01 青騎士と王太子の願い
針葉樹の緑豊かな森を背景にした壮麗な白亜の宮殿。それに隣接する区画を占有する中央騎士団本部は、質実剛健を体現したかのような鈍色の石造りの堅牢な司令部本館を中心として、鍛錬場、厩舎、兵舎、そして白騎士の詰める白騎士隊執務棟及び医療棟が配置されている。
医療棟は騎士達の医療施設としてだけでなく、犯罪被害者の保護施設、そして王侯貴族の入院施設としての側面もあった。国内の医療技術の粋を集めているほか、騎士団の管理下にあるとあって警備面でも優れているからだ。そして、余計な視線を排除することも出来る。シグリットには最適の環境だ。
エルドリート率いる特命騎士隊の馬車はその入り口に横付けされた。待機していた白騎士らに馬を預けると、一人の騎士が近づいてくる。
「王太子殿下から伝言です。こちらから出向くので病室で待機しているように、とのことです」
「わかった。ありがとう」
シグリットを預け次第、一旦執務室まで報告に行かねばならないと考えていたため、内心有難く思った。馬車に歩み寄り、カルラに支えられながら降りるシグリットに手を貸す。地面に足を付けた途端にその身体が揺らいで、慌てて抱き止めた。
「やっぱり病み上がりにはきつかったか」
「ありがとう。大丈夫。馬車の揺れで慣れてしまってたから、少し感覚がおかしくなってただけ」
シグリットは心配ないと言ったが、その声は力無く、足元もやや覚束ない。
「ちょっと掴まってろ」
「え?」
彼女の背中と膝裏に手を添え抱き上げると、短い悲鳴があがった。
「ちょ、ちょっと、恥ずかしいじゃないか! 降ろして、一人で歩けるから!」
「病人が細けぇこと気にすんな。大人しく甘えとけ」
「重いから降ろして!」
「いやむしろ軽過ぎだよ。もっと肉付けろお前」
この二ヶ月でシグリットのあしらい方をすっかり覚えてしまったエルドリートは、彼女の抗議をあっさりと却下した。アルベールらの生温い視線も多少慣れた。白騎士の誘導で病室に向かう。
「……あ」
シグリットが小さく声を上げた。
「どうした?」
「なんだか少し身体が楽になった」
「建物の土台に巨大な退魔陣を敷いた上に、建材にも強力な魔除けの符を大量に仕込んであるんだ。中級程度までの呪いなら、弱体化できるようになってるんだよ。ちょっとでも楽になったんなら、効果も証明された訳だ」
この建物自体が結界の役割を果たしているのだと、アルベールが何処か自慢げに言う。シグリットは感嘆の声を上げた。エルドリートの腕の中で、興味深げに視線を巡らす。
「知らない内に技術も進歩したんだね。医療棟も前はこんなに立派じゃなかった」
「先帝陛下の御世に入って、呪術や解呪の研究も含めて医療方面は大分発展したからね。ここだけでもかなりの治療が期待出来るんだよ」
大切な友人を助けられなかったという想いが先代国王ジークフリートの内にあったのだろう。だからこそ、次は必ず助けられるよう医療技術の発展に力を尽くしたに違いないのだ。この設備は言わば、シグリットの為にあると言っても過言では無いのだろうとエルドリートは思った。それを言ってしまえば、シグリットは恐縮してしまうだろうから、口にはしなかったのだが。
「……立派なもんだな」
上階に上がると、比較的簡素だった内装が洗練された上品なものに変わった。思わず呟くと、カルラとトマスも感嘆の声を上げる。決して贅沢では無いが、僅かに黄味がかった温かみのある白を基調とした壁紙に質の良い調度類、深い色合いの絨毯が、王太子の執務室を思わせる。きっと先代の趣味なのだろう。
「貴人や要人専用のフロアでね。殿下の指示で、ここの病室を使ってもらう事になってる……ああ、ここだ」
やや奥まった場所に位置する一角。重厚な扉を開けるとやはり、品の良い内装の部屋が現れる。まるで貴族の私室のようだ。
「こういう立派な部屋だと多分シグリット殿は恐縮するだろうが、一応王家のお客人という扱いになる。警備上の問題で、この部屋が最適なんだ。まぁ、エルドの台詞じゃないが、病人なんだから甘えとけ」
マティアスがお道化た調子で言う。エルドリートは寝台に腰掛けるような形でシグリットを降ろしてやると、ありがとう、と呟いてから、やはり居心地悪そうに眉尻を下げた。
「部屋の説明だけど……基本、診療と呪術祓いはこの部屋で行うから、特に問題無ければずっとこの部屋で過ごしてもらって構わない。続き部屋は二部屋あるが、一部屋はカルラに使ってもらおうか。もう一部屋はトマスと私達の控室になる。何かあればすぐ駆け付けるよ。……まぁ、後の具体的な説明は、殿下がいらしてからかな」
アルベールの説明を聞き終えるかどうかというところで、近付いてくる複数の足音が廊下に響いた。次いで、扉を叩く音。誰何すると、「殿下がお見えです」という聞き覚えのある護衛騎士の声が聞こえた。シグリットと南方騎士団の二人が緊張する気配があった。扉を開く。二ヶ月ぶりに会う親友が静かに入って来た。騎士らは敬礼し、シグリットは跪いた。
「ああ、そう畏まらずにどうか楽にして頂けませんか」
ベルトルドの声に、シグリットが身体を強張らせた。様子がおかしいと気づいたのは、顔を上げたシグリットがベルトルドを凝視したまま動かなくなった時だ。彼女の顔がくしゃりと歪んだ。双眸からぼろぼろと涙を落とし、驚いたカルラが気遣うようにその肩を抱く。
「……ジーク」
震える唇が紡いだのは、先代国王の名だ。
「……ごめんなさい……ジーク、ごめんなさい……」
顔を覆い、子供のような嗚咽を漏らし始めたシグリットにエルドリートを含む騎士らは狼狽するばかりだったが、ベルトルドは彼女の側に膝を付くと、そっとその肩に手を置いた。
「――僕は祖父の若い頃に瓜二つだと言われていますが、そんなによく似ていますか」
シグリットははっとすると、涙を拭い、居住まいを正した。
「申し訳ございません。大変お見苦しい所をお見せいたしました――とても、よく似ておられます。お顔も、お声も、話し方まで」
取り乱してしまい申し訳ありません、そう呟いて小さくなったシグリットの手を引いて立たせると、ベルトルドは恭しい動作で寝台まで導き、労わるように座らせた。
「お初にお目にかかります。リーズカンド国王が一子、ベルトルド・ファナ・リーズと申します。先帝陛下のご友人とこのようにお会いする機会を頂けた事、光栄に思います。このたびは我々の申し出を受け入れて頂きありがとうございます。全力を以て貴女の治療に当たらせて頂く所存です」
「私ごときに勿体ないお言葉――こちらこそ、どうか、よろしくお願いいたします」
「良かった」
堅苦しい挨拶を済ませると、途端にベルトルドは砕けた調子になる。畏まったのは好まないのだ、と彼は言って笑った。
「あまり身体の負担になるといけないから、手短に説明させて頂くよ。魔導師団からも応援は呼ぶけれど、主立った診療はアルベールとマティアスが中心になる。慣れた相手の方が良いだろうから」
シグリットは涙の残る目を細めて、彼を見つめた。在りし日の友人を思い出してでもいるのだろうか。
「カルラ殿とトマス殿は研修も兼ねて補助に入ってもらいたい。なるべくシグリット殿の心理的な負担を減らす為に、少数精鋭で行きたいと思っている。長旅の疲れもあるだろうから、シグリット殿だけでなく、貴君らも今日明日はしっかり身体を休めてもらいたい。本格的な治療は明後日からにしようか。それと――」
ベルトルドは一旦言葉を切ると、エルドリートに視線をやった。
「長期間部隊から離れる事になって済まないが、エルド、君には引き続きシグリット殿の護衛を頼みたい。頼まれてくれるね?」
「――了解しました」
なんとなく心に重しが乗ったような感覚がふっと楽になる。護送完了すればそれで終わりか、とやや意気消沈していただけに、内心嬉しく思ってしまった自分の単純さにほとほと呆れているところへ、ベルトルドから再び声が掛かる。
「エルド、君には少し話がある。シグリット殿、どうかゆるりとお寛ぎください。君達も今日はもう楽にしていいよ。部屋には別に護衛騎士をつけるから」
エルドリートはベルトルドに促されて部屋を出た。部屋の両脇に顔見知りの護衛騎士が立ち、視線が合うと気安い目礼が返ってきた。彼らの視界から外れない程度の距離を取って離れ、ベルトルドはエルドリートに向き合った。
「……ご苦労だったね、エルド。よくやってくれた」
飾らない言葉で労われて、エルドリートは肩の力を抜いた。ベルトルドから時折任務と称して「頼み事」――勿論公務やそれに関する仕事なのだが――をされることはあったのだが、今回のような特殊性のあると言えば余りあるほどにあり過ぎるものは初めてだった。だからか、やはり緊張していたのかもしれない。
「もしかしたら来て貰うのは難しいかもしれないと思っていたんだ。なにしろ六十年逃げ続けたわけだからね」
「……精神的には限界だったのかもしれねぇな。表面的にはなんでも無さそうに振る舞ってたが、俺達が訪ねて行くたびに、友達が来てくれるのは嬉しいって、本当に嬉しそうに――」
花も綻ぶような笑顔で、ありがとう、と。どれだけ嬉しそうな表情を浮かべていたのか、彼女自身は気付いていただろうか。心から望んで孤独な生活をしていたわけではないのだ。ただ、呪いの苦痛から少しでも逃れるためだけのものだったのだろう。
「……だから、早く楽にしてやりたい。あいつには日の当たる場所で、笑っていてもらいてぇよ」
「エルド、お前――」
探るようでもあり愉快そうでもある不思議な表情で、ベルトルドが顔を覗き込んでくる。
「本当に、惚れたのか?」
「……正直言うと、よくわからん。保護対象に感情移入してるだけかもしれねぇ」
正直に自らの想いを吐露する。任務中に知り合った保護対象に同情した挙句に恋情を抱いた騎士の話など、騎士団では珍しくもない事だ。
「……その点については、最初にけしかけたのは僕なんだが」
「まぁ、でも、支えになりたいと思ってんのは本当だ」
「……そうか」
ベルトルドの唇が緩い弧を描いた。安堵を浮かべた笑みだ。
「でも、本当に良かった。今逃したら、もう二度と彼女を救う機会は無いと思った。僕も父上も、当事者から話を聞かされて育ったからあれは現実の物語だと認識出来る。だが、祖父を知らない次代からはそれも難しくなるだろう。きっと単なる昔話としか認識できなくなるだろう。僕の代ですら既に懐疑的に見ている特命騎士も少なくなかった。単なる慣習として任務を引き継いでいくだけのものになってしまったら、もう彼女を見つける事は叶わなかっただろう」
蒼い双眸がエルドリートを見据える。
「だから、お前達に頼んで本当に良かったと思ってるよ。良い関係を築けているようだ。お前たちのお蔭で、彼女を外に連れ出すことが出来た。彼女には寄り添える人間が必要なんだ。どうか、支えてやってくれ」
強く、肩を掴まれた。その手を握り返す。
「……ああ。任せとけ」
エルドリートは強く頷いた。




