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騎士様の初恋は御伽噺の呪われし魔女  作者: 文庫 妖
第三章 医療棟の聖女

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06 片想いと、疑念と

 木漏れ日の柔らかいテラスで軽食を採り、その後しばらく城内の散策を楽しんだ。手入れの行き届いた美しい庭園や、王都を一望出来る上層階のテラスをゆっくりと見て回る。初めは緊張した様子だったシグリットは、今では穏やかな顔で興味深く辺りを見回していた。

「――私が居た頃とは全然様子が違いますね」

「祖父の代に入ってから、手を入れたんだ。元々老朽化が進んでいて危険な箇所も幾つか出ていたから、即位を機に大規模な改築と修繕に踏み切ったそうだよ。宮殿なんてすっかり面影も無いだろう」

「ええ、まるで別の場所のよう……」

 昔の記憶と比較でもしているのだろうか、その黒い瞳がどこか遠くを見るような色になる。

 六十年前の事件の現場にもなった王城ばしょ。そんな所に被害者(シグリット)を連れて来て良いものなのか不安にも思ったものだったが。

『数十年かけた大幅な改築で当時の面影はほとんど無くなっているそうだ。図面を確認してみたが、特に改築した宮殿部分は完全に別物だ。さすがに当時のままだったら僕も案内しようとは思わないよ』

 主治医(アルベール)の許可も降りた。シグリットも何か思うところはあるのかもしれないが、いつもと変わらない穏やかな様子で眺めているのを見て、ほっと胸を撫でおろす。気晴らしが出来たのなら、それで良い。

 しばらく城内の散策や歓談を楽しんだ後、再びシグリットをエスコートして医療棟へと向かう。散策の間は人払いでもされていたのか、気心の知れた文官以外にすれ違う者は無く、それほど気を張らずに済んだのは有難かった。シグリットへの配慮もあるのだろうが、案外自分に対しても気を遣ったのかもしれない。麗しい御婦人をエスコートして歩いていたなどと、万が一にも同僚や部下に見られたら、さすがに噂になる。どこからか話が漏れて実家に話が伝わるような事にでもなれば厄介だ。

 既に伴侶を得た嫡男が跡継ぎに恵まれたとはいえ、二十代も半ばを過ぎた次男が未だ独身で浮いた話の一つもないというのは、親にとっても気掛かりなのはわかる。だからと言って、偶に顔見せに帰るたびに見合い話を押し付けられるのは正直辟易していた。そんな状態で未婚の女性と一緒だったなどと両親の耳に入るような事があれば、せっつかれるのは目に見えている。

(――シグリットの事は、多分――もう、本当に愛している、んだろうな)

 優しいその姿を目にすれば胸が騒めき、声を耳にすれば心地良い(アルト)に心が蕩かされるような心持ちになる。その柔らかく華奢な手を握れば、もうそれだけで満ち足りた気持ちになるのだから。

 だが、急かされて事を進めるのは御免だった。大切にしたかった。あの傷付いた女を、これ以上傷付くことが無いように、大切に護りたかった。その上で、彼女がその気持ちを自分に向けてくれたなら、これほど喜ばしい事は無い。



 医療棟、上階へと向かう階段に差し掛かったところで、先を行くアルベールが身構える気配があった。察してベルトルドがシグリットを隠すように身体の位置を変え、エルドリートはエスコートしていた腕を解くと、シグリットの細い腰をそっと引き寄せる。

 階段の踊り場に見えた人影がこちらに気付き、こちらが貴人とその連れだと察してか、立ち止まって道を譲るように壁際に身体を寄せた。あの帝国の上級騎士。何に警戒しているのか、あの日からこうして自主的な巡回を欠かさないのだ。その横を目礼して通り抜ける。灰色の瞳の、温度の低く鋭い視線が纏わりついた。主に、シグリットの方に。

「――先日は失礼した。主を思うが故とは言え、あまりにも礼を欠いた行動だった」

 すれ違いざま、帝国の騎士から声が掛かる。不愉快ではあったが、これを無視すればそれこそ礼を欠いた行動だ。シグリットを後ろ手に庇うように立ち、渋々ながらも振り返る。灰色の瞳と目が合った。先ほど見た冷たさは鳴りを潜め、僅かにではあるが柔らかさのようなものが見て取れた。案外こちらの方がこの男の本質を表しているのではないかと、ふとそう思った。だからと言って、あの時確かに感じた不愉快な思いが消える訳でも無いのだが。

「……いや。過ぎた事だ。既に謝罪は受け取っている。気に病む事は無い」

 得体の知れぬ入院患者の護衛とはあまり関わりたくは無かった。さっさと切り上げようとしたが、思ったよりもベルトルドの方が腹に据えかねていたらしい。

「それよりも、そう物々しい態度で歩き回られては他の患者の迷惑になる。此処が極めてデリケートな扱いを要する患者を受け入れる施設だという事は当然知っておられよう。患者や付添人同士の交流を禁じてはいないが、他の患者への不必要な接触や威圧するような行為は控えて貰いたい。ただでさえ、本来ならば入院の必要が無いところを、是非にという事で止む無く受け入れている状況なのだ。あまりにも目に余るようであれば、即刻退院して頂く事も検討せねばなるまい。その点努々(ゆめゆめ)お忘れ無きよう」

 護衛の男が目を眇めた。このような物言いをする男は何者かと思ったに違い無かった。

「失礼。名乗りが遅れた。僕はベルトルド・ファナ・リーズ。一応王太子位を賜っている」

 さしもの男も驚き、居住まいを正した。流石に他国の次期国王を相手に事を構えるのは得策では無いと踏んだのだろう。

「これは大変失礼いたしました。我が主の身を案ずるが故とは言え、王太子殿下には大変な御無礼を」

 男の目をじっと見つめていたベルトルドは、やがて溜息を吐く。

「取って着けたような謝罪は要らない。だが、この施設では患者に出来得る限り心安らかに過ごしてもらいたいと思っている。先程も申し上げた通り、他の患者への威圧行為が続くようであれば――これ以上は説明せずともお分かりかとは思うが、この点ご理解頂きたい」

 男は最敬礼した。ベルトルドは男の顔を見る事も無く、エルドリートらを促して歩き出した。



 部屋に戻ると、誰からともなく溜息を吐く。穏やかに楽しんだ城内の散策も、あの男のお蔭で台無しになった。

「なんなんだ、あいつは」

 シグリットを長椅子に座らせ自らもその隣に腰を下ろすと、うんざりしたような台詞が口を付いて出る。ベルトルドも多少の疲れを見せた。

「彼らの素性については今調べさせているところだよ。名乗った名前や身分は十中八九偽りだろうからね――すまないね、シグリット殿。場合によっては宮殿に部屋を移ってもらうことになるかもしれない。城内への退魔陣の敷設も検討中なんだ」

「そこまでして頂く訳には……私は今のままで十分です。騎士の方々がとても良くしてくださっておりますから」

 焦って言い募るシグリットの手を、ベルトルドが取る。ひどく真剣な色を帯びた瞳に、彼女は息を飲んだ。

「――君が気に病む必要はひとつも無いんだ。君は重いと思うかもしれない。でも、君を治す事、これは王家の――いや、僕の、願いなんだ」

 普段は何処か掴みどころのない、胡散臭いとも思える笑顔を見せる王太子の表情が、揺らぐ。

「祖父の若い頃に瓜二つだと言われ続けた僕が、祖父に感情移入しているだけかもしれない。だけど、幼い頃から何度も祖父母から君達の話を聞かされて、いつしか僕は、君達をとても身近に――まるでずっと昔からの親友だったかのように思うようになった」

 視線を俯けたベルトルドの手に力が籠る。

「――大叔母(ナタリヤ)が犯した罪の罪滅ぼしだなんて、もう言わない。ただ、僕が――僕自身が、『親友』の君に戻って来て欲しいと思っているだけなんだ。何としてでも君の呪いを解いてやりたい、君を治して自由にしてやりたい、温かい日の当たる場所に戻ってきて欲しい、そう思っている。だから、どうか僕達(友達)に任せて、君は治すことに専念して欲しいんだ、シグリット(・・・・・)

 シグリットは目を見開いた。ひどく驚いたに違いなかった。だが、それは自分も同じだ。王太子の吐露した心の内。その想いはまさに、自分の想いでもあったからだ。

 祖母の読み聞かせてくれた御伽噺。真に迫ったあの語り口が、心に迫るものがあった。何か遠い記憶を想い出すかのような、何処か祈りにも似たあの語り口が、ひどく己の心を打った。祖母の物語る御伽噺の魔女は、優しく穏やかな人柄が感じられた。何度も読み聞かされ、何度もせがむうちに、いつしか魔女に恋するようになった。

 一度は忘れかけた想い。だが、こうして魔女に出逢い、魔女と触れ合ううちに、再び抱くようになった恋情。愛する女が温かい場所で、心から笑えるようになる日が来ることを、切に願う。

 手を伸ばし、いつものようにシグリットの頭を撫でようとして――彼女の目の縁に溜まる雫に気付き、それを指先で拭う。

(……もっと、ちゃんと泣いてくれるといいんだがな)

 そうして沢山涙を流して、心を解かしていくといい。冷たく彼女の心を縛り付ける、呪縛ごと。




 病衣に着替えさせるためにアルマを呼び付け、控室に消えるシグリットの背中を、ドレス姿を惜しみつつも見送った。アルベールは少し書類を纏めたいと言って、片隅の書き物机を陣取った。残されたエルドリートとベルトルドの間に沈黙が下りる。

「……ベルトルド」

「……なんだい」

 呼び掛けておいて躊躇い、再び沈黙する。逡巡した後、意を決して口を開いた。先程のシグリットへの言葉で感じた違和感――否、気付いてしまった彼の想い。

「お前、もしかして彼女を、」

「エルド」

 言い掛けた言葉は途中で封じられた。

「……僕の気持ちは、多分に祖父に刷り込まれたところも大きいと思う。だから、片想いのままでいいんだ」

 ふと、思い至る。そういえばこの男も独り身だった。王太子でありながら、二十代も半ばを過ぎたこの歳まで婚約者の一人すら居ない事を。

 ベルトルドの瞳を見据える。湖水のように凪いだ、蒼い瞳。

「お前……」

「まぁ、実際に彼女に会ってみて、お前に任せずに自分で迎えに行けば良かったと、正直ちらっとは思ったけどね」

「……その言葉に俺はどう返したらいいんだ」

 彼は笑った。少しだけ痛みの混じる笑みだ。

「主犯格は公爵家の嫡男だったが、彼女を一番傷付け追い込んだのは、王族(ひめ)だからね。王族ぼくが彼女の手を取るわけにはいかないよ。僕は、ただ彼女の友人でいられればそれで良いんだ。彼女が誰かの手を取って、幸せになったのを見届けたら――その時は腹を括って妃探しに本腰を入れる事にするさ」

「ベルトルド……」

 彼はエルドリートの肩を叩くと、いつものように綺麗な、それでいてどこかしら胡散臭い笑みを浮かべた。

「さあ、この話題はこれで終わりだ。お前達はどうする、休暇」

 やや強引な話題転換に思わず苦笑する。

「そうだな……許可が下りるなら、明日にでも」

「それはまた随分と急だな」

「んな事言ったら、今日の散策だって急だったろ」

「……それもそうか。なら、アルベールと相談して、問題無ければ明日取っても良いよ」

「ああ。ありがとう」

 シグリットの居る控室の扉に視線を向ける。彼女に出逢い、彼女の過去を知り、そして王都に来て彼女との日々を過ごす中で生じた疑念(・・)。それを、解決しておきたかった。

(本当は本人(・・)に直接確かめるのが一番確実なんだろうがな)

 その前に、一度自分の手で調べておきたい。その為に何処へ向かうべきか思案しつつ、何かに想いを馳せる様子の王太子の横顔を眺めた。

(もしかしたら、こいつももう既に調べて知っているのかもしれない)

 けれども、それを確かめるのは癪だった。全てこの食えない親友の手の内で踊らされているような、そんな気になったからだ。


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