十七話 痛み
『吉村と話した!?』
キン、と耳に痛い声が響き、思わずスマートフォンから耳を離した。
「そうだけど、かずも近くに居たし、ちゃんと話ついたから大丈夫だって」
『おまえ……なんで俺のこと呼ばないんだよ!』
「やたらと警戒心出されたり、話の腰折られたくないから」
電話先で声を詰まらせるのが分かり、佳澄は小さく笑い声を漏らした。
「ほんとに何もなかったし、何ならいい方向に進んだから」
『……本当だな、なんにもされてないんだな』
「ない。嘘ついてない。あと、これは観月には言っていいと思うから話すけど。
吉村先生、教員辞めるとこまで考えてたらしいよ」
え、と、動揺したような声色がスピーカーから流れる。
吉村が教師として全力だったことは観月も分かっている。そんな吉村が辞職を口にするとは、夢にも思わなかったのだろう。
「俺にどうしたいか聞いたけど、それは俺の決めることじゃないから。どうこうは言わなかった。
けど、少なくとも移動願いは出すってさ」
『……そうか』
「うん。吉村先生の罪がこれで消えるわけじゃないし、俺自身も、あの人に対するマイナスな感情は消えないけどさ。
でも俺は正直、今回のことで態度とか暴走とかを改めてくれるなら、あの人はすごくいい先生になると思う」
『そうか。佳澄が言うなら、そうなんだな』
「やけに素直じゃん」
『うるせえ』
くすくすと笑いあうと、耳に響く声がくすぐったく、佳澄の顔に深い笑みが浮かぶ。
こんなに満ち足りた電話は初めてだ。
『なあ佳澄、明日の休み会えるか? てか今すぐ会いたい』
ぎゅ、と、声に心臓が掴まれているような錯覚を覚える。
会いたい。
それは佳澄も同じだ。……しかし。
「ごめん、明日お祖母様の遺品整理があるから、手伝わないと」
『遺品整理? ばあちゃん死んだの、結構前じゃないか?』
「うん。でもあの頃整理できなかったものとか、念のために残してたものとかあってさ。
その辺を片付けようって」
『ふーん。なら手伝いに行くわ』
突然の申し出に、佳澄の口から素っ頓狂な声が出た。
それもお構いなしに、観月がどんどん話を進めていく。
『何時から?』
「え、わ、わかんないけど。多分一時とか?」
『一時ってことは十三時か。そしたら昼飯食ってそっち行く』
「あ、え、うん?」
あれよあれよという間に、観月が手伝いに来ることになってしまった。
急いで居間にいた桔梗と緒元に話すと。
お手伝いに来てくれるの? じゃあお礼のお菓子を買わないとね。とのほほんとしており、その話を聞いた雪子が何を買おうかしら。と考える流れになり、スムーズに了承された。
「和義君以外のお友達、すごく久しぶりに見る気がするな。楽しみ。
緒元は山里君に会ったことはある?」
「あるよ。柚子と沢山遊んでくれて、とってもいい子なんだ」
「わぁ、そうなんだ。楽しみだなー」
ふわふわと話す緒元と桔梗は、弟である佳澄から見てもよく似た親子だった。
*****
翌日、動きやすい服装の観月が手伝いのために誉志家を訪れた。
遊びたがる柚子をおさえつつ、初めて会う桔梗と桃花に挨拶をする。
今日は小柳も来ており、誉志家が大集合という状態だ。
「……俺の両親来なくてよかったかもな」
「観月の?」
「誉志さんには世話になってるからって、友達誘って来ようとしてて。引っ越しじゃねえって止めた」
「ああ」
山里家の面々はパワフルだ。
あの勢いで来たら仏間はもぬけの空になるだろう。
二人で話していると、桔梗がゆったりとした足取りで近づいてくる。
「改めまして、今日はよろしくお願いしますね」
「あ、すみません、勝手に押しかけて」
「いいえ。佳澄にこんな素敵なお友達がいて嬉しいですよ。
佳澄と仲良くしてくれて、ありがとうございます」
「いや、こっちこそ、いつも仲良くしてもらって」
「いえいえそんな」
「ほらほらストップ。これ以上は「いやいやそんな」合戦が始まるから。早く始めないと日が暮れるよ」
「ああそうだね、お祖母様にご挨拶してから始めようか」
ふぅ、と小さく息をつくと、観月は佳澄に耳打ちをする。
「もしかして、一番上の兄貴、めっちゃ父ちゃん似?」
「ご名答」
*****
桃花は柚子の面倒と来客対応を見るために一階に残り、その他の面々が二階へ上がっていく。
あの日、観月の見た仏間だ。
「あのさ」
廊下を歩きながら、佳澄が小さく観月の服の裾を引く。
「この後、結構面食らうと思うけど、観月は同じようにしなくていいから」
「? お、おう」
部屋の前に来ると、まず桔梗と雪子が部屋の前に膝をつき、襖を開けて中に頭を下げる。
あの時見た、佳澄と同じ行動だ。
次に緒元、小柳と順番が進んでいく。
皆一様に廊下に膝をついて頭を下げ、右足から部屋の中へ入っていく。
その行為はどこか儀式めいていて、観月の中で緊張感が増していった。
佳澄が手を握っていなければ、緊張感は恐怖に変化していたかもしれない。
仏壇の前に入った順に並んで座り、桔梗が代表するように線香を手向けておりんを鳴らす。
手を合わせ、目を閉じる。
観月も見様見真似でそれを行った。
深く落ちた沈黙と線香の匂い。外界と隔絶されたような錯覚と耳に張り付く静寂が、自分の知っている世界と違うという違和感として膨らむ。
しばしの黙祷の後、先程と同じ声色で桔梗が笑う。
「さ、お片付けしましょうか」
その言葉を合図に、全員が立ち上がったり伸びをして空気を緩める。
観月も大きく息をついた。
「ごめん、驚いたでしょ」
心配そうに顔を覗き込む佳澄に、観月は苦笑いを向ける。
「あの、こんなこと言っても信じられないかもしれないけど、怪しい儀式とかじゃないから。
前にも言ったようにお祖母様が厳しい人で、頭首の部屋に入るにはとか、お仏壇に向かうにはとか、結構口うるさかったって言うか」
「分かったよ。驚いたけど大丈夫だから」
頭を軽く撫でると、佳澄は安心したように息をついた。
小さく微笑むと、観月は佳澄から手を放し、近くに居た小柳に顔を向ける。
「力仕事なら多分役立つんで、いくらでも言ってください」
「お、頼もしいな若者。じゃあ早速だけど、箪笥の引き出し全部引き出すから手伝ってもらえる?」
「はい」
遺産相続の問題は片付き、ここに残っているものは全て桔梗が相続したものだ。
主に着物や和飾り、髪飾りなどが中心だったため、出てきたものを桃花にも確認してもらうために一階まで運び、不要なものは後日査定してもらうということでより分けていく。
押し入れからも戦時中の物と思わしき品々も出てきたため、歴史的資料になりそうなものはないか知り合いの関係者に。と、およそ一般家庭では聞くことのなさそうな会話を聞きながら、観月は一点一点びくつきつつ遺品を並べていく。
……本当に、俺一人で良かった。
思わずひとりごちたのは言うまでもない。
押し入れから出てきた木箱入りの絵皿を見て、「あらこんなものもあったわね」というノリで話しているため、いったいどれくらいの価値なのだろうと思ったが、おいそれと金額を聞くのはやめておいた。
次々と物を取り出していき、佳澄と観月は二人で仏間に残り押し入れの掃除を行う。
下段を乾拭きしていた時、ふと観月が佳澄に声をかけた。
「なに?」
「なあ、この壁どうなってんの?」
「壁?」
「ほらここ」
観月が指したところをスマートフォンのライトで照らすと、壁に小さな穴が開いていた。
よく見ると、うっすらと四角く切れ目が見える。
「なにこれ」
「もしかしてなんか扉じゃね? 開けてみろよ」
「俺が?」
「いや他人の俺が開けるとかねーだろ」
まあ、それもそうか。と、呟いた佳澄に観月が場所を譲り、ライトで照らす。
穴は直径二センチもなく、指一本が入る程度だ。
その穴に指を引っかけて引いてみると、思ったより軽く引くことができた。
三十センチほどの正方形の扉は、明らかに隠す目的で取り付けられている。
奥には何かが入っており、佳澄は試しにその一つを手に取った。
引き出して明るいところで見てみると、それは子供向けの包装紙に包まれた何かだった。
包装紙には桜柄の封筒がテープで貼り付けられている。
「なにこれ」
「プレゼントじゃねえか? 開けてみたら」
「うん」
なるべく包装紙を傷つけないように中を見てみると、入っていたのは『季節の花』と書かれた図鑑だった。
厚みがあり、かなりしっかりした装丁の本格的な本だ。
「これ」
佳澄は何かに気が付いたように封筒を外すと、糊付けされていない封筒から便箋を引き抜いた。
中を見ると、思わず動きを止める。
「佳澄、どうした」
「やっぱり……これ、小柳兄さんのだ」
は? と首をかしげる観月をよそに、佳澄は何かに駆り立てられるように扉の奥にあったものを次々と取り出していく。
収納ギリギリまで入れられていたプレゼントには全て手紙が貼り付けられており、それぞれひまわりや牡丹などの花が描かれている。
数十個に及ぶプレゼントを取り出すと、佳澄は震える手で芍薬の手紙がついたプレゼントを開いた。
小さく長細いそれは、昔放送されていた特撮作品のライダー人形だった。
「懐かしいな、それ俺達が幼稚園児くらいの時のだよな」
観月の言葉に返すことなく、佳澄は息を細かく切りながら、今度は手紙を開く。
横から観月もそれを覗き込んだ。
『かすみ へ
5さいの おたんじょうび おめでとうございます
いつもげんきにあそんでいる かすみは とってもかわいくて おばあちゃんは かすみがだいすきです
これからも げんきでいてね
おばあちゃん より』
丁寧な文字で、全てひらがなで書かれたその手紙は、紛れもなく愛情が詰まったもの。
以前佳澄から聞いた祖母の印象とはかけ離れた手紙に、観月は思わず佳澄を見やる。
手を震わせながら、佳澄も戸惑った顔をしている。
「……佳澄、大丈夫か」
「…………しらない、こんな、おばあさま」
次に手を伸ばしたのは、菖蒲の手紙が付いたプレゼント。
四角い箱の包装紙は、先程のプレゼントよりもシンプルで大人びている。
中身は黒地に金色のカスミソウが描かれた小物入れのようなものだった。
「棗、だ」
「なつめ?」
「茶道で、お茶を入れておくもの……」
手紙を開く。
『佳澄へ
十歳のお誕生日おめでとうございます。
日々お茶もお勉強も頑張っている佳澄は、本当に偉いと思います。
小柳はお祖母ちゃんのせいで家を出てしまって、そのせいで色々と無理をさせているかもしれません。
けれど、頑張ってくれているのが嬉しいと感じています。
素直なお祖母ちゃんじゃなくてごめんね。小柳と仲直りできるように、お祖母ちゃんも頑張ります。
誉志 百合子』
先ほどと違う、空気が張り詰めたような感覚。
「しらない、しらない」
震える声で呟く佳澄の背を、そっと観月が撫でた。
そのあたたかさに大きく深呼吸をすると、ほんの少し痺れていた頭がクリアになってくる。
「おれ、こんな、おばあさま……しらない」
「大丈夫か、もうやめるか?」
「……みる」
ふと、佳澄の視界にプレゼントとは別のものが映った。
包みがない、何かの箱だ。
それを引き寄せると、他と違い多少の重さがある。
この中に何があるのか、見てもいいのか、見るべきではないのではないか。
グルグルと回る思考の中で、何度も深呼吸をする。
心配そうに自分を見やる観月の視線が、どこか心強かった。
大きく息を吸うと、ぐっと力を入れて蓋を開く。
中には何冊もノートが入っていた。
表題はなく、何年何月何日~何年何月何日と日付だけ記載されている。
一番上のものは三年前だ。
それを手に取り、中を開く。
震え、細く弱々しい字で書かれているのは日記だった。
『――――年――月――日
手が震えて文字が書けなくなってきた。
これも隠さないと。』
これが最後の日記。
晩年の祖母――百合子は、物忘れこそ多かったものの徘徊などの症状はなく、ただ筋力の衰えが早く、寝たきりの状態で亡くなった。
老衰にしては、まだ良いほうだったのかもしれない。
それより前には、体が動かなくなっていくことの不安や、誉志家の心配と希望が綴られている。
そのままぱらぱらとめくっていると、佳澄は唐突に日記を閉じ、箱の中から一冊のノートを取り出す。
十年前の日記だ。
ゆっくり、ゆっくり、ページをめくっていき、あるページで手を止めた。
そのまま読み進めると、佳澄は目にいっぱいの涙をため、まるで子供のように声を上げて泣き始めた。
突然のことに観月は思わず佳澄を抱きしめる。
佳澄は日記を取り落とすと、観月に縋って泣き続ける。
観月がふと視線を落とすと、佳澄が見ていたであろうページが開かれていた。
『――――年――月――日
今日、佳澄が女物の浴衣を着て部屋に来た。
とても可愛い、ピンク色の浴衣で、正直可愛らしかった。
驚いて佳澄を責めてしまった。女じゃないことの嫌味かと言ってしまった。あの顔は、一生忘れられないだろう。
佳澄があんなことをしたのは私のせい、分かっているのに。
けれど、女孫も見たかったなと呟いた彼のことが忘れられない。そんなこと彼は望まないと、そんなつもりで言ったわけじゃないとわかっているのに。
私も女の子を産めなかったのに、雪子さんにも佳澄にもあたって、なんと醜い。嫌われて当然だ。
でも、どう謝っていいの。どうすればいいの。謝り方が分からない。
謝って、今更だと言われたらどうしよう。もっと嫌われてしまったらどうしよう。
ごめんなさい佳澄。佳澄だけじゃない、皆、ごめんなさい。』
佳澄の泣き声を聞いた家族が続々と集まってきた。
プレゼントの山とその中で観月に縋りながら泣いている佳澄を見て、その場は軽くパニックになってしまった。




