02.人間コンプレックス
ギルドを出て、タクシーで最寄りの駅まで。そこから列車で十数分。
車内はいたく静かだった。
お互い時折り顔を見合せては、黙って車窓の景色の移り行くを眺む。
「...」
顔の見えない運転手、得体の知れない乗客共、揺れ動く古ぼけた鉄の床板。
それらは俺の心を強く揺さぶった。
そんな不安に駆られる度、彼女の方を静かに見つめる。
心配する事などないと、気を抜いた様子のリントを見ると、不思議と緊張が和らいだ。
ともかくも、無事に目的地に着いたのだ。
色取市 長志青町──
リントが住んでいると言うその町は、いわゆる都会と田舎の中間のようであった。
整った道路の両脇には、並木が几帳面に等間隔で立つ。遥かには町を二分するような、浅く長い川が望めた。
くすんだ車窓から見える限りではそれまで。
汽笛と共に扉が開き、流れに任せて外へ出る。
彼女は駅から降りてすぐ、目と鼻の先を指差した。
「見てえ、イロドリの銅像」
示した先には 台座に両足を固定された銅の鳥が、丸い多翼を広げていた。
周りに人が集りあって、写真を撮るなどしている。
市を象徴する鳥だそうだが、どうやら実在はしていないらしい。
「設定的には虹色の翼なんだけどさ、なんで銅で作っちゃったかな〜」
「色が死んでいる」
鳥を振り抜けて前へ出ると、盛んな大通りに躍り出る。
「さっ──ここからだね」
車の左往を側に見て、彼女は町歩きへ連れ立った。
まずは駅付近のお手並みから、
「ここら辺は...う〜ん、駅近のテンプレって感じ」
「テンプレ?」
彼女に歩幅を合わせて道を歩く。
「よくあるチェーン店ばっかなんだよね」
「あんまり目新しさは無いかも」
「俺にはどれも馴染みない」「うそおっ」
訝しく目線を店沿いに走らせる俺を、リントは信じられないという表情で見てくる。
「あの牛丼屋さんなんか、どこ行ったってあるでしょ」
彼女が口を半開きにして指す。
「そもそも、店というものを見る機会がなくてな」
「──」
彼女が口を大開く。
彼女からすれば、この店々の立ち並びは当然の光景なのだろうが。俺にとっては全て初めての触りとなる。
「──んんっ」
リントは顎を持ち直すと、汚れもないのに肩を払う。
「ねえヒール、お腹すいてたりする?」
「食事はあらかじめ済ませてある」
「うぐっ」
この大地に登り立つにあたって、俺は万全を期してきた。
水はもとより、保存食も大量に仕込んである。
「...じゃあ、小腹は?」
彼女はなおも食い下がる。
「ちょっとは空いてるんじゃない?」
そう言って彼女は手を俺の腹へと伸ばす。
「やめろ」
その手を打ち落とした後に、リントの細い腹に目を向ける。
「...空腹なら、俺に構わず食え」
「えへへ、ピョンコドリと追いかけっこしてたら ちょっとね...」
彼女がへその辺りをなぞると、手に従って服に小さな皺ができる。
「でもヒールにも、お店の味を知って欲しいなーって」
「店で食べ物を買うという事か」
「だがな お前ら人間の作った物は体が受け付けないんだ」
「すごい差別だー!」
「って、違うか」
彼女は盛り上がった後に落ち着く。
彼女は立ち止まって往路の端に寄り、それから俺を手招いて言う。
「そーいえば、人のことを信用してない〜とか言ってたね」
「言ったか?」
「いったよ、タクシーで!運転手にすっごい失礼な言い方でさ」
彼女が車内でのやり取りを掘り起こす。
「...そうだったか」
確かに俺は車を操る謎の男に 警戒してぶっきらぼうに当たっていた。
「だが、そうだ 信用はできない」
「誰とも知らない奴らが作った物を口にするなどもっての外」
俺にとって 人は審議の対象だ。
「──じゃあ、僕は?」
彼女が立ち止まって言う。
「僕にはいろいろ任せてくれてるよねっ」
自分は特別とでも言いたげに胸を張る。
「...お前は公理のようなものだ」
「人の世を理解するために、ひとまずリントを正しいとしておいている」
...全てを疑うだけでは何も進まない。
俺は最初に出会ったリントという人間を足がかりに、この未知の世界を開拓していくと決めた。
「うーん、ひとまず僕のことは認めてくれてるんだよね」
彼女は往路の端に寄る。
「ああ」
それから俺を手招いて言う。
「よしっ」
「一瞬!コンビニ行ってくるから、ここで待ってて!」
ばびゅんっ
...と風を切り彼女が駆け込んだ先は、やけに角ばった外装の小店である。
店内の白い蛍光が、窓を抜けアスファルトに滲み出ている。
その硬い外観と合わせて、纏まった小綺麗な印象を受けた。
「──」「──」
そのガラス壁の向こうにて、小袋を店員に渡すリントが見えた。
彼女は財布から金を取り出すと、それと引き換えに小袋を取り返した。
「...」
出口を向いたリントと目が合う。
「にーっ」
んゅびば
と音がした気がすると、彼女が超速で戻ってきた。
「ふっふっふ」
その手には、袋詰めのパンが持たれていた。
中には黄緑で半球型のパン。
『メロンパンとチョコチップメロンパン』袋にはそう記述されていた。
「...メロン パン」
俺がそう呟くと、リントは口を柔くしてにやつかせる。
「うんっ!僕これしょっちゅう食べるんだー」
「安くて甘くてお腹も膨れるの」
彼女はガサガサと響く音を立てて、透明な袋をこじ開けた。
そのパンは4個入りだった。淡い網目のみ広がるものが2つ、黒い斑点がまぶしてあるのが2つ。
「はいっ」
彼女は取り出したその1つを俺の手に...ではなく、俺の口の方にむんずと近づける。
「おい...」
彼女の怒涛の勢いにも、俺は躊躇を示してしまう。
そこでリントは袋を持った手を、そのまま自身の口に寄せていく。
「むっ」
そうして両手が塞がったままで、中の1つを口でつまみあげたのだ。
リントは器用に歯舌唇を動かして、彼女の口よりは大きいそれを頬張る。
咀嚼中ゆえ彼女は喋らないが、もごもごとした口と目で訴える。
「...うん」
俺は口元に差し出されたパンを手に取り、その端から小さく口にした。
柔肌の外皮は噛み千切るのに容易で、舌に触れるとざらついた糖の甘みが溶け出した。
さらに噛みすると麦の風味も広がって、これにはまた別種の甘みがある。
総じて甘味を前面に押した圧糖的な品であるが
「...おいしいね」
「よかったっ」
新しいばかりの景色に巡られて、疲弊した脳によく染みた。
俺は求めてまた一口二口と続ける。
中央部は空洞が広く、端と比べて薄味だなんて思いながら 気づけばひとつ食べ終えていた。
「はふ」
彼女はそんな俺の様子を見届けると、飲み干すように丸ごと噛み殺した。
「人のもちゃんと食べられるでしょ?」
それから 口周りを指で軽く拭いて問いかける。
「ああ 悪くない」
そう無為に強がった肯定を示すと、彼女は満足げに口角を上げた。
「ふふふ」
「糖分も補給したし、万端だねっ」
そして残り2つを入れたまま袋を縛ると、彼女は勇みよく先を歩いた。そのステップに合わせて、彼女の背負うリュックが上下に揺れる。
俺は舌に残る余韻に浸りつつ、彼女に導かれるまま道を進んだ。
......歩いていくうちに、水の絶え間なく流れる音が大きくなる。
列車の窓から見渡した、あの川の側まで来ていたのだ。
長くうねり町の形に沿った流れ。それはどこまでも続いて見える。
「もうちょい近くで見る?」
リントは高くかかった橋の方ではなく、スロープを選び低い川面へと下る。
「これは春努川」
「ギルドで見たあの海の方まで続いてるんだよ」
俺も砂利に足をつけて見物する。川幅は遠くで見た時以上に広く思えた。
その透き通った水色は、
「中の魚まで透けて見える」
「鳥からすれば食べ放題じゃないか」
「市で保全活動に力を入れてますから」
「川べりではね、祭りなんかも開かれるんだよっ」
「祭り」
そう単調なフレーズを返す。
「うん、伝統的な踊りとかそんなのは無いケド」
「色んなトコのおいしいモノが、屋台でいっぱい並ぶんだ〜」
リントは河原を舐めるように見渡して、大物の唾を飲み込んだ。
「へえ」
俺が再び川へと目を向けると、訳知る魚が目に入る。
ニジマスだ...身の良く引き締まる。
俺はそこでふと思いつく。
「よし」
さざ波の周期経つより早く
俺は転移で川中のニジマスに触れる
彼女の隣で浮く服に、そのままスポリとまた転移で
戻る。左手に魚を掴んだまま。
「わっ」
リントは俺の手の中でピチつくニジマスを見て端声を上げる。
「パンのお返しに」
俺が得意げにそれを彼女に掲げると、魚は一際大きくはためいた。
「...あっ、うん!ありがとう」
彼女はそれを見て少し怪訝な目をして、しかし礼を言いこれを受け取った。
魚を捌くのは得意だ。調理は任せてほしい。
俺は彼女にそう言うつもりだった。
「...あ〜」
だがリントは受け取った方と逆の手で、申し訳なさそうに手を平にする。
「でも実はこれ、取っちゃだめなんだよね...」
「え」
「川の魚を勝手に取るのは、市が禁じてるんだ」
「!」
「だから、ごめんねっ」
彼女はニジマスを優しく手に持って、駆け足で川べりに近寄る。
ちゃぽんっ
そうして川にリリースした。
「...」
魚は尾ひれを振りしばき、急ぎ行き川を下って行く。
俺の礼はそうして無駄に流れていった。
「...管理されている川だもんな」
「そりゃあ、みんなのものか」
「うん」
「隣のワクテラ町とかなら、つかみ取りのイベントとかもあったりするケド」
彼女が東の方を向く。
「そこで取って来りゃいいんだな」
「そうじゃなーくて...」
「お礼とか気にしなくて良いから」
横目で俺を見てそう言って、彼女はまた俺に向き直る。
「今は僕がもてなすターンでしょ?ヒールがくれたピョンコドリに応える番」
「だから好きなだけ頼って」
彼女は大いに反ってリュックの紐を張る。
「...分かった」
俺が了承して引き下がると、彼女がリュックに手をかける。
そして中から先の小袋を引き出す。
「──パンもいっこ食べる?」
「欲しい」
俺はリントから再びメロンパンを頂く。彼女も最後のひとパンを、袋からその頭だけ出した。
今度のは半球の殻上に、黒い斑点が足されていた。
「...」
俺は彼女の一口を待たずに頬張る。
黒点を砕くと、鼻から抜けるように香りが広がる。ねろりと舌に纏いつくような甘みが、口全体を支配する。
「...」
俺がたちまち半分を噛み付いているのに、リントは一口もせずにただこちらを見つめている。
「...ところで聞きたいんだけどさ」
「ヒールは 別に 観光目的で来たわけじゃないよね?」
「んぐっ」
俺は勢いで顎を強く閉じる。
「あっごめん、食べてからでいいよ」
「ただやっぱりちょっと変...ていうか」
「多分だけど、ヒールって──」
「──俺が」
口が過ぎるリントを黙らせる。
「俺がどうかは問題じゃない」
「余計な事を聞かず 俺への恩を返すことに全うしろ」
「そんな...」
「メロンパン咥えながら凄まれても──」
「──咥えてない!」
俺は明らかなように手を下げ パンを口から遠ざける。
「...だが、そうだな」
「この際 俺の目的を言っておこうか」
「んっ」
彼女がガサリと音を立て、袋を胸元へと下げる。
俺は彼女の目を見据えて話す。
「俺はこの町で 住むための拠点を探している」
「...!」
「身を休めるのに十分でなくとも、荷物を預けられる程度ならいい」
自分が奇異な事を言っているのは理解している。
「どこか適した場所を知っているなら 今 教えてもらおうか」
俺は身の上を隠して彼女の町へ転がり込み、あまつさえ居を構えようとしているのだ。
「...」
この町にとって、リントにとって 俺は 排除すべき異物だ──
「──うん、そう言うと思った!」
「!?」
彼女は待ってましたと言わんばかりに、得たりと良い調子で言い放つ。
「アテならあるよ、僕に任せてっ」
「あるのか...」
「むんっ」
彼女は親指を立てつつ、袋からパンを飛び放って呑む。
「...じゃあやる事その1は、お家探しね」
彼女は1の指を立てて、そして2の指を開き次の存在を示唆する。
「いち?」
「ふたつめー」
「ヒールの服を買う!」
「──必要ない」
「要るから!ハダカで歩くつもり?!」
やにわに断った俺に、リントが小声で圧をかけてくる。
「...裸だと逮捕されるんだったな」
「しかし、俺にはこの──」
そこまで言いかけて気がついた。
「ああ、これはリントから借りたものか」
俺が今来ている服は、リントが予備で狩りに持ち込んでいたものだった。
「うん...あげる〜って言いたいトコだけど、それもお気に入りだからさ」
「そっちは返してもらって、ヒール用の新しい服に替えようよ」
彼女はこちらの服を下上と見渡す。
「分かった」
「...悪いな うっかり我が物顔で着てしまっていた」
「あはは、気に入っちゃった?」
「着ているうちに慣れてきてな」
「裸と遜色ない動きができるようになってきた」
だとしても、敢えて服を着る必要は無いのだが。
「上下両方ポリウレタン製だね」
「服屋に行ったら、まず同じ素材のやつを探してみよっか」
「そうだな」
「...家と服は どちらが先か」
「道のりで行くなら、服屋のが近いかな」
「家はまあ...どうせ空いてるから急がなくていいと思う」
「ならその順番でいこう」
俺はパンの残りを噛み締めて言う。
「おっけ!」
彼女は舌を跳ね上げるように明るく応えると、砂利を鳴らして川面へとジャンプする。
「よ」
水面に不自然に根差す真四角の石台を踏み、川の向こうまで渡りきる。
「ふっふー、メロンパンでエネルギー満タンさ」
「ヒールも」
などと言い彼女は岸から俺を待つ。
俺は魔力を足に込め 砂利を押し出すようにして低く宙に飛び上がる。
「おおっ」
映る俺の影に驚いたか、魚も呼応して水底から飛び跳ねる。
尾びれがしきりに水面を叩き、リントの足元の砂利を薄暗く湿らせる。
俺が彼女の横に降り立つと同時に、それは深く潜り流れに去った。
「ナイスジャンプ」
リントは空袋を纏めてリュックにしまいつつ言う。
そして俺たちは土手を登って行った。
「服はもう川越えてすぐだよ」
──その言葉通り チョコチップの甘みをまだ覚えているうちに、俺たちは次の位置に着いた。
...だがそれは、俺の想定を超えていた。
「町1番の、デっパート!」
歩き着いたのは巨大な商業施設。横にも縦にも大きな2階建て。
「これがデパートメントストア...か」
「初めて来た」
外壁には多数のパネルあり。中の施設を広告しているようだ。
「服だけじゃなくて、なんでもココにあるんだよっ」
「...」
外の広大な敷地いっぱいに、夥しい量の車が並ぶ。
...それだけじゃない。螺旋状のスロープが垂直に伸び、店の2階と地面を繋げている。
「...なあ」
2階の一部も駐車場なのだろう。
「この車が全部 ここの客なのか」
「そうだよ〜なにしろ町イチバンだからっ」
彼女は早口にそう言うと、徒歩とステップの混ざり合った足取りで入口に向かおうとする。
「この全部に 人が」
「こんなに...」
呆然と立ち尽くしたまま、そんな言葉が思わず口をつく。
「なにか?」
「いや...」
彼女に追いつくまでの十数歩までに、5台の車が横を過ぎていった。
「想像もつかないな」
「....数え切れないぐらいの人達が、この建物に収まっているという事が」
話す言葉の切れ間にも、人を乗せた車が出入りしてゆく。
「規模がまるで違う」
「あはっ、わかるー」
並び立った俺に対し、彼女が安堵の笑みを浮かべる。
「僕も大きなビルの窓とかからさ、机がズラーっと並んでるのが見えると」
彼女は俺が着いてくるのを確認してまた歩き出す。
「ホントにあれ全部使ってるの?そんなたくさん人いるー?」
「...って、なることあるよ」
「へえ、こういう所で育った奴でもそう思うのか」
「うん...1万人だったかな、長志青町の人口」
「1万か...」
この広々広がるパーキングエリアの、数百倍程度の面積に...
...1万名もの人が生活をしている。
「なんか、あんまり実感沸かないよね〜」
「僕らもしょせん、その中のたった2人なんだ〜て」
彼女の呟きは、途方もない空に吸い込まれていく。
「...」
「....ふたり か」
「ええっ?」
「──っと」
彼女は前から来る人にぶつかりかけて避ける。 扉の向こうから出てきた人に。
つまり話している内に入口へ着いたのだ...全く長たらしい駐車場だった!
「行くよっ2階に上がって右手だ!」
「おう」
これまた大きな扉に近づくと、それは開けずとも勝手に開かれた。
その先にはまた扉があって、それもまた勝手に開くのだ。
「!」
と同時に中の冷気が吹き込み、目は霞み胴体は震え上がる。
慣れた眼を開かせ周りを見れば──
「──!」
息を巻く光景であった。
見渡して右手にも左にもずらりと。数メートル毎に多様な店が並ぶ。
正面には対向するエスカレータが、忙しく休みなく走り。その上 2階の床から垂れ下がる天幕は、話題の映画を告知している。
昼でも屋内はライトを全開に、白い床をさらに真白く照らし。床に足が映るほどでまるで、鏡の上を歩くようだ。
「あそこっ」
俺は先達する彼女の後を追って、その鏡面を歩いていく。その周りを前から後ろから、予期した通り大量の人とすれ違う。
行き交う人全てと目が合うような、そんな熱的な錯覚に陥る。
...問題ない。ここでの俺は、ただの人間に見えているはずだ。
...どこでも か。
「...」
電動の階段に足をつけると、一段とエリアを俯瞰できた。
時間帯の影響か、食事店に並ぶ人が多く見える。
真昼から少し経ち、午後1時を少し過ぎようかというところ。
さて終着の黄線を飛び越えると、彼女は宣言通り右方にひた歩く。
そして初見の俺にも それと分かる店に辿り着いた。
店頭を少しはみ出て帽子やシャツが並び、人型の模型にはコーデが重ねられている。
『キッテル』という名の服屋であるようだ。
「うーん、まだ春のセール中だ!」
リントは浮き足立った様子で言う。
「どーしよ、やっぱりこれも買っちゃおうかな〜」
入口近くに並ぶ目玉商品を、彼女は舐めるように見回した。
「...お前の言っていた ポリエステルはどこだ」
しゃがみ込む彼女にそう尋ねると、ハッと背筋を正して立ち直る。
「おっとごめん、メンズはこっち」
彼女は店の右奥へと進む。
「...」
店内は奥にかなり広がり、客も数は多いが密度は非常に小さい。俺たちのようなペアも多く、騒がしく服を漁っている。
「いらっしゃいませ」
途中で店員と目が合うと、硬いお辞儀が放たれる。
「...」
俺は目線を切ってリントを追った。
「ここからここまでが〜たぶんそうかなー」
リントは男性向けコーナーの一角で、言葉をおまけに服を物色していた。
俺もハンガーに掛けられた服に触れ、つまみ なぞり 材質を確かめる。確かに今着ている服と同じ感触だった。
俺はそのうちの一つを手に取る。
「あっ、ヒールは黒が好きなの?」
「今 着ている服と同じだったから...」
何とはなしに取ったものである。
「ふうん、じゃあーこっちはどうっ」
そう言って彼女が似たような服を持ち寄る。
「同じじゃないか」
俺はその服の感触を確かめて言う。
「んん、うっすら縞模様になってるの見える?」
「見えている が それが何なんだ」
「スラっと見えて良い感じかなって」
「興味がない」
「なにー」
リントは服を元の位置に戻し、今度はまた別から持ってくる。
「──こっちは?!」
彼女は息巻いて服を眼前に掲げる。
「イエローボタンだよこれ!すっごいオシャレじゃない?!」
「お洒落など どうでもいい」
「いくら着飾っても中身は変わらないだろう」
「...」
「...そんなコト言うんだ」
彼女が肩を落とすと服も垂れ下がる。そして苦い表情をして、後方の棚に返しに行った。
棚がガタリと揺れる音がする。
「...」
俺は右手に持ったままの ハンガー掛けの黒服に目をやる。
それをハンガーラックに掛け戻すとき、その首元に吊られた数字が目に入った。
「...!」
「おい」
「ん?」
後ろの棚で服を畳みながら、リントが背中で応える。
「この首元に書いてあるのは 値段か」
「あ〜...そうだよ、値札だね」
彼女が脇見して答える。
「そうか、買うんだもんな...当然か」
「だが俺は金を持っていない」
「あっ、それはピョンコドリの金で払えばいいよ」
「──え?」
「というか、そっか、忘れてた」
「ピョンコドリ売ったときの金、やっぱり全部ヒールに渡すよ」
「...?????」
言葉も出なかった。こいつの言っている事が、俺の理から外れていたからだ。
「あとで財布も揃えよう──」
「──待て」
「なぜ そうなる...?」
俺はリントの背中に訴える。
「だってヒール、ここで暮らすんでしょ?」
「お金がなくちゃ生きていけないよ」
彼女は淡々と答える。
「それは そうなのかもしれないが」
「...だとしても お前には関係ない」
「ううん、ヒールは」
「お前が──」
俺は故意でなく 咳のように彼女の声を遮る。
「...お前が俺に従っていたのは、金の恩があるからだろう」
「それを捨てる意味が 分からない」
俺がそう投げかけると、彼女は首を回して振り向く。
そして微かな笑みを湛えて言う。
「...最初はそうだったけどね、でも いいかなって」
「僕はヒールほどお金に困ってないし」
そして服を皺なくきちりと畳み、彼女が体ごと向き直って言う。
「親切を出し惜しみしない!それが僕の座右の銘なんだ」
「それは なんとも...」
信じがたい銘があったものだ。
「...パパの受け売りだけどねっ」
リントは目を逸らして囁くと、肩を寄せて触れる。
「──だ か ら、いっぱいオシャレにしたげるよ!!」
「...!?」
「これも似合うと思うんだよねええ!!」
「何ー!?」
...そんな親切の暴走を経て、俺は取っ替え着せ替え試された.....
...デパートを出た時には既に全身を着替え、さらに上下はもう1着 つけ足されていた。
この広い建物のほんの一角で、これほど大変な思いをしていては。
本当に ちっぽけな気分だ。
俺たちは広い道路へ出て、川の下流側へと歩を進める。
新しい薄手の靴...スニーカーは、前のものよりは適度な大きさだ。
それでもやはり 素足とは感覚が大きく異なる。薄い板一枚で隔たれただけでも、地面から伝わる情報を鋭敏に受け取れなくなる。
服を着た時に1番影響が出るのは 靴かもしれない。
またズボンの小さな右ポケットには、ぎりぎり財布が入っている。中にはピョンコドリの報酬金から、服と財布の代金を引いたものが。
どこかでうっかり落としてしまわないか、不安に思って歩き続けている...
...太陽は、頂点から退き始めていた。
「──ん」
「そう、ここ ここ」
彼女は立ち止まってそこを指す。
町の中心を少し離れ、自然な緑のやや多い住宅街にて。
「...これか」
指した先には 2階層に分かれた平長い四角の建物に...十数個もの扉が建て付けられていた。扉にはそれぞれ2桁の番号が振られている。
集合住宅というものだろうか。
「ここはね、まあ訳アリの人が住むアパートだね」
「──で、空いている部屋はあるのか」
「スカスカだよ」
「大家さんに聞いてみよっ」
リントは2階へと続く階段の、その下に位置する扉を優しく叩く。
「レンシアさん」
彼女は呼びかけてから一歩下がる。
しかし中からの反応は無かった。
「...」
そのまま彼女は 静かに小躍りなどして待った。
...そういえば、ここまで歩いてくる途中のことだが。リントに年齢を尋ねられ、それでお互い16歳と分かった。
...だからなんだという話だが、彼女は妙に盛り上がっていた。
「はい...」
そして扉は開いた。
日を避けるように腕を頭に乗せて、その者は彼女の前に出る。
「...リントか」
...その男は見るからに老いていた。
「入居希望者ですっ」
彼女は両手で俺を誘導する。
「ほうか」
老爺の 恐らく眠気で淀んだであろう目が俺に向けられる。
「んん...」
歩幅4歩ほどの距離を空けながら、男は唸るように俺の全体を見つめる。
「...」
俺はざわつく気持ちを抑えつつ、強く心構えて直立する。
リントがレンシアと呼んだその男は、依然食い入るように見つめてくる。
「いいでしょー、それキッテルで揃えたんです」
「んん...」
男はリントには見向きもせず、痰の絡んだ唸りで 一向に俺を見定めている。
「んー...」
リントは気まずそうな目をして、爺の横方に立ちふける。
「...ふう」
長い沈黙の後にようやく、男の喉が閉じられた。
男はリントを脇目に見て、それからまた俺を大きく見据える。
「──あんた」
爺は喉で幾重も震え返ったような、低く響く声で語りかける。
「来月から 月に3万ずつ 払えるかい」
そう言われて俺は、ポケットの財布を確認する。
「...」
ピョンコドリの報酬金には遠く及ばない。月にひとつアレを狩るだけなら 楽な事この上ない。
「...払える」
...それは俺が、ギルドに入ることを前提としているが。
「よし」
男は短く言葉を切ると、踵を返して部屋に戻る。
奥の方で金属の擦れる音をしてから、すぐに男がこちらへ返る。
その手には 輪のついた鍵が引っ提げられていた。
「ほら」
爺は鍵を俺に手渡そうとする。その鍵には『22』と書かれたシールが貼られていた。
「...いいのか」
「あんまし うるさくするなよ」
「分かった」
俺はおずおずと 男のその指に手を伸ばす。
鍵は爺から俺の手に渡った。
「...どうも」
「おう」
男はまた短く言葉を切ると、気怠い足取りで部屋に戻る。
奥のベットは深く凹んでいた。
「...」
音もなく扉は閉じられた。
「うまくいったねっ」
それを見届けてリントが口を開く。
「...これで 終わり?」
俺は落とさぬよう鍵を確かに握って、怪訝に彼女に問いかける。
「うんっ」
「部屋〜見に行こうよ、それ何番?」
彼女は軽く答えて手元の鍵を覗く。
俺は持つ手を開いて見せる。
「22か、2階だね」
リントはエネルギッシュにステップを踏んで、表階段に周り駆け上がった。
俺は体重を消すようにふっと階段を登ると、彼女はもう22の扉で俺を待っていた。
近づくとリントは扉を譲る。俺はさっそく持った鍵を、目前の穴へと真っ直ぐに刺す。そのまま抉ぐるように鍵頭を回した。
金が噛み合う音がすると、厚い扉はもう開かれた。
「どれどれー」
俺が内へ上がったのを過ごし、彼女も扉を支えて中に入る。
リントが素早く壁のボタンを押すと、暗い室内に灯りがつく。
玄関からすぐの通路には、左右に2つの扉があり その奥には広間があった。
奥の広間はひたすらに空っぽで 大家のベットがあったのと同じ位置に、支えの木枠のみが置かれていた。
俺はひとまず陽光の差す、部屋奥の窓に向かって進む。
「あっ、ヒールは土足派なんだ」
彼女は玄関から全体を見渡していた。
「ふうん、リビングは良い感じじゃない?ベットフレームもあるし」
「床に寝転がって4回転くらいはできそう」
変な例えだが的を射た広さだった。
「...」
俺は窓の向こうの景色に 面白みもない家々が並んでいたのを確認する。
振り返るとリントは靴を脱いで、横の扉を探索していた。
俺も後に続いて彼女の逆の方から覗く。
「右がトイレ」
「左がお風呂だねっ」
そう言い合わせると俺たちは、調べる部屋を交換した。
...まあ俺の昔の家にもあったような、よくある形の水所だった。
少し安心した。
「うん、よさげだね」
「ここで住めそう?」
玄関に戻って彼女が尋ねる。
「十分だ」
「じゃ出よっか」
「...ああ、少し待ってくれ」
俺は思いついて彼女を引き止める。
そして腰から財布を取り出して、そっとベットフレームに置き去った。
「ずっと落とさないか 気がかりだったんだ」
「あーは!」
俺はリントの背中を追って外に出て、鍵を使い扉を施錠する。
...結局 鍵をまたポケットにしまった。
俺にもリントのようなリュックが必要だろう。
「──ふう、ひとまずキリが着いたって感じかな?」
彼女は階段を駆け降りた先で言う。
「ああ」
そのまま流れで歩きながら話す。
「...しかし、これほど簡単に家が得られるとは」
「ヒールならイケると思ったんだよねー」
何を根拠にしたかリントは自信ありげに言う。
「でも、家賃払うならお金も稼がなきゃだね」
「どっかのギルドにでも入る?ヒールならガッポガポだと思うよ!」
彼女が両の腕を最大に伸ばして言う。
「ギルドか...」
「あ、フルオロでも良いけど」
「...考えておくよ」
俺は数時間前の厄介な粘液女と、借りがある酷い匂いの女を思い浮かべる。
ああいう輩はどのギルドにもいるのだろうか。
「ねえっ」
「...ヒールは、これから何かしたい事はある?」
街路樹の並ぶ道路にて、彼女はずり落ちたリュックを正して言う。
「これから か」
そう聞かれて俺はつと立ち止まり、3時に傾く昼空を見上げる。
「...」
──きっと、その時ちょうど青に変わったのだろう。
ヒヨコのように鳴き出した信号が、俺の注意を町通りに向けさせた。
ピヨ
信号の手前で エンジン吹かせて止まる車の傍に人間の
ピヨ
親が子の手を繋いで歩道を渡っている。
幼い子供は前も見ず、親の顔だけを見て歩いている。
ピ
直視に耐えず目を逸らす
ヨ
...向かいの通りでは 少年らが隊列を組んでいる。
進む気が無いかのような遅い歩みで、口を大きく開けて笑い合う。
ピヨ
明るい悲鳴が耳をつんざく。
ピヨ
俺は ひとまずやるべき事を終えて、こんな所で気を抜いてしまったのだろうか?
背けてきた彼らの光景が 目に焼きついて離れない──
「──ヒール?」
「!」
肩に触れられた感覚で我に返る。
「あれがそんなに気になるの?」
「小学校は下校時刻だから、いっぱい子供いるけど...」
「......」
...学校 か。
「...離してくれ」
肩を揺らすと彼女は手を引っ込めた。
俺は目眩がしてふらふらと 身を引き数歩足を下げる。
「...リント」
俺達は 街路樹の影を隔てて向かい合う。
「俺は 人間が嫌いだ」
「...」
別れた枝の落とす影が、往路に黒い亀裂を描く。
「...だから ここに来た」
「人の世に混ざり 人を学び 俺の認識を確かめるために」
彼女は快活さを失ったように押し黙る
「俺のやるべき事は ひとつ」
「人への認識を塗り替える程の 良い人間を探す事だ」
「──!!」
彼女が丸い目で 影の向こうから俺を見上げる。
俺はそれを見つめ返して言葉を続ける。
「目処は既に立てている」
「お前のような人間が集まる 学校だ」
「えっ」
「つまり次にやりたい事というなら まず学校に入る事だな」
「...あの、ヒール?」
「──それと」
「...リント」
「今日は ありがとう」
俺は恥じらいを隠せる遠間から、一方的にリントへ礼を伝えた。
「...!」
彼女は何か言いたそうにしていたが、目をひときわ丸くすると首を振りたくる。
「──ははは!!」
そして彼女はひときわの笑顔で影を踏み越え、遠慮なく顔を近づけた。
「いやあ、ヒール。なんかごめんね」
「...実は割とさっきまでてっきり、君のことを家出少年だろうと思ってたんだ」
彼女はそう心情を吐露し始める。
「でも、どうやら違うみたいだね」
...別に間違いというわけでもないのだが。
「ヒールはもっと、大きなくくりから出てきたんだ」
「!」
「だってねヒール、学校ってね...いやヒールの場合高校なんだけど」
「高校は住民票がないと行けないんだよ」
「なんだと?!」
リントから、驚くべき話が振り落とされる。
考えてみれば当然のことだ。この地の出でない部外者が許される筈がなかった。
「ちっちっち...普通はね」
「だけど、抜け道があるんだよ!」
彼女は大仰に振る舞って言う。
「ヒールでも行ける...絶対受かる...」
「それが僕の通う色取西高校さ!!!」
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