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騎士様の初恋は御伽噺の呪われし魔女  作者: 文庫 妖
第三章 医療棟の聖女

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01 入院患者

作中の医療行為は実在の治療法を参考にしてはおりますが、あくまでも創作世界の独自の医療という解釈をして頂ければ幸いです。「こんな治療があるか!」とか「間違ってる!」とかいう突っ込みはどうぞご勘弁を。

 シグリットの治療を始めておよそ一月ひとつき。ある程度の覚悟を持って臨んだ治療だったが、やはり困難であると言えた。彼女の過去を紐解いていくうちに見えたのは、重度の心的外傷。本来ならば時の経過とともに薄れていくはずが、継続的に傷を抉られ続けた事で重症化してしまった心の傷だ。その傷に巣食うように存在する残留思念は、数十年という年月を掛けて抉り続け、傷の奥底に癒着するように深く根差してしまった。これを排除するためには巣穴(心の傷)を埋めるより他は無い。

 そのために出来る治療と言えば、今のところただひとつ。心的外傷を乗り越えるための儀式だ。傷を受けるに至った過去を想起し、その恐怖に慣れ、その過去は再び起きえない事を知る作業だ。心の傷を受けた過去を想い出す、それは患者(シグリット)にとっては負担が大きい。当然副作用(呪いの発動)はある。だからこそ、設備の整った安全な場所と、心から安心出来る環境が必要なのだ。

 ――もっと早くに彼女を保護出来ていれば。彼女が逃げ出さなければ、ここまで重症化しなかったかもしれないなどという事は決して言えない。心的外傷とそれによって引き起こされる障害の認知や、心の傷に寄生する呪法の治療法が確立されたのはここ十数年のことなのだから。



 シグリットの手を緩く握り、そこから自らの魔力を薄く流し入れて、体内の呪術の波動を探り当てる。体内の奥底で凝り固まり、隙あらば宿主(シグリット)を蝕もうと蠢く呪詛と怨嗟の念を感じ取って、アルベールは形の良い眉を微かに顰めた。

 手強い。

 三体もの残留思念は執念深く、おいそれと消えてはくれない。その本体は既に亡いというのに、遺された強い恨みは今なお彼女を苛んでいる。

 三人の思念体の主が誰なのかは、当時の調査資料から既に当たりは付けていた。ナタリヤ姫とその侍女ヒルデリータ。そして、姫の婚約者ディートリヒ。彼女を亡き者にしてユリウスの婚約者の座に収まろうとした二人の娘と、彼女を生贄にして目障りな男を消そうとした一人の男の、いずれも抱いていたのは強い殺意だ。

 だが、此処に連れて来た頃に比べれば、シグリットの精神と思念体の絡まりは随分と緩んで来てはいるのだ。二人の娘と違い、恨みの矛先をユリウスに向けていたディートリヒの思念体。ユリウスを蝕んだ呪法に接触した際に少量だけ彼女の体内に取り込まれてしまったのだろうそれは、気配が曖昧に感じられるのみだ。手応えはある。

「思念体の一部は既に消失しかけている。順調だよ」

 端的に言うと、シグリットの顔が嬉しそうにふわりと綻んだ。その微笑みにさっと頬に朱を走らせたエルドリートに苦笑してから、やや居住まいを正してシグリットに向き直る。

「この消失しかけている部分だけでも、今思い切って祓ってしまおうか」

 彼女は少しだけ目を見開いた。

「そんなこと、出来るの」

「ここまで弱まっていれば出来るよ。ただ、少し苦しい思いをしてもらう事になるかもしれないけれど」

 祓う際に、体内で思念体が抵抗して暴れるようなことがあれば、その苦痛は患者に向かう。だが、一体でも祓ってしまえば、残り二体も解きやすくなるのではないかという目論見もあった。

「それなら平気。呪法が発動した時に比べたら、きっと遥かに楽だもの」

「……そうか」

 シグリットの言葉に少しだけ悲しくなったが、気を取り直す。

「ここまで気配が薄まった状態なら私一人でも行けるとは思うが、念の為マティアスにも手伝って貰おう。なるべく君の負担を減らしたいからね」

「……うん。お願いします」

「じゃあ、少し痛むと思うから、楽な体勢でいこう。寝台に横になって目を閉じてくれるかな。エルド、君は側に付いてやっててくれ」

「ああ、わかった」

「それから、カルラとトマスは良く見ておいて」

「はい」

「了解です」

 マティアスと視線を交わして頷き合う。横たわったシグリットの両脇に立ち、印を組んで祓い詞の詠唱を開始した。視界の隅でエルドリートがさり気なくシグリットの手を握るのを見て、つい笑みを零してしまった。シグリットもまた当たり前のように彼の手を握り返しているのだから、なんとも微笑ましいではないか。エルドリートは真剣に彼女を想っての事だろうが、シグリットの方は果たしてどうなのだろうか。少し、気になった。

 詠唱しながら彼女の身体の上で印を切り、光の気を満たした魔力を体内に流し入れると、弱まった思念体に接触させる。く、とシグリットの眉根が苦しげに寄せられた。エルドリートの空いた片手が、気遣うように彼女のもう片方の手を握った。

 思念体の抵抗。

(――出て行くがいい。お前の殺したい相手は彼女じゃない。お前の憎んだ相手はもうとっくの昔に死んだ。お前が望んだ、その通りにね。だから、もう彼女を解放してやってくれ)

 思念体の主だった男に語り掛けるようにその思いを印に乗せると、ふとその気配が戸惑うようなそれに変わる。薄まる邪気。すかさず浄化の光を浴びせると、それまでの抵抗が嘘のようにいとも呆気なく霧散して消えた。瞬間、微かな苦鳴を漏らしたシグリットの身体が弛緩する。顰められた眉が緩み、溜息が漏れた。

「どうかな」

「……うん……」

 浅く息を吐きながら身体を起こす彼女を、エルドリートが甲斐甲斐しく支える。シグリットは浮かない顔で目を伏せた。

「大丈夫かい? 何処か痛む?」

「ううん、大丈夫。また少し身体が楽になったよ。ありがとう」

 言いながらもその顔色は冴えない。

「どうした? 何か気になる事があるんなら遠慮せずに言ってみろよ」

 エルドリートが促す。

「……あのね」

「おう」

「気配が消える時に、最後に男の人の声で、すまない、って。そう聞こえた」

「……そう、か」

 エルドリートがアルベールに目配せを寄越した。説明を乞う目線だ。

「君の呪いは三人分の思念体で構成されている、という話は前したと思うけど」

「……うん」

「今祓ったのは、男性の思念体だ。これが誰のものかは……君は分かる?」

 シグリットは一瞬押し黙った。少し躊躇う素振りを見せてから、おずおずと口を開く。

「多分……公爵家の」

「そう。ディートリヒ・アウフレヒト。公爵家の嫡男で、赤騎士だった男だ。君は……あの事件の顛末をどこまで知っているのかな」

 ほとんど知らないのではないかと感じた。シグリットの容態を考慮して、今まで敢えて事件の詳細には触れて来なかった。そろそろ、少しずつでも話しておくべきなのかもしれない。

「新聞に書いてあった程度の事しかわからない。ユリウスの暗殺容疑で公爵家の御嫡男と姫の侍女が拘束されたということと……あとは、姫も関与していことくらいかな」

 ユリウスは戦死ではなく暗殺だった。最初の報道で知ったその事実に酷く打ちのめされて体調を崩し、発熱と呪いの発動を繰り返して長く臥せっているうちに知る機会を逃してしまったのだと彼女は呟くように言った。だから、ユリウスに懸想していたはずの姫と侍女が何故彼の暗殺に加担したのか、そしてほとんど接点の無かった公爵家の赤騎士が何故自分を呪ったのか、それが未だによくわからないとも。

「……君は、ユリウス暗殺の踏み台として利用されたんだ。ディートリヒは万一の時に自分に容疑が掛からないように、何重にも策を巡らしていたんだ。あの日使われたのは魔獣に擬態させた呪法だった。その呪法の標的に設定されていたのは君だ。もし呪法が見破られても、標的が君ならほぼ接点の無い自分に疑いの目は向くことが無いという理由でね。その呪法を、ユリウスが君の側に居る状況で使えば彼は君を庇うだろうと――そういう目論見だったそうだ。姫と侍女は彼に利用された。恋敵を亡き者に出来ると唆して加担させ、結果、その企ては成功した。君から聞いた過去の話から判断すると、その際に君はその呪法に接触している。多分その時に呪法の残滓が君の体内に取り込まれたんだ。標的は君に設定されていたとはいえ、真の標的はユリウスだった。彼を強く憎んだディートリヒの思念体が、術式に入り込んでいたんだ。……暗殺に至った直接の動機は、姫がユリウスに懸想して、婚約者に内定していた自分との縁談を拒んだから、だそうだ」

 黙って聞いていたシグリットは唇を強く噛み締めたまま、両の手で病衣の裾を強く握った。

「――それで、何に対しての、『すまない』、なの」

 ユリウスを殺したことか。それとも自分を利用したことか。それとも、呪いという形で長年苛み続けたことか。

「そんな……そんな言葉一つでどうなるというの」

 失われた命、失われた未来、失われた長い時間とき――何もかもが、もう二度と戻らない。握り締めた手の上に、ぽたぽたと涙が落とされる。遠慮がちに伸ばされたエルドリートの手が、そっと彼女の背を撫でた。

 アルベールは目を伏せた。

 拘束後のディートリヒは全てを受け入れたように大人しく取り調べに応じ、自らの行いを恥じ、ひどく悔いる様子を見せたという。刑の執行時にも、最期まで自分の罪を見つめて居たいと、目隠しを拒んだとも。

 事件に無関係な者から見れば、まるで美談のようにも思えるだろう、彼の潔い最期。だが、それが一体どうだというのか。もし事件が露見しなければ、彼は王族を妻に迎えてのうのうと幸福になろうとしていたのだ。

 それに引き替えシグリットは、温かい未来を永久に取り上げられたまま、その傷を抉られ続けた。居場所を無くして、決して癒される事の無い傷を抱え、たったひとりで長い時を生きて来た。すまないなどという言葉一つで、取り戻せるものなど何一つ無い。

 いくら呪いを解いたとしても、失ったものがあまりにも多過ぎる。深く傷付けられた心を埋められるだけの何かを、彼女はこれから得られるのだろうか。

(――得られるといい。失ったものを補って余りあるほどの、何かを)

 魔女の世話を甲斐甲斐しく焼く青騎士に視線を流す。誰の目にも明らかなほどに彼女に惚れているというのに、その気持ちに自信が無いなどと腑抜けた事を言うこの男なら、その気になれば幾らでも彼女に与えてやれるのではないか。そんな事を期待する。

 ――それにしても。

(彼女は、今までちゃんと泣いた事があるのだろうか)

 そこが些か気掛かりだった。静かに涙を流すところは何度か見た。今もそうだ。俯いて嗚咽を漏らすのみ。だが、あれほど詳細に残された記録からも、彼女の話からも、心のうちを曝け出して思い切り泣いたという痕跡は見つからなかった。

 助けられなかった、自分の所為で死んだ、そうやって自分を責め続け、そして心無い者達にまで責め抜かれて、泣いて吐き出す暇すら与えられなかったのではないか。思い切り泣いて、涙とともに心の内のおりを流す。そうしたことも、過去を受け入れ傷を癒す上で必要な事だというのに。




 自分が生きて来たよりも遥かに長い時を悪夢と共に生きた彼女に掛ける慰めの言葉ひとつ思い付かないまま、時間が過ぎた。

 エルドリートに寄り添われ、優しく背を撫でられていた彼女の嗚咽が小さくなった頃。扉を静かに叩く音が部屋に響いた。

「どうぞ」

 シグリットの泣き顔を隠すようにエルドリートが身体の位置を変えるのを視界の端に捕らえてから、アルベールはドアの外に向けて声を掛ける。

「……ああ、すまない、取込み中だったか」

 扉を後ろ手に閉めたベルトルドが、室内の微妙な空気に気付いて少しばかり気まずい色をその顔に浮かべた。シグリットはエルドリートに任せておくことにして、王太子に対応する。

「問題ありません。何かございましたか」

 彼はやや物憂げな表情で言い難そうに切り出した。

「実は同じフロアに明日から他の入院患者が入ることになってね。少し落ち着かないかもしれないが、それを伝えに来た」

 アルベールはマティアスと顔を見合わせ、首を傾げる。それだけの事ならば、王太子がわざわざ気に掛ける理由が無い。

「……何か、問題がおありなのですか」

「診察した限りでは入院の必要が無く、定期的なカウンセリングで治療出来るそうなんだが、先方がどうしても落ち着いて集中的に治療したいと食い下がったらしくてね。国外の上級貴族ということもあって断り切れず、受け入れることになったんだが……どうも訳ありのようなんだ。なるべく離れた部屋を手配するようにする。何も無いとは思いたいが、念の為、心に留め置いてくれ。場合によっては護衛の騎士を増員する」

「……なるほど。承知しました」

 ベルトルドはちらりと部屋の奥に視線を走らせた。エルドリートに目配せしたようだった。シグリットの様子も気掛かりなのか気遣わしげな視線を向けたが、忙しいのか慌ただしく出て行った。

 訳ありの入院患者。医療棟から王太子に知らせが行くあたり、余程不審な様子だったのだろうか。

(――厄介な事にならなければ良いが)

 気付かれないように小さく溜息を吐いて視線を巡らすと、既に泣き止んでいたシグリットのばつの悪そうな顔と目が合った。

「ごめんなさい。また、見苦しいところを見せてしまって」

「いいんだよ。すぐ謝るのは君の悪い癖だ。泣くのは悪い事じゃない。むしろ、もっとちゃんと泣いて溜め込んだものを全部吐き出してしまうべきだ。でないと、圧し潰されてしまうよ」

 言いながらシグリットの頭を撫でてやる。成人女性にすべきことではないのだろうが、こうされることは嫌いで無いらしいことは知っていた。困ったような顔をしながらも、どこか満たされるような様子を見せるからだ。今もほら、こんなふうに。

 目を細めてそれを眺め、それからふと隣に視線をずらして思わず苦笑した。エルドリートが苦い物を飲み込んだような顔でこちらを凝視している。

(……嫉妬か)

 そんな顔をするくらいなら、いつまでも悩んでいないでさっさと抱え込んでしまえばいいだろうに。アルベールの笑みが深まり、それに応じるかのようにエルドリートの眉間の皺が深まった。

 シグリットの頭上で無言の応酬を繰り広げている二人に、マティアス達は顔を見合わせて苦笑した。

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