九話 お宅訪問、そして
「そういえば、お前の家って遠いの?」
夏休みの中間登校日。いつものように歩いていると、ふと観月が口にした。
「前にも言ったけど、自転車で二十分くらいかな。もしよければ遊びに来る?」
そんな軽い話から、観月はその週の休日に誉志家に行くことになった。
待ち合わせ当日、いつもの十字路に着くと、観月が自転車にまたがりながら待っていた。
「お待たせ」
「おう」
「てか観月、自転車直ったんだね」
「は?」
「だって一度も自転車で登校してないじゃん」
佳澄の言葉に、観月は一瞬閉口した。
「運動がてら歩いてた。今回はチャリで二十分を歩くのはキツいだろ」
「ああなるほどね。とりあえず暑いから行こうか」
「ん」
誉志家は町中から少し離れた場所にある。
長い塀に備え付けられた木製の門扉をくぐると、青々とした草花が咲く庭に離れのような小さな家。そして二階建ての大きな家屋が建っている。
まさに画面の中の世界でしか見ない光景に呆けつつ佳澄についていくと、清潔感のある玄関が出迎えた。
「ただ今帰りました」
「お、おじゃまします」
「はーい」
奥から着物姿の雪子が出てくる。
「いらっしゃい。佳澄の母です」
「あ、ど、どうも、山里観月です。あのこれ、かぁ……母からです」
「あら、ご丁寧にどうも」
お菓子を受け取り目を細めて笑う雪子に戸惑っていると、佳澄が率先して上がっていく。
「玄関でアレコレするのもなんだし、上がりなよ。俺の部屋でいい?」
「おう」
誉志家は広い。
観月は先刻の道中で改めて家で茶道の稽古をしていると聞いていたため、和風の家だろうと想像できたが、それだけでは済まないほどの『金持ちの家』という言葉がぴたりと合う。
庭は綺麗に清掃されていて、ふと横眼に見た居間は広く、掛け軸や一輪挿しが置いてあった。
「……」
どこか居心地悪く二階に進むと洗面があり、そのすぐ近くが佳澄の部屋だった。
「部屋で待ってて」
「は? どこ行くんだよ」
「お茶取りに行ってくる」
さっと出ていく佳澄を追って、観月は部屋の中から顔をのぞかせる。
すると、佳澄はすぐそばの部屋の前で立ち止まった。
膝をつくと、うやうやしく襖を開いて床に手を付き、深々と頭を下げた。
そのまま中に入り、しばらくして部屋から出て、また先程と同じように頭を下げて襖を閉じた。
目を閉じて一息つくと、そのまま階下へ降りていく佳澄の背を見送りつつ、足音を忍ばせて件の部屋へ向かう。
先ほど佳澄が入った部屋の襖は山や川の描かれた、至って普通のものだ。
しかし、何とも言えないヒリついたような雰囲気を覚える。
「すんません」
小さく詫びを入れると、慎重に襖を薄く開き、中を覗き込む。窓から差し込む明かりで、部屋の中はよく見えた。
広い部屋の中にはタンスや化粧台などが置かれており、女性の部屋らしいことが伺えた。
そんな部屋に一つだけ目を引くものがある。仏壇だ。
生花の活けられた花瓶の横に二枚の遺影と二つの位牌。一人は柔和な笑みを浮かべた老人、もう一人は神経質そうな凛とした老婆。
老婆のほうは雰囲気が佳澄によく似ており、佳澄の祖母だろうということがよくわかる。
先ほど佳澄が中に入って何をしていたのかが理解できた反面、観月は何とも言えぬ感覚に眉を寄せた。
その時、階段を上がる音が聞こえ、急いで部屋へ戻る。
「お待たせ」
「おー、悪いな」
お茶と菓子鉢をテーブルに置いていく佳澄の目を見て、観月は小さく息を吐いた。
今の佳澄は、先ほど仏間から出た時と、違う目をしていた。
*****
佳澄の部屋はとてもシンプルだ。
壁には着物が掛けられており、話に聞くと普段は和服で生活しており、外に出たり遊びに行く時は動きやすい洋服を着ているらしい。
本棚には参考書や茶道の本。勉強机は綺麗に整頓されて、眼鏡スタンドには汚れのない眼鏡が二つ。
佳澄らしい、よく言えばすっきりと綺麗な。悪く言えば飾り気のない部屋はどこか居心地が良い。
いつもならゲームだなんだと遊んでいる観月だが、今日はなんてことはない雑談や馬鹿話に花が咲き、何もせずにただ話す時間が続いた。
「ん?」
何かに気づいた観月がふと目を向けると、部屋の襖の隙間からちいさな顔が覗いていることに気づく。
「お、どうした? 一緒に遊ぶか?」
声を掛けると、小さな影はさっと隠れて階段を下りていく。
楽しそうに笑うと、観月は佳澄に笑いかける。
「怖がられた?」
「まさか、柚子……。あ、あれうちの長男の娘なんだけど、柚子っていうんだ。
柚子はコミュ力高いけど、多分うちに来るのは珍しいタイプの人だから、緊張したんじゃないかな?」
「ああ、なるほどね」
そうこう話していると、また柚子が顔をのぞかせた。
思わず二人同時に噴き出してしまう。
「柚子ちゃんだっけ、よかったら俺と遊んでくれよ」
「柚子、この人は観月っていうんだ、俺のお友達だよ、ご挨拶できる?」
小さく頷くと、ゆっくりと襖が開く。
ちょこんとその場に正座すると、柚子は手を付いてぺこりと頭を下げる。
「ほしゆずと、もーします!」
「おお。山里観月です」
思ってもみない挨拶の仕方に、観月も思わず正座をして頭を下げる。
その光景に笑うと、佳澄は柚子を手招きした。
柚子は小走りで中に入り、佳澄の膝にちょこんと座る。
「柚子、この人は俺のお友達だから、お客様挨拶じゃなくていいんだよ」
「ふつーあいさつ?」
「そう、普通挨拶」
「じゃあ、ゆずですのほうだ!」
「そう」
目の前で繰り広げられる光景をどこか遠いものに感じていると、新しい足音が近づいてくることに気づき、観月は開いたままの襖に顔を向ける。
ゆったりとした足取りで、和装の男が顔を出した。
「ああ、柚子。お兄ちゃんのお部屋は今はダメって言ったでしょう」
「ぱぱー!」
柚子は嬉しそうに立ち上がると、そのまま目の前の男に抱き着いた。
緒元は穏やかに笑うと、小さく頭を下げる。
「娘がすみません、佳澄の兄の緒元です」
「あ、ども。山里観月です」
「いつも佳澄と仲良くしてくれて、ありがとうございます」
「いえ」
観月は思わず背を伸ばす。
目の前の男はただ立っているだけだというのに、その姿は美しく、気品という言葉を体現しているように感じた。
つり目の佳澄と違ってたれ目なのは、親のどちらかの遺伝だろうと感じるが、顔立ちはやはり佳澄と似ている。
「ふふ、突然で困惑させてごめんなさい。でもお顔が見られて嬉しいです。
佳澄、幼馴染しか家に呼んだことがないので」
「幼馴染、かず……佐藤ですか?」
「あ、知り合いなんですね。そうですよ、かず君とは同じ産院で生まれたこともあって、ずっと仲が良くて。私が知っている限り、このお部屋に入ったのはかず君くらいで」
「兄さん、もういいだろ」
思わず佳澄が遮ると、おや、と言いながら緒元は口元に手を当てる。
「話しすぎちゃったかな?」
「そうだよ、ほら、明日のお支度があるんでしょ」
「そうだね。……ああ、そうだ。
佳澄、もしよければ、山里さんにお茶を点てて差し上げたら?」




