#6 光束を背に受ける花束
「ん~! おいしっ!」
口に拡がる甘味。舌から入った味覚刺激は脳に到達した途端、幸福に変わる。レモンパフェは幸福の塔だ。ほのかな酸味が甘味を引き立てて、甘味が酸味を引き立てる。まるで天上のシーソー。
目の前に座っている花林ちゃんは、手元のフラワーケーキなるものを一口切り崩して口に運ぶ。
「━━ん、美味しい」
嬉しそうな顔の花林ちゃん。その表情に釣られて私まで笑顔になる。
「でしょ〜? それ、一口も〜らいっ!」
「フフ、どうぞ」
一言感謝を述べてから、自分用のフォークでケーキを一欠片切り崩して口に運ぶ。舌の上で溶ける重たい甘さと、後から鼻腔へ駆け抜けるお花の香り。これは、美味しい。お兄ちゃんにも食べさせてあげたいな。
「輝ちゃんは、美味しいお店をよく知っているわね」
凛とした表情で紅茶を含む花林ちゃん。私は強く肯く。
「うん! この間、お兄ちゃんと一緒にカフェ巡りしたときに見つけたんだ〜。良いお店だよねっ! スイーツは美味しいし、お店の雰囲気も良いし、紅茶は美味しいし、スイーツは美味しいし!」
「本命はスイーツなのね……」
えへへ、と笑いが零れる。今日は花林ちゃんと二人で女子会だ。こうやって、任務以外で二人集まって何かするというのはそういえば最近あまりなかったなぁと思った私が、突発的に誘って開かれた会だ。
「今日、急に誘っちゃってごめんね? お店とか、大丈夫だった?」
私が心配になって問い掛けると、花林ちゃんはユリの花が風で振れるようにかぶりを振った。
「いいえ、気にしないで。今の時期、お墓参りのシーズンでも、何でもないのだから、そんなにお客さんは来ないのよ。それに、誘ってくれて嬉しかったわ。こんなに美味しい紅茶もスイーツも堪能出来たし」
スミレのように微笑む花林ちゃん。つい魅入ってしまうほどの、蠱惑的な表情。私にはない堅強な理性と崇高な知性。
「そっ、か! なら良かった! ━━あ、でもさ、蒼、今頃寂しがってるんじゃない?」
目の前の盤石な理知が崩れる。その名前を聞いた途端、花林ちゃんの頬が染まる。黙って、何も反応がなくなる。多分きっと、そんな様子の蒼を想像してる。
しゃんとしていて冷静な花林ちゃんが、こうなっちゃう瞬間が、私は好きだ。
「そ、そうかもしれないわね」
「朝も残念そうな顔、してたんじゃない?」
「……ええ。いかにも『行かないでほしい』って思っていそうな顔だったけれど、口では『楽しんできてね』って言ってくれたわ、ね」
「……んふふ、カワイイ」
蒼も、顔の真っ赤な花林ちゃんも。私の「カワイイ」という言葉には何も返答しないけど、その、落ち着いて紅茶を啜るかに見えるニヤけ顔は、口よりも物を言っている。
「もう、何年目だっけ?」
「結婚は……出来るようになって直ぐにしたから、もう三年目、かしら」
「付き合ってからは?」
「ええと……もう、何年になるのかしら」
音も出さず唸る花林ちゃん。俯いて、ティースプーンで紅茶を掻き混ぜる。
「……私たちが出会って、それから少ししてからだから……今年でもう十年ね」
「十年! こう聞くと、改めて長いねぇ……」
私の言葉に、花林ちゃんは困り笑いを浮かべる。
「そんなこと言ったら、私たち、出会ってからもう十三年も経つのよ」
「えぇっ⁉︎ そんなにっ!」
ビックリして咄嗟に大きな声を出してしまってから、ここがシャレオツなお店の中だったと気づいて「あ、すみません……」と誰に聞かせるでもなく謝る。
「でも、懐かしいね」
「……ええ、そうね」
向かいの窓から陽が差して、花林ちゃんが逆光で塗り潰される。人型の黒から、寂寥を孕んだ声がする。十三年前。私たちが「守り人」になった日。
「……私、変われたかしら」
逆光が零す。こちらに問い掛けてきたのか、それとも自問か、どちらとも取れない声色のそれ。
「━━花林ちゃんと、こうやって仲良くなれて、私、良かったよ」
浮雲が陽射しを遮断する。花林ちゃんは、私を見ている。
「あの頃とは違う。私も、花林ちゃんも。懐かしいね、花林ちゃんの私を見る目、今でも覚えてる」
「……ええ。あの、拭うことの出来ない恐慌。今でも時々、薄らとだけれど襲われるときがある」
「……今は?」
「大丈夫。心配しないで。もう、輝ちゃんは大丈夫なの」
ほっと胸を撫で下ろす。花林ちゃんの、三日月のような目。思い出される記憶上の彼女の、あの、怪物を相対したかのような、恐怖と忌避と絶望に満ちた眼。
「……やっぱり、あの四人はまだ━━」
バタバタ、リンドンパタン。
問おうとした途端、店内の喧騒に気づく。店の入り口、見覚えのある深緑色が数名入店し、店員と相対している。
「突然すみません。私、世界保護団始末課の芽ノ長と申します。現在、被疑者の追跡を行っておりまして、この写真の女を見ませんでしたか」
「は、はい……あ、ああ〜、先日いらっしゃった、ような」
側頭部の黒いリボンに、団用帽子の下から垂れる銀の長髪。それに加えて決定的な、左頬の古傷。
「迷ちゃん……⁉︎」
驚いて、つい立ち上がってしまった私。レジスターでは、迷ちゃんの後ろからついてきた恐らく部下の金髪の人が敬礼を解いて追及する。
「マジっスか! ちょっとお話、聞かせてもらえないっスか?」
「か、筧くん、敬語敬語……!」
「あ、はい、大丈夫ですけど……すみません、ちょっと店長に話してきます」
「ご協力ありがとうございます、よろしくお願いします」
黒髪の好青年と長身の男性も続く。私が名前を呼んだことで周りを見回していた迷ちゃんと、とうとう目が合う。
「えッ、輝さんっ⁉︎」
ま、まずい。つい咄嗟に名前を呼んでしまったが、迷ちゃん、今業務中だった。
「ン〜? 官長、ご友人ですかあ」
「え、ええ、まあ」
最後尾、紅潮した頬のおじさんの問い掛けに肯いてから、躊躇い気味に迷ちゃんはこちらに駆け寄ってくる。
「あっ、ご、ごめんねっ、お仕事中にっ。ビックリして、つい名前呼んじゃって……」
「い、いやいや、大丈夫だけど……あ、そちらは、森草木さん、でしたっけ」
座ったまま、腕を組んでただ真っ直ぐ前を向く花林ちゃん。目だけこちらを向いて、小さく会釈する。
「ええ」
「私たち、ちょうど女子会してたんだけど……何かあったの?」
小声で問い掛けると、迷ちゃんも周りを見てから小声で返答してくる。
「それが……先日この辺りで、連続通り魔が出てね、その情報を追ってるんだけど」
「そうなんだ……」
大変そうだ。というか、そういうのって捜査課の仕事じゃないのか。始末課も、そういう聞き込み調査とか、するんだ。
「あ、ごめんね、仕事中なのに呼び止めちゃって……! 迷ちゃんとも、ゆっくりお話したかったんだけど……」
「あ、いやいや全然……じゃ、私そろそろ━━」
「官長」
部下四人の方へ戻り掛けた迷ちゃんの動きを、おじさん部下さんが呼び止める。
「おじさんたちが話は聞いておきますんで、官長は休んでらしてくだせえ。官長、ここのところ連勤に次ぐ連勤でしょお」
「えっ、いや、そういうわけには……」
「そーっスよ〜。ボクたち暇っスし、何より芽ノ長官長、仕事し過ぎっス! こんな研修、ちゃちゃっとボクたちだけで終わらせちゃうっスよ〜!」
「研修者本人が言うことではないけどね……」
快い会話のキャッチボール。迷ちゃん、面白い部下さんたちに恵まれてるみたい。
「……輝さん、森草木さん、ご一緒してもいいですか?」
花林ちゃんに目を配る。
「━━ええ、私は構わないわ」
「……ふふ、もっちろん!」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……。じゃあ、みんな、終わったら私に報告書、上げといてくれるかな?」
迷ちゃんの視線の先、四名の団員が各々個性豊かに敬礼する。
「任せといてくださいっス!」
「ぁ、じゃ、失礼します……」
再び現れた店員さんと店長と思しき人に連れられて、バックヤードへするすると引かれていく四人。見事な敬礼を返して彼らを見送る迷ちゃん。彼らの姿が見えなくなる。
「あの人たちは部下の人?」
「う、うん。変わった人たちで……」
「でも、良い人たちだね!」
「まあ、そうだね」
私が微笑み掛けると、迷ちゃんも釣られて頬を綻ばせる。店員さんに一言断ってから空いている椅子を私の椅子の隣に並べて、迷ちゃんに座ることを促す。注文を促しながら、私は花林ちゃんのことが心配でそちらを見ていた。
無理、させているだろうか。迷ちゃんと守り人との関わりは、意外にも希薄だ。暗殺任務をほぼ全て担っているお兄ちゃんはよく迷ちゃんと合同で任務に行くが、他の守り人との接点はあまりない。私はお兄ちゃん伝手によく話を聞いているし、お兄ちゃんとの関わり合いの流れでたまに会う機会があるが、花林ちゃんと迷ちゃんは、ほぼ初対面と言っても過言ではない。
私にとって、迷ちゃんと花林ちゃんも一緒にいると楽しいし嬉しい。けれど、花林ちゃんにとっては、どうなんだろう。表情は先程と然程変わらないように見えるが。
「二人って、ほぼほぼ初対面?」
「うん、そうだね」
「━━改めて自己紹介でも、した方が良いかしら?」
俯いて、腕を組んだまま紅茶を回し混ぜている花林ちゃんが、そう返す。チラと迷ちゃんを見上げる。その目に、あのとき程の刺々しい感情は顕になっていない。
「私、森草木花林よ。分かりにくい名字なのに、よく覚えていたわね。普段は花屋を営んでいるわ」
「あ、花屋さんやってるんですね……!」
何故今更そこに食い付くのか、と思ったが、確かに、迷ちゃんと私たちが業務的に顔合わせを済ませたのは、それこそ十年以上も昔のことだ。その頃は当然、私たちはまだ守り人以外の職には就いていなかった。
「迷ちゃん、お花好きなの?」
「お、お花が嫌いな女の子なんている?」
「んふふ、それもそうかも」
そう言われればそうかもしれないけど、何だか意外だ。お兄ちゃんの話を聞いていると、迷ちゃんはとにかく仕事人間で、仕事(とお兄ちゃん)以外には何にも興味がないのかと思ってた。何だか意外で、とってもカワイイ。
「……お花は良いわ。色々な種類、色や形、香りだって千差万別。持っている意味合いだって、お花を選ぶ人の数だけ、幾つも、無限に存在する。━━迷ちゃんは、どのお花が好きなのかしら」
いつの間にか運ばれていたコーヒーを前にして、花林ちゃんのバラのような視線を受ける迷ちゃん。
「ごめんなさい、私、そんなにお花に詳しいわけじゃないから、名前まで正確に覚えていないんですけど……あの、公園とかに咲いている、鮮やかな黄色の花……小さなヒマワリのような、紅葉したコスモスのような、まるでこちらを見つめているような━━」
「ルドベキア、ね。これ、でしょう?」
花林ちゃんの開かれた掌から、するすると伸びる鮮烈なイエローの可憐なお花。
「あっ、そう! これ、これです! 通勤途中とか、仕事中とか、ふと見ると、ああ綺麗だなぁって、そう思うんです。あの、深い理由とか無くて、ただそれだけなんですけど」
「━━それで、良いのよ。お花なんて、理屈で好きになるものじゃないのだから。私も好きよ、ルドベキア。花言葉……いえ、そうね。綺麗だもの。それだけで、良いのよね」
何か郷愁や悲哀、寂寥のようなものを孕んだ声で繰り返す花林ちゃんと、その様子を見て困惑している様子の迷ちゃん。花林ちゃんは、改めて顔を上げる。今度はちゃんと、真っ直ぐ迷ちゃんを見ている。
「ありがとう。何か、大切なことを思い出した気がするわ。私のことは、花林って呼んでくれないかしら」
目を見開く迷ちゃんは、しばらく押し黙る。
「━━花林さん。今度、お店にお邪魔しに行ってもいい、かな?」
「ええ、是非。ルドベキア、用意しておくわね」
花林ちゃんの背から、もう一度柔い陽が差す。優しい光。花林ちゃんも、迷ちゃんも、私も、包み込んで照らす光。私の体内から、溢れ出す光の嵐。
「━━スイーツ、頼もっ‼︎‼︎ ほらっ、迷ちゃんも遠慮しないでっ! 私のパフェもお食べ! 花林ちゃんのケーキももらっちゃお! ほらほらぁっ‼︎‼︎」
「ちょ、輝さんっ⁉︎ か、花林さんっ、助けてぇ!」
「……フフ、たくさん食べていいわよ」
「花林さんまでっ!」
幸福は、口から入って身に染みる。
花林ちゃんと迷ちゃんが、仲良くなれたみたいで良かった! その後、楽しく話していたけど、急に着信があって、相手は茜だった。どうやらみんなでお買い物に行くらしい。嬉しいことが連続するって、一番嬉しいことだよね。
次回「大衆購買」




