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騎士様の初恋は御伽噺の呪われし魔女  作者: 文庫 妖
第二章 過去への旅路

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11 六十一年前(夏~秋)

 ユリウスの死の責任はシグリットに有ると信じて疑わない様子のナタリヤは、どうにかして憎き恋敵に一矢報いるつもりでいたようだった。腹心の侍女を使って虎視眈々と機会を窺い、シグリットが体調を崩して比較的警備の薄い医務局に入院中だということ、この日のナタリヤの居室の夜間担当の近衛が、配属されて日の浅い騎士である事を知って好機と見たらしい。

 密かな逢引きに出掛けると偽って新顔の近衛騎士を言い含めて部屋を抜け出し、看護師に扮装して医務局に忍び込み、担当の看護師に金品を握らせ口留めをして病室への侵入を果たしたナタリヤは、怒りと憎しみを存分にぶつけてシグリットの心を折ればそれで満足するつもりだったという。だが、やり込めるどころか言い返されて激高し暴行にまで及んだ事で、部屋の外で様子を伺っていた、懐柔したはずの看護師が恐れを為して近衛騎士に通報して事件は発覚。暴行されている患者が王太子夫妻と懇意のシグリットだと聞いて近衛騎士は血相を変え、すぐさま王太子を呼ぶ事態になったのだった。

 深夜に医務局で起きた暴行事件の実行犯がナタリヤ姫だという事実には、厳重な緘口令が敷かれた。ナタリヤと、計画に積極的に加担した節のある侍女ヒルデリータは無期限の自室謹慎となり、ナタリヤの外出と侵入を見逃した騎士と看護師は戒告処分となった。国王としては厳重に処罰したいところではあったようだが、殉職者を大量に出した黒の森の作戦から間もない時期に、王族による臣下への暴行事件というのは外聞が悪過ぎると、宰相らから諫言されたからだった。

 シグリットは激しい暴言と暴行のショックから熱をぶり返し、再び寝台から離れられない生活が数日続いた。事情を知ったシュレーゲルから、落ち着いて療養出来るように屋敷に引き取るという申し出もあったが、今の容態と精神状態で慣れない環境での療養生活は勧められないと医師から難色を示され、結局病室や医務局の警備とナタリヤの監視を強化する事で落ち着いた。シグリットの病室に出入り出来る者はごく親しい者に限られることになった。

 その甲斐があってか徐々に容態も落ち着き、蝉の声が聞こえ始める頃には、無理をしない範囲で日常生活に戻っても良いという診断が下された。



「あまり無理はしないように。身体を大事にする事を第一に考えてくれ」

 挨拶に向かったシュレーゲルの執務室で温かい労いの言葉を掛けられてから、魔導師団の詰所に向かうと、待ち構えていたらしい同僚達に一斉に取り囲まれて、シグリットはたじろいだ。

「一時はどうなる事かと思っていたが、戻って来れて良かったよ」

「無理せず徐々に身体を慣らして仕事に戻ればいいわ」

 痩せてしまった肩を元気付けるかのように些か乱暴に叩かれ、口々に労わりの言葉を掛けられる。有難い事に、シグリットを心配してくれていたようだった。皆、休養していた仲間が戻った事を心から喜んでいる。それを感じ取って、シグリットは嬉しいと素直に思った。嘆いてばかりも居られない。待っていてくれた仲間達の、そして身体を張って自分を助けてくれたあの人の気持ちに報いる為にも、前を見なければ。今まで以上に頑張らなければ。

 そう、思っていたのだけれど。



 ――敵は、弱っている時にこそ狙ってくる。

 否、弱っている今だからこそ、深く傷付けられるように感じられるのかもしれない。



「見て、ほら、ユリウス様を身代わりにして生き延びた、」

「――まぁ、あの方が噂の?」

「役立たずの癖にのうのうと城に出入りするなんて、さすが田舎者は図々しいわ」

 騎士団宛の研究資料を運ぶ途中、すれ違いざま、内緒話を装いながらもわざと聞こえるように陰口を浴びせられ、思わず息を飲んだ。振り返ると、何事も無かったかのように城仕えの娘達は立ち去って行く。以前ユリウスに熱を上げていたという娘達は、今が好機とばかりにかつての恋敵を糾弾するのに熱心だ。こうして一人で居る時を狙っての嫌がらせ。前ならそれとなくやり過ごしていた。けれども、ユリウスが居なくなった今、それも難しくなっていた。言われるままに受け止めてしまう自分が居る。すっかり弱くなってしまった。

 ――身代わりにして生き延びた、役立たず。

 じりじりと胸の奥が痛んだ気がして、浅く息を吐く。

 復帰してから数週間、時折こんな風にして胸が痛む。きっと、精神的なものだ。そう思ってやり過ごせば、じきに痛みは消えていく。

「どうした。顔色が悪いぞ。無理しているのではあるまいな」

 中央騎士団の詰所でランベールに資料を手渡す際に、気遣うような視線を向けられてしまった。

「いえ、大丈夫です。問題ありません」

「……そう、か」

 ランベールは物問いたげな顔をしたが、追及しては来なかった。

 これ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。こんな姿を見せては、ユリウスもきっと心配する。大事な誰かを亡くしたのは、自分だけではないのだから。

 本部を出て渡り廊下に差し掛かったところで、ヒューが追いかけて来る。もしかしたらランベールが気を回したのかもしれなかった。

「あんた、本当に大丈夫か?」

「――そんなに酷い顔、してる?」

「心配になるくらいにはな」

「……そう」

 自分の頬を撫でてみる。自覚は無いが、顔に出てしまっているとしたら問題だった。ヒューは溜息を吐いた。

「フィーネが心配してたぞ。あんた、嫌がらせされてるんだろ」

「!」

 隠していたつもりだったがつい身体を硬直させて、それで事実なのだと知られてしまった。やっぱりか、と呟き、ヒューは忌々しげに頭を掻いた。

「……俺達にまであんたの陰口吹き込んでくるようなのが居るんだ。あんたに直接言う馬鹿もそりゃ居るだろうさ――ああ、クソッ」

「……不愉快な思いさせてごめんね」

「あんたが悪いわけじゃねぇだろ。安全な場所でのうのうと守られていながら、前線で命懸けで戦ってきたあんたを悪く言うなんざ、ろくでもねぇよ。なぁ、あんた、もっと周りを頼れ。フィーネでも俺でも、殿下とか王太子妃殿下だって居るだろ。遠慮すんなよ、友達じゃねぇか」

 温かい言葉が胸に沁みた。その胸が、再びじりじりと灼けるように痛みだす。やはり、どこか悪いのかもしれない。

「ありがとう、ヒュー。いつか、頼りたくなったら、お願いするよ」

 微妙な言い回しになってしまったが、ヒューは渋面を作って押し黙り、とりあえずは納得してくれたようだった。

「あんまり抱え込むなよ、な」

 肩を叩き、そう言い置いて、本部に戻って行った。それを見送ってから、自分も左翼塔に戻る。



 胸の痛みは酷くなる一方だった。これ以上、本当に迷惑も心配も掛けたくなかった。迷惑を掛けてばかりで役立たずの自分は、もう、ここには居ない方がいいのかもしれない。

 それからは、日々の仕事の傍ら、時間が出来れば密かに引継ぎ書類や研究資料を少しずつ纏めていった。いつでも出て行けるように、薬師時代のものも、魔導師団に入ってからのものも、全て纏めていく。置いて行けば、自分の代わりに誰かが役立ててくれるだろう。

 ――胸が、痛む。

 寂しいと思うから痛むのか、それとも病んでいるから痛むのか。もうよく分からなかった。



「もうじき時間だわ。行きましょう」

 時計を見てフィーネが声を掛けて来る。この日は魔導師団と騎士団の合同演習があった。殉職者を大量に出した春の遠征で双方の人員構成が大幅に代わり、新編成での戦力を見極めるという目的の対戦試合だ。

 朝から体調が思わしく無かったが、幸か不幸か顔色の悪さが常態化しているおかげでそれを隠し通せていた。じくじくと滲み出るような痛みを隠して騎士団本部の鍛錬場に向かうと、部下に何か指示していたらしいヒューが片手を上げて挨拶を寄越した。

 それにフィーネと二人で手を振り返したその時。

「あら? 恋人一人助けられなかった癖に上級魔導士を名乗る恥知らずが居るわ」

「あれで治癒魔法を上級まで習得しているのですって。本当かしら」

「あの方を篭絡出来たのですもの、師団長くらい、ねぇ? 昇級に手心を加えて頂くくらい容易いのではなくって?」

「案外誰か他の殿方に乗り換えて、邪魔になって見殺しにしたのかもしれなくてよ。ああ、なんて恐ろしい」

 くすくすと笑いさざめきながら中級魔導士の女達が背後を通り過ぎ、場の空気が凍り付く。主語の無い台詞はしかし、誰を示しているか明確だった。元よりユリウス絡みでシグリットを目の敵にしていた者達からは、執拗な嫌がらせが続いていた。ユリウスの死を悲しむどころかシグリットを糾弾する良い口実を得たとばかりに。

 ――助けられなかった。

 ――見殺し、に。

 抉る言葉は胸の奥底に蓄積し、心を殺いでいく。

 胸が、痛い。焼き切れそうに、痛い。

「貴女達! 魔導師団ここは実力主義よ! 遠回しに師団長を貶すような物言いはおやめなさいな!」

「言っていい事と悪い事がありましてよ!」

「まぁ、怖い」

 堪りかねてフィーネや居合わせたクロエが声を荒らげるが、彼女達は愉快げに笑うばかりだ。くすくすと笑いながら離れていく。成り行きを見ていた同僚達の表情も硬い。

「気にしては駄目よ。あの子達、男絡みだと容赦ないもの」

「留守番組で安全な場所でぬくぬくとしておいて、現場を見てたらあんな言い草間違っても出来ないわ」

「あんなのに耳を貸しちゃ――ね、ちょっと、大丈夫!?」

 フィーネの声が、耳鳴りに打ち消されて遠くなる。

 喉に、胸に、腑に、何かに腐食されていくような、焼けるような痛みが急速に広がっていく。呼吸が途切れる。視界がぶれる。

 頽れる身体が、誰かに支えられる。

「や、何これ!?」

「おい、これ――不味いぞ、隠せ! 他に見せるな!」

「医療棟だ! 医療棟へ運べ! 早くしろ!」

 口々に叫ぶ同僚達の声を最後に、そこから数日間の記憶は、途切れ途切れの断片的なものになった。断続的に身体を襲う灼熱の痛みに意識を失い、そしてその痛みでまた覚醒する。その繰り返し。その合間に、男の声で、女の声で、呪詛と怨嗟の声が激しく痛む頭に響く。いっそ狂ってしまえれば、死んでしまえれば楽だというのに、それすらも許されない。

「――破壊と再生を繰り返している。しかもこれは、」

「――体内まで侵食して」

「――普通ならすぐ死に至る――」

「――かなり強力な呪いが複雑に――」

「――細胞の老化が、停止している?」

「――多分不死の――」

「――今の技術では、恐らく解呪は不可能――」

 意識が浮上するときに、途切れ途切れに聞こえる会話。意識が無いからと油断したか、遠慮なく枕元で為される会話に、それでおよその事情を察してしまった。

 呪い。動揺もしたが、どこか納得してしまった自分が居た。あまりにも現実味が無く、他人事のように感じていただけなのかもしれないけれど。

 ――役立たずに相応しい末路、か。

 ようやく発作的に起きる痛みから解放される時間が長くなってきた頃には、半月近くが過ぎていた。酷く消耗して、食事らしい食事もなく、時折無理に飲まされるスープ位だったというのに、まだ、生きている。

 ほんの少し楽になった時間、うとうとと微睡んでいると、ふと人の気配を感じて、曖昧になっていた意識が浮上した。

「……シグリット」

 まるで、臨終の席に立ち会ってでもいるかのような、不安げな、切なげな顔の、男女。

「ジー、ク、エリ、ィ?」

 久しぶりの発声に、乾いた喉が引き攣り、舌がもつれる。起こそうとした身体はひどく重く、ほんの少し身動ぎ出来ただけだった。エリザヴェータがそっと手を握った。

「……ずっと面会謝絶でしたのよ。でも、今日は少し体調が良いって聞いて、無理を言って会わせてもらいましたの」

 ジークフリートとエリザヴェータは、自分の方が痛いような顔をした。二人とも、何か言いかけて躊躇し、もう一度口を噤んだ。ジークフリートが、両の手を強く握りしめるのが見えた。

「――もう、聞いたんだな?」

「うん。呪い、だって」

「……今、白騎士団でも調査中だ。こんな怖ろしい真似をした奴を、必ず捕らえてやる。心当たりは――あるか?」

「……あり過ぎて、分から、ない。元々、陛下や、ジークに、よくして、頂いているの、よく思われて、いなかった、し、ユリウス絡みでも、思った以上に、恨まれてた、みたいで」

 ほんの少し話すだけで、息が苦しくなる。エリザヴェータは握ったシグリットの手を撫で、夫を制するように見た。

「わかった。ありがとう。後は私たちに任せて、君はなるべく身体を休める事に専念してくれ。長居してもいけないな。顔を見られただけでも良かった……また、来るよ」

 肌掛けの上に置いた手をそっと撫でて退室した二人を見送った。

 ――後は任せて、だなんて。もうこれ以上迷惑は掛けられない。

 王太子の親友を死なせた。助けられなかった。二月ふたつきも仕事に穴を開けて心配させ、そして今また、こんなことで手を煩わせている。

 少しでも体力を戻したら、ここを出よう。もう、誰の手も煩わすことの無いように。

 


「――退職願を受け取ったが、どうしても留まってはくれないか」

 見舞いに訪れたシュレーゲルに提出した退職願は、彼の一存では受理しかねると、国王セオドアへと手渡された。元より国王直々に請われて仕官した身なればこそだった。見上げるセオドアとシュレーゲル、同席させられたジークフリートの顔は、どこか硬い。

「そんな身体で行かせるなんて出来ない。せめて、呪いが解けるまでは留まるべきだ」

「――でも、今の技術では解呪は難しいと聞きました」

 三人が、は、と息を飲む。

「――誰が、そんな事を、君に」

「どなたかが、そう言っているのを聞きました。いつ症状が出るともわからない状態ではこれ以上仕官する事もかないません。ここに留まっては、必ず皆様の負担になります」

 セオドアは一瞬だけ見せた険しい顔を緩め、子供を宥めるように頭を撫でてくる。

「辛いなら、無理に城仕えに戻らなくても良い。君は、我々の大事な友人の娘だ。我々にとっても娘のようなものなのだよ。一人で何処かに行くなどと、どうかそんな寂しい事を言わないでくれ」

「君さえ良ければ、離宮か静養地を手配するから、そちらで療養して貰ってもいい。どうか、一人で抱え込まないで、もっと頼ってくれないか。友人だろう」

 誰かと同じような事を言うと思った。

 ――友達じゃねぇか。

 ――友人だろう。

 とても優しい、自分には過ぎた友人達だ。でも、だからこそ、怖かった。彼らがではなく、自分自身の心が。ユリウスという大きな拠り所を失って、縋る相手を求めている。このままでは、差し伸べられるままにその手を取ってしまいそうで怖かった。縋りついてしまいそうで怖かった。

「……わかりました。もう少しよく、考えてみます」

 そう答えると、三人はほっとしたように顔を緩めた。

「……あまり、思い詰めないでくれ。今後の事は、これから考えよう」

 長居をしては負担がかかると顔を覗かせた軍医が釘を刺し、促されるようにして三人が退室する。静寂が戻った室内。窓の外に目を向ける。色付いた広葉樹が、はらはらと葉を散らしていた。

 ――本当なら、今頃はユリウスと。花嫁衣裳を身に纏って、祭壇で、ユリウスの手を――。

 じわりと、また胸が痛み出し、あ、と思う間も無く、全身を苛む激痛に意識が塗り潰された。軍医や白騎士が駆け込んで来る足音、口々に何か叫ぶ声。断片的に聞こえる言葉。

「――どうするんです、解呪出来ないんでしょう――」

「――手の施しようの無い者をこれ以上置いておくのも――」

「――だが、陛下の――」

「――いっそ、呪いのせいにして――」

「――馬鹿者! 滅多な事を――」


 ――分かってる。何の役にも立たない、回復の見込みも無い厄介者が、いつまでも居座っていていい場所じゃない。


 体調が少しでも良ければ、なるべく寝台から出るようにした。出される食事も、無理をしてでも食べた。フィーネに頼んで自室の薬湯を持って来て貰い、少しでも体力回復の足しにした。そうしてどうにか歩けるほどまでに身体を回復させた。

 時折見舞いに来る王太子夫妻やフィーネら友人は、治療に前向きになったのだと思っているようだった。本当は、出て行くつもりでいることなど悟らせない。知られれば、この優しい人達はきっと全力で止めるだろうから。だから、曖昧に笑って受け流すだけだ。



 そろそろ、ここを出ても良い頃合いだろうか。そう思い始めたある日の消灯時間を少し過ぎた頃、人目を忍ぶように現れた訪問者があった。三十は過ぎたかどうかという年頃の白騎士の男。時折治療にも参加していたステファンとかいう名の――。

「……少し話があるんだ。いいかい」

 人が良さそうな柔らかな笑みを浮かべるその顔の、しかし、その目に浮かぶのは決して油断出来ない色だ。この時間に訪ねて来るあたり、あまりいい話では無いだろう。

「今の状況を大変憂慮しておられる方々が居てね」

 ステファンは寝台脇の丸椅子に腰を下ろし、足を組む。

「陛下や殿下が君の事に時間を割いておられる事を、大変気に掛けておいでなんだ。聡い君なら、何を言わんとしているかわかるだろう」

「……はい」

 まさに、自分自身気に掛けていた事だったから。要するに、

「このまま私の事にかかずらっていては、御公務に差し障るという事ですね」

「そう、その通りだ。話が早くて助かるよ。陛下は御自身の御友人の娘という思いがあるだろうし、王太子御夫妻も君とは親しい。大変慈悲深くお優しい方々だから、御自分から君を放り出すなんてことはまずないだろう」

 一度言葉を切ったステファンは、にこりと微笑んで続けた。

「でもね、今のままだといずれ必ず君の事が重荷になる。いや、既になっていると言ってもいいね。君の事が気にかかって、王太子妃殿下も御世継ぎどころでは無さそうだし、王女殿下も嫁ぎ先を決めかねている。だから、さる方としては、なるべく早い段階で君から身を引いて貰えれば有難いということなんだ。君には身寄りが無いということだから、君さえ良ければ引き取っても良いとも言っておられる。どうだい、それほど悪い話では無いと思うんだが」

「……その、さる方、というのはどなたかお聞きしても?」

「それは、君が良い返事をしてくれたら教えてあげるよ」

 そう言うと、ステファンは立ち上がり、また来るからね、と言い置いて出て行った。

(――潮時、か)

 既に、医療棟の医師や白騎士の一部からは疎まれ始めているのは感じていた。そして、ステファンの言う「さる方」というのも、あまり好意的では無いのだろう。引き取っても良い、だなんて。亡き者にされるのではないか。今のこの身体が亡き者に出来るようなものなのか、よくは分からないけれども、良い話ではないのは、多分間違いではないように思った。どのみち、陛下に近しい上層部の誰かにも良く思われていないのは確かだ。

 これ以上、このまま留まって良い事は無いだろう。自分にとっても、陛下や殿下や、友人達にとっても。本当はもっと早く、ユリウスがこの世を去った時に――否、もしかしたら、もっと早い時にこうするべきだった。


 ――今夜、ここを、出よう。


 ステファンはそれほど日を置かずに再訪しそうな気がした。次に会った時は、厄介事になりそうだった。あの男と背後に居る誰かは、自分に消えて欲しがっている。

 夜が更けるのを待ち、巡回をやり過ごす。そして、気休め程度だけれど、肌掛けを替えのシーツと枕で人が眠っているかのように細工して。抽斗から、予め書き置いていた手紙の束を取り出し、懐に入れる。

 深呼吸した。薄く薄く魔力を放出する。周囲の気配と、大気に混じる魔素に、己の魔力を馴染ませていく。そっと部屋から滑り出ると、廊下を抜け、裏口を通って医療棟を出る。歩哨が居たけれど、『葉隠』に惑わされて気付かない。大丈夫、術は成功している。

 静かに騎士団本部をすり抜ける時、開け放されたままの明かりの漏れる窓から、ヒューの姿が見えた。残業だろうか。書類仕事に頭を掻き毟っている。

(ヒュー。今までありがとう。ちょっと口の悪い貴方との会話は、なんだか新鮮で楽しかった。どうか、元気で。フィーネと仲良くね)

 なんとなくヒューとフィーネが互いを気に掛けているのには気付いていた。いつかきっと、一緒になるだろう。

 騎士団の敷地を抜け、王城内に出る。流石に警邏の近衛騎士には緊張したけれど、これもなんとかやり過ごせた。

(隠形に向いているかも)

 別離の寂しさを誤魔化すように、そんな冗談じみた事を考えながら、左翼塔に向かう。自宅の近い者は既に帰宅し、今居る者は住み込みの者のみだ。フィーネは後者だ。部屋の前を通る時、物音はしなかった。もう休んでいるらしい。

(フィーネ。仲良くしてくれてありがとう。気後れしていた私に一番最初に声を掛けてくれて嬉しかった。貴女のお蔭で私は魔導師団に馴染めた。貴女も元気でいてね。どうかヒューと、幸せに)

 久しぶりの自室にそっと滑り込む。動きやすい衣装を選んで着替え、外套を羽織る。トランクに少しの着替えと大事にしていた本や書類、使う機会がなく貯めていた蓄えを詰めた。それから、綺麗に片付けたままになっていた机の上に、セオドアやシュレーゲル、キストラー家、そしてジークフリート、エリザヴェータ、フィーネ、ヒューに宛てた手紙を置いた。その傍らに、養父の残した研究資料や書物、そして今まで纏めて来た自らの研究書類を全て置く。残して行けば、きっと誰かが役に立ててくれるだろう。あれだけ世話になっておきながら、これしか残して行くことが出来ないのは歯痒いけれど。

 ……部屋を、出た。万全ではない体調での逃避行は辛いけれど、せめて城を出るまでは気が抜けない。左翼塔を出て、城壁伝いに裏門を目指す。途中、城を振り返った。

(陛下、シュレーゲル様。今まで娘のように可愛がってくださってありがとう。養父ちちのようにお役に立てなくてすみません。ジーク、エリィ。親友だと言ってくれてとても嬉しかった。心細い時に声を掛けてくれて、本当に嬉しかった。今までありがとう。どうか、御壮健で。ジーク、貴方の御世に、幸多からん事を)


 途中、王城の端、厨房への出入り口に荷馬車を見つけた。翌日の食材を運び入れる荷馬車だ。早朝から動き出す者の為に、一部の食材は夜間の内に運ばれて来る。荷馬車に駆け寄り幌の中を覗いた。あらかた荷物は運びだされ、空の樽や木箱が押し込まれている。僅かに逡巡してから、幌に入り込み、空の木箱の陰に身を隠した。勿論葉隠の術は展開したままだ。暫くしてから戻ってきた商人が空箱を幌に押し込み、ややあってから、荷馬車が走り出した。途中、一度荷馬車が止められ、「ご苦労さん」「気を付けて帰れよ」という短い遣り取りが聞こえ、そしてまた走り出した。

 そっと、幌の隙間から外を覗いた。城が、遠ざかる。三年という短い間だったけれども、想い出の沢山詰まった、城が。


 ――ごめんなさい。黙って立ち去る私を許してください。迷惑ばかり掛けてしまった私を許してください。弱い私を許してください。そして、どうか――私の事は忘れてください。



 ――こうして、シグリットは姿を消した。

 自らの想いと、そして、大切な友人達の気持ちを、何もかも、全てを置き去りにして。

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