十四話 ひかりのまざる
学校から離れた公園。
自転車も乗らずにここまで走り込んだ佳澄は、ベンチに座ったまま息を整えていた。
「カフェラテ。ホットとアイス」
すぐ近くの自販機で飲み物を買っていた観月が、二本の缶を差し出す。
「……アイス」
「ん」
アイスの缶を渡すと、どかりと佳澄の横に腰を下ろし、ホットのカフェラテを開ける。
息を吹きかけながら飲む音を聞きながら、佳澄は同じように缶に口をつける。
味がよくわからなかった。
「腕、痛くねえか」
観月の声は、いつもより低い。
「強く引っ張りすぎただろ」
「痛くないよ。ありがとう」
「ん」
また沈黙が落ちる。
昼間なら子供達の笑い声で満ちているはずの場所も、今は佳澄と観月の二人だけ。
周囲の家の光がやけに眩しく感じながら、佳澄は飲みかけの缶を持ったまま膝に手を落とす。
「どうして、生徒会室に来たの」
「……かずに言われたんだよ。最近吉村が佳澄に近い気がするって。
その感じが佳澄が嫌がる近づき方に見えたから、なるべく気にしてやってくれって」
「そう……」
ここでも佐藤に守られた。その事実に、佳澄は胸に痛みを覚える。
あれだけの警告をされても、なお隙を見せてしまった。
「俺にこんなこと言ってくるなんて、お前、かずにいろいろ言われたんじゃねえの。なんで、吉村のこと信じたんだよ」
なんで。
もっともな疑問だ。佳澄は頭の中を整理しながら、言葉を選んでいく。
「……先生が、言われるほど悪い人だと思えなかったから」
「あんなことしてきたのに?」
「流石にそうは見えなかったから。だから、なんだか違和感があったけど、かずの警告も分からないふりを、してたのかもしれない」
それはなぜか。懸命に理由を探す。
観月は小さく口を動かして何かを言おうとしている佳澄に、何も言わずに目線も向けず、ただ言葉を待つ。
「誰かを、嫌うこととか。拒絶することが、怖いと思う。から」
「は?」
予想外の言葉に思わず顔を向けた。
観月が言わんとしていることに気づいたのだろう、佳澄はあのさ。と話を続ける。
「面白くない話しするけど。いい? かなり暗いし胸糞悪いし、俺のことも気持ち悪くなると思うけど」
「……ここまで来て聞かないって選択肢、ねーだろ」
「それもそうか」
小さく笑う佳澄がどこか自嘲しているように感じ、観月はまた口を閉ざした。
佳澄は手に持った缶を見たまま、話を続ける。
「……うちさ、父方のお祖母様と同居してたんだよ。今から三年くらい前に亡くなったんだけどね。
お祖母様は、俺が生まれる前にお祖父様に先立たれてから、誉志家を支えてきた立派な人で、女性でありながら芯のしっかりした強い人だった。
俺達三兄弟の躾とかお作法もかなり厳しくって。それをお父様やお母様が諫めてくださったこともある」
観月は佳澄の横顔を見ながら、じっとその話に耳を傾けた。
「そんな中で、お祖母様がよく口にしていたのは。『お前が娘だったら』ってこと」
佳澄の口角がわずかに上がる。
「お祖母様は、お母様の年齢的に最後の孫だった俺が女であることを望んでいたんだ。だから、俺にはかなり厳しかったと思う。
機能不全家族ではないよ。お祖母様はお祖母様なりの優しさがあったと思うし。
そんな人だけど、俺は少しでも自分を見てほしくて。お小遣いを貯めて安い女物の浴衣買ってさ、こっそり着て見せに行ったこともあったよ。
けど、お祖母様は「あてつけか」って怒って。今思うと馬鹿なことしたなって思うけど、当時の俺には、それが精いっぱいだったんだよ」
乾いた笑いが漏れる。
「そんなこんなでさ、俺、髪を短くすることができなくなったんだよ。切ればさっぱりするかもしれないのにね。
でもなんていうか、少しでも、誰かの理想に近づいたり、認められたりしたいのかもなぁ。眼鏡もかけて、生徒会長もして、真面目にさ。
お祖母様が亡くなってから、女であったらって思われることもなくなったのに」
馬鹿だろ、と笑う佳澄は、一点を見つめているのに、そこを見ていない。
「だから、なるべく人は嫌いたくないんだよ。でも、女だって言われるのは、なんか嫌でさ。挨拶運動の時は観月にはかなりキツく当たってた。ごめん。
でもまあ、これを知ってるのはかずだけだから、仕方がないと思うよ」
そこまで話すと、佳澄はまた口を閉じる。
しかしすぐに空気を変えるように、今度は明るめの声で笑った。
「まあそういうこと。でもさ、目をつけられてた観月に言うのもなんだけど。吉村先生はいいところもあると思うよ。教育熱心なだけで。
色々聞いたけど、生徒のことを思う気持ちは本物だと思う。そこは揺るがないと思うんだよね」
「無理すんなよ」
言うと同時に、観月の腕が佳澄の体を引き寄せる。
「女かって言って悪かった、本当にごめん。でも、話してくれてありがとな」
じわじわと、観月と佳澄の体温が混ざっていく。
力強い、しかしあまりに優しい抱きしめ方に、佳澄の目の奥が熱く痛んだ。
「俺達が吉村のこと悪く言うのも、あんまりいい気してなかったんだろ。それでいいし、本来はその方がいいんだし。
でも頼むから、もうあいつと二人になるのだけはやめてくれ。マジで、心臓止まるかと思った」
「……うん、ごめん」
缶から片手を離し、抱きしめられている腕に触れると、筋肉がしっかりとついた腕が自分を包んでいると分かり、心臓が早鐘を打ち始める。
すぅ、と息を吸い込むと、胸の鼓動はそのままに、安心感が体に広がっていく。
初めての感覚だった。
両親や兄達と違うあたたかさ。このままでいたいという気持ちが膨らんでいく。
「……なあ、佳澄。俺のこととか何も考えないで、お前の気持ちで答えてくれ」
ぎゅ、と、観月の手に力がこもる。
「俺と付き合わね?」
突然のことに驚き顔を上げると、観月は街頭に照らされた顔を赤くしながら、まっすぐに佳澄を見ていた。
「あんなことの後でこんなこと言うのはキモいかもしれないけど、でもさ。その。
……これは、お前を女扱いしてるとかそんなんじゃなくて。俺は男として、男である佳澄を守りたいんだよ」
言っていることが少し散らかっているが、言わんとしていることはよく分かった。
それに気づかず、観月は必死に言葉をつづける。
「俺はお前のダチで、お前も俺のダチでさ。こんなんおかしいし、男同士とかヤバいとか思われるだろうけどさ。
でも、なんか、お前は違うんだよ。今までの彼女と違うから、俺はお前に女になることを求めてるわけでも、彼女になってほしいんでもなくてさ。
俺は、佳澄だから好きなんで。だから付き合ってほしくて」
「わかった、わかったから!」
段々と赤みを増していく観月に、佳澄まで顔を赤くしてストップをかけた。
このままだと大声で告白大会が行われてしまう。
止められたことで少し落ち着いたのか、観月は佳澄から離れると、顔を手で覆ってうなだれた。
「…………わるい」
「ううん、大丈夫」
また沈黙が流れた。どこかの家から犬の元気な鳴き声が微かに聞こえてくる。
「……俺さ」
佳澄の声に、観月の肩が小さく揺れた。
「男と付き合うって、どういうことかよくわかんないんだよ。そもそも、気になる子はいたことはあるけど、恋愛はしたことないし」
「……」
「まあ、でも。その……。観月は、他と違うというか」
ぱっと観月が顔を上げると、また手に持った缶を見つめている佳澄が映る。
その顔は先程と違い、赤く戸惑ったような様子だ。
「俺も、よくわかんない。から」
「……つまり?」
思わず身を乗り出せば、佳澄の体が少し後退する。
だが狭いベンチの上で、逃げる場所などない。
「ぅ、い……いい、よ」
俯きながら蚊の鳴くような声で返された返事は、しっかりと観月の耳に届いていた。
「後悔しないな?」
「は!? そっちから言ってきたのに、なんだよそれ!」
カチンときたのか、佳澄が思わず声を上げる。
それと同時に観月の顔を見た時、呼吸の仕方を忘れた。
本当の男の顔を、初めて見た。
「俺、結構重いと思うけど」
「……」
「できれば一緒に居たいし、好きな子にはそばで笑っててほしいし、浮気とか絶対に許せないし。
それ多分、佳澄にも同じ。それでも、いいの?」
ちり、と、夜特有の澄んだ空気が、細く、喉を流れていく。
「俺は束縛はしない、と、思う……。けど、なんてのか。あー」
言葉を探して頭を大きく掻くと、突然頭を下げる。
「悪い、いい例え浮かばねえ。でもお前を女扱いしたいわけじゃないって前もって言っておく!
お前は、今まで付き合った。って言っても、二人だけど、その彼女よりずっと、佳澄を守りたいって思うんだよ」
これ以上赤くなることはないというほどに赤くした観月の顔は、今まで見たことがない。
声も、聞いたことがない。
「こんなこと望んでなかったらとか、思うけど。でも、本気……だから」
互いに言葉を発さないままに、また時間が流れる。
「……確かに、俺は、そういうのは嫌だよ。特別扱いも、苦手だ。
お金とか、家柄とか、分かるだけで変わる人も。俺を決めつける人も、嫌だ」
「……」
「だけど……」
言葉が途切れる。
佳澄は小さく口を動かし、言葉を繋いでいく。
「今のは、嫌じゃない」
佳澄右手が、観月の左手の指を小さく握る。
「束縛とかは、されたことないし。わからない、から。
だから、されてみないと、分からない」
指を握る手をほどき、もう一度、今度はしっかりと指を絡めて握る。
先ほど抱きしめられた時より、互いの体温が上がっているのを感じた。
「なあ、ならさ。キスしていいか」
「……それ、聞くのってよくないんじゃない」
同時に笑いあうと、観月は空いている手で佳澄の頬に触れる。
ゆっくり、ゆっくり――。
互いに距離を測るように近づいて。
甘く、小さく、臆病に唇を触れ合わせる。
もう一度、今度も触れ合うだけの。けれど、先ほどよりも大胆なキス。
唇を離して、視線が絡む。
「…………かわいい」
思わず口から出た言葉に、観月は急いで口を手で覆った。
「わ、悪い、違う!」
「っぷ、あははは!」
突然笑い出した佳澄に、観月は目を白黒させる。
「はは、はぁー。あのさ、俺はそんなにヤワじゃないよ。傷つきやすい生粋のお姫様でもない。観月が掛けてくれる言葉なら、何でも嬉しいよ。
何言われたって、俺が本当に嫌な意味で言ってるわけじゃないって分かる」
とん、と、佳澄の額が観月の肩に触れる。
「俺が一番嫌なのは、『女であることを望まれること』。何があっても、観月はそうならないでしょ」
「……当たり前だろ。でなきゃ、男に告るとか無理だし」
そりゃそうだ。と笑う佳澄に、観月も笑って佳澄を引き寄せた。
どこにでもある公園の、何の変哲もないベンチ。色気のない照明。
「好きだよ、佳澄」
「……うん。俺も、すき」
体を寄せ合いながら、それでも手を離さなかった。




