三話 ごめんなさいと言うこと
翌日。朝から降っていた雨は止んだものの、曇り空が広がっている放課後。
帰ろうとした観月にクラスメイトが声をかける。
「みづきー、お客さんだよー」
「あ?」
お客、という言葉にそちらを見てみると、佳澄が居心地悪そうに立っていた。
予想だにしない来客に目を見開いていると、クラスメイトがにやにやと観月の肩に腕を回す。
「なんだ観月、会長様と友達だったのかよ」
「ちげーよ! あんだよアイツ。なんの用だよ」
「知らねーよ、明日何あったか教えろよ。じゃーな」
背を押されてよろめきながら前に出ると、あっという間に佳澄の前に立つことになる。
「突然ごめん、時間あったら付き合って」
「……おう」
生徒会長の後ろをヤンキーが歩く様子はどうしても目立った。こそこそと耳につく生徒達の声を無視して、二人は廊下を進んでいく。
無言のまま歩き、着いた先は生徒会室だ。
生徒会室というプレートに、観月は思わず眉間にしわを寄せる。
そんな観月に気づかないまま、佳澄は中に入り、観月もそれに続く。
ガラガラと音を立てて、扉が閉じられた。
外界から遮断された空間には、今は二人しかいない。
「……」
「……」
ここまできても無言。
あまりのことに観月が口を開こうとすると、その前に佳澄が意を決したように頭を下げた。
「昨日はごめん」
「は?」
予想外の言葉に素っ頓狂な声が上がった。
観月の様子に、佳澄は居心地悪そうにしながらも、ゆっくりと頭を上げながら言葉を探す。
「昨日、俺に何か言いたかったんでしょ。俺、あんたが文句を言いに来たんだと思って決めつけて、聞かなかったから、謝りたくて。
別に謝罪を受け入れろとは言わないけど、流石にやらかしたと思って。ごめん」
次々に出てくる予想外の言葉に、ぽかんと中途半端に口を開けたままの観月は何も口にしない。
「なんだよ、文句があるなら言えば」
ついに我慢ができなくなったのか、佳澄が吐き捨てるように沈黙を破った。
「お前、すげーな」
「はぁ!?」
パッと怒りの表情に変わった佳澄に、いや! と観月が声を上げる。
「バカにしてるわけじゃなくて!
お前、どうしてそんなにすんなり謝れんの?」
「は?」
意味の分からない言葉に困惑していると、観月の視線が左右に動く。
「や、だってさ。謝るって怖くね? なんかダセーって思われるんじゃとか、ナメられるんじゃねえかとか、謝ってもキレられるんじゃとかさ。考えねえの?」
「ん、は? いや、何言ってんの?」
「いやほんと、俺も今自分が何言ってんのかよくわかんねぇ」
二人揃って困惑と疑問の顔を浮かべていると、佳澄が昨日と同じようにため息をついた。
「謝るのってさ、ある意味自己満足じゃん」
「ん? お、おう?」
「意味わかんない顔してる。でも実際そうじゃん。謝るって、なんだかんだ許してもらえるって思ってるってことだし。
だから、相手のためでもあるけど、自分のために謝ってるところもあるんだよ」
俺も受け売りだけど。とは言わなかった。
「……」
「嫌な気持ちさせたのは自分なんだから、それでNOって言われても仕方がないんじゃない?」
ちかちかと。
眩暈とは違う眩しさ。
目の前の佳澄が上手く見られず、観月は少し視線を外した。
「どうしたの?」
「や、なんでも」
奥歯にものが詰まったような言い方に眉を寄せるが、佳澄は小さく息をついて力を抜いた。
ここに来た時の空気は、もうない。
「俺が言いたかったのはそれだけ。付き合ってもらってありがとう」
じゃ、帰ろう。と話を切り上げようとした佳澄に、観月が思わず手を向ける。
「あーまてまて、俺も言いたいことある」
止められたことに驚きながら、佳澄は出しかけていた足を止め、小さく身構えた。
「なに?」
「俺も悪かったよ、女みたいとか言って」
今度は佳澄が目を丸くする番だった。
「昨日言いたかったのはコレ。まあ、なんだ……。バイト先でさ、ダチに言われたんだよ。お前の地雷踏んだんじゃねえかって」
「地雷?」
「お前が女みたいって言われるの嫌だったんじゃねえかって。だからまあ、謝ろうかと。
なのにお前、ロクに話しきかねーし」
緒元の言っていた言葉が強くフラッシュバックする。
本当に謝ろうとしていたとは思わず、かっと頭が熱くなった後に、一気に熱が引いていく。
「た、ただ入り口で突っ立ってモゴモゴされたら、言いたいことなんて分かんないだろ!」
「う、うるせえ! ダチでもないヤツになんていえばいいかわかんなかったんだよ!」
「なんだよそれ、ただ素直にごめんって言えばいいだけだじゃん」
次々とぶつけられる正論にたじろぐと、口ごもりながらも言葉を探す。
「そ、そうなんだけど……。なんかその、お前頭かてーし、なんて言えばいいんだかわかんねーし」
今度は佳澄の脳裏に、観月の評価を口にしていた佐藤が浮かんだ。
佐藤は相手を客観視して見ることがでタイプで、その人の本質を見抜くのが上手い。今回もそれが当たったらしい。
不器用に照れ臭そうに、居心地が悪そうに話す観月は、自分と同じ年相応の男だと思うことができた。
家柄的に人を見る目はそれなりに養っていたつもりだが、まだまだだ。と、佳澄は自身の幼稚さを顧みてしまう。
「……あたまかたい、か」
その言葉に、かつて小柳に言われた言葉が思い浮かぶ。
『お前はこうって決めつけちまうクセがある。もっと柔らかく考えてみな。思ったより、世界や目の前にいる相手は面白いぞ』
自身の目指す兄達の背は、まだ遠そうだ。
「確かに、そうかもね」
突然くつくつと笑いだした佳澄に、観月は思わず顔を上げた。
口元を軽く手で隠しながらおかしそうに笑う佳澄は、今まで見ていた厳しい顔つきをした、お高くとまった男とは思えないほどに。なんなら自分より幼く見えた。
佳澄を見ていると、視野がきゅぅと絞られたような錯覚を覚える。
「……なに? 人の顔そんなに見て」
どこか遠くに感じていた目の前の男の言葉に意識が引かれ、急激に狭まっていた世界が戻っていく。
「え!? ああ、や。お前笑うんだな」
「は? 当たり前じゃん、人間なんだから」
「人間……まあ、そりゃそう」
何を当然な。と自分でも思うものの、このたった数分で目まぐるしく変わる目の前の男の印象に、織田に愚痴った男と同一人物なのかと疑ってしまうほどだった。
そう思う自分にも、どこか戸惑いを覚える。
「さて、お互い言いたいこと言えた感じでいい?」
「ん、ぉ、おう」
「そう、じゃあ帰ろうか。時間貰ってありがとう」
厚い雲で灰に染まっていた空は、いつの間にか切れ間が広がり始めていた。
*****
「まさか帰り道が同じとはな」
思わず呟いた観月に、佳澄は自転車を押しながら小さく笑った。
「本当に」
「てかお前、マジで俺に合わせなくていいって。いちいちチャリ押すのもめんどくせーだろ」
第一高校は自転車通学が許可されているものの、観月は自転車がパンクしてしまい、ここ数日は徒歩で通学しているらしい。
「別にいいよ、別れたら乗ってくし。ってか、そっちはなんで早く直さないわけ? 面倒くさくない?」
「あー、金掛かるからなぁ」
「え? パンク修理なんて高くて三千円いかないくらいじゃない?」
不思議そうな佳澄に、観月は視線を少しさ迷わせた。
「あー、んー。まあ、正直うちあんま金ねえし。俺がやらかしたパンクだから、俺のバイト代出たら修理しようと思って」
はっと目が軽く見開かれ、今度は佳澄が視線をさ迷わせる番になった。
「ごめん、無神経だったかもしれない」
確かにうちはお金持ちと言われる家庭だ、それは否定しないし、否定するほうが嫌味になってしまう。
でもね、それを鼻にかけてはいけないよ。
我が家の豊かさがあるのは、ご先祖様達が私達のために頑張ってくださったからだ。
だからお金や生まれで誰かを見下したり、自慢をしてはいけない。自分が小さく汚くなってしまうからね。
昔から父の桔梗によく言い聞かされた言葉だ。
三千円くらい。と思ってしまったことが、観月の家を軽んじてしまったように感じて、何とも言えない罪悪感に苛まれる。
「ああ気にすんな。親は出すって言ってんのに俺が貰わねーだけだし。
あとうち、学校から全然徒歩で行ける距離にあんだよ。だから無くても困らねーだけ」
あっけらかんとした様子に、佳澄は安心したように息をついた。
「この辺に住んでるの?」
「そう。あそこの十字路右に行った先のアパート」
あそこ、と言われた十字路は目と鼻の先にある。
「あそこか、じゃあ俺は真っすぐだから、そこでお別れかな」
「ん」
そう話していれば、二人はもう十字路に立っていた。
「じゃ」
「うん、じゃあね」
佳澄は自転車の籠に入れていたヘルメットを被ると、自転車に乗って走り出す。
「メット、学校近く以外で被るやつマジでいるんだ」
小さく呟くと、観月は笑いながら家路を進んだ。
*****
「そう。仲直りできたならよかった」
夜の穏やかな時間。緒元は嬉しそうに目を細めた。
夕食の席以降何も口にしていなかったものの、兄として思うところがあったのかもしれない。
「やっぱり謝りたかったんだね。今回はお互いに頑固になっちゃったね」
「そうみたい。でも仲直りできてよかった。通学路も途中まで一緒だってことも分かったし」
「そう。それはとっても嬉しいね、新しいお友達ができたんだ」
友達。その言葉にくすぐったさを覚えつつ、佳澄はそれを隠すようにお茶を口にした。
「友達、なのかな? でもまあ、話してて楽しかったし、仲良くできるといいな」
今朝までどこか味気なかったお茶がどこか美味しく感じて、佳澄の口角が少し上がった。




