四話 変化の朝
翌日。
佳澄が学校に登校すると、吉村に声を掛けられた。
「誉志、おはよう」
「あ、おはようございます、吉村先生」
佳澄は時間に余裕をもって登校する。今日も早く登校したため、生徒はほとんどおらず、教員も職員室に居る。
そんな朝の時間、二人は廊下でいつものように他愛のない話をして笑いあう。
「そうだ、誉志、昨日は帰りが遅かったのか?」
「え?」
唐突に言われた言葉に、佳澄は思わず目を丸くした。
吉村は「驚かせたな」と苦笑する。
「校庭を歩いているのが見えてな。それに生徒会室の鍵を返しに来たのも遅かったって、鍵を受け取った先生が言ってたし」
ああ、と小さく呟く。
「昨日は……同級生と話していたので、下校が遅くなって」
「山里観月とか?」
ピリ、とした雰囲気が吉村から流れた。
思わず閉口すると、吉村は真っすぐに佳澄に目を向けたまま話し続ける。
「あいつは不良だ、あまり交友を深めるのは感心しないな」
吉村の目に、佳澄の姿が映っている。まるで蛇に睨まれた蛙のように、吉村の視線に全身を絡めとられる。
「……まあ、いち教師の俺がこんなこと言ったら良くないんだろうな。少し心配なだけだ、強い言い方をして悪かったな」
ふっと吉村の纏う空気が変わる。話し方も声色も、一気に軟化した。
「……いえ。気に掛けてもらってありがとうございます」
「うん、やっぱり誉志はいい生徒だ。今日も頑張れよ」
足取り軽く去っていく吉村の背を見送っていると、佳澄は心臓が強く動いていることに気づいた。
あんな先生、初めて見た。
*****
「お」
「ぁ」
放課後校門前、観月と佳澄はばったりと顔を合わせた。
「よう、帰りか」
「う、うん」
「そうか」
どちらが言うでもなく、昨日のように歩き始める。
今朝の吉村の言葉が思い出されて、頭の中でグルグルと思考が混ざって何も言えない。
あいつは不良だ。そう言った吉村の目は本気に見えた。
しかし観月との交友関係を制限する声色は、彼の素行の問題だけを指していないような気がした。
「お前さ、なんでそんな真面目ちゃんなの?」
思いもしない言葉に思考の中から引き戻され、裏返りそうになった声を抑える。
「なに、急に」
「いやマジで疑問でさ。一年から生徒会長に立候補するって俺聞いたことなかったし。しかも実際に生徒会長やってるわけじゃん?
そんな学校のアレコレに縛られてて息苦しくねーのかなって」
観月から向けられるのは昨日と変わらない視線だ。裏表のなさそうな、純粋な問いかけ。
その問いかけと目に気持ちが緩み、少し思案する。
「……考えたこともなかったな。そうしたいって思ってやったし」
「ふーん」
つまらなさそうとも意外とも思わない顔で言う観月に、佳澄もふと浮かんだ疑問を口にする。
「逆にそっちはなんで校則守らないの?」
「そもそも破ってないから」
「は?」
素っ頓狂な声にかまわず、観月はなんてことはない、というようにつづけた。
「吉村にも言ったんだけど。うちの校則さ、服装や頭髪は風紀を乱さない範囲で自由だろ? それって誰がどの物差しで決めんだって話しじゃね。
俺はこの髪も服装も、学校の風紀をガッツリ乱してるなんて思わねーの。実際そうじゃん、俺がこのカッコしてるからって、みんな俺のせいで風紀乱すの? ちげーじゃん」
明らかに屁理屈だ。そんなことは分かっている。
校則というものは生徒達を守るために存在しているもので、それを著しく害している場合糾弾されるものだ。
……しかし、観月の言うことも全てが間違えているわけではない。佳澄は思わず口元に軽く指を当てた。
思案している佳澄に小さく笑うと、観月は変わらない調子で話す。
「ま、見た目が派手な自覚はあるけどよ。俺には俺なりの理由があんだよ」
「理由?」
「俺の親さ、見た目派手なダチが多くてさ。でもそいつら、メッチャいい奴らだし話は面白いし顔も広くて、下手に俺達親友ーとか言ってるやつらよりずっと信頼できんだよ。だからそいつらみたいになりてーの」
自身の予想とは全く違う答えが返ってきたことに驚き、佳澄は思わず観月を凝視した。
その視線に構わず、観月も佳澄の顔を見た。
「お前は?」
「え?」
「そんな真面目やってて、優等生だし生徒会長じゃん? そんなに頑張ってるって、目標みたいなのあんじゃねーの?」
「目標……」
目標。
自分のなりたいや夢や進路。やりたいこと。
突然黙り込んだ佳澄に、観月は視線を逸らした。
「まあ、あれだ。別に今すぐ決めるもんじゃねえしな」
「そう、だね」
昨日別れた十字路に差し掛かる。
「じゃ、気を受けて帰れよ」
「そっちこそ」
「こんな見た目のヤツに絡むやつ、そうそういねーよ」
「っふ、なに、自覚あるんだ」
思わず噴き出した佳澄に、観月も口角を上げる。
「二日連続でこうやって話して帰れるって、なんか意外かもな。あん時謝ってくれてありがとな」
「……」
「んじゃ」
軽く片手をあげると、観月は道を曲がって歩いていく。
佳澄はその背をじっと見つめた。
「……まぶしい」
*****
「ゆずはぁ! キラキラハッピーたべるのー!」
帰宅早々、地団太を踏みながら泣く声に出迎えられる。
着替えもせずに居間へ向かうと、丁度柚子が畳に寝転んで泣きわめくところだった。
まるでそういうオモチャのように、ハッピーがハッピーが! と繰り返しながら転がりまわっている。
「あのね柚子、今日はお母様もお祖母様もご飯のお仕度してくれてるんだよ。それなのにお外でご飯はダメじゃないかな」
「ゆずわぁああ! はっびーだどー!!」
さながら戦場だ。
困った顔でしゃがみながら柚子をなだめる緒元を眺めていると、後ろから桃花が声をかけた。
「お帰りなさい佳澄君」
「あ、ただいま帰りました。……いやこれどういう状態?」
「それがね、今日から近くのファミレスで『キラマク』のコラボが始まってるんだけど。柚子がそれをお友達から聞いたみたいで。晩御飯はファミレスに行くって聞かなくって」
「ああ」
キラマクとは『マジカル戦士キラキラマックス』の略で、子供たちに人気の戦う女の子のアニメシリーズで。日常を過ごす普通の女の子が、コンパクトを使って変身する姿は、今も昔も変わらず女児に人気が高い。
例にもれず柚子もこのアニメが好きで、特に主人公のキラキラハッピーにご執心だ。
「お義母様と一緒にお夕飯の仕度をしてて、それなのにファミレスに行くのは甘やかしになるから、一生懸命話してるんだけど。あの子も頑固よね……。誰に似たのかしら」
はぁ、と大げさにため息をつきながら頬に手を当てる桃花を見て、お二人では? という言葉を飲み込んでいると、雪子が居間に入ってくる。
「みんな、今日はファミレス行くわよ」
途端に水を打ったように静まり、柚子ががばっと体を起こす。
「ばば、ほんと!?」
「ええ、いいわよ。ただし、今回だけね。いつもじゃないからね。
これからはちゃんと前もって予定を立ててから行きましょうね」
甲高い声を上げて自室に走っていく柚子を見送りながら、桃花が焦った様子で雪子に駆け寄った。
「お義母様、よろしいんですか?」
「いいわよ、まだできてなかったし。下ごしらえが終わったと思えば、明日は楽できるじゃない」
にこりと笑う雪子に安堵の笑みを漏らすと、ありがとうございますと頭を下げ、柚子を追いかけていった。
緒元も軽く礼を言うと、自分も支度をするために部屋へ戻っていく。
「まったく、うちの男達は困ったものだわ。ちゃんと説得できないなんて」
そう言う雪子の顔は、とても穏やかで楽しそうだった。
*****
平日でありながら、ファミレスは子供連れの客が多かった。六人という大所帯がすんなりと座れたのは、幸運だったかもしれない。
店内では楽しそうな声が響き、犬型の給仕ロボットがあちこちを忙しそうに動きながら料理を提供している。
「ゆずね、キラキラハンバーグ! ハッピーの!」
「大丈夫、分かってるよ」
「兄さん、俺パフェ頼むから、おもちゃは柚子にあげて」
「ありがとう佳澄」
久しぶりのファミレスに、全員浮足立っているのが分かる。
柚子が生まれてからというもの、家が一段と明るくなった気がする。少々わがままなところが瑕だが、ご愛嬌の範囲だろう。
各々がタブレットで注文を終えると、しばらくしてロボットと店員が一緒に料理を運んできた。
「は?」
「え?」
運んできた店員を目にした途端、佳澄と店員は同時に驚きの声を漏らす。
食事を運んできたのは、観月だった。
「山里、ここでバイトしてるの?」
「おお、まあ。家族でメシか?」
「うんそう。ありがとう」
「おう」
観月は料理を提供した後軽く会釈をすると、いそいそとキッチンへ戻っていった。
思わぬところで出会った同級生に、互いに何とも言えぬ気まずさが残る。
カトラリーを各自の前に出しながら、桔梗が穏やかに笑いかけた。
「あれが、この前喧嘩しちゃってた人?」
「うん、まあ……」
「確かにちょっと元気そうだけど、優しい顔をしている人だね」
素直に褒める桔梗の顔をうまく見ることができず、佳澄は目の前のドリアを口に運んだ。
*****
「ほー、アレがカイチョーサマ? 見た目からしてお坊ちゃま感でてんねぇ」
織田が物珍しそうにキッチンの陰から誉志一家を眺める。
キッチンからは見えるが、ホールからは見えないという絶好のポイントだ。
「おい、客のことジロジロ見てんじゃねーよ」
トレーに料理を乗せながら呆れたように言えば、織田は口角を上げて観月に顔を向けた。
「最近ずっと話に上がるカイチョーサマを生で見れてんだから、今のうちに拝んどかないとさ」
「いやずっと話してねーし」
「話してるし。今日なんて二日連続で一緒に帰ったとか惚気やがって」
「惚気てもねーから」
「んくく。ま、いいけどさ。ほら、アイス溶けるよ」
「ちっ」
トレーに乗せたパフェを運ぶテーブル番号を目にすると、観月は小さくため息をついた。




