(二五)運命、棄却。
長針のような千本を優に越す雨が、廃遊園地で佇む五人に突き刺さる。
「お前らに言い忘れていたことがあった。俺は、日暮無我夜。━━闇の守り人だ」
土砂降りの大雨。ノイズ、もしくは砂嵐のような音だけが、切の、四人の異形の脳を満たす。ずぶ濡れた枯薄のような長い前髪の間隙から覗く、切の、餓鬼の落書きのような黒い眼。
「ぅ、うッ、ウソ、嘘だよな? そ、そんなことっ━━」
「俺は、お前らを殺せと命を受けた」
動揺していた三令は、絶句する。砂夜は最早全身からあらゆる力が抜けてしまって、声にもなっていない「ハァ……?」という下顎呼吸のような息を漏らす。眼前の悪魔に怯え、三令の後ろに隠れる冷。
「だが、お前ら次第で、俺はお前らに野蛮な手を使わずに済む━━」
「あの言葉は、何だったんだよ」
地獄に棲む番犬の、地を舐り天を焦がす唸り声のような低い声で、切は問う。身体は身動ぎの一つも見せない。
「……よく聞け」
「聞けるわけねェだろッ! お前の言葉でッ、おれらは生きてやるって、そう思えたってのにッ……全部、嘘だったってか」
釜茹で地獄の熱湯の如き、クツクツと沸き上がる腐笑。ぐわん、ぐわん、と身体を捩らせて、小さなそれだった笑い声は徐々に大きく、下界を揺さぶり天蓋を切り裂く高笑いになって、黒い龍の体表のような空を見上げる。汚らしい長髪が割れる。見開かれた血眼が、無我夜を睥睨する。大粒の雨が、浅黄色の頬を伝っている。
「残念だったなァ、守り人。お前のオカゲサマで、おれらは相手が誰でも容赦はしねェ。悪魔でも神でも、おれらのこの手で、殺す。運命は、おれが棄却する」
どうにも意図が伝わらず、頭を掻く無我夜、に突如跳躍し弾丸のように切り掛かる切。目を見開く無我夜。咄嗟に腰の短剣を一本抜刀、逆手に構える。眼前で散る火花と耳を劈く金属音。切は血涙が出るほど目を見開き、全身の鎌先を一点に集中、力で貫かんとする。無我夜は(何故こうなる)と胸中で吐きながら、短剣を振り切って切をいなした。
「お前らッ、おれらは生きるッ! 悪魔を殺せッ!」
突然の出来事に立ち尽くしていた他三人。砂夜は鋭利な歯をぎりりと擦り、顕現した悪魔を睨み付ける。踏み込み、跳躍すると、地面の瓦礫が後方へ吹き飛ぶ。
砂夜の踏切音を耳にし、切の鎌先の動きを凝視していた無我夜は背後を振り向く。鼻先に到達している拳。呼吸が止まる。咄嗟に身を仰け反って躱し、脚を蹴り上げて後方転回する。背後からの物音に短剣を後ろ手に構えながら振り向くと、切は背の触手を一本、無我夜の背を貫かんと伸ばしていた。向き合う両者。背の触手四本、脳天の触手二本が入れ替わり立ち代わり槍のように伸び、無我夜の腹を蜂の巣にせんとする。徐々に速度の上がる百裂突きに、無我夜はもう片方の短剣も抜いてその全てを弾く。鍛冶屋を思わせる金属音の往来。
「オイ、テメェ、後ろがガラ空きだゼ」
砂夜の引き絞った脚部が、大砲のように放たれる。無慈悲に貫かれる無我夜の背中。砂夜の血走った眼が喜悦に見開かれる。
「━━それは、贋作だ」
何か重量物が倒れる音。声の方から。眼前の黒い彼は陰の粒子と化して、煤のようにどこかへ消え去る。驚愕する切と砂夜は、音の方を見る。
目と口を真ん丸にした三令、の背後、黒い男の背が佇んでいる。彼の足元に力亡く伏す、冷。
「冷ッ‼」
二人の絶叫。呆然としていた三令の表情は、突如ぐしゃっと潰れる。憤怒のような慟哭のような顔。歯を食い縛り、カーテンのようにひらりと振り返ると、目の前で佇む悪魔に、大鎌を振り下ろす。その様子はさながら無音を携えて魂を狩る死神のように見える。しかし、何の音もしなかった筈なのに、悪魔は凶器を見事避けてみせる。
「クソッ……くそ! なんで、ん、なんでッ!」
三令はその巨大な得物を一心不乱に振り回す。ずぶ濡れて頬に張り付くみすぼらしい黒髪。刃渡りから撒き散らされる水滴は、大粒の雨に撃ち抜かれて全てあえなく落下する。その斬撃も、無我夜の短い刀身に全ていなされて押される。三令はやけくそになって、トドメを刺そうと大鎌を大きく振りかぶる。ガラ空きになった懐に、黒疾風が駆ける。無我夜は一瞬で短刀を鞘に納刀し、鞘ごと腰から抜き去って三令の顎を打ち上げた。途端、地に堕ちる三令の身体。
「三令ッ!」
切は叫ぶ。砂夜の、歯列を破砕するほどの歯軋りが耳に痛い。考えるより先、砂夜は跳ぶ。切も追う。一瞬で無我夜と距離を詰める。悪魔に触れる砂夜の拳。咄嗟に鞘付きの短剣を振るが、砂夜の強烈な一打に鞘は割れ、刀身すらも幾つかの破片に折れる。目を見開く無我夜。次の刹那、弾丸になった切を認識する。もう既に懐に迫っている銃弾。無我夜は息を止める。日没。先刻も見た、黒い粒子と化し崩れ消え去る悪魔。今確かにその土手っ腹を捉えたと腐笑していた切は、先の瞬間まで彼が存在していた空間を突き抜ける。見事着地した切はきょろきょろと周りを見回す。舌打ちしながら同じくあちらこちら向く砂夜。
「上だ」
頭上から聞こえた声。見上げる砂夜。真っ先に声の方向へ鎌を伸ばす切。
斬撃音。
落下してきた悪魔。全ての得物を抜き、ほぼ完全体となった悪魔の、その両刃と逆手短剣が、最早物体というより幾つもの金属的な銀の光の軌跡となって顕現する。砂夜の巨体に纏わり付き、切の伸びた触手から爪先に至るまでなぞる閃。二人の間に着地し再臨する悪魔。場が静まる。
二人分の断末魔。二人分の血の雨。それをどこかへ流し去る大雨。ざあざあと打ち付ける雨音の中、無音でゆっくり立ち上がる悪魔。
もう、太陽は死んだ。
運命は、悪魔によって棄却される。
次回「ようこそ、こちら側へ。」




