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白か黒か白と黒か  作者: 丑十八 higure
二章 化物は夢を見ず腐笑う
23/27

(二三)害虫、益虫。

 雨降りの華街中央通りを、輝は歩いている。

 小学生に支給されるような黄色の傘と、その円盤上でじゃれつく白いネコの柄は、湿った埃のような灰色の街並みによく目立つ。傘下で、輝は神妙な面持ちだった。彼女は今朝のことを思い出している。

 ━━朝起きてパジャマのまま向かったキッチンには、いつもどおりお兄ちゃんが立っていた。でも、どこか違う。調理の手付きがなんだか急いでいるみたいだし、いつもよりも早起きしたのか分からないけど、いつものこの時間のお兄ちゃんよりも更にしゃんとしているように見えた。それに、ほんのちょっと眉を顰めていた。

「お兄ちゃん、何かあったの?」

 いただきますをした後、お兄ちゃんに訊ねてみた。お兄ちゃんは「ん」と声を漏らして、コーヒーを飲み込んだ。

「昨夜、マールムから連絡があってな。俺宛てに緊急の任務があるらしい。だから、今日、九時に行ってくる」

「あっ、そうだったんだ。昨日、私飲み会に行っちゃったから、夜あんまり話せなかったもんね。でも、緊急の任務なんてあんまりないのに、何かあったのかなぁ」

 今朝のご飯はスクランブルエッグとツナサンド。今日のお兄ちゃんの料理も、いつもどおり、とっても美味しかった。お兄ちゃんは私の質問で押し黙る。何か考えているみたいだった。

「どうかした?」

「いや。何でもない、が、少し、嫌な予感がする。それだけだ」

 それだけ言って、お兄ちゃんは黙々とご飯を食べて、私よりも先に家を出てしまった━━。

 胸がざわつく。輝は俯きながら歩いている。()()()()と似ているものの、また違った不安感。眼前のコンクリートタイルは雨に濡れて、真っ黒に染まって何も反射しない。

 ふと音がして顔を上げると、ショーウィンドウに飾られた新型薄型テレビから流れているニュース番組のものだった。

『━━日、身元不明の女性の遺体が見つかりました。死因は現在分かっておりません。遺体の左脚は剣のような鋭利な刃物に挿げ替えられており、首には「F:082」と記されていたようです。また、現場には被害者のものと思われる血液で巨大な()()()()の絵が描かれていたことが分かっています。世界保護団は本件を何者かによる殺人事件と考え、現在捜査を━━』

 目を見開き、奪われる輝。胸郭の中、どす黒い雷雲が湧き立って、鳥肌が立つ。

 雨脚は一層強くなる。


 烏の濡れ羽色の傘を傘立てに挿して、無我夜は大扉を開ける。激しく雨の打ち付ける外界とは大違いに、マールムのエントランスホールは依然完全な静寂と完璧な室温湿度に保たれている。受付の係員が一礼したのにほんの小さく会釈して返し、無我夜は真っ直ぐ歩んでくる。階段を上った先、再び現れた大扉を、彼は一つも躊躇せず開け放った。

 白い大空間、高台の上に据えられた玉座。創造神は、もう既にそこに座して足を組んで彼を待っていた。振り向くこともせず戸を閉めて、無我夜は高台の神を見貫きながら歩み寄る。

「おはようございます、無我夜。突然の連絡となってしまって申し訳ありませんでした。よく来てくれましたね」

「構わない」

 一言で返答を終える無我夜。部屋の中心まで来て、彼は止まる。目線は創造神から一切離れることはない。彼は、創造神の眼を真っ直ぐ見ながら問うた。

「緊急の任務というのは、何だ」

 問いを受けて、創造神は直ぐに答えようとはしなかった。一拍置いて、そのままの完璧な表情で口を開く。

「暗殺任務です。対象は━━廃遊園地殺人事件の犯人」

 沈黙。厚い鉄板のようなそれを物ともせず、創造神は言葉を続ける。

「闇の守り人・日暮無我夜に、鎌ヶ崎切、鬼ヶ島砂夜、浮島三令、刀刃冷、以上四名を、暗殺することを命じます」

「━━嫌だ」

 冷淡な無表情の無我夜。彼の返答に、創造神は面食らったように目を見開いたが、すぐに表情を戻した。

「……珍しいですね。貴方が、そんなことを言うなんて。貴方が闇の守り人になって以来、初めてのことではないですか」

 無我夜は何も答えなかった。再臨する鋼鉄のような沈黙。創造神が続けようと口を開いた瞬間、それを遮るように無我夜は声を発す。

「━━と、言ったら、どうなる」

 創造神は顎に手を当てて人間然として少々唸る。

「そうですね……。貴方の意思は尊重されて然るべきですから、恐らくは、世界保護団に再度委託されることになるでしょう」

 歯と歯の擦れる音。垂れた色白の拳に青筋が浮かぶ。

「……何故、あいつらは、殺されなければいけない」

「ヒトを一人殺しました」

「それだけか」

「法的には、そうです」

「じゃあ、俺も殺されるべきだったのか?」

 口を噤む創造神。永久とも思えるほどの、長い、長い沈黙。静かな、しかし深い無我夜の一言は反響して、その余韻すら消え去っていった。

 ふと、創造神の溜息が、静寂を壊す。

「━━彼女たちは、加害者である前に、凄惨な事件の被害者です。身勝手に身体を破壊し尽くされた、と考えれば、彼女らは殺されたに等しい。生きるために、本当にヒトを殺める必要性があったかどうかには疑問がありますが、死をも覚悟する飢餓状態であった彼女たちには、最早正常な判断を下す思考能力は残されていませんでした」

「……改めて問うが、なら何故、あいつらは殺されなければならない。世界の主であるお前の意思でないのならば、その決定は誰の意思だ」

 冷えた刃のような無我夜の眼が、創造神の眼を睨み付ける。

()()━━言い換えれば、世論、とでも言いましょうか。……貴方は、ゲジという蟲を知っていますか」

 唐突な質問に返答が遅れたものの、無我夜は依然冷めた表情で「ああ」と答えた。

「貴方は虫が嫌いですからね、恐らく家に出ても殺してしまうでしょう。ですが、ゲジは実際には重篤な毒を持たない非害虫、それどころかゴキブリ等を捕食する益虫なのです。アシダカグモと呼ばれる巨大なクモも、同様の理由で益虫とされています。そのため、彼らを家中で見掛けても、嫌悪感を抱いたとて駆除しないという人はそれなりにいます。しかし、どうでしょう。ゲジと容貌の似ているムカデやアシダカグモと分類を共有するタランチュラは、毒を持った途端、人間の生活を脅かす毒虫、いわゆる『害虫』と呼ばれ、忌み嫌われて徹底的に駆除される」

 無我夜は何も声を発しない。創造神はおもむろに立ち上がる。

「彼女らは特異な姿形をしています。それだけで市井(しせい)の人々は彼女らを拒絶し得ますが、容姿が特殊であるというだけに留まっていれば、まだ良かったのでしょう。ですが、彼女らは実際に、手を出してしまいました。毒を持っていると、世間に知られてしまったのです。今回の任務は世界保護団から私共に委託されたものとなります。世界保護団の正義は、大多数の人民・市井の平穏。彼らは決して、特定の誰かにとってのヒーローではなく、世界の代弁者、正義の化身なのです」

 手振りを交えながらゆっくりとした語調で語っていた創造神だが、ふ、と無我夜の方から体の向きを逸らす。彼の目は、どことも言えぬ中空を見上げている。

「私も、大変残念に思いますよ」

 白い大空間には、時計の音以外、何の音もない。幾つ時を刻んだか、神にも誰にも分からない。

「━━つまり、益虫は殺されず、丁重に扱われるということか」

 突如放たれた無我夜の声。どこを見ているのか、何を考えているのか分からなかった創造神は、少々怪訝な顔をして無我夜に向き直る。

「まあ、そうですが」

 無我夜の眼は、ずっと変わらず、創造神の眼を捉えて離れない。

「俺があいつらを、ここマールムで、俺たち守り人と同じように、指示どおり任務を遂行するよう説得する━━と言ったら、どうだ」

 創造神は目を見開く。無我夜の、睨むような眼差し。

「お前は毎月毎月、任務の選定がどうやらこうやらと悩んでいる。が、人手が増えれば一か月にこなせる任務の数が増え、結果今までよりも任務を厳選しなくても良くなる。当然、俺たち守り人の負担軽減にもなるしな。ここで保護すれば、被害者であるあいつらは正義という名の勝手に殺されなくて済むし、あいつらも、したくもない殺しをしないで済む。それに、万一何か善良な他者を傷付けるようなことがあれば、俺たちがあいつらを、いつでも処理することができる。悪い話ではないと思うが」

 無言で無我夜を見下ろす創造神。その表情は目を見開いた状態で、一切の微動を見せない。生唾を呑み下す音。

「━━出来るんですね、無我夜」

 無我夜は、口角を上げる。

「ああ。やってみせる」

 白い空間、黒い彼の三日月の口を見、神は微笑(わら)う。

 虫けらを救おうと、闇の悪魔はいざ天蚕糸を垂らしに向かう。外は針山地獄の如き大雨だった。


 次回「陽暗し、待受つ虫。」

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