淡く滲んで、恋心。【2】
貴族学校に入学してから。
ルフトは、嬉しさと不安を同時に覚えていた。
『侯爵令嬢ラヴィナ・ファーユ』と一緒に学校に通えるのは勿論嬉しかったけど、側に居ないのがちょっと寂しい気持ちもあって。
何より、落ち着かなかったのだ。
「ラヴィナが王女宮にいないの、なんか嫌だなって……」
たまたま放課後、教室で二人きりになった時にドゥアにそんな話をすると、彼は少し考えてからこう口にした。
「ルフトのその『嫌』は、どういう意味で?」
ドゥアは、人目のないところでは敬語ではない。
幼馴染だということもあるけど、ルフトがそうお願いしているのだ。
「意味って何?」
「例えば、そうだな……相談できて頼りになる相手が側にいないから、とか、そういう嫌さ?」
「そうじゃない、と思う」
ルフトは、首を横に振った。
側にいないから寂しいけど、それ自体が不安なわけではないのだ。
ラヴィナは賢くて色々教えてくれはするが、だからってルフトは言いなりになっているわけでもない。
あの子はルフトの考えを聞いて『そうしたいなら、こうする方法もあるわね』というような助言をしてくれる感じで、何かを決める時に、こうしろ、と言われたことはなかった。
そう接してくれたから、自分で考えて決めることは出来る。
だから、相談が出来なくて困る、ということは特になかった。
どちらかというと。
「ラヴィナって、気がついたらいなくなってるんじゃないか、って思うんだよね……」
あの子は、何かに縛られる、ということがない。
ルフトのことを好きでいてくれるし、ドゥアや、今で言うと聖女フライヤのことを気に入っているのは分かる。
でも、それがラヴィナを繋ぎ止める『鎖』になるかと言われると、そうじゃない感じがするのである。
「なんていうか……そう、ラヴィナって『僕たちの側にいる用が済んだ』って考えたら、もう側に居てくれないんじゃないんじゃかな、って思うんだよね」
「なるほど? 目を離したらラヴィナがいなくなるんじゃないか、っていう不安があって、それが嫌ってことか」
「そう」
腕を組んだドゥアは軽く片眉を上げた後に、少しだけ口の端を上げた。
「俺は、そうは思わないな」
「え?」
ルフトがきょとんとすると、彼はこちらをまっすぐに見ながら、指先でトントンと頬を叩く。
「ラヴィナが自由に見えるのは、その通りだ。だけど俺から見ると、ラヴィナの自由さは、ルフトから離れていくような自由さには見えないんだよな」
「……?」
「今回の件にしたって、あの子はルフトの為に動いてるだろう?」
それはそうだ。
女王擁立の法案を成立させ、かつ、聖女フライヤを……最初は利用したり味方にしたりしようとしていたけれど、今は……助ける為に動いている。
「ルフトの言う『用が済んだら』って、そういうことが終わったら、って話だろ?」
「うん……」
「でも、ラヴィナは元々、『何か用事を済ませる』為にルフトの側にいるわけじゃない、と思うんだよな」
「そう、かな?」
「さっきも言ったけど、あくまでも俺から見た話だ。ラヴィナの本心が分かっている訳じゃないが……」
ルフトが首を傾げると、ドゥアは苦笑を浮かべた。
「ラヴィナがルフトを好いていることくらいは、分かる。他にも俺やダーレストと一緒にいたり、聖女フライヤに色々教えたり……そういう日常そのものを、ラヴィナは楽しんでいると思うんだよ」
ドゥアが言うには、『楽しむこと』以外に明確な目的がないから、ラヴィナは根無草のように『見える』だけなのだという。
「俺は、例えばルフトが何かラヴィナが不快に思うようなことをしたり、失望させたりしても、彼女はそれすら含めて楽しんでしまうような感じがするしな。ルフトがラヴィナを嫌い始めたら分からないが」
「そんなこと、あり得ないよ」
生まれた時から一緒にいて、それを嫌だと感じたこともないのである。
そこに居て当たり前だったし、安心することはあっても不快に思うこともない。
「じゃあ、大丈夫だろう」
「大丈夫、なのかな……今回の件が終わっても、いなくならない?」
それでも不安が拭えないままルフトが俯くと、ドゥアは目線を一度天井に向けた後、小さく漏らした。
「ルフトがそう望むなら、ラヴィナはいつまでも一緒に居るだろう。住む場所は今みたいに別々かもしれないが、放り出していなくなることはないと思う。少なくとも、何も言わずにどこかに行ったりはしないんじゃないか」
「根拠は?」
「簡単な話だよ。俺が見る限り、ラヴィナは『自分に向けられる好意』に弱くて、『大事なものに向けられる悪意』に強い。『自分を好きでいてくれる人が好き』『自分を嫌いな人が嫌い』っていう感じかな」
言われて、ルフトはラヴィナとのこれまでを思い返してみた。
確かに、好意や善意を、あの子が無下にしているのは、見たことがない。
逆に悪意や敵意には、正面から対立するようなことはないけど、絡め取っていなすようにやり返しているのは、何度も見たことがあった。
ーーー影……。
そう、ルフトはラヴィナを、影のように一緒にいる相手と思っていたけれど。
相手の振る舞いに対して自分の振る舞いを決めるような、そういう態度は自分の動きを真似する影に似ていて、だからそう思ったのかもしれなかった。
なんとなく腑に落ちた感じがしたルフトの表情を読んだのか、ドゥアが言葉を重ねる。
「だから、ルフトが彼女を好いている限り、離れたりはしないと思う。可能性があるとすれば、自分がいなくなることが『ルフトにとって最良』と判断した時、くらいかな……?」
ドゥアには、こういうところがあった。
どこか達観しているというか、ルフトには見えないものがきちんと見えているような物言いをするのである。
どこか、ラヴィナやダーレストにも通じるような感じがするけど、あの二人に対するような不安は感じない。
ドゥアの場合は代わりに、『何があっても側に居てくれる』という安心感があった。
ルフトの近衛騎士だから、なのだろうか。
その差が何なのかは、ルフトにはよく分からなかったけど、ドゥアの言葉には引っかかる点があった。
「いなくなることが、最良な時……って?」
「ラヴィナがそこにいることがルフトの不利益になったりとか、逆に消えることでルフトの利益になったりとか、そういう部分だね。でもまぁ」
と、ドゥアはニヤッと笑う。
たまに見せる、いたずらっ子のような彼のこの笑顔が、ルフトは好きだった。
でも、不意に見せられると、ドキッとする。
直視出来なくて視線を彷徨わせていると、ドゥアはこう言葉を重ねた。
「今回『用が済んだ』とか『消えたほうがいい』とかならないように、俺の方で思いつく手は打っておくよ。ラヴィナに『自分が消えなくても大丈夫』だと思わせることが出来れば、それでいいだろう?」
「で、出来るの?」
「まぁ、そんなに難しくはないと思う。ルフトが直接『ずっと側に居てほしい』とお願いしても効果があると思うし、他にもまぁ、色々?」
「その色々を教えて欲しいんだけど?」
机に腰を乗せている彼にずいっと顔を近づけると、ドゥアが軽く背筋を逸らした。
「……この距離は、よくないと思うんだが」
「あ……」
側から見たら友人同士ではあると思うけれど、ドゥアが言っていることが理解できて、ルフトは身を引いた。
公にしていなくても、『男女の距離感』としてはちょっと近過ぎたのである。
「ご、ごめん」
「あー、うん」
ちょっと気まずいし、ルフト自身も気づいてしまうと耳が少し熱くなった。
口元に拳を当てて咳払いしたドゥアは、改めて話を続ける。
「色々の一つは、ダーレストだな」
「あの人がどうしたの?」
「あまり他人に興味を示さないアイツが、ラヴィナには興味津々だ。多分惚れてる」
「え? ダーレストってラヴィナのことが好きなの!?」
「声がデカい……!」
シー、とドゥアが人差し指を立て、ルフトは慌てて両手で自分の口を塞ぐ。
ダーレストがそんな風だなんて、全然気づかなかった。
「アイツ自身も気づいてないからな。でも、あれは惚れてる。いつ見てもラヴィナを目で追ってるから、一度聞いてみたんだよ」
するとダーレストは『ラヴィナ嬢に関して気になることがある』と口にしていたそうだ。
「アイツは何か不思議に思うことがあると、それに没頭するクセが確かにあるが……ラヴィナに対しては、そういう時とはちょっと違うんだよな。もっとこう、視線が熱っぽいというか」
話を聞きながら、ルフトは別のことが気になっていた。
見かけたら、目で追ってしまう。
他の人に対するのとは違う気持ちを感じる。
―――それって。
いつからかそうなっていた、ドゥアに対する自分の態度と似ている気がした。
というか、そっくりだ。
『あら、やっぱりルフトはドゥアが好きなのね?』
昔、ラヴィナにそんな風に言われたことが、不意に蘇ってきた。
―――僕、やっぱりドゥアのこと……?
でも、それを認めると何だか今までとは彼に対する接し方が変わってしまうような気がして、慌ててブンブン、と頭を振って追い払う。
「……何してるんだ?」
「な、なんでもない! そろそろ帰ろう!」
訝しげに問われて、ルフトは強引に話題を打ち切った。




