05.三原濁
森を抜けて草原の果てへ。そこには由美子さんのスーパーなカーが停まっていた。
辺りには由美子さんのものだけでなく、他の人の車もいくつか停まっている。ここらにゃ僕ら以外にも人がいるということであるが、なにせ広いもんで出くわすことはそーそーない。
「ほっ」
彼女のスーパーな荷台に、詰め込んだ魔物入りのクーラーボックスを載せる。ツノイノシシの牙が実に厄介で、蓋を閉めるのに苦労したものだ。
牙を粉にして混ぜ込むと、なめらかなチョークになるんだとか...?
「あらよっと」
由美子さんもヒールの獲物が詰まった大きな箱を置き、代わりにまた別の箱を2つ持ち出した。
ひとつはおなじみのクーラーボックスで、もうひとつはかわいらしいバスケット。
「...で 次に狩るのはどれか」
周囲を警戒した様子で付近を周回していたヒールが、両手に箱な彼女に言う。
「ソイツを見つけてからだな」
「だいたいアッチの方だ」
彼女は肩をクイとすると、草原の左奥へと歩き出した。
「それが終わったら、飯にしよう」
「おお!」
「...」
ヒールはその背中を無為にひと睨みして、裸のまんま彼女の後ろへつく。
由美子さんの言う『イジワルなヤツ』とは何だろうかと、期待しながら僕も続いた。
「...」
...由美子さんは僕にはそんな、イジワルな挑戦を出してきたことはないのにね。
....僕がついて行く必要はあるのかな?
太陽は頂点を目指していた。
「──ん」
そうこう思て歩いているうちに、ヒールが遠方に奇妙なものを発見した。
彼の見つめる方にやると、巨大な爪を持つ四足の獣の 無残な死体が転がっていた。
その生気を失った肉体は、死肉漁りの鳥や獣たちによって 腹から食い破られている。
「ありゃあ...まだらアナグマだなあ」
先頭の由美子さんが足を止めて語る。遠目では判別しづらいが、小さな斑点が四肢に広がっているためだ。
「爪の大きさを弄れるヤバめな魔物で、特に天敵もいないはずなんだが...」
「いったい 何にやられたんだか」
少なくともそこにいる鳥でも獣でもないだろう。彼らは魔物でなく単なる動物だ。
「ほかの狩人じゃないですか?」
「だったら死体は持ち帰るだろ。あの感じ...部位を切り取ったりもしてないぜ」
なるほど勲章にもなりそうな立派な爪も、そのまま放置されているのだ。
では他の魔物にやられたか。(だとしたら、その魔物はどこに?)
あるいはやはり狩人が、荷物がいっぱいの状態で襲われてやむなく──
「──溶けている」
「え?」
誰に言ったとも思えないヒールの静かな呟きに、僕は驚いて顔を向ける...彼の横顔は、こちらに視線を返さない。
再びアナグマを眺めてみる...
けれどやはりこの遠間には、そんな溶け跡のようなものは見当たらなかった。風が伝える嫌味な匂いから、近づく気にもならなかった。
「ま、なんでもいいか」
「寿命だな、寿命」
彼女もそれほど気になるものではないと、止めていた足を前に進めだした。
僕らもぷいとクマさんから目を背けると、足の先から働かせ始める。のびのび育った草原の青草が、くるぶしを撫でるのがこしょぐったい。
「俺に狩らせたい獲物は あれぐらいのものか」
「ん、大きさはそんなもんだな」
「さてはジャンボドリですね?」
「鳥じゃあないんだなー!」
ところでさっきから時々、妙に固い草に引っかかって転びそうになるよ。びっくりするから勘弁して欲しいなあ...
太陽は傾きを小さくしていった。
日の光をいっぺんに浴びながら、緩やかな坂を膝を曲げて上る。頂ともいえないほど緩やかな坂のてっぺんには、太い緑木が一本生えていた。
由美子さんはその木陰に両手の荷物を置くと、そこからゆったりと辺りを見渡す。
僕は草っぽい風味の春風を胸で受けてみると、それからなんともとなく彼女を真似て周りを見る。
ヒールはきょとんとして木を見上げていた。
そんな彼に呼びかけるように彼女が言葉を発する。
「うし、いたいた」
「いつも こっから見渡せる位置でゴロゴロしてんだよな」
「!」
ヒール(と僕)がそれに釣られて彼女の先を見ると、それはまさしく『鎧馬』だった。
普通のウマより一回り大きな体躯と、それを支える太い足。
そして何より特筆すべきは、全身を守る鎧のような硬い外殻。
その鎧の間接部の隙間からは、青い魔力が蒸気のように漏れ出ていた。
「...あれが 獲物か」
「そ。鎧馬っていってな」
由美子さんがヒールと顔を合わせる。
「特に魔法があるわけじゃないが、そんかわりーあの鎧みたいな硬ったい骨の外装があってな」
「んで鎧の隙間の急所なんかは、ずーっと魔力でガードしてる」
「あの首の肉が柔らかくておいしいんですよねっ」
僕がじゅるりと口を挟むと、彼女はしたり顔で僕に目を流した。
彼女は唇から舌をのぞかせて、また目をヒールに振り戻す。
「ヒールの瞬間移動は不意打ちに便利だが、あれはどうだ?」
「ヤツに打ち込める弱点はない。まともな打撃は通じない」
鎧馬は、自分の防御に絶対的な自信を持っている。肉食獣のうろつく野生の草原で、群れもせずぼうっと草を食んでいるのがいい証拠だ。
「...どうだ、いけるかい?」
彼女が期待と扇情のまなざしで、傾斜にしゃがむ彼に呼びかける。
ここまでのヒールの狩りはすべて、転移で相手の急所に瞬打を食らわせて終わりだった。しかし彼女の言ったとおり、鎧馬には急所がない。
「...」
昔ある団員が挑んでいるのを見たことがあるが、それを見て『僕はやめておこう』と思ったのは懐かしい。
「やるつもりなら、気いつけろよ」
「あのぶっとい脚の蹴りは、ガードを貫いて内臓に響くぜ」
「うっ」
...その実例を僕は知っている。
「...」
「殺すだけなら 容易だ」
そんな化け物を正面に見据えて、彼は含みのある響きで言い放った。
「...へえ、どうやって?」
由美子さんが肩をすくめて聞く。
「俺ではなく ヤツを転移させるんだ」
「上空にな」
「「!!」」
ヒールの魔法は確か、自分と触れている生物を転移させられる。
だけど相手を動かすパターンは、意外にも記憶には少ない。
ギルドでラースを脱がせた時と、川で魚をとってきてくれた時と、学校でダイキを脱がせた時か...
あんまりいい記憶がないなあ。
「自分だけじゃなく、他のヤツも転移できるんか」
「ああ、お前には言っていなかったな」
ヒールは森で言葉遣いを煽られてムッとしたのか、いつのまにか敬語の努力を捨てている。
「そういや言ってたな、自分だけなら魔物を気絶させて転移で運べるいうて」
「はあそうか、そりゃ高いとこから落とせば死ぬよなあ」
彼女はぽかんとして空を見上げる。
「...殺してみせる必要は あるか」
「いやあ、いいよ。見たくない」
「きっとグチャグチャんなるだろし、臓物と混ざっちまった肉は食えねえや」
「そうか」
彼はそれを聞いて、どこかほっとした目つきでそう返した。
「もうじゅうぶん 殺したもんな」
「...?」
僕は草むらに座す彼の横顔を、吸い入るように見つめていた。
「──んじゃま、飯にすっか!」
その妙なしんみりを破裂させるように、彼女がぱあんと股を叩く。
「待ってましたっ!」
僕はめざとく木陰に置かれたバスケットに集る。
「ふっふー、これですよね?」
「鋭いねえリント、いい香りでもしたか?」
「ふん、新鮮な小麦の香り!」
「?」
ごはんに浮つく雰囲気を見て、ヒールもそっと腰を上げる。
「おうヒール、サンドイッチ食うか?」
彼女が太い木陰から呼びかける。
由美子さんのおいしいサンドイッチ!
「──必要ない」
「んぬっ」
「食事は家に用意してある」
「ああ、ならしゃあねえか」
「お前らが食っているうちに 俺も済ませる」
ヒールは坂の終わりからそう言うと、パッと姿を消してしまった。
「ええ!あっそういうことお!?」
驚く彼女の声が、ヒールの残像を通り抜けて草原を駆けた。
呑気な草原の一本木の元で、思いがけず由美子さんと二人きりになったのだ。
「3人分用意したんだがな」
「大丈夫です、僕、育ち盛りなので!」
「3人前もペロリです」
「おれの分までいこうとしてる?」
彼女は木の幹に寄りかかるように座り、バスケットの蓋をカサリと開ける。
僕が根っこを椅子にすると、彼女と座高がどっこいどっこいになった。
「いやあ、ヒールが鎧馬狩れるんなら...その肉焼いてパンに挟もう思ったなあ」
「あー!やっぱり食べるつもりだったんですね」
箱にぎゅうぎゅう詰めになったサンドイッチらを、僕らはパンを潰してつまみ上げる。
「──んむんむ、おいしい!」
中にはふんわり香るパンに合うように、シンプルなレタスとタマネギが挟まれていた。
シンプルなのは、やっぱりおいしいのだ。
「へへっ」
彼女は遠慮無くがっつく僕に対し、さらに大きな口で頬張った。
頑丈な顎でむしりとり、二口でひとつ消してしまった。
「でもちょっと、もの足んねえな?」
「てなわけで」
彼女はそう言うと腰の厳重なポーチから、ごろりと木の実を取り出した。
「あ!」
僕とヒールが森で狩りをしている横で、彼女がしれっともぎ取っていたものだ。
彼女は指からぽろぽろと実をレタスに着地させると、きれいに具材をパンにしまう。
それから僕ににやりと笑うと、それを豪快に食べてしまった!
「うーん、やっぱ合うなあ」
「──僕にもください!」
「おういいぜ、よく狩れたで賞だ」
「...ありがとうございます!」
彼女は片手でポーチに手をかけると、2つめのパンを開く僕に、丸こい木の実を振りかけた。
僕は新丁の本を閉じるように慎重に、具材をこぼさずしまい込む。そして勢いよく口に放り込んだ。
それは新しい要素だった。小麦の甘味、レタスのみずみずしさ、タマネギの辛み。3つのパラメータを高水準で満たしていたところに、木の実の酸味が新たに加わった。
「むふふふふ」
ぷちぷちの実が弾ける食感が、口に遊びをもたらしている。
「──ほんっとに合いますねこれ!」
「だろ?」
僕が楽しんでいる間に、彼女はもう3個食べ終えていた。
僕の両手が空になると、彼女は背を深く木に預けた。
「しっかし面白い子だね、ヒール」
「2人はどこで知りあった?」
「先週、ヒールがこの草原で迷子になっていたところを、偶然」
「あの辺りで!」
僕は草原の中央を指さした。
「迷子お?あんだけ目もよくて、テレポートできんのに?」
「あーそのへんは、僕にもちょっと...」
「僕もまだ彼のことをあまり知らないので」
「ほーん、あんな才能が...今までどこに埋まってたんだか」
彼女はそれ以上パンに手をつけなかった。ヒールの分を残しておくつもりのようだ。
僕もそこで食べるのをやめ、バスケットにたかろうとするアリんこ共をしっしと追い払う。
「...いや待てよ、自分以外も転移させられるなら」
「──あの」
僕は根っこから尻を外して、真剣に何かを呟く彼女におずおずと話しかける。
「...どうか、した?」
「由美子さん的に、例えばヒールだったら大範に入れると思いますか?」
大範とは、ノルム国唯一の国営ギルドである。その特権として中層に降りることが許可されており、由美子さんも一員として魔族との戦いに加わっている。
「ヒールだったら、そりゃあもうヨユーだろうよ」
「試験なんか受けずに、どこぞの英傑みたいに向こうから勧誘が来てもおかしくない 」
「やっぱり...」
彼の能力は、はっきり言って異常なのだ。
それこそ彼女の言う英傑と、肩を並べて語られうるほどに。あえて欠点を挙げるとすれば、ケンカっぱやく協調性に欠けた性格ぐらいのものだ。あと服。
「...それで、どうかした?」
「!」
彼女はその先の質問も見透かしていた。
「ええと、じゃあ...今日の僕だと、どうでしょうか」
「ああ...」
彼女は、ほら来た、と眉を上げたが、それでも返答には渋っていた。
彼女はにこやかな表情を崩さないが、それでも内の厳しい心境は見て取れてしまう。
「んま...努力次第だな」
「し、渋い!」
「わりい ウソつくわけにもいかねえしさ」
「ああいや、いいんです」
「率直な評価がいただきたかったので」
「...高校卒業したら、大範受けるんだっけ?」
「はい、あと1年と10ヶ月...一応、卒業式より前にあります」
「そっか、頑張らなきゃなあ」
「ひょっとしたら、一回じゃ無理かもしれませんけど」
「そしたら来年、再来年と...」
「ああ...その、無理だとまでは思わねえよ」
「実際 今日のイノシシ狩りはかなり理想的な動きだったし」
「僕も手応えは感じました」
感じたよ、感じたけどね。
僕は見てしまったから、死体の山を。
「...僕も」
僕にも、必要なんだ。
由美子さんのテレパシーや、ヒールのテレポートみたいな...強力な武器が。
「...」
「...そこまでして 目指す価値のあるものかねえ」
僕らは同じ木の元で、長く太い影に包まれて居る。
太陽も頂点に座していた。
「...おい」
由美子さんが ふと立ち上がる。
「──おい 馬が走ってくるぞ!」
「ええっ?!」
彼女に腕を引っ張られ立ち上がった。
彼女の気迫がかった声に慌てて見てみれば、遠くで草をむしっていたはずの鎧馬が 見たことも無いほど全速でこっちに駆けてくるのだ!
「ひええ」
鎧馬は息を荒げて、全身から蒸気のように魔力を吹き出して後方に流している。
うわあ!やる気だ!!!
「...あ?」
しかし、幸いにも...鎧馬は僕たちからだいぶ横を通って、緩やかな坂を上ってまた奥へと下っていった。
「...なんかスゴい、慌ててるみたいでしたね」
僕はほっと胸をなで下ろして言う。
「...逃げていた、何かから?」
けれど彼女の胸はまだ息を張り詰めていた。
僕はその様子の彼女を見ると、再び動悸が高鳴りだす。
その時、後方で ずしゃあっ と重い引きずった音がした。
ぞっと振り返ってみると、鎧馬が転んだ音だった。
「あっ」
溶けていた。
硬く守られた後ろのひづめが。魔力を纏った拳も通さない、鎧に包まれたふくらはぎが。
「リント」
「は、はい」
「そこから動くな」
「は、はい」
言われなくともそのつもりで、というよりそれしかできなかった。
僕の体は異様な緊張に呑まれて、背中を木に預ける形でしか立っていられなかったのだ。
由美子さんは僕の前に立ち、さきほどまで馬が草を食べていた場所でゆらめく、不気味なそれに向かって叫ぶ。
「何の用だ!」
「ラース!!」
それは応えない。ただ焦点の定まらない目をぎょろぎょろとさせて、亡霊のような歩みで近づいてくる。
それが平常に増して正気でないことは明らかだった。
「止まれ!!!」
彼女の声がようやく届いたか、それは坂の一番下で止まる。疾走すれば5秒で縮まる距離だ。
「何の用だ、ラース?!」
こちらも縮み上がってしまう程の彼女の圧声に、それもたまらず面を上げる。けれど目は絶えず蠢いている。
重苦しい沈黙の中それの返事を待つと、ようやくうわごとに口を開く。
「あれ~?ヒールくん、いないの~?」
「3人で来てたよねえ~?」
普段とも少し色の異なるとろけきった口調は、僕の耳を恐怖で腐らせるようであった。
「ヒールならいねえぞ!」
「いるよいるいるみたもん」
パッ
「──済ませたぞ」
「うわあ、今、きちゃだめ!」
「...あ?」
由美子さんが追い払おうとしたその最悪のタイミングに、ヒールが木の元に戻ってきてしまった,,,
「げ、もう食べちったか」
「お前らもそうだろう」
「...!」
「あいつは...」
「あ ああ」
しきりに乱走するその両の目が、磁石を近づけた指針かのごとく彼に釘付けとなる。
「...前にギルドで会ったヤツか」
「うんっ。ラースだよ」
「でも様子がいつもより変...」
「ああ~」
それは惚けてうわずった声を上げると、両腕で腹を押さえて声を絞り出す──
「──ヒールくん!」
「わたしね!お金えっ足りなくて、ヤマ、逃しちゃって!」
「借金も!壊れちゃった!!」
「...何を言っている」
「ああいうのは...うん、知らない方がいいよ」
「なぜだ」
ラースの脳はギャンブルに取り憑かれている。ヒールにそれを理解させるのは酷だと思う。
「...あーはい、先週の件ね」
由美子さんはヒールを見合わせて、訳を知り安堵の息をつく。
状況を理解し落ち着き払った彼女を見て、僕は木から背中を離せるようになった。
彼女は坂を見下ろして、肩で息を吐き腹を押さえるラースに叫ぶ。
「おいてめえ!」
「借金なんざてめえの責任だろ!?」
「ガキに当たるなんざみっともねえぞ!」
「──うるさい!!」
ラースの腕はわなわなと震え、手のひらをぎゅうと握り込んだ。
「...」
そんな言い争いをしている裏で、ヒールは倒れ伏す鎧馬を見つけた。
「──なあ」
そして由美子さんの横に並び立って言う。
「お前ほどのものなら いくらでも狩りはできるだろう」
「それでも金に困るものなのか」
「う う ううるさい」
無遠慮に投げかけるヒールにガンを向けて、その歯をがちがちと痛く鳴らす。
「うううるさい、うるさい」
握られた拳の 指の隙間から
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
──きいろい、粘液が。
「ヒールっ!!」
「──うるさい!!!」
僕が木を蹴り駆け出すと同時に、ラースは大きく右腕を振るう。
最高速で手を開くと、濁った黄色の粘液が、弧を描いて坂を駆け上がる。
「ちっ」
由美子さんは軽く舌を打つと、即座に足を地に刺して土を蹴り上げる!
緩やかな坂の中央から少し手前にて、ふたつの円弧がぶつかった。
両者は宙で混ざり合い、そのまま地に落ち坂でずり広がる。
...由美子さんの蹴り上げた土には、蟻塚の一部が含まれていた。
「ひっ」
ぐず ぐず と、無数のアリが泡を立てて崩れおちていく。
ラースの黄色い『酸』の粘液だ。
「...シャレに なってねえぞ...!」
足を強く下ろした由美子さんが、困惑と怒りをあらわにする。
「しゃれ?しゃれえ?あはははは」
「あははははははは」
だがその怪物にはもはや、彼女の感情など届いてはいなかった。
由美子さんは鋭くため息を吐くと、僕らに真剣なまなざしを向ける。
「...二人とも、さがってな」
「おれがやる」
「由美子さん...!」
僕は彼女の決意をくんで、邪魔にならぬようヒールと下がろうとした。
「──ゆみこ」
「...なにか、ヒール?」
「ヤツの怒りは俺に向けたものだ」
「お前には関係ない」
「あるさ」
「ウチの後輩なんだから」
「...」
「任せとけって」
「死ぬぞ」
「舐めんな」
「...」
ヒールはそれ以上食い下がらなかった。納得はしていない様子だが、おとなしく僕と共に大木の陰についた。
「ふ~ん?」
ラースはそんな僕たちのやりとりを、片手で口を抑えながら見届けていた。
もう片方の緩い握りこぶしからは、しきりに液を垂れ流している。
地面から糸を引いたそのだらしない粘液を、由美子さんは冷めた目で見つめて言う。
「ラースやあ おれのいないうちに、ずいぶん好き勝手してくれたそうじゃねえか」
「由美子ひゃん~かうぁってるんら~偉いねえ」
ラースの虚ろな目は彼女の方に向けられ、妙に舌足らずな口調で応戦する。
「子供は守られる存在だよ」
「おまえみたいなしょうもない悪党からな」
「偉いよね~由美子ひゃん、いろんらギルドでみんらを助けてて」
「でもわたしのことは~助けてくれないんだね」
「おう ちょうどいいや」
「アタマぶったたいて直してやるよ」
「えらい、えらいよ由美子ちゃん。でもでも忘れてな~い?」
「ウチじゃあ わたしの方がずうっと先輩だっって...!」
ラースが両腕をだらりと下げると、陽炎のように魔力が全身から吹き上がる。
「...」
彼女もそれを見てから、自身も体を魔力で覆う。こちらはトゲのある荒々しい様相だ。
「ううふふふふふふふふふふふ」
ゆらりと顔を持ち上げたラースの その瞳は闘志に燃えて、いささかの正気を取り戻したかに見えた。
僕らは静かに陰に身を潜めて、ただそれを見ているだけだった。
「...」
僕は不安げなヒールを見て、こちらに顔を向けさせる。
「大丈夫だよ、由美子さんすっごいんだから」
「申し訳なくはあるけど、大範の戦士の戦いを見るチャンスだよっ」
「何のために ゆみこは」
「...関係ないのに」
「善意だよ」
「あの人は、そういう人なんだ」
「...危険だ 馬鹿げている」
「...アイツは俺たちを殺すつもりだぞ」
「うん、そう...みたいだね」
「だが 死ぬ気でもいる」
「...えっ?」
──ラースが音も無く膝を曲げて長い足をたたむと、地面に伸びた粘糸がくにゃりと折れる。
それを一気に伸ばした反動で 坂を素早く上がっていき──
一発、右手を突き出した。
「!」
ラースは右手から魔力を放出することで、その平の酸を由美子さんに飛ばす。
彼女は軽く左に跳んでそれを躱した。
酸を消費した右手側に立ち回ることで、優位に立とうとしたのだが──
ひゅっ
右手を引いて上体をひねりつつ 下からすくい上げる左の大振りが、斜めの弧を描いて酸を散らす。
骨をも溶かすおぞましき魔の粘液──を。
彼女は勇ましく突っ込み 右手側にステップで抜けることで、そのままそれの背後をとった!
「んふふ」
瞬間 それは上体を更に更にひねり込み、左足を勢いよく上げてひねり跳ぶ。
そして彼女の頭に振り下ろすようにつま先を──防がれる。
一歩前へ出た彼女の右腕によって。
「わあっ」
僕は思わず感嘆の声を漏らす。
由美子さんは防いだ右腕から手を曲げて、ラースのくるぶしを掴んだ。
それは逆さで宙吊りになった。
「あはっ!」
けれど それは狂喜に顔を歪ませて、新たに酸を補充した両手で彼女に襲いかかる。
彼女はそこでタンと地面を蹴ると
「──シッ!」
空を切るような左の回し蹴りを、逆さの腹におもいきり刺し込んだ。
「オっ...」
衝撃でそれの足は彼女の手を離れ、等高線に沿って吹き飛んでいく。
べちゃりと付近に黄色い液が散らばる。
その一部は服にもかかってしまい、彼女は大事に至る前に被弾箇所を大きく破った。
「...」
長らくフルオロギルドに身を置いて、周知されきったラースの弱点。
粘液は手の平からしか出せない。
ラースはぴくぴくと揺らぎながら、口を手で塞いで嘔吐を防ごうとする。
それでも由美子さんが迫る頃には、再び不敵な笑みではだかり迎え撃つ。
ガ ガッ...
だがやはり、先の一撃は甚大だった。比べて速さに乏しい両の手首を、上から彼女に押さえ込まれた。
彼女は手首をぐいと押してそれの背中に追いやって、がら空きとなった顎に蹴り上げようとする。
それは『終わり』を感じさせる絵面だった...
「れえ~っ...」
足先がラースの腹まで持ち上がったとき、それは不気味に頬を上げて、口を大きく彼女に向けて開けた...
その口から 黄色い粘液が 妖しく糸を引いて垂れ落ちる
「──ッ?!」
由美子さんは寸前を足を止めるも、上がりきった重心を
ラースの足払いで掬われる。
「う ふ ふ ふふ」
「ッてめ...!」
起き上がろうとする彼女に、しかしそれは容赦なく飛びかかる。
それの歪んだ魔の手が 彼女を
「──おうる らあっ!!」
切なる叫びと共に彼女はラースの肩を捉え、背を反らし後方に投げ飛ばす。
それは坂をはるかに転げ落ち、下端のさらに奥で倒れ止まった。
「...ッ」
「ぐっ...!」
「──由美子さん!」
僕はたまらず彼女に駆け寄ろうとした。だがそれを彼女の鬼の形相が止める。
...由美子さんの正面の服は裂け、その腹筋が酸によって蝕まれていた。
ぐずぐずと沸騰した音を立て、赤い化学やけどのようなものが見える。
「ヘーキ、ヘーキ」
「中までは届いてねえ」
幸いにも飛沫に触れた程度で、塊の直撃は避けていた。それでも彼女の腹からは、耐えがたい激痛が走っているはずだ。
「...油断した」
「気づくチャンスはあった」
ラースはあらかじめ、手から出した酸を口に含んでいたのだ。
そんなことをすれば口の中が...というかそもそもその前に、手がドロドロになりそうなものだけど──
──魔法によって生み出したものは、その者の一部のようなもの。ラースの生み出した粘液が、ラース自身を傷つけることはないのだ。
「...」
ヒールは呆然とした様子で由美子さんを、そして坂下のラースをただ見ている。
彼女と同様にラースにもダメージがあり、じっと仰向けで空を見ていた。
体勢を立て直した彼女が 坂を下ろうとすると──
「ん?」
草原の向こうから、走り寄る姿を見つける。
「...」
あれは死肉漁りの獣だ。ラースに死臭をみて駆けつけたのだ。
ややもして傍まで近づき、まだ息のあるラースに食いつくとき──
「んふっ」
「キャンッ!!」
「「!?」」
ラースが突如として上体を起こし 獣の喉元を掴み、それから魔力を纏った貫手で腹に腕を突っ込む。
「おい...何してる!?」
「う ふ ふ ふふふ」
「──キャンッ」
「ギッ...」
「キャン...!」
草原に波紋する獣の悲鳴。それを見て威嚇していた他の獣も、次第に後ずさり逃げていった。
訳のわからない猟奇的な行動に、僕らも口を開けて見るしかなかった。
「......ふう」
やがて獣が叫び声すら上げなくなると、ラースはねとりと腹から手を抜いた。
その腹は ありえないほど大きく膨らんでいた。
腹に空いた小さな隙間から、赤黒いものがどぷどぷと流れ出る。
「うっ...」
さんざ魔物の死体を捌いてきた僕でも、受け入れがたいものがそこにあった。
「んふふっ...」
ラースは僕ら全員を舐めずってひと睨みすると、おもむろ獣の足を掴み上げ
手首で強烈なひなりを加え、遙か上空に打ち上げた。
ぐるぐると激しく回るうちに、その腹はさらに膨らみを増す。
まわって、膨らんで、まわって、さらに膨らんで、ふくらんで──
「──避けろ!!」
彼女が激を放つのと同時、その腹が空気を割って爆発する。
中に貯め込まれた赤黒いものが、雨のように僕らへ降り注ぐ。
雨は円状に広がって、辺り一帯の草や花に。
「うわあ!」
僕とヒールに向かった雨のほとんどは、大木が優しく受け止めてくれた。
その赤黒いものが 血や臓物だけではないことは、この瞬間の後に明らかとなった。
「んな...っ!?」
木々が、草が、花が、バスケットが。たちどころに熱を帯びて発火しだした。
「あっ...」
「あはははははは」
──ラース・トライガの『三原濁』
過熱を帯びた赤い粘液と、強く粘りつく白い粘液。そして骨も溶かす黄色い粘液を、手の平から無造作に生み出す──
「おまえら!!」
ラースがそれを狙ったかは知れないが、赤は僕とヒールを中心に広がった。
由美子さんの方の雨は薄く、袖を破りとるだけで済んだ。
だが円形に広がった炎のフィールドが、僕ら全員を取り囲む。
「くっ...」
僕はひとまず焼け落ちそうな木から離れる。
...そういえば、ヒールは?まあ転移で逃げられるし無事だと思うけど──
じりっ
「──ヒール!?」
立ち呆けている彼の右肩に、赤い粘液がしっかりと焼き付いていた。
「たいへんっ...ヒール、どうしたのさ?!」
僕は急いでまた木に駆け寄って、彼の肩をちぎった袖でぬぐう。
「あ...」
ヒールはぼうっと空を見て、それから散った獣の破片を目で追っていた。
「熱っ...」
焼け焦げそうになる彼の肩を、僕はひときわ強く拭い取って言う。
「ヒール!!」
「──ッ!」
耳元で叫ばれてはっとしたのか、我に返った彼が首を振り僕に向く。
「大丈夫?ケガは?」
「......」
彼は僕の目をじっと見て、何も言わずにそのまま視線を外す。
そして彼は僕の前から消えた。
足下に赤い粘液が落ちる。
「──なあ、もうやめにしようぜ!」
「なんだって ここまですんだよ?!」
僕がヒールの肩を拭っていた最中 その一方で...由美子さんとラースは、またも触発の寸前だった。
「なんだってえ?なんで~?わかんない」
「わたしにもわからない、わからない」
ラースは何かうわごとを垂らしつつ、ゆらりと彼女に近づいていく。けれどこころなしか、ラースも火を避けて通っているように見える。
「クソッ...」
由美子さんも仕方なしに、僕らのために...戦いを続けようとする。
「...?」
異変である。
彼女の足が動かないのだ。
「うふっ」
...白の粘液。戦いながらか、もしくは戦いの前からか...そこら中に撒いていたんだろう。
それが彼女の靴と地面を強固に繋いだのだ。
「──しゃらくせえ!」
彼女がぐっと足に力を込めると、容易く靴は裂け彼女の素足が飛び出てくる。
だがその隙を、ラースは見逃さなかった。
彼女の正中線をめがけた、縦振りの酸性の斬撃が飛ぶ...
「由美子──」
パッ
「──さんっ...」
「...?!」
瞬間 二人の間に割り込んだヒールがその斬撃に触れると、跡形もなく消えてなくなった。
「ヒール...おまえ」
「...!」
そうか。
魔法で生み出したものは、体の一部のようなもの...だからヒールの転移できる『生物』だとみなされるんだ!
「ヒール...くん?」
「ヒールくん、ヒールくん、ひ──」
パッ
「──お前」
「!」
彼は転移によってそれの眼前に迫り、その両腕を捉えた。
ラースは驚くも、嬉々として手から酸を生み出し始めて──
「──お前、死にたいのだろう」
「だったら 俺が殺してやる」
「...ほえっ?」
次の瞬間、2人の姿は消えて...ヒールだけがすぐ僕らの元に戻ってきた。
「...ラースはどこに?」
「上」
「──わっ」
「────あははははははははははは!!!!」
高度いくらかもわからないメートルの上空から、驚喜に満ちた笑い声が聞こえる。
「あ──ははははは」
雲を突き抜け、やがて小粒ほどにその影を捉えた。
「あ────しぬ!しんじゃうっ!」
「っ──ふふふふふっ」
「──ここ!ここです!!」
僕は足で地面を踏んで彼女に合図する。
「おう!」
由美子さんは両手を天に掲げると、魔力を過剰に放出した。
そして無防備に垂直に落下するラースを、広げた魔力をクッションにして受け止める!
「よし、なんとか」
「ナイスキャッチ!」
「──何をしている??」
無事に歓喜する僕たちを、ヒールが信じられないという顔で見る。
「だって、この人死んじゃうよ?」
「当然 殺すつもりだった」
「そんなことしちゃだめだよ!」
「は...?」
ヒールは至極当惑した口で、由美子さんの抱えているそれを覗き込む。
それは目を閉じてヨダレを垂れ流していた。
「...こいつは俺たちを殺すつもりだった」
「そしてこいつ自身も死ぬつもりだった」
「んん、その死ぬつもりってえのはよく分からねえけど」
「あんまし殺すってえのは、気分のいいもんじゃねえだろ」
「こいつは目を覚ませば また殺しに来るぞ」
「殺す気で死ぬ気とはそういうことだ」
「そんときゃ、そんときだ」
「コイツがここまでされて、まだ殺る気でいるようなバカならな──」
由美子さんはそう言って、ラースを持ち上げて顔元で呼びかける。
「おい、起きろ」
「んう...?」
それはぐったりと重くまぶたを開ける。
「よかったなあ、お前 死ぬとこだったぞ。感謝しろ」
「...死ぬとこだったんは おれもだけど」
彼女は一瞬ヒールに目配せをやると、ラースから目を離すまいとギッと見た。
...そのラースは意識を確かにすると、抱えられたままヒールに顔を向ける。
僕は固唾を飲んでそれを見守る。
「──あ」
「ヒール...くん」
それはじゅるりと唾液を吸うと、飲み込んで。
「えへえ」
それからだらしなく口をあけた──
「──もっかいっ」
しゃっくりのように吊れた声で言った。
「...あ?」
「もっかい、もっかいして」
「さっきの、高いやつ!」
「...ええ?」
僕らは皆ぽかんと気をとられた。
「──おねがい!すっごいたのしいの!」
「ヒールくん、さっきの、さっきの──」
どしゃあっ。
「...」
由美子さんがそれを地面に落とした。
「あへえ...」
それは笑顔で気を失った。
「...うん、大丈夫そうだな」
「帰ろ」
由美子さんの冷めた一言で、僕らは周りの火消しに走った。
もともと水を多く含んだ草であったので、それほど火事は深刻ではなかった。
そしてラースを置いて去った──
「んもー車が重たいよ」
由美子さんが苦笑しつつハンドルを切る。ゴトゴトとザラメな道を行く。
「狩りすぎなんだよ」
後部座席、僕の隣にて。ヒールが呆れたように言う。
「ヒールがようなんでも狩れちまうからさあ」
「すごいよねえ、ホント!」
僕ら2人してヒールを讃えるも、彼はまだ俯いた様子でいる。
「...」
「よかったのか」
「ん?」
「...奴を死なせたくなかったのだろう」
「あんな魔物のいる場所に置き去りにして」
「死なせたくねえってか、殺させたくねえってか...」
「...とにかく、ヘーキだよ。ああ見えてもベテランの狩人なんだ」
「10年近くやってるんでしたっけ?」
たぶん、それ以上。
「10年...?!」
車が緩やかなカーブを描く。
「へっ...」
「にしても、ヒール。さっきは助かったよ」
ハンドルをゆっくりと回しつつ、彼女がルームミラー越しに感謝を告げる。
「ありがとな」
「...お前は 関係ないってのに、よく...」
「...少し見直したよ」
「ガキに見直されてるようじゃ おれもまだまだだな!!」
「──どういうこと??!」
「...はっ」
車が長い直進に入る。
...と、彼は。
ぽすっ
「!」
──軽く柔らかい音を立て、背もたれに背中を預けた。
それは長い狩猟による疲労か、それとも───
「ふふっ」
「...何だよ」
「なんでもっ」
「...」
車は僕らを支えて走り続ける。
太陽は山のてっぺんを、ころころと転げ落ちていた。
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