345.ミカレン・バド
華やかな夜会の中心で、私は権力に酔いしれていた。
周囲を取り囲む高級貴族の夫人たちが口にする甘い言葉は、私に心地よい高揚感を与えてくれる。
けれど、その甘ったるい空気が、ふいに変化した。
「ミカレン・バド様のご入場です」
扉の前に立つ騎士たちが、よく通る声で告げる。
その名前を聞いた瞬間、周囲の夫人たちが少しだけ道を開け、ざわめきが静まった。
開かれた扉から入ってきたのは、冷たい空気を纏う、知性で美しい女性だった。
伯爵家の中でもトップクラスの権勢を誇る、バド伯爵家の令嬢。
そして、私の婚約者であるカスト様の、大切な幼馴染だ。
彼女は周囲の視線を気にすることなく、真っ直ぐに私の元へと歩みを進めてくる。
質の良い青いドレスは装飾が少なく、彼女の凛とした美しさを引き立てていた。
私のような、他者の目を引くために計算し尽くされた可憐なドレスとは正反対だ。
ミカレン様は私の目の前で足を止めた。
彼女の視線が、私を捉える。
「サ……サリス、お、おめでとう」
周囲の夫人たちが流暢に操る社交辞令とは全く違う、どこかぎこちなく、かすれた声だった。
無理に言葉を絞り出したことが、痛いほどに伝わってくる。
「ミカレン様、お祝いしていただけてありがとうございます」
私は口角を完璧な角度に上げ、礼儀よく言葉を返した。
少しはにかむような、か弱く美しい姫君の顔を作って。
ミカレン様は私が作り上げた笑顔を見て、目を伏せた。
彼女の顔には、隠しきれない苦痛の色が浮かんでいる。
無理もない。
彼女はずっと、カスト様への恋心を隠し持っていたのだから。
彼女は特別だ。
私のように、生き残るために常に仮面を被らなければならない低級貴族とは違う。
彼女はどこからどこまでも、素のままの自分でいることができる。
偽りの微笑みを作ることは少なく、嘘をつくのも絶望的に下手だ。
思ったことがすぐに顔に出てしまう。
正直に言えば、羨ましい。
何をしたって許される、自由な家柄に生まれた宝物だ。
いや、違う。
彼女は間違いなくそういう存在なのだ。
莫大な資産と権力に守られ、心を殺す必要など一度もなかったのだろう。
借金の取り立てに怯えることも、年老いた貴族の妾として売られる恐怖に泣くこともない。
真っ直ぐにカスト様を愛し、真っ直ぐに彼を見つめて生きてきた。
けれど、だからこそ、彼女は私に負けたのだ。
カスト様の幼馴染という、これ以上ない特等席にいたにも関わらず、私のような猫を被るのが上手いだけの安い女に彼を奪われた。
彼女の不器用な素直さは、王家学院という戦場では何の武器にもならない。
私は彼女を観察した。
カスト様がどういう女性を好むのか、何を求めているのか。
彼が守りたくなるような、か弱く可憐な少女。
ミカレン様の横に並んだ時、より一層コントラストが際立つように、私は徹底的に自分を作り上げた。
力強い幼馴染の隣で、守ってあげなければ壊れてしまいそうな儚い花を演じたのだ。
ミカレン様は、まだ知らない。
私が、彼女を利用してカスト様を奪ったことを。
ごめんなさいね、ミカレン様。
あなたの純粋な恋心は、私の生存と野心のための踏み台にさせてもらったわ。
私はカスト様の隣という玉座を手に入れた。
もう、誰も私を惨めな場所へ引きずり下ろすことはできない。
私は再び顔を上げ、勝利者の微笑みを彼女に向けた。




