は、口内一杯に広がる幸せを飲み込んで声を出した。

「淀先生は運動あんまりお好きじゃないんですね」

「好きじゃない、というわけでもないのですよ。学生時代は一応、バレー部に所属していましたから」

「へぇ! 淀先生、女バレだったんですね! 確かに、背大きいですもんね」

 今は座っているから、こうして何の苦もなく話せているが、立った状態で長話していると(淀先生は真面目な先生なのであまりすることはないが)少し首が痛くなる。淀先生は少し困り顔で笑った。

「だとしても、昔の話です。まあ三時間ずっとバスケットボールは現役時代だとしてもやりたくありませんが……。そういう日暮先生は、学生時代は何の部活に所属していたんですか」

 時間が止まる。

 私はその質問に、答えることが出来ない。

 職員室の喧騒、校内放送のBGM、コーヒーの匂いやカップラーメンの残り香が遠ざかる。舌の上、ポテトサラダが崩れ去る。仄白んだ潮騒を、ただぼうっと眺めているような心地。現実と精神が分離されたような、そんな心地。

「━━日暮先生、大丈夫だったかい?」

 男性の声で唐突に名を呼ばれる。咄嗟に「はいっ」と声を出して振り向くと、そこには白髪の穏やかそうな男性の姿。

「あっ、教頭先生! ど、どうかされましたか?」

「ああごめんよ、驚かせてしまった。いやね、日暮先生は今日、水上先生の代わりに中等部二年F組の体育の授業を受け持ってくれたでしょう? それで先生、三時間連続で体育だと先程気づいてね、悪いことをしたな、と思ったんだよ。大丈夫だったかい? 疲れていないかい?」

「あぁっ、そういうことですか……。全然っ、大丈夫ですっ! この後少し休めますし、むしろ良い汗を掻けたのでお弁当が美味しいというかっ!」

 鼻を鳴らしてお弁当を掻き込むと、教頭先生は穏やかに笑った。

「日暮先生の体力にはいつも驚かされてばかりだよ。頼りになるけれど、余り無理はし過ぎないようにね。それじゃあ、ゆっくりお昼ご飯を楽しんで。淀先生も、お話中に悪いね。午後も頑張りましょう」

 銅像にでもされて拝まれそうなほど温厚な笑顔を淀先生にも見せて、後ろに手を組んでゆっくり立ち去っていく教頭先生。あんな役職に就いて誰よりも働いているというのに、こんな些末なことにさえ気を配って教員への声掛けも怠らない。最も忙しいあの役職に就いても尚、あれだけ余裕のあるように見えるのは、はっきり言って異常だ。

「━━やっぱり、教頭先生には一番敵いませんねっ、淀先生」

「……ええ、そうですね」

 教頭先生には、図らずも助けられてしまった。

「━━お疲れ様です」

 背後から再び声がして振り向くと、もう一つの私の隣席である中等部数学科担当教諭の香住先生が静かに着席していた。彼の整然とした机上を見ると、自分の机が恥ずかしくなる。

「お疲れ様で〜す! 先生も授業終わりですか?」

「はい。生徒の質問に答えていたらこの時間になってしまいました。『先生も』ということは、日暮さんも授業終わりですね」

 極めて論理的かつ整頓された語り口。彼はこちらを見ることはなく、自分のスクエア型のメガネを外してレンズを丁寧に拭きながら問うてくる。

「日暮先生、今まで三時間連続でバスケを教えていたそうですよ」

 後ろから淀先生が静かに口を出す。途端、見開かれた香住先生の睫毛の長い目が私の顔を見る。口は半開きで、レンズを拭く手は完全に止まっている。

「……信じられない。そんなことをしたら脚がもげる」

「もげませんよ」

 私が笑いながら反論しても、香住先生は一人でぶつぶつ何か言いながら、どこかからいつものシーフード味のカップ麺を取り出して、そのままぶつぶつ言いながらお湯を入れに行った。香住先生は一見真面目に見えるけど、まあ真面目ではあるけど、すごく変な人だ。そこが面白いところだけど。

 ふと、私は振り返る。少し驚いた表情の淀先生を見つめる。

「私、陸上部でした」

 言ってからお弁当に体を向き直り「ささ、昼休み終わっちゃいますから、早く食べましょ!」と促す。掻き込んだお弁当は冷えていた。


 もう太陽は橙色に燃え盛り始めた。放課後の学校は、独特の雰囲気を醸し出す。

「━━集合ッ!」

 服を着替えて靴も履き替え、校庭へ出てくると、陸上トラック中に散開していた生徒たちが部長の一声で集まってくる。

「こんにちは━━ッ!」

「はい、こんにちは! みんな、もうアップは済ませたね。偉い偉い。じゃ、いつも通り、走りに行こっか。短距離の子は校庭横断全力ダッシュと一分休憩十五セット、長距離の子は目標タイム十八分で外周五周。ちょっとキツイかもしれないけど、明日から休みだからね! 頑張ろう! じゃ、スタート!」

 気持ちの良い返事が燃える空に響き渡る。一斉に走り出す生徒たち。私は長距離の子たちを率いて校舎外周に走り出す。私が普段教鞭を取っているのは中等部だが、顧問を任されているのは高等部の陸上部だ。たまに中等部の陸上部顧問からお願いされてそちらの練習に顔を出したりするが、基本は高等部の学生の部活を見させてもらっている。

 常々思うことだが、高等部の子たちも中等部の子たちも、みんな真面目で真摯で実直だ。普段の授業での様子もそうだが、部活動となると特段それを実感する。私の指導に無理を感じたり、憤りを感じることもあるだろうに、彼らはそれを私に感じさせない。私の前ではへこたれず、文句も弱音も吐かず、ただ私の後ろをついてきてくれる。

 だから、私も走る。背後からする無数の足音と呼吸音に背中を押されながら走るのは、気持ち良い。ただでさえ走るのは気持ち良いのに、みんなで走ればもっと爽快だ。走っているとき、わざわざ後ろを振り向くことはあまりないが、いつも彼らには感謝を伝えたく思っている。

 校舎の外周は一周約一キロメートル。五周すれば当然約五キロメートルとなり、目標タイムである十八分で走り切るには一周を大体三分半で走ることを要求される。当然、競技中に魔力を使うことは禁止されている(そもそも魔力を使えば五周するのに一秒も掛からない)ため、私はいつも自分の足で、ピッタリ一周三分半のペースで走っている。魔力を使わずとも、本気を出せばもっと速く走れるけど、それじゃ意味がない。部活動の主役は、生徒(かれら)だ。

 当然、速い子は私を抜かして先に五周を終える。息を整えて停止して、既に五周を終えてゆっくり歩いている子に声を掛ける。

「石田くん、今日も速いねぇ」

「あ、ウス」

「……右足、痛むでしょ」

「え」

 彼は高等部二年。引退した三年を除いて(もしかしたら除かなくても)この部の中で一番記録の良い部員だ。彼はいつも私を抜かしていき、私は彼の走り去る背中を毎日のように見てきた。今日の彼の走り、速度としては普段とそう変わらないが、フォームが少し崩れていた。

「何で、言わないの。怪我をした子は治るまで他のメニューだって、知ってるよね」

「……すいません」

「私、怒ってる。ちゃんと怪我を申告しなかったこともそうだけど、それ以上に、体を大事にしない石田くんに怒ってる」

 黙り込み、俯いたままの石田くん。

「……最近、記録が伸び悩んでるから、焦ってるんでしょう」

 顔を上げた彼の目を見つめる。

「君の気持ち、分かる。周囲の期待を背負い込んで、今までの功績に突き飛ばされて、そんな色んな全てから、逃げようと走らされている。走っていないとおかしくなりそうで、もっと速く、もっと速くって、足が勝手に動いてしまう。そうでしょう」

 石田くんは何も言わない。夕陽を背後に、彼が逆光になって輪郭だけ残る。

「記録を更新することは、確かに大事だよ。だけど、君の足は、それだけのためにあるんじゃない。君は、十分走ってるよ。記録が伸びないのは、君の努力不足のせいじゃ決してない。この世のものは全部、壊して、直してを繰り返して良くなっていく。君は壊した。過去を。怠惰を。右足を。だから今は治すとき。走るだけが、走るために必要なことじゃないんだよ。上半身と体幹のトレーニングメニューを用意しておくから、取り敢えず、マネージャーちゃんに右足の冷却とテーピングしてもらっておいで。分かった?」

「……はいッ、すみませんでしたッ」

「いいよ〜、あ、一人で歩ける?」

「大丈夫です、一人で行けますッ、失礼しゃすッ」

 ぎこちなく走り去る石田くんの背中に「ゆっくり行っていいから気をつけて〜っ!」と大声を掛けて見送る。背後からドタドタと無数の足音が聞こえてくる。

「せんせッ、何分っスかッ」

 背後から声がして振り返る。

「佐々木くん二十一分五二、よく頑張ったね〜」

「はッはッ、ボクはッ」

「ふぅぅぅっ……!」

「夏川くん二十二分ジャスト! 三上ちゃん二十二分四、田町くん━━」

 夕陽が目に染みる。風が心地良い。整った息で、タイムを読み上げていく。太陽はまだ沈まない。


 部活動も終わり、陽は沈み、本日のお仕事は完全終了。闇の街で、ぼんやりと光を放つ地上の星へ歩いていく。こぢんまりとした店舗、暖簾を潜って戸を開けると、夜とは思えぬ喧騒が街に溢れ出す。

「らっしゃっせェ━━ッ‼︎‼︎」

 活気ある声に出迎えられる。店内に渦巻く香ばしい焼鳥やら揚げ物やら何やらかんやらの匂いと幸福の煙。そして、空気中に霧散したアルコール。

「お一人様ですかァ━━ッ!」

「あ、遅れてきたんですけどっ━━」

「あ、輝さん、こっちですぅ!」

 奥の座敷から大声がして、そちらを見ると中等部主任の柴先生が手を挙げてこちらに手招いている。

「分ッかりましたァ━━ッ! お客様入りまァ━━すッ!」

「らっしゃっせェ━━ッ‼︎‼︎」

「あっ今行きまぁ〜すっ!」

 活気が良いにしても流石に良過ぎる。ついつい笑いが零れながら、店の奥までそそくさと向かう。座敷に上がると既に八人の座る大机には幾つもの大皿と何杯ものジョッキが並べられている。実は今日の昼休み、主任の柴先生から飲み会のお誘いがあり、私は部活が終わってから合流することになっていたのだった。

「すみません、遅れましたぁ!」

「輝さん、部活動お疲れさんっ! 俺らこそ悪ぃね、先やっちゃってるけど」

「いえいえ全然! 今から追いつきますから、だいじょぶでっす!」

「輝さん強ぇからなぁ……! まいいや、ホレホレ座って! 生でイイかい?」

「はいっお願いします!」

 注文は主任に任せて、私は座敷を進んでいく。右奥の方に座っている淀先生と目が合って、自然とそっちへ寄せられる。飲み会はよく行くが、私は大体淀先生の隣か、よく飲む柴先生の隣に座ることが多い。

「お疲れ様です、日暮さん。待ってました」

「淀さんも! 一週間お疲れ様でした〜」

 最初の頃、淀先生は飲み会にはあまり来られない人だった。まあ彼女の性格上、あまりこういう会は好まなそうだが、しばらく私と話すようになって、徐々に飲み会にも参加してくれるようになった。今では彼女なりに、それなり楽しんでいるらしいので良かったと思う。

 因みに、教員が学外で集まるときは周囲の目を気にして「◯◯先生」という呼称を使わないようにしている。淀先生のことを淀さんと呼んだりするのは今でも慣れないが、これはこれで何だか楽しい。

「ほいっ輝さん! 生ビールね」

「ありがとうございますっ!」

 柴先生は中年の男性教員だが、すごく気さくな人で、大抵の教員のことを下の名前で呼んでいる。しかし、生徒の前ではかなり厳しい指導をすることもあるため、きっとこんな姿を生徒が見たら驚いてしまうだろう。

「じゃ、輝さんもようやっと集まったわけだし、改めて乾杯の方を! はいっ、せーのっ、乾杯ッ!」

「かんぱぁい!」

 手に滲む結露と氷のような冷感。板氷の如き重さが腕に掛かる。唇に絶対零度。呷る。口内へ雪崩れ込む黄金水を止めることなく嚥下し呑み下す。ゴクン、ゴクン、ゴクン、と明瞭な音。最高の喉越し。超越的な一杯。五臓六腑に染み渡る。

「━━くはァッ‼︎‼︎ 最ッ高! すいません、生ビールもう一杯くださいっ!」

「あいよォッ‼︎‼︎ 生一杯入りましたァ━━ッ‼︎‼︎」

「も、もう一杯飲んだのッ⁉︎ 流石だねぇ……イイ飲みっぷりだ! 俺も負けてらんねぇな、すんません生もう一つぅ!」

 私に対抗して注文する柴先生。もう既に少し頬が赤いのに、大丈夫だろうか。まあ、楽しいし美味しいからいいよね!


 飲み会も進んできて、私はもう既に十杯を乾かした。卓上の数多のツマミも最初の山盛り状態から均されている。

「━━そういえばさァッ! ウチの娘なんだけどさァッ」

 顔を真っ赤にした柴先生が、制御されていない大声で机に乗り出してフラフラ語り出す。私に対抗して、しかもほぼ一気飲みを繰り返していたから、酔いが回ってしまったみたい。

「なんかさァッ、アイドルの……書かねぇやら裂かねぇやら……何だっけ……」

「アイドルA-kane(アカネ)じゃないですかぁ?」

「ソレだァッ!」

 中等部理科担当教諭の麻井先生が(元々ふわふわした口調の人だけど)更にふわふわした口調で助け舟を出すと、柴先生はそれに指差してまで乗っかった。驚いたような顔の麻井先生。

「ソレのライブがあるッてさァッ、折角の休みなのに一緒にいられないッて言ってきてさァッ! 別に止めないけどさァ、好きなことして好きに生きてくれればイイけどさァ……もう、俺は何を糧に来週来々週の仕事を頑張ればいいのヨ……」

 机にへたり込んで頭を抱える柴先生の左手薬指の指輪がキラリと光る。何だ、その悩みは。めっちゃカワイイ。

「えぇ〜っ、主任、すごく可愛らしいお悩みですねぇ」

 麻井先生も私と同じ感想を抱いたようで、口に手を当てて目をキラキラさせてそのまま感想を述べる。

「可愛いのは娘だけどなァ…………また飲み会誘ったら、来てくれる……?」

「んふふ、いつでもお供しますよっ!」

 私以外の他の教員からも賛同の声が上がる。静かにハイボールを飲んでいた向かい側の数学科、香住先生が突如口を開く。

「柴さんもA-kaneのライブに行けばいいじゃないですか」

「エェ━━ッ? アレ、男のアイドルだろ? 男はあんまり興味ないんだよなァ……」

「僕は行きますが」

 香住先生の口から衝撃の言葉が飛び出して、静寂の後、場が響めく。

「えぇっ、香住さん、A-kane好きなんですかぁっ?」

「ええ。彼のライブはほぼ毎回行ってますよ。彼の曲は数学的にも美しい。そうは思いませんか、麻井さん」

「それはよく分からないですけどぉ……えぇ〜、すっごく意外ですぅ〜。私もA-kane好きなんですよぉ。好きな曲どれですかぁ?」

「やはり『燃料』は外せないと思いますが、個人的には『re-Die-al』と『赫赫鹿爾』、それと『三日月の鋭光』はもっと評価されて然るべきかと」

「うわぁすっごくマイナー……」

 ……やばい、めっちゃ気まずい。

 実は前々から、A-kane、元い茜(あかね)から直々にライブの観覧を誘われていて、守り人全員で見に行くことが決まっていた。A-kaneのライブは超人気、故にチケットを取るのにかなり苦労する。私がライブに参戦することがバレたら、何だか話がややこしい方向へ行ってしまう気がする。アイドルA-kaneの曲は、まあ人並みには聴くしとても好きだ(何ならお兄ちゃんの方がよく聴いている)けど、正直香住先生と対等に話をするのは無理だ。

「私も、多少ではありますが、A-kaneさんの曲は聴きます」

 隣の淀先生がお淑やかにカクテルを啜った後、声を出す。

「へぇ〜……淀さんもお好きなんですねぇ。これまた意外ですぅ」

「日暮さんも、そういえば前、聴いていませんでしたか」

 ゲッ。淀先生が唐突に私に鋭利なマイクを差し向けてくる。ヤケになって、勢い良くジョッキを呑み下す。

「き、聴きますよっ! あの、生徒にオススメされて……あと、あっ! 兄が! 兄が好きなんです! 兄は、ライブもよく行ってます!」

 嘘は吐いてない。お兄ちゃんは自分でチケットを取ってライブに行く程度にはA-kaneが好きだ。まあ、そのときには私もついて行ってるけど。

「へぇ〜、お兄さんがですかぁ。というか日暮さん、お兄さんいらっしゃるんですねぇ」

「柴さん。僕や日暮さんのご兄弟が男性でもA-kaneを好きなように、男性が彼を応援し、ライブへ行っても何もおかしくありません。更に言えば、そもそもA-kaneは男性アイドルとしては男性のファンが多いことでも有名です。娘さんと共通の趣味があれば、今よりも娘さんとの距離が縮まるかもしれません」

「そうかなァ……そうかもなァ」

 なんて、遠くでは香住先生が柴先生に熱く布教を始めた。代わり、麻井先生がこちらに寄ってきて話が進む。

「あ、はい。そうなんですよ〜」

「お兄さんとはお幾つ離れてるんですかぁ?」

「あぁ、双子なんですよ」

「双子なんですかぁっ⁉︎ 珍しいですねぇ」

「そうですかねぇ」

 目を見開いて今日一番の驚きを見せる麻井先生に、私は首を傾げてみる。

「……日暮さんは、お兄様ととても仲がよろしいのですよ。一度、お弁当を届けに来たお兄様をお見かけしたことがあります」

「日暮さん可愛いですねぇ、お弁当忘れちゃったんですかぁ」

「お、お恥ずかしながら……」

 ニコニコしながらツマミをちょいちょいつまむ麻井先生。両頬に頬杖を突きながら、肩を竦める。

「それにしても、お兄さんと仲良しなんて凄いですねぇ。私も三つ離れた兄がいるんですけど、あまり連絡も取らないですしぃ、まぁ、今は違いますけどぉ、一時期なんて兄が鬱陶しくて喧嘩ばかりしていたときもありましたよぉ。日暮さんはそういうこと、なかったですかぁ━━」

「無いです」

 口から言葉が紡がれる。考えるよりも先に答えは出ている。

「これまでも、これからも、私たちが生きている限りずっと。私とお兄ちゃんは、どんな刃物でも切れない糸で、繋がっているんですよ」

 フロアを覗いて手を挙げる。

「すみません、テキーラを三杯、お願いしまぁす」

 景気の良い返事が、空気に呑まれて消え入る。

「この糸がある限り、私は何をしても、どれだけ呑んでも死にません。今日は、楽しい夜になりますね」

 二人分の目を切り裂いて、月光は煌々と輝いていた。

 そういえば最近連絡ないけど、茜はやっぱり忙しいのかな。


 次回「繁忙期之男」

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