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騎士様の初恋は御伽噺の呪われし魔女  作者: 文庫 妖
第二章 過去への旅路

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12 葛藤

「……よく頑張った」

 蒼褪めた肌に汗を浮かべ、浅く荒い息を吐くシグリットの手を握り締めて、アルベールが労いの言葉を掛けた。マティアスが、トマスが、カルラが印を切り、発動しかけた呪いを抑え付けている。エルドリートに身体を支えられたままのシグリットは、薄く目を開いて微かに頷いて見せた。

「精神的な傷というのは完全に治るものではないけれど、それでも時間を掛ければ大抵は自然に治まって行くものなんだ。でも君の場合は、心無い対応を継続して受け続けたことで心の傷が悪化して、呪いが身体に馴染みやすい状況にあったんだね。その上罪悪感につけ込むタイプの呪いであった為に、君は長年苦しめられることになったんだ。今の君に必要なのは、安全な場所で適切な支援の下、過去に起きた事を客観的に捉える事だ。本当に過去の君に過失があったのかどうか、仮にあったとしても意図的に行ったものだったのかどうか、本当に君が気に掛けているほど無力だったのかどうか――そういった自分についての認識を適切なものにするんだ。不必要な罪悪感から自分自身を解放してやろう。そうして君に掛けられた呪いをほどいて行こう。その為に私達は協力を惜しまないよ。きっと、君の支えになる。君の気持を受け止める。だから、どうか、安心して、私達を頼ってくれ」

「……うん。ありがとう」

「さあ、今日はここまでにしよう。ゆっくり安心して休んで。此処に、君を傷付けるような人間は誰も居ないから」

 アルベールが目配せをした。エルドリートは頷くと、そっと抱き上げて寝台に運び、横たえる。

「……ありがとう、エルド」

「おう」

 頭を撫でてやる。シグリットは薄く笑うと、直ぐに眠りに落ちた。それを見届けると、皆緊張から解放され、身体を弛緩させた。アルベールとマティアスは年長者らしくまだ余裕は保っていたものの、椅子に身体を預けたまま動かない。カルラは長椅子の背凭れに突っ伏し、トマスは床に座り込んでいた。

 重い、過去。彼女が追い詰められていく過程が、聞く者の胸を抉る。

「……やはり、直接聞いてみないと分からない事も多いものだな。医療班からも疎まれていたというのは初耳だ」

 これでは療養どころか悪化させるだけだ、そう呟いてベルトルドは痛みを含んだ険しい顔で、手元のノートに視線を落とした。その顔色は、少しばかり青い。

「最後に接触したのがステファンというのも皮肉なものだな」

「――ステファン・フェッセル、でしたか、確か」

「そう、表向きは白騎士だったが、実態はアウフレヒト公爵家と繋がっていた呪術師だ。拘束後余罪が出て処刑された――彼女に掛けられた呪いを構築した張本人だ。この事件以降、特に白騎士の入団基準と定期査定が厳しくなっている」

 ジークフリートの言葉を聞きながら、エルドリートは水桶の氷水に浸して絞り上げた手布でシグリットの汗を拭う。それから手のひらをその額に当てた。少し熱いが、時間が経てば平熱に降りるだろう。もう一度氷水で冷やした手布を額に乗せた。その冷たさが心地良いのか、心なしか表情が緩んだ気がした。その顔を見て微笑し、それからシグリットの語った過去を思い出して眉を顰める。

 最愛の男の死は、時間が経てば癒えるはずの傷だった。あの痛みを、気も触れずに正気を保ったまま何十年も一人きりで耐えて来た強い女だ。多少の痛みは残しても、シグリットならばいずれ前を見て歩いて行けるはずだった。だが、その傷を癒える間も与えずに深く抉り、広げた者がいた。呪いを受けて身体を壊し、思うように働けなくなった彼女を疎み、邪魔だと城から遠ざけようとした者が居た。どれも、貴族社会では当たり前に起きうる事だった。古い時代では猶更だった。だとしても、割り切れない思いは残る。

 後ろ盾はあれど、子爵は亡くなり最早帰る家も無く、婚約者を亡くしてからは安心して身を寄せる場所の無かった彼女。何処に引き取られる事になったとしても、長く時が過ぎ、代替わりをする頃にはやはり疎んじられる存在になっていただろう。ましてや解けない呪いを抱えた身だ。それが分かっていたからこそ、彼女は自ら身を引いたのだ。そうせざるを得なかった。

――独りの方が、楽だった。

 彼女はそう言っていた。そう思わせるまでに追い詰められた。

「……曾祖父は言ったそうだよ。まるで、利用するだけして壊して放り出したようだ、とね。そして配慮が足りなかったのではないかとも」

 セオドアは亡くなった親友の養女むすめに働き口を与えるつもりで招き入れたが、元筆頭王宮薬師の唯一の弟子としての働きも期待してのことだった。シュレーゲルは秘められていた魔力の才を生かせればと、多少無理を言って魔導師団に引き入れた。無論、シグリットにそれだけの努力と才能があったからこその事でもあったのだが、微妙な身分の彼女が殊更に取り立てられた事が、周囲に軋轢を生じさせた。

 ジークフリートやエリザヴェータはと言えば、国王の親友の養女、年頃の近い娘に興味を持つのは自然な流れだった。話してみれば媚び諂いなど一切無い彼女との交流は、王族として決して油断の出来ない人間関係の中に置かれる彼らにとって、新鮮でもあり心地良くもあった。損得勘定も無く、自然体で接することが出来る友人として側に置きたがったのも致し方ない事と言えたが、やはりそれもまたシグリットに対する風当たりを強める事にもなった。

 シグリットが身を引けば済んだ話だと、そう思う者も居るだろう。だが、そうだとしても、結婚間近の男を奪われ、謂れのない中傷で心身を削り、悪質な呪いまで掛けられて放逐されるほどのものであったかと言えば、答えは否だ。

「意図した事では無かったにせよ結果として出奔を決意させるほど追い詰めておきながら、今更手厚く保護するなど烏滸おこがましいのかもしれないが……それでも」

 ベルトルドにも葛藤が無かった訳ではないのだろう。苦渋に満ちた顔がそれを物語っている。

 人間関係に生じた歪みの責任を負わされ切り捨てられるのは、いつだって立場の弱い者だ。最後まで守り切る事が出来ないのなら、初めから手を出すべきではない。頭では理解している。

 しかし。

 シグリットへの想いが恋情か同情かも分からないと躊躇している自分は、その手を取りたいと願っても良いのだろうか。侯爵家の出という恵まれた身分の自分と、かつて子爵家の養女だった、今はもう平民の身分の彼女。何かあって辛い思いをするのは、自分ではなく彼女の方だろう――。

 眠るシグリットに視線を向けた。既に顔色は戻り、呼吸は安定している。手を伸ばし、さらりと黒髪を梳いた。

『あれはいい女だ。呪いが解けて外を出歩くようになってみろ、引く手数多だぞ』

『――俺も口説いてみるか』

 ふと、マティアスの言葉を思い出し、焦りにも似た感情を覚えてエルドリートは自嘲気味に笑った。

 想うだけでいい、手を引いてやるだけでいい、そう思っていたというのに、彼女を欲する自分が居る。引き寄せて腕の中に囲い込みたいと思う自分が居る。他の男の隣で微笑む彼女など、見たくはない。

 もう引き返せないところにまで膨れ上がった自らの想いは、もう止められそうになかった。

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