二話 すれ違い
翌日放課後、観月は言われたとおりに生徒指導室へ向かい、吉村と向き合っていた。
「お前はどうしてそうなんだ。そんなに難しいことを言っているか?」
「逆に、なんでそっちはそんなに頭かてぇんだよ」
心底呆れたような言い方に、吉村の額に青筋が浮かんだ。
その怒気にも気圧されず、観月はいつもと変わらない調子で話していく。
「そもそもさぁ、校則に明確に髪色とか服装の指定ないだろ」
「あるだろう! 風紀を乱さない髪型や服装って!」
吉村の語気が段々と荒くなっていく。しかし観月は表情を変えない。それどころか、どこか呆れたような色を浮かべている。
「それってさぁ、あんたの物差しだろ。みんながみんなそういうわけじゃねえだろ」
「引っかかるからこうして指導されてるんだろうが!」
「いいや違うね。俺と同じ感覚のやつがいる限り、そうはなんねーの。
百人が百人おかしいって言わない限り、その理屈は通らないんじゃねえの」
途端、吉村の顔が真っ赤に染まっていく。
「お前、ああ言えばこう言う」
「とりあえずそういうことだから。校則まるっと変えてから俺のこと捕まえてくださーい」
手を振りながら立ち上がると、観月はさっさと荷物を持って扉へ向かう。
後ろで椅子の倒れる音が響く。
「山里! 話は終わってないぞ!」
「俺の言ったことに反論できねえんだろ? あんたも納得する部分があったわけだ。
なら、これ以上話しててもムダ。あんた教師ならそんくらい分かれよ」
「っつ! お前っ!」
「さよーならー」
締め切った扉の奥で、殴打音がした。
そんな音を背に、観月は昨日織田に言われた『地雷』という言葉を思い出していた。
*****
生徒指導室から出た観月が向かったのは、二階奥にある生徒会室だ。
いつもより重い足を一歩、一歩と進めていくと、体の奥で渦巻く感覚と裏腹に、あっという間に長いコンパスが生徒会室の前で止まった。
アルミ製の白い扉の上部についた窓から覗くと、ありがたいことに目的の人物しかいないことが分かった。
誉志佳澄は窓から差し込む夕日を背負い、黙々とノートに何かを書いているようだ。
伏せ気味な瞳はペンの先を追って動き、時折何かを思考するように指が唇に触れる。
観月は無意識に、その一つ一つを眺めていた。
と、視線に気づいたのか、佳澄と観月の視線が絡む。
途端に佳澄の顔が険しくなり、口が動く。「なに」と言っていると分かり、観月はいそいそと生徒会室に入った。
「よう……」
「何?」
明らかに不機嫌そうな声に、観月は居心地が悪そうに頭を掻いて視線をさ迷わせる。
「あー。いや、その」
紙と教室特有の独特な匂い。そして佳澄の視線に喉元までせり上がる言葉を口の中で転がしていると、口から出るのは無意味な唸りに似た濁った音だけ。
そんな観月を見ていると、佳澄の口から大きなため息が漏れた。
「何しに来たの? 君、生徒会室に用事なんて絶対ないでしょ」
「い、いや。その、ちょっと」
歯切れの悪い言葉に佳澄の眉間にしわが、より深く刻まれていく。
「本当に何? 正直、邪魔なんだけど」
「ちょ、ちょっと待て、俺は」
何かを言いかけたところで、佳澄は「なるほどね」と観月の言葉を遮った。
「生徒指導送りになったからって恨み言は受け付けてないけど。俺はやるべきことをやっただけ」
「は!? ちげーよ! そもそも何度も生徒指導受けてんだから、そんくらいでゴチャゴチャ言わねえよ!」
「何度も受けてるのに変わらないの? 本当に懲りないよね。学習能力ないの?」
挑発的な言葉に観月の顔も険しくなり、攻撃的な感情がむき出しになっていく。
「んだと、バカにしてんのかてめぇ!」
怒鳴りつける観月に小さくため息をつくと、佳澄はひるんだ様子もなく真っすぐに目の前の男を見据え続ける。
「そうかもね。喚くだけの動物と話しても意味ないし」
「っざけんなテメェ! 人の話もまともに聞かねえヤツに、掛ける言葉なんざねーよ!」
怒鳴りつけると、観月は乱暴に足音を立てながら部屋を出ていった。
嵐のように去っていく観月の背を見ながら、佳澄の口からさらに大きなため息が吐き出される。
「なんなんだよ」
*****
「ただいま帰りました」
引き戸を開ければ、居間から桃花が顔を出す。
「あ、佳澄君、お帰りなさい」
「ただいま帰りました、桃花さん」
佳澄の声を聞いたのか、バタバタと賑やかな足音が桃花の横を通り過ぎて玄関へと掛けてくる。
「かしゅみー!」
頭の上で小さなツインテールを作った女の子が、両手を広げて走ってくるのを見て、佳澄は急いでカバンを置くと小さな体を抱き込んだ。
彼女は柚子。緒元と桃花の一人娘だ。
「ただいま、柚子。幼稚園楽しかった?」
「かったー! あのね、あの、なぎいるのー!」
柚子が目を輝かせて言った言葉に、佳澄は少し驚きながら桃花に顔を向けた。
「小柳兄さん、帰ってきてるんですか?」
「ええ。今緒元とお茶を飲んでるから、おててを洗ってリビングにおいで」
「緒元兄さんも仕事終わってるんだ、すぐ行きます」
抱っこをねだる柚子を落ち着けてからカバンを手にし、足早に自室へ戻っていく。
良くも悪くもすっきりとした、必要なものしか置かれていない部屋。眼鏡を外してデスク上のスタンドに置く。
部屋着にしている着物に着替えて部屋を出ると、朝と同じように仏間の前に膝をついた。
また同じ動作で仏壇の前で手を合わせると、心の中で「本日も帰ってまいりました」と心の中で呟やいた。
居間に入ると、低い足の幅広テーブルに柚子を抱いた緒元、桔梗。そして、佳澄家の次男。小柳が座っていた。
きっちりとまとめた黒髪に和装の男性陣の中に、ラフな洋服。肩甲骨程まであるハーフアップの濃い茶色の髪をした小柳は、見た目には浮いているものの、顔立ちは母の雪子によく似ている。
小柳は顔を上げると、佳澄に向かい片手をあげて笑った。
「おお、お帰り佳澄!」
「小柳兄さん、久しぶり」
「久しぶりって、三か月くらいだろ」
「三か月は久しぶりだよ。ねえ柚子」
「そーだー!」
ジュースを飲んで上機嫌に笑う柚子に、小柳は「お」と小さく声を上げた。
「なんだぁ、柚子。小柳兄ちゃんが居なくて寂しいのかぁ?」
「ううん!」
「そこは寂しいって言えよぉ、このー!」
幼く柔らかい頬を伸ばすと、楽しそうに柚子が笑う。
こら、零れちゃうよ。と注意する緒元の声や視線はとても優しく柔らかい。桔梗も緒元とよく似た目でその光景を見ていた。
「はいはい、ご飯ができましたよ。ほこりが立つから後で遊んでちょうだい」
桃花と雪子が食事を運んでくる。一旦話を切り、家族で食事を囲む。
「そういえば、小柳兄さんはなんで帰ってきたの?」
「久しぶりに家に帰ろうかなと思い立ってさ、単なる帰省。久しぶりに実家の味が恋しくなったんだよ」
「なるほどね」
「お前は? 最近学校どうなんだよ」
学校、という言葉に佳澄の眉間にしわが寄る。
小さな変化だが、それを見逃さずに小柳が動かしかけた箸を止めた。
「どうした、なんかあったか?」
「……柚子もいるし、あまりこういう話はよくないんだけど」
前置きをしたものの、再び思い出した怒りは止められなかった。
佳澄は先日の挨拶運動のことから今日のことまで、なるべく強い言葉にならないように気を使いながら説明していく。
「俺はただ、生徒会長としてやるべきことをやったのに」
不服そうに話す佳澄に、雪子と桃花が顔を見合わせる。
ちらとそれを見やりながら、緒元が口を開いた。
「もしかして、だけど。その山里君は、佳澄に謝りたかったんじゃないかな?」
「は?」
思ってもみなかった言葉に、佳澄の口から思わず素っ頓狂な声が出た。
今まで黙って聞いていた柚子が、不思議そうに首をかしげる。
「なんでごめんなさいしないの? ごめんなさいとありがとう、だいじなんだよ」
なんでなんでと言う柚子に、緒元は優しい笑みを向けた。
「柚子もなんとなく分かるかもしれないけど、なんて言って「ごめんなさい」すればいいのかなとか、イヤって言われないかなとか。とってもモジモジしちゃうでしょ?
きっとその人も、謝りたいけど、佳澄がイヤな顔しちゃったから、うまく言えなかったんじゃないかな」
不服そうな顔をする佳澄に、緒元は困ったように眉を下げた。
「でもま、謝罪なんて自己満足みたいなもんだしな。受け入れるも受け入れないも、お前次第だ。そもそもそのヤンキー君が校則守ってないのが悪いし。
ただ、もしかしたら歩み寄れるかもしれない関係も、最初から壁を作ってちゃ進まないし。歩み寄ろうとした相手の気持ちは受け取ってもいいんじゃねえの?」
無理に聞く必要はねえけどな。と緒元の言葉を引き継ぎながら、小柳はお茶を口にする。
柚子はよくわからないという顔をしていたが、興味をなくしたように目の前の味噌汁に口を付けた。
「自分を押し殺すことはないけれど、一度相手の言葉に耳を傾けると、いいことも起こるものだよ」
桔梗の優しい声が重い話を締めくくった。
*****
同日、ファミリーレストランで、観月は昨日と同じように織田にくだを巻いていた。
「って感じ。マジ最悪! なんだよあいつ、こっちの気も知らねーで!」
声がでかいぞ、と注意を受けるものの、観月の愚痴は治まりそうにない。
織田はビューラーでまつ毛を上げ、鏡を見ながら口を開いていた。
「んなん当たり前じゃん。家族の気持ちもわかんないんだから、自分と全然違うタイプの他人に分かれって自己中すぎなーい?」
「こっちは謝ろうとしたんだぞ!」
「相手は分かんなかったんでしょ。ま、何にしても話も聞こうとしなかったのはヤバいヤツだと思うけどね」
「だろ!?」
メイクが終わったのか、パチンと音を立ててコンパクトを閉じると、織田は顔を上げる。
「まぁでも、やろうとしたことはやったんだし、もうよくない? 合わない人間とは合わないってこと。勉強になったじゃん。
今度センパイ達とぽんぽこ太郎でお好み焼き食べよう」
大きくため息をつくと、観月は脱力したように頷いた。
「はぁ、そうするわ」




