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騎士様の初恋は御伽噺の呪われし魔女  作者: 文庫 妖
第二章 過去への旅路

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05 六十四年前

「――シグリット・オルファレイス殿?」


 あまり馴染みの無い若い男の声に名を呼ばれ、シグリットは内心またかと思いながら振り返った。

 養父であったオルファレイス子爵が逝去し、彼の古馴染みであるシュレーゲル公爵の手引きで城に仕官して半年。物珍しいのか、こうして城仕えの若い男達に声を掛けられることが多い。だがシグリットは、王都に数多存在する麗しい御令嬢方と違い、田舎育ちで垢抜けない自分の地味な見目を正しく理解していた。自らに惹かれて寄って来る訳ではないのだ。物珍しさで興味半分に近寄って来る者も居るには居たが、彼女に声を掛ける者の大半は、シグリットの稀有な人脈を期待している。現国王の幼少時よりの友人であった元筆頭王宮薬師オルファレイスの養女であるその立ち位置から、仕官半年にして既に国王夫妻や王太子ジークフリート、そしてやはり養父の幼馴染であるシュレーゲル公爵とも懇意にしている。自分ではなく、オルファレイス子爵の人柄が好かれていたのだとシグリットは理解している。そして、彼の唯一の弟子という立場を欲されているのだということも。だからこそ、そのお零れで自分はこの立ち位置が有るのだ。シグリット個人を求められているのではない。それを勘違いしてはいけないと、彼女は常日頃から自らを戒めている。実際嫌味を多分に含んだ忠告をしてくる同僚や御令嬢も少なからず居た。

 振り返ったシグリットは、数歩離れた位置に佇む群青の騎士服姿の青年を見た。王城と、魔導師団や薬師の詰める左翼塔を繋ぐ渡り廊下。鐘が終業を告げ、黄昏時の差し込む夕陽が自分と彼とに色濃い影を落としている。青年の夕陽に染まった亜麻色の髪が、ふわりと微風で揺れた。


(――ジークフリート殿下とよく一緒にいらっしゃる方だ)


 見目麗しい王太子殿下の幼馴染にして、若くして次期副団長候補としても名高い騎士団の英雄。自分と同じ、まだ二十歳を幾らか過ぎた年頃ではあったが、国境の小競り合いや魔獣討伐で既に幾つもの武勲を立てていると聞いた。それに加えて伯爵家の出、凛々しい眉に切れ長の瞳、きりりと引き締めた口元の端正な顔立ちとくれば、城勤めの若い娘達や御令嬢方の関心も集まろうというものである。その若き英雄の精悍で凛々しい顔は、今はどこか照れのような色を滲ませた、不器用な笑みを浮かべていた。


「私に何か御用でしょうか、騎士様?」


 柔らかい口調だが相手に媚びる色が欠片も無い言葉に、青年は少し驚いたようだった。それから、聞いていた通りだと呟いたが、意味の分からないシグリットは首を傾げるばかりだ。


「いや、偶々姿をお見掛けして、今日は部下が世話になったから礼をと」

「――恐縮です。お役に立てて光栄です」


 一瞬何の事だったかと考え、直ぐに思い至って返答する。

 今日は騎士団の対抗試合だった。王都に駐屯する騎士団員全てが参加するこの対抗試合は御前試合ということもあって、騎士達の気合の入りようは平時の訓練の比ではない。刃先を丸めた練習用の模造剣を使用するとは言え、本気で打ち合うのだから、打撲傷や擦過傷等の負傷者は多い。しかし、今日は気合の入り過ぎた新人騎士がやらかした。力加減を間違えたのか、模造剣が傷んでいたのか、あるいはそのどちらもか。打ち合う最中に剣が折れ、勢いを殺しきれずに折れて鋭くなった切っ先で対戦相手であったユリウスの部下の利き腕を抉ったのだった。騎士の悲鳴と飛び散る鮮血で試合は中断、場内は騒然となったが、担ぎ込んだ場外の医療テントで対応したのがシグリットだったのだ。

 痛みで呻く騎士を優しく宥め、患部を素早く的確に治療していく。雑菌の感染を防ぐ解毒魔法を掛け、治癒魔法で傷を塞ぐ。それから滋養のある薬湯粉を手渡し、負傷によって失った血液と体力が戻るまでは安静にするようにと助言した。優しい気遣いとその無駄のない動きの一部始終を見ていた彼は、感銘を受けたのだと言った。

 シグリットは目を丸くするしかなかった。当然の医療行為を行っただけだったのだから。


「君、いつも大人しく慎ましくしてあまり目立たないようにしているだろう。だが、今日の君は凛としていて美しかった。普段の慎ましいところも好ましいが、あの凛とした姿もまた君を形作る要素の一つなのだろう。特殊な立場で色々言う者も多いだろうが、俺は君を応援している。どうか、負けずに頑張ってくれ」


 言われた言葉の意味が頭に浸透していくにつれて、シグリットは顔を赤くした。聞きようによっては大層な口説き文句だ。


(この人は、私を私として見てくれている)


 子爵家の養女と言えど、田舎暮らしで年老いた使用人夫婦だけで事足りるような小さな屋敷での生活に慣れきった自分にとって、様々な思惑の渦巻く王城での暮らしは中々馴染める物ではなかった。元筆頭王宮薬師の養女にして唯一の弟子、国王と公爵の幼馴染の養い子。この半年の間、シグリットは常にそんな目で見られてきた。シグリットをシグリットとして見てくれる者など、それこそ公爵や国王夫妻、そして王太子夫妻を除けば片手の指でも足りる程しか居ない。だから彼女は純粋にそれが嬉しいと思った。


「……ああ失礼、名乗りが遅れた。俺はユリウス・キストラー。青騎士団第二分隊長を務めている。これからもよろしく頼むよ」


 右手が、差し出された。帯剣は左側。ならばこれは利き腕だ。

 信用、されているのだろうか。

 おずおずとこちらも右手を差し出すと、その手がぐっと握り締められる。


「……こちらこそ、よろしくお願いいたします。ユリウス様」


 互いの僅かに朱の差した顔は、夕陽の色ゆえか。

 ユリウスが顔を綻ばせた。年相応の、屈託の無い笑顔だ。


(――笑うと、結構可愛い)


 シグリットも笑った。

 そしてこれが、後に言い交す事になる二人の、出逢った瞬間であった。





 それから、何かにつけてユリウスに話しかけられることが増えた。相変わらずシグリットは立場を弁えて自分から接触することは滅多にしなかったが、ユリウスはと言えば、こちらの姿を見かければ遠慮無く声を掛けて来るのだ。


「やぁ、これから昼休憩なのか? 仕事熱心なのも結構だが、君はもう少し身体に気を付けるべきだ」


 提出期限の迫った書類を溜め込んでいた同僚を手伝い、休憩時間がすっかりずれ込んでしまった。昼休憩どころか、既に午後の短休憩の時間が近い。


「俺もこれから一息つくところだ。良ければ一緒に行こう」


 良ければも何も、既に決定事項になっているらしく、当たり前のように隣に並んで歩きだすのだから始末に負えない。二人並んで歩くと視線が突き刺さる。どうかすると、


「あれっ分隊長、終業前に逢引きとかやめてくださいよ」


などという騎士達の揶揄が飛んでくるのだから、どうにも居心地が悪い。

 城内の食堂に入ると、午後の短い休憩を過ごすつもりらしい者達の姿が疎らに見えた。空腹が過ぎて逆に食欲が失せてしまったシグリットは、林檎果汁と切り分けたオレンジの皿を受け取って席に着く。ユリウスは当然のようにその隣に腰を下ろすと、サンドウィッチを摘まみつつ珈琲を啜った。


「シグリット」


 オレンジの皮を剥いていたシグリットが呼ばれて顔を上げると、その口に千切ったサンドウィッチが押し込まれてぎょっとした。


「むぐっ!?」

「さっきも言ったが、君はもっと身体を大事にするべきだ。この間からそんな食事ばっかりじゃないか。ほら、もっと食べて」


 とりあえず放り込まれた物を咀嚼して飲み下すと、次の欠片が口元に運ばれる。


「ユリウス……」


 物問いたげな視線を投げるが、ユリウスはどこ吹く風でサンドウィッチを口元に運んでくる。どうも最近こういう妙な行動が多い。敬称にしたっていつの間にやら外れ、それどころか他人行儀は嫌だとこちらの呼び方まで変えられてしまった。そして周囲への牽制ともとれる親密さの顕示。

 シグリットでさえも、さすがに思わずにはいられなかった。


(これはひょっとしなくても、好意を持たれているのだろうか……)


 恵まれた容姿と立場に居ながら未だ独り身で浮いた話も無い青年。硬派だと思っていたが、案外軟派なのかもしれない。それとなくジークフリートに聞いてみたが、どういう訳か満面の笑みで「あいつに限ってそれはないよ。安心してお勧めできる優良物件だ」などと不動産の売買でもするような調子で言われてしまった。王太子がそう言うのならばそうなのだろうが、やや困惑する。王都の娘達とは毛色が違うという自覚はあるから、物珍しくて構っているだけなのではないかという思いが正直捨てきれない。


「貴女は自覚が無いみたいだけど、真っ当な教育と躾を受けた殿方から見れば、十分に好ましい女性なのよ。容色と殿方に取り入る手練手管ばかり磨くのにご執心な御令嬢方に比べれば、遥かに良い女だわ。子爵家の養女という微妙な身分を差し引いてもね」


 同僚のフィーネ嬢に呆れた顔で言われれば、そういうものかと思ったが、正直なところよく分からなかった。親密に接してくれてはいても、未だに明確な言葉で示された事はなかったからだ。だから、想いを告げられるまでは、やはり自制は必要なのだろうと思った。――自らの内に兆した恋心に、蓋を。

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