07 六十二年前
煮沸消毒した容器を風魔法で乾燥させ、調合したばかりの薬を容器に詰めていく。詰め終わった物から内容物を書き記した貼り紙をし、箱に分類しながら放り込む。
「はい、青騎士団の分はこれで終了。次は赤騎士団のだよ」
言いながらも手元の作業は休まない。薬の消費が多く、薬学に明るい魔導士や白騎士まで駆り出されて薬の調合に忙しい。シグリットもその一人だ。使い慣れた左翼塔の自室に薬草類を持ち込んで、調合に勤しむ。
北方騎士団の駐屯する領都ノルデン、そこから馬で半日ほどの場所に広がる広大な黒の森で、先月瘴気濃度の上昇が観測された。定期的に起きる瘴気濃度の上昇とそれに影響されて起きる魔獣の大量発生や暴走を食い止め、討伐・掃討するのは騎士団や魔法師団の役目だ。北方騎士団への増援隊に持たせる為の薬品が、今大量に必要とされていた。その場に治癒魔法の使い手が居なくとも、ある程度の手当てが出来るようにと薬効成分を高め、治癒魔法を素材に定着させて効力を強めた特別製だ。
「新兵訓練でも応急手当は習ってると思うけど、青騎士団でも魔力がある人なら初級の治癒魔法習得を義務付けた方がいいかもしれないね。初級でも血止めが出来れば違うもの」
「確かになー」
シグリットの提案に頷いて見せたのは、青騎士団のヒュー・ハイフェッツだ。ユリウスの同期の青年で、薬品類の受け取りに来ているのだ。
「戦場じゃあどうしたって重症者が優先になるからな。医者や治癒魔法士の手を煩わせなくてもある程度は出来といた方がいいかもな。ひと段落ついたら会議で上げてみるわ」
治癒系に特化した白騎士団と異なり、剣技のみで勝負する青騎士団は治癒魔法の使い手はほとんどいない。そもそも剣技と魔法のどちらも得意とする者は、赤騎士団に入るのが習わしだ。得手不得手があるから仕方無いのだが。
「ユリウスも魔法は不得手だったな」
「そうだね。だから薬を持たせて止血法と創傷ケアを教えてあるよ」
「……教えてあるのにあいつ、あんたんとこ来るのか」
「……。そうだね……」
やはり、騎士達にも知られている。気恥ずかしい。
「他の奴の手当てはしてやってるんだがなぁ。あいつ、自分の手当てだけは何故か誰にもやらせないと思ってたら、まぁそういうことだよな。あんたんとこ来る口実にしてるわけだ」
シグリットは苦笑するしかない。
「まだるっこしいなぁ、あいつも。さっさとモノにしちまえばいいのに。自分の気持ちに自信がねぇんだとさ」
「え?」
ヒューの言葉に目を瞬かせる。どういうことだろう。視線で問うと、ヒューは軟膏を詰めたばかりの容器を弄びつつ言った。
「あんたのことをちゃんと好きなのかどうかって事をさ、延々と悩んでんだよあいつ。あんたと同じであいつも結構微妙な立場でな。散々嫌な思いもしてるから、似たような立場のあんたに気を使ってるんだろうぜ」
「そう……なの?」
「そう……だなぁ……」
ヒューは椅子に腰掛けたまま大きく背伸びをする。と、ノックの音に続いて扉が開き、同僚のフィーネが顔を覗かせた。
「あら、ご機嫌ようヒュー様。お取込み中でしたかしら」
「いや、構わねえよ」
ヒューがひらひらと手を振りながら気さくな調子で返すと、フィーネはほっとした様子で近付いてくる。
「ああ、やっぱりまだかかりそうね。師団長から伝言。調剤が長引くようなら直帰扱いにしてくださるそうよ」
「そう、ありがとう。悪いね、最近こっちの仕事ばかりで」
「仕方ないわ。本当は薬師として来る予定だったのを無理に魔法師団に入ってもらったのですもの……ああ、いけない。これ、ユリウス様から渡してくれって。本当は直接来たかったみたいなのだけれど、お忙しいみたいで」
言いながら手渡されたのは、王都でも有名な菓子店の焼菓子だった。可愛らしい薄紅色に染色された蝋引き紙に包まれた焼菓子から、仄かに果実酒の香りが漂う。
「……あいつマメだなぁ……ここまでしておいてまだ告白できないってのはなぁ……」
「……そうですわね……」
ヒューが遠い目をすると、フィーネも同意して似たような眼差しになる。シグリットは居心地が悪くなって目を泳がせた。とりあえずは一息入れようと、茶器を取り寄せてカップに紅茶を注ぐ。紅茶とともに差し入れの焼菓子を配ると、遠慮なくヒューは紅茶を啜り、焼菓子の包みを破いて噛みついた。一見粗野に見えるその動作はしかし、どことなく優雅で隙が無い。やはりこの人も貴族なのだなとシグリットは思った。
それはそうと。
「ええと……私と、ユリウスの事は、皆知っているの?」
先ほどから気になっていた疑問を口にすると、二人同時に頷いた。
「どう見ても想い合っているのに、まだお互いに気持ちを伝え合ってない事も、皆知っているわよ」
「本当に、じれったいのなんのってな!」
「うわぁぁ……」
どうやら城内に噂話を提供してしまっていたらしい。気恥ずかし過ぎて両手に顔を埋めてしまった。
「あんたら本当に似た者同士なんだよな。あいつは伯爵家の出とは言え、さして有力とは言えない田舎貴族の三男坊だ。そんなぱっとしない身分で王太子殿下と親しくなっちまったんで、これがまずやっかみの元になった。別にあいつが意図して殿下に近付いたわけじゃねぇ、下心なんぞ欠片もない、あいつの公平で真っ直ぐな人柄に殿下が惚れ込んだのが始まりなのさ。ただ、そうは思わない奴も多かった。次期国王に取り入りたい奴らにとって、田舎貴族の冷や飯食いになんぞにその未来の側近候補の座を取られたのは相当気に入らなかったんだろう。士官学校時代は結構嫌がらせも多かったんだ」
昔を思い出すように語るヒューは、ユリウスの良き友人の一人だ。きっと間近でそれを見た事もあったのだろう。
「あの歳で次期副団長の話も出てるユリウスを剣技の天才なんて言う奴も多いがな、実際は努力によるところが大きいんだよ。殿下の隣に堂々と並べるように、血を吐くような努力を重ねて来たんだ。だからこそ、今のあいつがある。今は表立ってあいつを悪く言うような奴はいない。だが、代わりに今度は――」
ヒューは喉を湿らすように紅茶を啜り、それから言葉を続けた。
「あいつに言い寄る女が増えた。王太子の覚えもめでたい美貌の出世頭とくれば、当然女どもも放っておかない。最初は揶揄の対象だった伯爵家の三男坊って肩書が、今度は言い寄るには手頃な条件になっちまったのさ。貴族の御令嬢でなくてもちょっと手を伸ばせば自分でも手が届きそうだってな。そんな下心満載で言い寄られるうちに、色目を使うような女にはすっかり嫌気がさしちまったのさ」
な、あんたと似てるだろ。
そう締めくくられて、シグリットは頷くしかなかった。確かに、ユリウスと親しくなる前は、田舎育ちの下級貴族ならば御し易いとでも思ったのだろうか、王家や公爵家と繋がる自分に近寄る男は少なくなかった。辟易していたところへ声を掛けて来たユリウスですら、初めはこの男もかと思ったほどなのだから。
「だから、あんたへの気持ちが本物なのかどうか、他の男どもと同じ類のものなんじゃねぇかって心配してんだよ、あいつは」
「……そんなこと、」
「ああ、わかってるよ。あいつの気持ちは本物だろうよ。要は踏み込む度胸がねぇってことさ。ただまぁ、モノにしたも同然の今の状況に甘んじてるってのはいただけねぇわな」
「まったくですわ」
「――と、いうわけだから、な。ユリウス。男ならさっさとけじめ付けろや」
誰も居ないはずの場所に向かって呼びかるヒューに疑問を差し挟む余地もなく、いつの間にか僅かに隙間を作っていた扉の向こうで、誰かが息を飲む気配があった。それから微かな衣擦れの音。
ヒューとフィーネは人の悪い笑みを浮かべながら立ち上がる。
「茶ぁご馳走様。残りの薬はユリウスに持って来させろよ」
「あとは二人で上手くやってくださいましね」
ひらひらと手を振りながら部屋を出て行く二人は、扉の向こうで立ち竦んでいたユリウスを突き飛ばすように部屋に放り込んで立ち去って行った。
沈黙が部屋を支配する。
「やっぱり君の顔が見たくて来てしまったんだが……」
蒼と黒の瞳が絡み合った。
「――俺が不甲斐ないばかりに、御膳立てされてしまったな」
苦笑いしながら体を引き寄せられる。逞しい左腕に腰を抱き込まれ、右手で頬を撫でられる。たったそれだけで、ぞくりと背中が震えた。
(ああ、やっぱり私はこの人が好き)
「シグリット」
熱く掠れた声。額に落とされる唇。掠めるような口付けが目元に、頬に、口元に、徐々に下り、唇を捕らえる寸前。
「シグリット。君を妻に迎え入れたい。受けて――くれるな?」
散々焦らしておいた挙句、告げられた言葉はひどく簡潔で断ることなど許さない調子なのだから、シグリットは笑いたくなった。否、笑おうとして、失敗した。顔は泣き笑いの形に歪められ、口からはしゃくり上げるような吐息が漏れる。
「シグリット。もう君は俺のものだ。誰にも渡さない。シグリット。愛してる」
「わ、私も、」
返事をする間も無く唇が塞がれる。今までのような触れるだけの、挨拶のような口付けではない、貪るように濃厚なそれは、シグリットの吐息を奪っていく。唇を食み、舌を差し入れ絡め、口内を全て舐めとるかのように蠢かして蹂躙した。
すっかり口腔内を明け渡して膝から崩れ落ちそうになる身体を、ユリウスは嬉しそうにくつくつと笑いながら支える。
「もっと早くにこうしていれば良かった。俺の忠誠はジークに捧げるが、身と心は全て君に捧げよう。シグリット、愛している。どうか、これから先の人生は、俺と共に生きて欲しい」
今度こそシグリットは笑った。ユリウスへの溢れる愛しさを隠しもしない、綺麗な笑みで、彼を見上げた。
「はい――はい。ユリウス、貴方の隣に生涯寄り添う事を誓います」
腰に回された腕に力が籠り、右手が項に添えられる。再び落とされる口付けは、蕩けるように甘く、深く、執拗だった。
――生涯を、共に。その誓いが決して果たされることは無い事を、この時はまだ、知らない。
◆◆◆
「――大丈夫、なのか?」
エルドリートは不安げにシグリットの手を摩る。くたりと長椅子に身体を預けたままの彼女の脈を取り、呼吸を見るとアルベールはマティアスに目配せした。
「脈も呼吸も安定している。今のところ問題は無さそうだよ。続けるかい?」
「そうだな。問題があるとすれば多分これからだ。慎重に進めよう」
君たちもよろしく頼むよ、そうエルドリートとカルラに念を押して、二人は元の位置に戻った。
――問題があるとすれば、これから。
アルベールの言葉を脳内で反芻し、エルドリートはシグリットの手を強く握り締めた。その握り締めた手が、過去に囚われたままの彼女と、現在を生きる自分との縁であるかのように、強く。




