06 六十三年前
「……貴方、私にはもっと身体を大事にしろと言った癖に、自分ではあまり大事にしないんだね」
「っいっ……っつ……」
やや乱暴に傷口に薬を塗り込むと、ユリウスは小さな悲鳴を上げた。治癒魔法は掛けない。多少の擦過傷や打撲くらいならば、自然治癒に任せてしまった方が身体の為にも良い。あまり魔法に頼ると、身体が持つ本来の自然治癒能力が衰えてしまうからだ。
「何故怪我をしたのにすぐ医療棟に行かないの。私に治療させるくらいなら、白騎士にでも頼んだ方が早いだろうに」
魔法を掛けるまでも無いとは言え、強く殴打されて赤黒く変色した傷口はひどく痛々しい。解毒魔法だけは掛けて化膿を防ぎ、軟膏を塗り重ねてから包帯を巻いた。手当をした腕をさすりながらユリウスはほっと安堵の溜息を吐いた。やはり痛んでいたのだ。
部下達の打ち合いを見ている最中、ある年若い騎士同士の喧嘩が勃発した。真面目にやらないだとか手抜きをしただとか、とにかく些細な理由だった。ちょっとした小競り合いがやがて訓練用の模造剣とは言え抜刀しての騒ぎとなり、咄嗟に身体を割り込ませて止めたのだという。上官の身体を張っての仲裁に喧嘩はすぐ鎮静化したが、その仲裁した本人はと言えば、左腕に強烈な打撲痕を作ってしまった。部下の手前、表面的には何でもないと言い繕ってその場をやり過ごしたのだという。
「……君に手当てしてほしかったんだ」
ぽつりと言ったユリウスは、どこか嬉しそうに包帯を巻かれた腕を撫でる。
「君に手当てして貰うと、心まで温まる」
どきり、と心臓が跳ねた。
相変わらずユリウスは明確に心の内を言葉にしない。けれど、こうして時々意味深な事を言うのだ。シグリットは何かを言うべきか逡巡し、結局言葉を見つけられずに小さく溜息を吐いた。
「……これ、持って行って」
棚から作ったばかりの軟膏を二つ取り出して、ユリウスに手渡した。それを受け取ると、彼は不思議そうな顔で掌で弄ぶ。
「これは?」
「傷薬と打ち身用の軟膏。仕事柄怪我が絶えないのでしょう。心配だから、持っていて。どちらも貴方が好きな香りを付けてあるから、貴方専用だよ。常備していれば、直ぐに塗れるだろうから」
ユリウスは目を丸くし、次の瞬間にぱっと弾けるような笑顔になった。
「特別製というわけか。ありがとう、大事に使うよ」
にこにこと嬉しそうに手元の軟膏を眺めるユリウスは、あ、と思い付いたように短く言った。
「でも、これだと、君に手当てしてもらう理由が無くなってしまうな」
「――困った人だな」
本当に、困った人。
口説き文句ばかりの癖に、いっこうに一番欲しい言葉をくれないのだから。
視線が絡む。そっと手を引かれ、身体を引き寄せられた。無骨な手が、シグリットの頬を撫でる。撫でた指先が、そのまま下に滑り、唇に触れた。
そして。
静かに唇が重ねられる。触れるだけの、口付け。言葉はくれない。なのに、こうして時々口付けをくれるのはどうしてなのだろう。
(――ねぇ、勘違いしていいの)
「え? まだ交際していない!?」
休前日の夜に捕まってしまい、何故か王太子夫妻に招かれて差し向いで飲む羽目になってしまったシグリットは、異口同音に叫ばれて目を丸くした。
「……いや、まだも何も、彼とは良い友人、で……」
ぼそぼそと呟くと、ジークフリートは片眉を器用に上げて見せ、王太子妃エリザヴェータは柳眉を吊り上げた。
「呆れた。わたくし、とっくにお付き合いしているものだと思っていたわ。婚儀はいつか聞き出すつもりが、なんてことかしら!」
「全くだ。あれから一年以上だぞ? あいつ、一体どういうつもりなんだ」
「……」
そう言われても。シグリットは眉尻を下げた。本当はユリウスもこの場に呼ばれる予定だったらしいのだが、生憎どうしても立て込んでいる仕事で外せないとかで欠席となった。しかし、こういった展開の話になるのなら、居なくて正解だったかもしれない。
「夜会でもパートナーを務めているのでしょう? それで、まだ一言も何も言われていないなんて!」
「いや、それも、他の女性に言い寄られるのが嫌だから、って」
「硬派で鳴らしているのだと思っていたが、これはあれだな、ただ単に女性の扱いを知らないだけだったわけだ……ん? いや待て」
片手で顔を覆い大袈裟に溜息を吐いた後、はっと何か思い出した様子でジークフリートはシグリットの顔を覗き込んだ。
「……キスは済ませたと、聞いたが」
「えっ……」
シグリットは瞬きをした。
「した、けど」
「その、唇に、だよな?」
「え、ああ、うん」
「……交際もしていないのにか?」
「……お、王都では仲の良い友達同士でもするって……」
みしみしっ。不穏な音がしてそちらに視線を向けると、エリザヴェータが扇子を圧し折ったところだった。あれは握っただけで折れるようなものだっただろうか……。
がたん、と椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がったのはジークフリートだ。
「済まないが、少し急用を思い出した。直ぐ戻る。待っててくれ」
返事をする間もなく慌ただしく部屋を出て行くジークフリートを呆気にとられながら見送る。閉じられた扉の向こうで駆け出す足音と、「ユリウス貴様あああああああ!!!!」という怒声が遠ざかっていく。
「……」
「……」
気まずい沈黙が下りた。
「……いくら田舎者の私でも、友達同士でするなんてことは信じていないよ」
「でも、そう言われたのでしょう」
「……うん。照れ隠しなのはわかるんだけど」
どうしていいか、わからない。ユリウスに限って確保しているだけ、なんてことは無いだろうけれど。自分から想いを告げてみてもいいのではないの、とエリザヴェータは言った。でも、もし親愛の情でしかなかったら。今の関係が崩れてしまうのは怖かった。
じれったい恋を、いつまで続ければいいのだろう。少し、苦しかった。




