09 「僕の、大事な、」
「それじゃあ悪いが、エルドを借りて行くよ」
従者に運び込ませた差し入れが卓上に並べられるのを見届けたベルトルドに促されて部屋を出る。出がけにマティアスに「こっちは任せて、しっかり話し合って来いよ」と肩を叩かれ、曖昧に頷いて見せると心配するなとばかりに今度は背中を叩かれた。気さくで面倒見が良い最年長者の彼は、すっかり皆の兄貴分だ。何とはなしに実家の兄を思い出しながらベルトルドの後ろを歩いているうちに、彼の自室に着いてしまった。
「お前と飲むのも久しぶりだな……と言っても、酒精抜きで申し訳無いが」
既に卓の上には軽食と酒精抜きの飲料が用意され、そのまま席に着くよう促される。ワインに風味を似せて作られた酒精抜き飲料がグラスに注がれ、こちらも相手のグラスに注ぎ返して、グラスを掲げてから軽く口に含んだ。本物のワインに比べれば多少の物足りなさは否めないが、風味は悪くない。酒が飲めない者でも酒席を楽しめるように、それに近い味わいに近付けて作られた清涼飲料水は近年王国内でも愛飲者が増えている。
しばらくは軽食を摘まみながら取り留めも無い話が続いた。こちらがいつ本題を切り出そうかと頃合いを見計らっているうちに、それを察したのか些か居心地悪そうにベルトルドが眉尻を下げた。
「……で、何か話があるんだろう」
「まぁ、な……」
「言い辛いことかい」
事と次第によってはこれまで築いてきた友情が壊れるかもしれない――否、そもそも仕組まれた偽りの友情だったのかもしれないなどと思えば、どうしたって言い辛くなる。が、それを確かめる為に設けられた席だ。言わずに済ます選択肢は無い。
「――俺の大伯父の事だ。お前、知ってた――よな?」
単刀直入に切り出せば、ひゅ、と息を飲む気配があった。見れば、グラスを口元に付けたまま固まってしまった親友の姿。
大伯父、と。その一言だけで伝わったのであれば、それはもう確定だ。
飲みかけのグラスを卓に置き、男にしては綺麗な指先を組んで、背凭れに身体を預けた。その姿勢は彼が何か大切な事を話す時の癖のようなものだった。
「そうか。気付いたんだな。お前と、ユリウス・キストラーの関係に」
「……やっぱり知ってたんだな」
「……ああ。知っていたよ」
「そう、か……」
降りた沈黙が痛い。
「俺を特命騎士に指名したのは血縁者だったからか?」
「……全く関係が無いと言えば嘘になるな」
ベルトルドにしては歯切れが悪い。食えないところのある親友――いや、もしかしたら親友とすら思われていないのかもしれないが、そんな彼でも気まずいと思っているからなのか。
「それじゃあ――俺を友人として側に置いたのも、いずれシグリットの為に使う心積もりがあったからか?」
「……違うよ」
「お前との友情も、特命騎士として使う為だけに仕組まれたものだったのか?」
「違う」
「親友だと思っていたのは――俺だけだったのか?」
「違う!」
滅多な事では声を荒らげる事の無い彼は、そう叫ぶなり両手で顔を覆って俯いた。落された深く長い溜息が微かに震えを帯びているのは気のせいだろうか。
「――お前が気付かなかったとしても、いつかは言うつもりでいたんだ。だが、言い出せなかった。こんな風に――お前との友情を疑われでもしたらと思うと、どうしても」
絞り出すような彼の声にエルドリートは目を眇めた。まるで、見極めようとでもするかのように。これも、演技だろうか。自分をこれから先も駒として手元に置く為の。
「――覚えているかい。お前と初めて会った時の事」
問われて思考を巡らせる。覚えている。あれは七つか八つの頃だったか。確か、貴族の子女を集めて開かれた茶会の――。
「交流会という名目で開かれた茶会で、僕はお前と初めて出会った。あの日は愛読書の話になって、他の者達は皆有名な児童文学だとか、少し年嵩の者が読むような小難しい文学作品だとか、そういった当たり障りの無い作品の名ばかり口にしたのに、お前だけは――『王国騎士と呪われし魔女』が好きだと言った」
ゆるゆると上げられた顔の、その湖水のような瞳に懐かしむような色が浮かぶ。
「あの茶会は実際には将来の人脈作りの為のものだった。招待された家は皆その事を当然理解していたはずだ。どの家も次期国王の気を引く為にそれなりの教育と指示を与えて子供達を送り出しただろう。僕がどんな話題を振ろうが、皆型に嵌った優等生のような気取った返事ばかりで正直辟易していた。そんな中で、お前だけが御伽噺の魔女の絵本の名をあげて――僕も同じだと、とても嬉しくなった」
『俺は「王国騎士と呪われし魔女」の絵本が好きです』
不意に二十年近く前の記憶が脳裏に浮かんだ。
その言葉を口にした瞬間、いずれは立太子の儀を受け王太子となるだろう第一王子の気を引く為に集まった子女達から苦笑や嘲笑が漏れる。十歳にも満たない子供とは言え、貴族としての厳しい教育を受けて育った彼らは、この場に集められた意味は正しく理解していた。
如何に優れた人物であるかを示さねばならないこの場面で、よりによって幼児が読むような御伽噺の絵本を上げるなど。しかも、ロングセラー作品とは言え、およそ子供向けには似つかわしくない不幸な形で結末を迎える物語だ。
もしあの場に両親が居たら頭を抱えていただろう。
だが、笑いさざめく子供達の中、第一王子だけは笑わなかった。それどころか『僕も同じだ』とひどく真剣な顔でそう言った。
だから、自分も偽りの無い気持ちを打ち明けたのだ。
『俺はいつか騎士になって、呪われた魔女を助けに行きます』と。
「――あの日、あの場で嘘偽りの無い言葉を聞かせてくれたのは、おそらくエルド、お前だけだった。その事がとても嬉しかったんだ」
本音を隠した建前ばかりの付き合いが多い王城暮らしで、エルドリートの真っ直ぐさには強く惹かれるものがあったと彼は言った。
「……ベルトルド」
「しかも、僕はその時は既に祖父母から、御伽噺が実話であることも、御伽噺の騎士と魔女が彼らの親友だったことも、二人の人柄や幸せだった日々、そしてその悲惨な結末も全て聞かされていたんだ。物心ついた時から何度もあの物語を聞かされて、いつか魔女を助けたいと思うようになっていた。そんな僕と同じ思いを抱いていたお前に、強く惹かれたんだ。だから、」
――だからどうか、この友情だけは疑わないでくれ。
美しく人の善い笑顔の下に隠した、何処か掴みどころのない油断無い性質は鳴りを潜め、そこにはただひたすらに真摯な眼差しがあった。その蒼い瞳は嘘偽りなどなく、秘境に隠された湖水のように綺麗に澄み渡っている。
「初めから知っていてお前に近付いたわけじゃない。お前がユリウス・キストラーの血縁者だと知ったのは、お前の家に出入りするようになってしばらく経ってからだよ。ソフィネル殿に強請って何度も魔女の御伽噺を聞かせて貰っているうちに疑問に思ったんだ。あの真に迫る語り口や、酷く懐かしむような、切なそうな表情が気になってね。この人はもしかしたら御伽噺が実話であること――それどころか、騎士と魔女を知っているんじゃないかと。そう思って調べたら案の定どころか、騎士の実妹だった。あの時は本当に驚いた」
「……ベルトルド……」
「立太子の儀を済ませると同時に、僕は魔女の捜索と保護の任務を父から引き継いだ。それで、あの御伽噺は正真正銘実話だったのだと改めて思い知らされた。身の引き締まる思いだったよ。そして――何の因果か、当時の祖父に瓜二つだという僕の代で魔女発見の報が届いた。その僕の傍らには親友のお前が――騎士の血縁者たるお前が、まさに当時の彼と同じ青騎士として立っているんだ。このことには何か意味があるのではないかと強く思ったよ。そして、彼女を助けるには今しかないという事もね。だから、エルド」
揺れていた蒼い瞳が強い光を宿す。
「お前を特命騎士に指名したのは確かにユリウスの血縁者だったからというのもある。けれど、一番の理由はそれじゃないんだ。初めて会ったあの日、真っ直ぐに僕を見て、損得勘定抜きで嘘偽りの無い言葉をくれたお前だからこそ――様々な思惑の中で深く傷付いた彼女を預けられると、そう思ったんだ」
エルドリートを利用する為だけに親友を演じていた訳では無いのだと、ベルトルドはそう言った。その蒼い瞳はどこまでも真剣で。
(ああ、そうだ。初めて会ったあの時も、こいつはこんな真剣な目で俺を見ていた)
いつもにこやかに微笑んでいながらも何処か掴みどころが無く、よく相手を煙に巻くことも多い親友の、真剣に語り合う時に向けられるこの眼差しだけはいつだって偽りの無い色を浮かべていた。
「……疑って悪かった。お前の気持ちはよく分かったよ、ベルトルド」
己の気持ちを全て吐き切り、今は不安そうに揺れている蒼い瞳の親友に利き手を差し出した。
「これからもよろしく頼むよ。親友」
笑顔を向けると、美貌の親友の顔が泣き笑いのように歪んだ。おずおずと差し出される手を、力強く握り締める。
「……、こちらこそ、よろしく頼む。僕の、大事な親友殿」
掠れた声で呟かれた言葉。その瞳が、室内を柔らかく照らす魔法灯の穏やかな光を滲ませて微かに揺らいだのは、見なかったことにした。
王太子難しい……!
でもこの子好きです。悩め青年。




