(二六)ようこそ、こちら側へ。
石でも、空でもない。
目を覚ました切は、眼前の仄白い天井を見て不思議な心地だった。随分と長く、しっかりと眠った気がする。十分な暖かさで目が覚めるのは、こんな体になって、初めてのことだ。
おれは、何をしていた?
切は自問する。意識を覚醒させようと、目を擦るため腕を上げかけたが、神経に静電気が走ったような痛みで腕が上がらない。そうだ、おれは、あいつを殺そうとして━━と、思い出した途端、痛む体で跳ね起きる。
「あっ、まだ動いちゃダメだよっ!」
聞いたことのある高い声。ヒビ割れたマネキンのような体で、声の方を向く。長い金髪と脳天から二つ飛び出ているアホ毛。あいつの妹、確か、輝だ、と記憶を呼び起こす。名を思い出したと同時に、身体には確かにあのときの温もりが再臨する。輝の、切の身を心底心配している顔を見て、切は再び横になった。
「一応、私の光の魔力で怪我は完治してるけど、まだ痛むだろうから安静にねっ」
「……これは、どういう状況だ。おれは確かに、殺された筈だ」
白い天井にぽつりと問うと、輝は説明し始める。
「あの後、お兄ちゃんがみんなを家に運んできたの。ホント、お兄ちゃんがごめんね……! お兄ちゃん、口下手だから上手く意図が伝わらなかったみたいで……」
「意図」
意味が分からず、切は自分の口でも繰り返す。
「お兄ちゃん、最初からみんなを殺す気なんてなかったんだよ」
「は」
驚いて起き上がりかけた切だが、全身の痛みにやはり墜落する。
「お兄ちゃんが守り人って言うのは聞いたよね。守り人って、危険人物の暗殺もやってて、今回ターゲットだったのが君たち四人━━だったんだけど、お兄ちゃん、創造神に直接交渉したんだって。みんなを殺さない代わりに、みんなに、私たち守り人の任務を手伝ってもらうのはどうだ、ってね! だから、みんなのところへお兄ちゃんが行ったのは、その提案をするためだったってこと!」
寝たまま輝を見ていた切は、その余りにも滑稽な真実に呆然とするしかなかった。殊更脱力し、口から「なんだよ、それ……」と零す切。どうにか持ち上げた腕を目に当てがい、溜息を吐く。が、何か引っ掛かり腕を外す。
「……待て。今、私たち守り人って言ったか?」
「あ、うん。私、光の守り人だから」
切は最早呆れて言葉を失ってしまう。そんな彼女の様子に、輝は苦笑した。
「━━おれたち、生きてて、いいんだな」
ふと、問い掛けるというよりも自問するように、確かめるように、切は呟く。輝は慈愛の表情で微笑んだ。
「そう、言ったでしょ?」
女神のような輝の顔をじっと眺める切。へにゃっと笑って、切はそっぽを向いた。
突如扉が開く。切は咄嗟にその方を見る。生活感はあるものの、無機質な、物の少ない部屋だ。
「ん、目が覚めたか」
入室してきた無我夜が、少しバツの悪そうな顔をしながら切を見下ろす。
「……勘違いさせて、すまなかったな。お前らに危害を加えるつもりはさらさらなかったんだが」
「イヤ……妹の方から全部聞いた。おれも、早とちりしちまった。すまねえな」
「いや……」
感情を露にし命の遣り取りをした直後だからか、両者どこかぎこちない。輝はそんな二人の様子に、困ったように笑った。
「━━そういや、他のヤツらはどこだ」
ゆっくり、慎重に起き上がる切。突如起き上がった切の身を案じて支えようと前傾姿勢になった輝だったが、切本人の「大丈夫だ」という断りを聞いてほっとして、再びベッドの隣の椅子に腰掛けた。
「みんなもう起きて、下で元気にお兄ちゃんのご飯を食べてるよ! 冷ちゃんと三令ちゃんなんて、私が治すまでもなく起きちゃったし!」
安心した様子の切だが、あれだけ即死したかに思われた二人が直ぐに起き上がったと聞き、訝しみながら無我夜を見上げる。無我夜はそれに気付いて、静かに口を開いた。
「……冷は少し小突いて簡易的に気絶させただけだ。戦闘が激化すれば、どうしても手加減しにくい。大怪我をさせる前に動かなくなってもらった方が良いと判断した。三令も同じく、鞘のまま叩いて気絶させた。怪我をしていたとしても打撲程度だろう。だから、直ぐ起きたんだろうな」
「……じゃあ、おれと砂夜は」
「お前と砂夜は……二人同時に相手するとなると、中々手加減は難しかった。強かったよ、お前らは。斬ってしまって悪かったな。お前も起きれるようなら下に来い。あいつらも待ってる」
そう言い残して部屋を後にする無我夜。
「……強かったとか、どの口が言ってんだよ」
切は苦笑いして一人呟く。自分で掛け声を出して、体勢を変え、ベッドから立ち上がる。未だにぴりぴりと全身が痛むが、どうにか立てる。補助しようと構えて、自身も立ち上がる輝に、切は一声掛ける。
「本当に、お前には頭が上がらないな。おれは下へ行く。ベッド、貸してくれてありがとな」
「気にしないで! じゃ、下まで案内するねっ」
「何から何まで悪いな」
輝は切の先に出て、戸に手を掛けながら振り向く。
「全然! あ、それと、ここお兄ちゃんの部屋だから、ベッドのお礼はお兄ちゃんに言ってあげてね!」
「え」
歩き出そうとしていたものの、切は硬直する。少々紅潮する頬。輝はそれを見て、ニヨニヨ悪そうに笑う。
「切ちゃん、もしかして照れてる?」
「う、うるせえ。ぁ、案内しろっ」
「ふふっ、はいはい」
二人は歩き出す。
テーブルの中央に置かれている皿には、幾つかのおにぎりが載せられている。その一つを手に取って、砂夜は豪快にかぶり付いた。
「クゥ━━ッ! ヤッパ、アイツの料理はクソ美味ェな!」
「砂夜、それ何個目……?」
「分かンね!」
既に持っていたもう片手のおにぎりと、交互に喰らい付く砂夜。三令は呆れたように「ハハハ……」と笑いながら、新たに二つおにぎりを手に取った。皿にはもうおにぎりは残っていない。
「ほら、冷。もっと食べな」
「ぅ……!」
嬉しそうに肯く冷。冷の笑顔を見ながら、三令も綻んだ顔でおにぎりを食べ始める。
「━━もうそんなに食ったのか」
突如声がして振り向くと、カウンターの中から無我夜が出てくるところだった。冷は遠慮がちながら彼にぺこっとお辞儀をする。無我夜も軽く「ああ」と返す。
「ヤッパ最高だゼ、アンタの飯! ア、ヤベ、ボスの分残しとくン忘れてた」
「……ウチは知らないかんね。砂夜がほとんど食べたんだから」
「ンな殺生な!」
「別に、おにぎりなら幾らでも作れる。追加してやるよ」
一旦皿を下げてキッチンへ戻っていく無我夜。誰も、彼を恐れていない。誤解は既に解いたらしい。三令はその背中に声を飛ばす。
「悪いね、無我夜さん。こんなに、こんなにたくさん、もらっちゃって」
「無我夜でいい。俺たちはもう━━」
無我夜が何か言いかけたとき、キッチンの奥から足音がする。ひょこっと出てきた金髪に続いて、ぬっと現れるのは、切だ。
「ボスっ!」
三人の声が重なって店内に響く。途端、駆け出す三人。腐った笑みを浮かべながらカウンターから出てきた切、に抱き付く砂夜、三令、冷。砂夜の怪力による抱擁に、切は苦悶の表情で「や、やめろ、いてえ」と声を捻り出した。「ア、悪ィ」と離れる砂夜。三令も離れたが、冷は抱擁は止めたものの依然切の手の危なくない部分を握っている。皆、同じ表情をしている。
「ボス、ウチら……」
「ああ。生きてる。生きていいんだ」
四人、腐笑い合う。
「━━おにぎり、追加したぞ。切、お前も食え。腹拵えしたら、創造神に会いに行くぞ。俺の提案への回答は、そのときに聞かせてもらう」
無我夜を見て、四人は唾を呑む。
すっかり暗くなったガラス越し、雨脚は弱まり、雨はしとしとと慈悲のように地を濡らしていた。
マールムのエントランスに、六つの人影がある。大扉を眼前にして、四人は立ち尽くしていた。切も砂夜も三令も、その背後に隠れている冷も、ただ呆然とその扉の上端まで見上げるしかない。
「この先に、神は居る」
無我夜の声が、大空間に反響して余韻を残す。
「か、カミサマって普通に話してもいいんかな……一人称『ウチ』ってヤバい? ってか『ヤバい』とか使っちゃダメか……」
「ヮ、分かンねェ……跪いたりした方がイイのかァ……?」
二人の会話を聞いて、輝は無我夜と目を合わせて苦笑する。
「━━行くぞ」
無我夜は扉を押し開く。開け放たれる白い空間。扉の間隙から放出される超人的な「白」。四人は立ち竦む。しかし、切はキッと表情を結び、その白い空間へ一歩踏み出す。歩み始める。他三人は切を見てから目を見合わせて、意を決して切に倣って進み出した。
先頭に無我夜、その後ろに切とその御一行を据えた列は、部屋の中央へ進んでいく。最後尾に尾いた輝が、大扉を閉める。その音が消えると、彼女らの向く方向から声が響く。
「ようこそ、おいでくださりました。『4F6』の皆さん」
高台の上で、何者かが立ち上がる。大仰なハットと燕尾服を着用した、崇高な人影。
「私が、創造神です」
モノクルの全反射が収まり、彼の人智を超越した完璧な表情が露になる。途端、バッと跪く砂夜。三令も少し遅れて同様に跪く体勢になる。冷も三令に倣って同じポーズだ。有り得ないものを見るかのようにぎょっとする無我夜の顔を、創造神は一瞥して「失礼な人ですね」と言わんばかりに苦笑した。
「顔を上げてください。そこまでしなくても大丈夫ですよ。貴女たちの話は聞いています。刀刃冷さん。浮島三令さん。鬼ヶ島砂夜さん。そして、鎌ヶ崎切さん。よく、ここまで来てくださりましたね」
一人一人の顔を見ながら名前を呼んだ創造神。冷はやや怖がるように三令の後ろに隠れ、三令と砂夜は彼を見上げて神妙な面持ちだ。唯一跪かなかった切は、ただ真っ直ぐ、鋭利な眼で創造神を見つめ返す。
「私は、善良な、誰からも手の届き易い神でありたいと常日頃思っています。弱者を救け、悪を根絶し、より善い世界を目指したいと思っています。私は、貴女たちを悪だとは思えません。貴女たちを救いたいのです。そこで、一つ交渉をしましょう。貴女たちを救う代わり、マールムで、私に仕える五人の従者守り人と共に、任務を遂行していただけないでしょうか」
創造神は真摯な眼差しを、他の誰でもない、4F6のボス、鎌ヶ崎切に向ける。その場にいる皆の視線が、彼女に集中する。切は、黙って創造神を見貫いている。ふ、と視線を外す切。俯く。
「おれたちは、4F6だ。おれたちの自由はおれたちのもので、おれたちの往く道はおれたちが決める。お前らに、おれたちが手を貸してやる。それで構わねえか」
切の、射抜くような眼。無我夜は腕を組んで切の眼を端から見ている。
「ちょっ、ボスッ」
「オイっマジか……⁉ ア、ヤベ、マジって言っちゃった」
切の豪胆かつ高圧的な、予想外の返答に、流石の砂夜と三令も焦って体勢を崩す。切は二人の焦燥を感知していないかのように何も反応を示さず、ただ創造神と見つめ合っている。モノクルは光を反射して、実際のところ目が合っているのかは分からない。最早小声ではなくなった焦り声の満たす室内。
「━━交渉成立、ですね。これからよろしくお願いします、4F6の皆さん」
まさかの返答に砂夜も三令も目を見開いて創造神を見る。彼は相変わらず完璧な笑顔で皆のことを見ている。砂夜も三令も改めて跪いて、頭を下げた。
「ありがとうございますっ!」
「おめでと━━っ!」
部屋の端から大声と共にすっ飛んできた輝。四人を一か所に集めるように抱擁する。その温もりに、四人は安堵と、懐かしさすら覚えた。
「これでみんな、晴れて私たちの仲間だねっ! これからよろしくね、みんなっ!」
余りの興奮に輝は四人の体を揺さぶるように強く抱擁する。嬉しくも苦しい感覚に、苦笑いを零す数名。切は輝の背中越し、ただ佇んでいる無我夜を見る。三令の「かがやさん、ぐ、ぐるしい」という声で解放される四人。切は無我夜と目が合う。
「……お前のおかげだ、無我夜。お前があの日、店に入れてくれたから、おれたちは今、ここにいる。━━本当に、ありがとう」
無表情の無我夜。口を開く。
「俺、じゃない。その自由は、お前らがお前ら自身の手で掴んだものだ。これから頼むぞ、━━4F6」
四人は、否、4F6は、無我夜を見つめている。きっとその先の未来を、彼女たちの前方に果てなく続く四本の平行線を、見つめている。
夜に沈んだ街は、雨上がり。薄まった雲の狭間から、不完全ながらも立派な月が、街を、世界を、彼女たちを、その道を、平等に照らしていた。
暗い部屋、一人の男が幾つものモニターに照射されて、眼鏡越しの右目を細める。
親指の爪を噛む。カチ、カチ、と気味の悪い音がしている。鼻息を荒げる男。左目の眼帯を外す。異形の瞳孔に加えて、眼球の中心にある本来の瞳孔とは違う、半端な位置にある焦げたみたいな色の円。縮瞳し、ぎょろぎょろと動く眼球。モニターに映る、あらゆる場所の定点映像。
「ぁ」
マウスを操作して、ある一つのモニターの映像を止める。路地を歩く、力亡き様子の四人の女。異形。鎌女に、鬼女、浮いている女に、触手の女。
「ぃひっ、みつけたよ、ぼくの宝物」
気色の悪い、溶け朽ちた笑み。
モニターに囲まれた男は、再び機械を操作して、作業を続ける。
この部屋に、月の光は届かない。
虫も悪魔も、人殺しも罪人も、その生きる道は皆平等に月に照らされている。しかし、外道に月は微笑まない。一方、途絶えた岐路を棄却した虫けらは、五人の悪魔と面会する。
次回「顔合セ」




