355.残酷な遊び
「お父様、おかえりなさいませ。今日もお仕事、お疲れ様ですわ」
夕刻のタロシア公爵邸、大広間。
可愛らしいレースのドレスを着たリリスが、帰還したカスト様へ駆け寄る。
「おお、リリス。今日もいい子にお留守番をしていたかな」
カスト様は目尻を下げ、小さな娘を抱き上げた。
「はい。先生のお話も、しっかり聞きましたわ」
リリスは天使そのものの無垢な笑顔を浮かべ、カスト様の頬に口付ける。
カスト様は愛娘の可憐な仕草に完全に心を奪われ、何度も頷いた。
その微笑ましい親子の光景を、私は少し離れた場所から、完璧な貴族夫人の笑みを貼り付けて見守っている。
カスト様の前では、この子は本当に完璧な娘を演じきっている。
父親が何を求めているのかを本能的に理解し、愛されるための振る舞いを瞬時に選択しているのだ。
けれど、カスト様が屋敷を留守にしている間、この子の行動は全く別のものになる。
下級のメイドや使用人たちへの嫌がらせが、日増しに露骨になってきていたのだ。
つい昨日のこと。
私は廊下の影で、リリスが新入りの若いメイドを冷たい石の床に正座させているのを目撃した。
「私が紅茶にはお砂糖を二つ入れてと言ったのに、どうして三つ入っているの? あなたは、数字も数えられないのかしら」
「も、申し訳ございません。リリスお嬢様……」
メイドが平身低頭して謝罪しても、リリスは許さなかった。
「謝って済む問題ではありませんわ。あなたが淹れたこの甘すぎる紅茶、全部飲み干しなさい」
リリスはわざとらしくため息をつき、熱い紅茶の入ったカップを、メイドの膝元へ突き出した。
本当に怒っているわけではない。
その追い詰め方には、不満や怒りといった熱のある感情が存在しない。
ただ、自分が絶対的な権力を持っていることを自覚し、発した言葉一つで、大人たちが怯え、這いつくばり、人生を壊されていく光景を楽しんでいるのだ。
立場が下の人間を弄り、泣き叫ぶ姿を観賞する遊戯
私はその光景を壁の陰から何度か目撃し、言葉にできない恐怖で背筋を凍らせた。
このままではいけない。
そう思った私は、リリスを私室へ呼び出し、厳しく言い聞かせた。
「リリス。屋敷の者たちに、あまり無体な振る舞いをしてはいけません。公爵家の令嬢として、見苦しいことはおやめなさい」
「はい、お母様。ごめんなさい、私、少しわがままを言いましたわ。もう二度としません」
リリスは素直に頷き、申し訳なさそうに目を伏せた。
私はそれで、しばらくはおとなしくなるだろうと安堵した。
だが、その考えはあまりにも甘かった。
数日後、リリスの振る舞いについて私に相談に来たあの新人のメイドが、青ざめた顔で屋敷を去っていったのだ。
彼女の担当する仕事で次々と信じられないような失敗が重なり、メイド長から厳しく叱責され、自主退職に追い込まれたらしい。
リリスが直接手を出した証拠はどこにもない。
しかし、あの小さな子供が、自分を注意させた相手を意図的に陥れ、確実に屋敷から排除したのだと、私は直感で理解した。




