01.掟破りの獣
『リント・ジャンパー』
それが僕の名前だ。
南国ノルム生まれのノルム育ち。
今年で17歳を迎える、平凡極まる1人っ娘。
そんな僕の本日はしかし、非凡な彼との異常な出会いがあった、特別な一日だったんだ──
「ぴよぴよ、ぴよぴょ」
...小さく甲高いさえずりを上げて、鳥がバタバタと走り回る。
「うおおー!!」
その鳥を、僕が後ろから追いかける。
「ぴよぴよ、ぴーぴょ」
「待て-!」
広~い草原を駆け回る。日差しはまさに、能天気!
「あと少し...」
直線なら僕のが速い。懸命に駆け足を打つ内に、距離はだんだんと縮まって──
「──はっ!」
そこでサッと地面を蹴り飛びかかったが、それはあっさりヒラリと躱される。
「ぴよぴい、ぴーぴ!」
しゅたたーっ。
「ああ、ちょっと!」
僕はすぐに体勢を立て直し、再びそのお尻を追い始める。
...こんなやり取りを、もう何回も繰り返している。 この羽の無い鳥『ピョンコドリ』は、身のこなしが素早く地形の扱いも巧みである。
水たまりをピョイっと飛び越えて、木の周りをめくるめく回って。速度で勝るはずの僕は、咄嗟の技術の差で圧倒されていた──
「ぴよぴい、ぴい」
「まっ...てよ...」
──追いかけ始めて15分。
「ぴよぴい、ぴっ」
「...もう、だめ...」
限界である。僕は頼りなく足を止め、バタリと野原に崩れ落ちた。
「ぴよぴー、ぴー?」
するとピョンコドリも足を止め、倒れる僕の顔を覗き込む。
「...何さ」
「ぴぴぴぴぴぴぴぴ!」
「──バカにされてる気がする!」
ところでピョンコドリの雄は、逃げるのが上手いほどモテるらしい。
...ひょっとして、僕はこいつの男磨きの砥石にされてるんじゃないか!?
「ぴぴぴぴぴぴ!!!」
「むぐぐ...!」
僕は悔しさをバネにして、がむしゃらにソイツに飛びついたが──
「──ぴーぴぴ、ぴぴぴ!」
ヤツはそれもまたヒョイと躱すと、僕に背を向けて走り出した。
「...ちくしょー」
悔しいが、このまま一日中やったって追いつけそうにない。
僕は力なく座り込み、その背を見送るのみである。
「諦めたのか」
「はい、力及ばず...」
背後からかけられた一言に、枯れた声で返事をしたが...
「──ん?!」
一体全体誰の声だろうか。僕はここまで一人でやってきたのに...
「なら もらうぞ」
...周りに人の気配なんてしなかったのに...
...とかなんとか、考えながら振り返る。声の正体を確かめるために。
「......」
2度目の驚きがそこにあった。僕の背後には誰もいなかっ────
ド ゴオッ...!!
「──!?」
3度目の衝撃が大地を伝わった。 前へ向き直ろうと首を回す最中、僕は視界の端にそれを捉えた。
突如としてピョンコドリの目の前に出現した男が その頭に拳を振り下ろしたのだ!!?
「ピイッ...!」
鳥は高く悲鳴を空へと放ち、勢いそのままにすっ転んだ。
そして二度と起き上がることは無かった。
「...」
ピョンコドリの悲鳴を最後に、静寂が草原に波紋した。
あまりの光景に声も上げられない。瞳孔が開いたまま戻らない。
無声の空のもと彼だけが1人動き、ピョンコドリをむんずと掴み上げる。そして勇み良くこちらへ歩み寄る。
カサ カサ カサ と、草を踏み分ける音が聞こえる。
僕の目はじいと彼に釘付けとなり、足は固まったように動かない。
男は依然真っ直ぐに近づいて来る。 訳も無く首筋を汗が伝う。
カサ カサ カサ
...ところで僕は、一目で彼が男だと分かった。
彼は服を着ていなかったのだ──
「──なんで?!」
ズザザザザザッ!
「な、なんでハダカなのさ!?」
僕の方から彼に駆け寄って言う。
「どうでもいいだろう」
「よくないよ!!?」
すっかり動転する僕に対して、彼は不思議なほど毅然として振る舞う。
「...んなことより、なあ」
んなことでは済まされないことを差し置いて、彼は手元のピョンコドリをこちらへ向ける。
「やるよ これ」
「...うええ?!」
僕の情緒は崩壊した。 彼の力で仕留めた獲物を、見ず知らずの僕にくれるというのだ。なんで?!
...いや、なんでといえばまず裸の訳を聞きたいんだけどんンんでも──
「──い、いいの?!」
しかし目の前の獲物に体が反応してしまう。
なにせピョンコドリというものは~肉は旨い骨も美味い羽も柔らかい、全身余すこと無く金に換えられるスーパートリなんだ!そんなの欲しいに決まってるんだ。
「いいよ」
そして彼は快諾した!
「ええっへえありがとうございます!」
僕は喜んで腕を広げて差し出し──
「ただし」
ずいいっ。
「──ぐえっ」
そんな需要の塊を、ずいいと首元に押しつけられる。
「...た、ただし?」
獣と血の匂いがセットで鼻に来る。
そして彼の言葉が続く。
「人の住む所まで案内しろ」
「...え?」
これが僕と彼との、とんだ出会いの始まりだった──
─
──
───
──ゴドドドドドド ドドドドド。
重いうなりを上げて道を走る。 僕は手をあげてそれを捕まえる。
「フルオロギルドまで、お願いします」
僕は大箱の荷物とともに、ぬるりと中に押し入って言う。
「はい了解」
既に中に居た一人の男が、笑顔で会釈して応える。
それはタクシーという乗り物である。
「ほら、君も乗って」
僕はそう呼びかけるも、彼はドアの前で困惑して突っ立っている。
「...乗ってもいいのか」
「うん...あっタクシー知らない?」
「これはタクシーっていってね、お金を払えば行きたいトコまで連れてってくれるの」
「お金...か」
そう言うと彼も納得したか、のそりと体をねじ込んだ。
「...」
完全にねじ込み終えると彼は、横に座す僕に向かって呟く。
「俺 お金ないよ」
「んっ」
僕はシートベルトを締めながら応える。
「もちろん僕が払うよ!君のおかげだからね」
カチリと音がするまで締める。
「それに僕の分は...っと」
おなかにベルトの締め付けを感じながら、前にのめり生徒手帳を提示する。
それは色取西高校のものであり、運賃の半額を意味するのだ!
「イロ割ですね...」
運転手は慣れた様子で承る。
「...そちらの方も?」
「!」
男がルームミラー越しに視線を送ると、彼はぎょっとして上目ずった。
「──いえ、僕だけです」
慌てて間に入って取り直す。
「はい~」
そしてようやく車が進み出す。
発車の慣性に揺られた体が、むすっと背もたれに押しつけられる。 それが疲れ身に染み入って、たまらずほうっと息を吐いた。
ひとまず落ち着いた頭に、先のやりとりが想起される。
──人の住む所まで案内しろ──
先刻 ミルク草原のど真ん中にて、確かにそう言い放った彼。
──え?──
──ごめん、どういうこと?──
その意味が言葉通りにも受け取れず、僕はその場で問い合わせたんだ──
...曰く、彼は偶然あの草原に迷い込んだのだと。
草原で迷子になったのではなく、迷子で草原に辿り着いたというような口ぶりだった。
──町へ出るならこっちの方向だね──
なんにせよ草原の出口なら案内できる。そう思って僕は、軽い気持ちで質問を続けたんだけど──
──君のお家は、どこにあるの?──
──...分からない。
──??!えっ!?分かんないの?!
──ええっと...どの市の、どの町か〜とかは──
──そういう問題では ない──
彼はスパリと質問を叩き切った。
そして彼の言葉が続く──
──俺がどこかはどうでもいい。
そう、彼は...
──俺は町へ案内しろと言ったんだ。
彼は...
──そうだな、お前の住む町でいい──
「──!!」
...とんでもない不審者なんだ!!
ゴドドドド ドドドドドドドド!!!
得体の知れない住所不定裸族!
それが今 僕の隣に座っている!!
僕の町に行こうとしている!!!
ゴゴゴゴドドドドドドッ!
道路の石にかかって跳ねる前輪が、僕の意識を現実へと引き戻す。
「...」
正直ねえ、あんな魔法使える癖に迷子とか家知らんとかあも〜信じらんないケド!けどね...
...けれど素敵な贈り物を頂いた以上、僕は彼を信用した事にするしかないのだった。
ゴドドドド ドドドドド...
「...」
今の目的は彼への町案内...のための準備。
僕の足元のクーラーボックスには、例の鳥の死体が入っている。
そんなの持って町ぶらりはできないので、先にソイツをギルドで換金しようという話になったのだ。
「そうだよねーっ」
「は?」
沈黙に耐えかね雑に語りかけたのを、彼は冷ややかな目であしらう。
「あはは、なんでもな──」
「──て ああっ!」
彼の冷視線にやられ背けた目を、二度見三度見と彼へ戻す。
「...なんだ」
「君 シートベルトつけてないじゃん!」
彼は浅く座し背もたれも使わず、堂々とベルト無しで居た。
「──あれっ、あ、本当ですね!!?」
それに驚き騒いだのは彼ではなく運転手の方。
運転席の後部には貼り紙で、シートベルトの着用を願うものがあった。
「ごめんなさい、確認を忘れてました...」
男には乗客のベルト着用が義務付けられていたのだろう。つけ忘れた当人でなく運転手が謝罪を述べる。
「ああ これの事か」
...その当人は、呆気裸漢として自身のベルトを手に取る。
「これを体に巻きつけろというのか」
彼は横の僕の巻き様を見て言う。
...シートベルトを知らないのだろうか。
「う、うん...事故が起きたとき危ないからね」
「逆だろう こんなものを巻いては事故を避けられない」
「身体ごと事故を避けようとしてない?!」
その前傾姿勢はひょっとして、車から緊急脱出するつもり?!
「──まあ、ルールだから付けてっ」
僕は彼の方にぐいと体を伸ばし、無理やりベルトで体を固定する。
「おい...!」
彼の呻きと共にカチリと音がする。
「いらねえよ こんなん」
彼はすぐさまベルトを外しにかかる。
しかし外し方が分からないのか、力で引いてベルトを伸ばしている。
「...?」
運転手は困り眉でそれを眺めている。
僕は目線で貼り紙を指して言う。
「ルールだからさ」
「あと にじゅう...ご分くらいで着くから、我慢してっ」
「...」
「ルールね...」
彼も観念したか静かになった。浅い座り方は直っていないが。
...どのみち彼は魔法で逃げられるのだから、関係ないと考えたのかな。
ドドドドド ドドド グインッ...
タクシーが大きなカーブを決めると、ようやく遠目にも草原が見えなくなる。
辺りでは低い畑にキャベツがむっしりと広がり、まばらに規格の似た家が並ぶ。
ここも人が住む町ちゃあ町だけど、彼はもう僕の町に来る腹づもりだ。
まっ、知らない町を案内しろと言われても困るしね。彼には我が町のキッテル(服のブランド)で素敵に着飾ってもらおう。
キュッ チ カ チ カ チ カ...
赤信号で車が止まる。もうすぐ昼だがここらの交通は少なく、広い道路が持て余されている。
「...」
チカ チカ チカ チ カ...
「...」
だめだ...静かすぎる!
彼は完全にそっぽを向いてしまって、一切口を開いてくれない。
困った事に、ギルドまではまだ時間がかかるのだ。
僕はクーラーボックスの横のリュックに目をやる。着替えやらナイフやらを入れていた背負い物だ。
その中から水筒を取り出そうと身をかがめたが、水が溢れてしまいそうなのでやめた。
じい〜っ...
かがめたままに首を回し、じろりと彼を見上げてみる。
「...」
やはりフルシカトだ。
仕方ないっ、ならさっきの続き。草原で見せてもらった彼の魔法について振り返っちゃうもんね──
──あのさっ。
まだ草原のど真ん中にいた時。
まずはギルドへ行こうという事で話がまとまったので、僕はピョンコドリを保冷箱に詰め込んでいた。
──そろそろ、聞いてもいいかな──
硬い脚を畳んで箱に押し入れながら、彼にとうとう裸の訳を尋ねた。
彼は出し渋る様子でいたが、渋々それを披露してくれた──
──そんなに裸が気になるのか──
──なるよ!!?
──見てろ。
そう言うと彼はたおやかに腕を伸ばし、黄色いチョウチョを指につまむ。
パッ
──!?
次の瞬間、彼とチョウチョは僕の視界から消えた。
──後ろ だ
彼は消える前と同じ姿勢で、蝶と共に背後に立っていた。
──うわあっ!!
驚いて脚を手放す僕をよそに、彼はそっと蝶を宙へ返す。ピインと伸びた鳥脚が頬を掠める。
チョウチョは何事も無かったかのように、長草をかき分けて去って行く。
──見ての通り。
──俺は俺と触れている生物を転移させられる──
自分の身体、そして自身と触れている生物を転移させる...それが彼の魔法だった!
──生物?
──あ、だからその...服が...
生物限定のテレポート。だから服は転移させられなくって...
──そういうことだ。
──そっかあ、なら仕方ない...
──かなあ?!結構犯罪だと思うよ?!社会のルール的に!
──ルールなど知ったことか。
──というか、恥じらいとか無いの?!
──恥ずかしいと思うか。
──僕だったら思うかな...
──そうか。
──まあ 気にするな──
──いや気にするけど──
けど───
けど──
けど─
...そうか、大切な事を言い忘れていたね。
彼には僕が替えで持ってた服を着てもらってるから、安心して!
ドドドドド... ゴドドドドド...
「...」
車窓を眺める彼をチラリと覗きに見る。
...うん、女性向けのものではあるんだけど...結構似合ってるんじゃないかな?
彼が視線を外しているのを良いことに、下から上まで舐め回すように見る。
靴は紐を限界まで緩めてある。汚れの目立たない暗色の基調は、女性モノの中じゃ中性的に見えるし...サイズが合わなくてパツパツのシャツも、彼のラインを浮き立たせて良いんじゃないかな...?
じろ〜り。
...そう彼ねえ、悔しいけど良い身体してるよね。不意打ちとはいえピョンコドリを一撃で仕留める十全の筋肉と体幹!
それと彼のテレポートの性質上、使う度に身体の汚れが落ちるんだろうね。歴戦を思わせる仕上がりとは裏腹に、染みついた泥臭さのようなものは感じなかった。
全く謎の多い人だよ彼は。如何にして彼はその肉体を仕上げたのか...なんで彼はハダカに無頓着なのか...
...彼は──
「──あっ、名前!」
僕は背を上げ跳ね起きたように言う。
「...?」
彼は僕の声に驚いてこちらを向く。
「そういえば、まだ名前も知らないねっ」
自分のベルトをぎゅっと掴んで彼に寄る。
彼の事で頭がごたついて、今に至るまで名前すら聞くのを忘れていたのだ。
「僕はリント・ジャンパー」
「君は?」
「...」
僕の呼びかけに対して、しかし彼は無言を貫く。
「あ、あれ...」
やはりさっきの件で怒らせてしまったのだろうか──
「──言いたくない」
「!?」
彼は鋭く言葉を吐いた。
「俺の名前がどこかに漏れれば 身元がバレる可能性がある」
「身元...?」
「...」
それを聞いて僕は押し黙ってしまった。
──彼から出た身元という言葉。そして家について隠す彼と その要求...
思うに彼は、家出少年なんじゃないだろうか。
何か嫌な事があってテレポートで家を飛び出し、偶然ミルク草原に辿り着いた。
そして僕の町でしばらく過ごそうと言うわけだ。
もし彼に、そういった事情があるのなら──
「──ふっふう、ご安心!」
「君の名を広めたりなんかしないから」
僕はそう言ってポンと胸を叩く。
「...お前はいいとしても、他の奴に聞かれているだろう」
けれど彼は冷たく返す。
「あ、私の事でしょうか?」
またも運転手がミラー越しに彼を見つめる。
「大丈夫だよ、運転手はプロだからっ」
僕はポポンと太鼓判を押す。
「うるさい」
「人間など信用できない」
......彼はそう、冗談の混じりなく吐き捨てるように言った。
「そうですか...」
運転手は小さく乾き笑いをすると、居を正しハンドルに向き直った。プロのプロたる所以である。
「...」
敬意を払うべき相手にさる暴言を放った彼の、あまりに真剣な面持ちから...僕は叱る気にもなれなかった。
やはり得体の知れない彼の、その胸の内を計り知れないでいた──
「──ん?」
──お前はいいとしても、他の奴に──
「僕に名前を教えるのは...いいの?」
湖畔の水面を指先で触れるかのごとく、一言一言ゆっくりと尋ねた。
彼は横目で僕を睨みつけて薄く口を開く。
「...君君言われるのも鬱陶しいからな」
ため息混じりにそう答えた。
「え〜、じゃあ着いたらすぐきくよっ!」
僕はピョンと背中を浮かせて体をよじり、彼の苦い顔を覗き込む。
「ご自由に...!」
彼はまたプイと外を向いた。
後部座席からルームミラー越しに、微笑む運転手の顔が見えた。
車は長い直線に入った。
ドドドドド ドドドドド...
車窓の前から後ろへと、次々と景色が流れていく。街路樹が、家が、ビル群が。
目的地に近づくにつれて、建物の密度が増えていく。繁華街に突入した。
歯並びのいいビル群になった辺りから、しかし今度はだんだんと歯抜けになっていく。
繁華街を抜け、町外れの方へ...
キイイイッ...
イイ キュッ。
「──到着です」
ギルド...の少し手前の道路、その片脇に車が止まる。
車で近づくには危険なためである。
「はいっ」「...丁度ですね」
お金を払って、会釈して。リュックをしょってクーラーボックスを持つ。そして2人してタクシーを降りる。
車が去る。
「──さて、君の名前は?」
「いきなりかよ!」
「だってそう約束したもんねっ」
僕が自慢げに足を鳴らすと、彼は観念したように口をつむぎ...
...それを今度は端からゆっくりと開く。
「ヒールだ」
「...ヒールねっ、了解!」
ヒール、ヒール、ヒール、ヒール、ヒール!
おーけー、覚えたね?
「僕はリントだよっ」
「知ってる」
「んふっ」
ようやくして挨拶を終えると、ヒールと僕は横並びに進み始めた。
僕はクーラーボックスを片手に、歩道を道路側で歩く。
「...なあ」
そうしてると彼が不満げに話しかける。
「やっぱこれ、動きづらいよ」
彼は自身の服を広げて指す。パッツパツである。
「あはは...どーしても、服のサイズがねえ」
「割と伸び縮みして動きやすいと思うけど」
彼に向かってそう言うと、ヒールは膝を曲げ伸ばしなどしてみせる。
「なるほど窮屈だが よく伸びる」
「だが裸には劣る」
「ハダカと比べないでよ!!」
「...てか、その服オシャレじゃない?僕けっこう気に入ってるんだよね」
彼の性的趣向をさておいて、そのファッションに話を移した。
半年前にキッテルで買った揃えモノである!
「おしゃれは...よく分からないな」
「そっかあ、でも似合ってるよ」
「そうか」
彼は心底興味なさげだった。
「──ちなみに、僕の服はどう?」
そこで僕は先行する足を止め、くるりとヒールに自身を見せびらかした。
「そっちも動きやすそうだな」
彼は軽ーく僕を見回して言う。
「見た目の方です〜」
もちろん狩りのために機能性も重視してるけど!
「ああ...マジに分からないんだ」
「それもお気に入りなのか」
「うんっ!!」
「これねえ、下はシコキナのキイヤコビ糸製で硬いのに伸縮自在っていうトンデモでー上はキッテルの春セールで買った黄のわたわたに黒模様が入ったやつなんだけど〜これすっごい可愛くない!?全部手縫いなんだって!あと伝わるかなこれ黄色ベースに黒の六角形でつくしがテーマだって」
「その荷物 重たくないのか」
「ぜん〜ぜんっ!よしっ」
彼にやんわりと語りを咎められ、僕はヒートアップした口熱を足に送り込むように飛び跳ねて進む。
そして勢いよく道を曲がると
突然にそれが現れる。
「...これ か」
「そうっフルオロギルドです!」
「...」
そう言って、2人で目前の建物を見上げる。
鉄で作ったカマボコのような外殻に、雑に明るい塗装とその上から...
『フルオロ』の看板がぶら下がっている。
「...」
ヒールは唖然としている。期待していた外観と違ったのだろう。
どろりと垂れ落ちたペンキが、看板の文字を一部覆い隠している。
「...ずいぶんと荒れているな」
彼がぼそりとこちらに愚痴をこぼす。
なまじ繁華街を通って来ただけに、余計に落差は大きいと思われる。
「ほーんと、ヒドイ見た目だよね〜」
「使われなくなった倉庫を、そのまま塗り替えただけっていうね」
しかし、これが僕の所属するギルドなのだ。
...僕でも所属できるようなギルドなんだ。
「いや、荒れているというのは あの──」
耽る僕に対して、しかし彼が指した先はギルドの
...下。
「──波の話だ」
彼がそう言うと ひとしきり強い波が打ち寄せた。
「おおっ!」
コンクリートの崖にぶち当たり、波は飛沫となって内へ参る。とても涼しい。
「ここの湾は入り組んでてさ、いつもこれぐらい波が強いんだ」
「いつもこうなのか」
彼は前のめりに会話を続ける。
「しかし、この波の中 船を走らせるんだろう」
「うんそう!魔物を運んだりね」
川終わりの湾は崖に深く食い込み、それがそのまま船着場となっている。
「だから相当手練れの船乗りが必要」
「へえ...」
彼はいつになく興味深々に頷く。
「海、好きなの?」
「...今まで穏やかな波しか見たことがなくてな」
「むしろ ぞっとする」
ヒールは崖の下を深く見据えて言う。
「ええ、ホント!?」
「僕、激しい波見るとワクワクするよ」
「そう...」
ドパッと打ち上げるひとしおの波と僕を見比べて
「...いや、しねえな」
彼はスッと波から目を背ける。
「ふふっ」
それを見て思わず笑みが溢れる。
「...んだよ」
「いやあ、ヒールって怪しさ満天な人だなあと思ってたけど」
「ちゃんと怖いものもあるんだな〜って!」
「──だから 何だってんだよ!」
「ふふふふっ」
「...ちっ」
彼は聞かせるように舌を打つと、鼻から抜けるようにため息を吐き...
草原でチョウチョに触れていたときような、穏やかな顔を持ち直した。
「...いこっか」「ああ」
僕がそう言って歩き出すと、ヒールも静かに後ろから付いてくる。
僕らの足元から正面に伸びる影が、先行する僕に彼の姿形を見せる。
彼の影頭が持ち上がり、ギルドの看板を見上げた。
「──外面なんざ どうだっていい」
...彼がそう吐き捨てるのと同時に、僕はギルドの壁のボタンを押す。
ギ ギギギ
すると薄い鉄のギザギザなシャッターが、錆を落としながら持ち上がっていく。
...今更だけど、ギルドって知ってる?
ヒールは知らなかったようだから、まだ草原にいたときに一回説明したんだけど。
ギ ギギ
簡単に言うと、魔物や魔物が棲むエリアの素材を金に換えてくれる仲介業者だよ。
ギギギ ギギ...
野生を扱うから、町の中心でなく離れに構える場合がほとんどで...
町外れにあるものだから...
ギッ...
力がモノをいう仕事だから...
ガシャンッ。
...あんまり治安はよろしくない。
「「──オオオオオオッッ!!!」」「「ガハハハハハ!!」」
「!!?」
シャッターの向こうから飛び出したド声に、ヒールは度肝を抜かれていた。
物のやり取りだけでなく酒場も兼ねていたこの倉庫は、昼間とは思えないほどの賑わいを見せる。
飲み食いしているのは全て団員であり、やはり殆どが若者である。
「リントおはよう」「よう」「あ、おはようございます」
入口近くの知れた団員に挨拶を済ませると、僕は後ろのヒールに振り返る。
「さっさと換金しちゃおっか」「!」
固まった彼にそう呼びかけて、僕はクーラーボックス片手に道を突っ切る。
「...リントの後ろのやつ、誰?」「しらね」
シャッターがひとりでに閉まり始めた。
「──マシマ草」
正面奥にあるカウンターでは、1人の団員が先に換金を試みていた。
「承知致しました」
その向かいではさらに1人の男が、厳格な態度で対応している。
男は客の目前で、草を測りに乗せてから言う。
「...マシマ草20.4 gで、金額がこちらになります」
男はそう言って厚い紙幣を団員に渡す。
「うひょひょひょひょ」
札を財布にしまったその団員は、高らかに笑いながら僕らを通り過ぎる。
───ジャッ...!
そして閉まりかけたシャッターを、刺すようなスライディングで抜けて行った...
ヒールはキョトンとしてその始終を見ていた。
「...まあ、気にしないで」「ええ...」
僕は先に職員の前に辿り着き、右手の箱をポンとカウンターに置く。
「予約していたピョンコドリです」
両手で箱の錠を外して開くと、冷気と獣の匂いが2人の間に広がった。
「永山様の依頼ですね。状態を確認させていただきます」
「一旦 箱ごと預かってもよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
そう答えると職員の男は一礼し、手袋を嵌めた手で錠を閉じる。
そしてクーラーボックスごとピョンコドリを奥へと運んでいった。
ひょこっ
「なあ」
じっくり辺りを見回しつつ来ていたヒールが、僕の隣に追いついて言う。
「...さっきの男にはすぐ金を渡したのに、なぜお前の鳥は持っていかれたんだ」
「まずマシマ草は査定が簡単ってのと...あとさっきの人のは一般買取だからね」
「基本的にギルドは、個人や団体から 魔物とかの素材の依頼を受けて...それを僕らに紹介するんだ」
僕は横の壁にずらりと並ぶ、一面の依頼書をなぞり指す。
「見える?」
「もちろん...」
彼はそう言って壁一面を見渡す。
「なんだ、ダイコンの依頼なんかあるのか」
「それは酒場のメニューだね」
「ええっと、あれを見て」
僕は例に挙げて依頼の一つを指す。
「例えばアレは、三納さんの依頼で...マララサイの角が欲しいって言ってるね。その下に報酬金額も」
マララサイの角は見たところ...アルバイト10時間したくらいの金額だね。
「んでもって〜魔物を傷つけずに仕留めるなんて難しいから...ここが無事ならオッケーとか、これだけはダメ!みたいな条件も書いてある」
「あいつはピョンコドリが 依頼主の求める基準を満たしているか確認しに行ったのか」
「そうっ...で、それとは別に一般買取ってのもあってね」
「依頼にないモノを持ち込んでも、とりあえずギルドが買い取ってくれるんだ」
「...」
ギ ギギ...
後ろから喧騒の音とは別に、シャッターの開く音が聞こえる。
「...ざっくり査定だし、たいてい安く買い叩かれるけどね〜」
「買い取ったところで、ギルドがそれを売り捌けるとは限らないもんな」
「うん。だから依頼にあるものを予約して狙った方が僕ら的にはお得だし、ギルドとしても楽なんだ」
「なるほど」
彼はそう言って合点すると、改めて依頼書一つ一つを見渡し始める。
中には当然、僕の受けたピョンコドリの依頼もある。
報酬金はウヒョヒョとなるほどであり、ああそれがもう今から僕の手に──
にゅるっ
...と粘っこい歩みを経て、背後を背の高い女性が通りかかる。
「!」
甘いオトナの香りと、それと一緒に...出所の明らかな獣臭がした。
彼女は長い足によって、すぐさま僕らの隣のカウンターに迫り...そのまま半身を机に預ける。
「...」
ヒールは警戒して静かに距離をとる。
「──えへえ」
そして対面の女性職員と目が合うと、彼女はだらしなく口を開く。
「ねえ〜これ今すぐ!お金にして〜よっ」
粘りつくような喋りの後に、彼女がうなだれたまま机に置いたのは──
「──ピョンコドリですね かしこまりました」
僕らのとは別個体のピョンコドリだった。
僕では手も足も出なかったそれを、彼女は1人で狩ったということだ。
「それでは...」
職員は軽く手で鳥を自身へ寄せると、その場でまず軽く下見をする。
「は〜や〜く〜」
彼女は大人気なく大きな体を揺らす。
その様子は周囲の注目を集めた。
「あいつやば」「ラースじゃん」「見るな。たかられるぞ」
「...なんだ こいつは」
ヒールが少し引き気味に、小さな声で僕に尋ねる。
「あの人はラースさん」
僕も彼女に目を付けられないように、こそっと彼に他己紹介をする。
「もちろんフルオロ団員で...その中でも、上位に入るくらいの実力者だよ」
「ただ...」
「なんだ」
次の言葉を待つヒールに、僕は目線だけで訴える。
「あ〜〜〜」
ラースさんは待ちきれないと言ったように、上目空でバイブレーションしている。
「...よく分かった」
彼はそれ以上聞かなかった。
それだけでは分かるはずもないが...
ラースさんは重度のカジノ狂いとして有名だ。
「あ〜〜〜」
...ホント、それさえなければ素直に尊敬できる強者なのに!
「〜〜〜あ!!!」「!!?」
すっとんきょうな叫びと共に、ラースさんがピタリと動きを止める。
「...どうかなさいました?」
検品する職員の腕も止まる。
「えふふっ、ラッキ〜......」
上目空だった彼女の視線は今、壁の1枚に注がれている。
「ピョンコドリの依頼が〜あるじゃな〜い!」
彼女は僕の受けていた依頼に目を付けたのだ。
「その...ラースさんは、ご予約をされていませんよね?」
「今」
「したのっ」
にへら、と彼女は柔らかい笑みを浮かべる。
「そう...です か」
仕事人であるはずの職員が、少し眉をひそめたように見えた。
「しかし軽く見た限りでも、これは依頼主の求める条件に反するかと...」
職員はそう言ってピョンコドリを回して見せる。
僕とヒールも遠間から覗き見る。
「ん〜〜〜?」
その鳥の右半身は...羽が溶けて皮膚も溶けて骨が見える...
...どころか骨も少し溶けていた。
「...何をしたんだ」「ええっ...とね...」
ヒールと一緒に僕も気取られていた。
ラースさんの魔法を少し知っている僕でも呆気にとられる程である。
地面を蹴る硬い硬いその脚も、トロリと尻から垂れ下がっていた。
「...この、右の方ですが」
職員は彼女と向き合って言う。
「依頼主の目的は主として羽で...こちら全てではありませんが、かなり傷ついていますよね」
「だって〜あのコ速いんだも〜ん」
「それを傷つけずに狩る依頼ですので...」
「でも〜左は無事でしょう?」
彼女が合間無くたずねる。
「...しかしながら、先にご予約された方がおりまして 恐らく──」
ザッ
「──お待たせしました リントさん」
「あっ」
そう2人が口論してる内に、僕らにあたっていた職員が戻ってきた。
その男性の職員はお仕事スマイルを湛えて、件の鳥が入ったままのクーラーボックスをそっと置く。
「ほとんど損傷もなく、依頼主様のご要望以上のものでした」
「このまま買い取らせていただいて宜しいでしょうか」
「あ...はい...」「ありがとうございます」
僕は職員のその笑顔を...依頼の達成を喜べずにいた。
そもそも僕の手柄ではないし、それに──
「──リン ちゃん?」
彼女の瞳が 僕を捉えたのだ。
「...ラースさん」
射すくめられたカエルが口を膨らませるように、頰いっぱいの固唾を飲み込んだ。
「ン〜ン〜ン〜...?」
スラリと長い足でほんのニ歩、それだけで僕との距離は無いものとなった。
「リンちゃんが〜これ 狩ったの?」
その声色は甘ったるく優しいようで、しかし喉の奥から重たい圧を感じる。
「そんなにできる子だったっけ〜?」
彼女はわざとらしく首を傾げてみせる。
僕はそれを直ちに否定する。
「いえ、やったのはこの人です」
僕は彼女と距離をとりながら、後ろのヒールを差して言った。
「...」
彼は僕の斜め後ろから、ラースさんをじいと睨んでいた。
「...?」
「きみ、だあれ?」
彼女は今度こそ本当らしく首を傾げる。
「僕の付き添いで...団員ではないんです」
僕はヒールの名を伏せた。
彼女こそヒールが危惧していた通り、名前を悪用するタイプの人間だ。
「ふうん、部外者なんだ」
彼女はそう確認を取ると、ぐるりと首を傾けて職員に向く。
「ねえ〜そのピョンコドリ、ウチの団員じゃない人が狩ってきたんだって〜」
「...はい」
女性の職員がおずおずと相槌を打つ。
「そんなことって〜いいの?」
「──問題ありません」「ほえっ」
カウンター越しに、男性職員が受け答える。
「私はリント様からピョンコドリを受け取りました」
「リント様がどうそれを入手したか...そこに我々は頓着しません」
「...」
ラースの身体の震えはびたと止まり、ただ単に鎮まりかえっていた。
「ラース様より先に予約された方が、より質の高いものを納めたのですから...当然そちらが優先されます」
男は彼女の沈黙を納得と見たか、ふうと一息ついてから続ける。
「ですので、ラース様のピョンコドリは一般買取に──」
「──だめ!!!」
ラースは目を異様なほど見開いて、ガラスが割れそうなほどの声で叫ぶ。
「「!?」」
がしゃん、と激しい音を立てて 彼女がカウンターに身を乗り出す。
「だめ...今すぐお金が欲しいの」
「あの依頼 お金がいっぱいでしょう?」
「依頼の報酬金はリント様のものになります」
男は意に介せずといったように、僕のピョンコドリを寄せ持ち 女性の職員に渡す。
「ねえ 聞いてる〜?」
「...」
女性は男と目配せをかわし、そのまま奥へと持ち去っていった。
ラースは我慢ならないと再び口を開く。
「ねえ──」
「ルールですので 引き下がり願います」
「──ッ!」
「何があルールよ!ルールって!!全部わたしに不利なルールじゃない!!!」
もはや僕たちの存在など忘れたかのように、男にくってかかる勢いで話す。
「ルールは そこに あるだけです」
男は凛然とした態度で返す。
「...へえ そう」
「?!」
彼女はそれだけ言うとスンと大人しくなり、また一歩二歩と引き下がったのだ。むしろ不気味なほどの気変わりである。
「...」
職員はそれを見届けると、仕切り直して僅かな笑みをとりなす。
そして息を三四と吐きながら、レジから小銭と札束を引き出す。
「こちらが報酬金になります」
「...ありがとうございます」
ひとまず僕は礼を言った...
...だけど、金を受け取りに踏み出せないでいた。
「...」
......僕の真横に立ったラースさんが、諦めたかと思ったラースさんが、目線で僕を釘付けにしていた。
ドッ ドッ
歪みきった破滅的な瞳
ドッ ドッ
彼女から目が離せない。このまま金を受け取ったら、何が起こるか分からない──
ザッ
「──!」
ヒールだった。
恐怖で縛り付けられた僕の代わりに、彼がカウンターへと歩み出たのだ。
「もらっていくぞ」
彼はそう言って机上の金に手を伸ばした──
──そして僕は、勢いよく踏み出していた。
「ヒールっ!!!」「!?」
僕は急いで体当たり的に彼を押し除ける。
そして反射的に腕を上げて顔を守る。
僕を見続けていたラースが目線を切り、ヒールに向かって手のひらを伸ばすまでの数瞬...
それがこの数瞬で、僕にできる限界だった。
「...」
どろり...
ラースの手のひらから滴り落ちたそれは...
白濁りした粘性の液体は...振り上げた僕の腕から髪の毛を伝って、左目と唇の端まで至っていた。
彼女に背を向けていたヒールに、降り注ぐはずだった粘液である。
「...?!」
崩れた姿勢を整えたヒールが僕を見て、何が起きたか分からないという顔をする。
だがその次にラースを見て すぐ
「──何しやがる!!」
と怒鳴り込み 彼女に向かって左の拳を振るう
ぱしっ
...拳が伸び切る前に、僕は彼の腕を掴んで止めた。
「君が 手を出しちゃいけない...!」
荒ぶる彼の手を強く握る。
「なぜだ」
「...!」
ヒールは横目で僕を見て...僕の顔をマジマジと見て青ざめた。
ラースの白い粘液によって僕の左目は開かず、口も左端が塞がれて喋るのにも一苦労だ。
だけど頑張って口を開く。
「...ルールだよ」
「部外者の乱闘騒ぎは 団員で協力して止めることになってる」
...本来は、輩がカチコミかけてきた時の対処のためのルール。
「君が殴ったら酷いことになってた...かも」
ラースはそれを私的に利用しようとしたのだ。
「ルールか...」
ヒールは左手を強く伸ばしたまま、その言葉を何度目か反芻する。
「た〜〜いへ〜ん」
一方彼女はヒールの目の前で、ニタニタと余裕の笑みを見せる。
「よかったねえ──」
そして彼の背丈に合わせてかがみこみ、突き出した彼の拳に...
「──リンちゃんが守ってくれ て...!」
...自身の額を押し当てて、ぐりぐりと挑発的に擦り付ける。
「──ッ!!」
ヒールはぞくりと悪寒を立てて、素早く僕の手を払い拳を引っ込める。
「てめえ!」
「ざんねんだったね〜みんな」
彼女はヒールの怒りに向き合わず、ショーの司会かのように席を見回す。
「!」
僕はそこで皆の視線に気づく。
僕らの騒ぎは当然注目を集めていたが、それ以上に...
テーブルの端を握り込む人、出口を囲む人...瞬きひとつせずこちらを見定める人...
その視線はラースが僕らに向けるのとは別種の、暴力的な悪意を孕んでいた。
「み〜んな暴れるのが大好きだからね〜」
「でもわたしには敵わないから〜乱闘になったら君の方を止めに入っただろうねっ!」
ピョンコドリを骨ごと溶かすような人と、誰が事を構えたがるだろうか。
「──じゃあ なんだ」
「てめえら やる気か」
...ここに1人、全員に敵意を返す男がいた。
「お!お!」「やる?やる?」「いいよーいつでも!!」「乗るな!」「すみません唐揚げ追加で」
周囲の悪ノリは潮を高めつつある。
「上等だ」
彼の目が見開き荒く息を吸う。
「えへへえっ!」
ラースが彼に道を譲るようにして、後ろ手に小さくサイドステップを踏む。
「ヒール」
「...!」
彼は呼びかけに応じて僕を見る。
獣のように立てられた歯が閉じて、ばつの悪そうな顔をする。
「...だって お前──」
「僕ならヘーキ」
「これは黄色じゃなくて白い粘液だから...ベタつくだけで害はないよ」
恐るべきは彼女の黄色い酸の液だ。ピョンコドリをぐつぐつと溶かした...
...ただ酸よりマシだとは言っても、粘性が桁違いで...塞がれた目と口は全く開かない。
ヒールは僕の髪から顔、そして液の垂れ落ちた服を見る。
「平気なものか」
そう労って、僕の肩にかかった粘液に触れようとする。
「あぶない、くっついちゃうよ」
僕はさっと彼の手から離れる。
「しかし 俺なら...」
彼がまた一段とへこんだ様子を見せると、その後ろからラースが僕に近づく。
「ごめんねえ、リンちゃん」
「え?」
「こんなつもりじゃ〜なかったの」
「ヒールくんにイタズラしようとしたら〜リンちゃんにかかっちゃったの〜」
彼女はうざったく伸ばし棒をつけて平謝りする。
「...いいですよ」
「これ、取ってくれますか?」
僕は場を納めるため穏便に、彼女の液で白濁した袖を差し出す。
「うん お金 払ってくれたらね?」
「...ええ?」
がしっ
「──!!」
当惑する僕の両手を瞬時に取り、彼女の大きな両手が包み込む。
「リンちゃん聞いて?」
「わたしね 今すぐたくさんお金が必要なの」
じゅる じゅる
「あっ──!」
包んだ彼女の掌から、手汗のように粘液が染み出す。
ラースはそのまま話し続ける。
「わたしの〜張ってるヤマが〜〜」
「もう少しで 爆発 しそうなの!!」
「やめろ!」
ヒールが開いた五指をわなわなと奮い立てて怒鳴る。
けれどラースは聞く耳を持たない。
「あと数万つぎこんだら ぜっったい行けるの!!」
「そしたら返すから ねっ?」
「──知りませんよ そんなの!」
カジノ狂いにはついていけない!
僕は腕を振るってラースの手から脱出した。
「...!」
僕の両手は手錠をかけられたかの如く、がちりと粘液で合わせられていた。
彼女はそんな僕を見下して言う。
「ねえリンちゃん、それ絶対落ちないよ?」
「拭き取ろうとしても、洗濯しても...」
これはただの粘液ではない。
彼女の魔法によって生み出された、特別な液体なんだ。
「それを落とせるのは わたし だけ」
「ねっ?」
優しい声かけで事を終え、立って一歩後ろに下がる。
「...おい」
反抗的に彼女を見上げていた僕に、ヒールが横から囁くように言う。
「体についた液は俺の魔法で外せる」
「!」
そうか、ヒールの転移魔法!
生物だけをテレポートさせるから、僕だけが転移して粘液は置き去りになるんだ!
「──だが、服についた分は」
彼は僕の袖と胸元を見て顔を顰める。
「...それ お前のお気に入りなんだろう」
「ううん、服なら大丈夫」
「確か1週間もすれば、自然に落ちたはずだから」
「そうか」
「顔だけでも取ってくれるなら嬉しいよ」
「ラース様」「なあに?」
僕とヒールが少し穏やかに話す外で、職員がラースに語りかけていた。
しばらくカウンター越しで静観を保っていた男性職員である。
「床に溢した分は 消していただけますか」
男は僕とラースの足元に広がった粘液を指す。
辺りは踏めば足が離れなくなるネズミ取りと化していた。
「あ〜!ごめんなさ〜い」
彼女はそう言ったかと思うと、次の瞬間には
音もなく床から白濁が消滅した。
「消えた...?」
それを見て驚いたのがヒール。
「ラースが魔法で生み出した液体だから、ラースが自由に消せるんだ」
そう説明を加えると、ヒールは軽くきょとんと目を丸くして
「なんだ 魔法だったのか」
その目を鋭く光らせた──
「──うわっ!」
そしていきなり両手で持って、僕の顔と袖を粘液ごと掴む。
「ええっ...ちょっと、ここでやるつもり?!」
僕はその瞬間死を覚悟した。
彼が僕の身体だけを、どこかへ転送すると思ったからだ。
しかし 次の瞬間──
「...えっ」
──消えたのは ラースの粘液だけだった。
「...?」
僕はその場から動いていない。彼女が僕につけた粘液だけが、どこかへ転送されたということか?
「...なんで?」
僕より先に、ラースが疑問を口にする。
「なんで?なんで?なんで?」
「わたしの液体どこにやったの?」
彼女は自暴的に疑問を繰り返しつつ、ゆらりとヒールへにじり寄る。
「さあな」
はだかるように彼は僕の前に立ち、煽るようにニヤリと笑う。
「ヒールくん」
そう呟いたラースの手に、また白いものが充填される。
「邪魔──」
「──っ!?」
それをぶち撒けようとした寸前に、ヒールが彼女と手四つになる。
「なあ」
そして彼が最後に問いかける。
「お前は 恥ずかしいと思うか」
パッ
「...」
ヒールの目の前では...ラースの服だけが宙を舞う。
...ラースの肉体は──
「...ほえっ?」
──ギルドのど真ん中に送られていた。
「──うおおおおおお!!」「やったあああ!!!」「しゃあっ!!!」
そして瞬間の内に、ギルドにかつてない歓声が響いた。
「...」
「...は、はあ〜〜〜??!」
遅れて状況を理解したラースが、顔を真赤にして縮こまる。
僕は目をぱちくりしてそれを眺めていたところ、隣へヒールがやってくる。
彼のポッケには札束と小銭が。今に紛れて職員から受け取っていたのだ。
彼は大騒乱のフルオロを見て言う。
「これならいいだろう」
「う、うーん...?」
僕が返事に困っていると、中央からラースの絶叫が聞こえる。
「──そこを どきなさいってば!!!」
「へい!へい!へい!」「ディーフェンス!ディーフェンス!」
「ねえ〜邪魔なんだけ ど!!!」
「...」
「うん、いいんじゃないかな」
そう答えると、彼は満足げに鼻で笑い飛ばす。
「ははっ」
そして迂回して出口を目指した。
僕も並んで外に歩き出す。
「あとさ 箱...アイツから返してもらえなかったんだが」
「あのクーラーボックスは、もともとギルドから借りてたものだから」
「なるほど──」
「──ヒールくん!?待ちなさい!!」
「うえーい!」「ナイスカット!」
「...あっ」
...しまった、ヒールの名前喋っちゃった!!
「...別にいいよ」
「こんな奴らに知られても問題ない」
「そっか...ごめんね」
「いいさ お前は俺を庇ったじゃないか」
「でも君は僕を助けてくれた」
「なら貸しがひとつ増えたわけだな」
「そうだねっ」
そうしてシャッターの近くに差し掛かった辺りで、知り合いから僕に声がかかる。
「リンー」「あ、はいっ」
僕はヒールに断って知り合いの元に行った。
「でいだらウサギの依頼なんだけどさ...あのメッチャ高いやつ」
「うちとバリンだけじゃ無理だったからさ、今度一緒に行かない?」
「!ぜひっ!」
「おけ」
「ねえ、あとこれ見てよー!」
「──ヒール君?」
僕らが話す後ろの方で、微かにヒールを呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと、こっちへ来ておくれよ」
僕の反対の壁の方からだ。
「...」
「ねえリン、ちゃんと見てるー?」「あっはい!」
......
ザッ
「──何の用だ」
「さっきは有難うね、リントを助けてくれて」
「...はあ」
「私も健気なリントが好きで、陰ながら結構応援してたからさっ」
「嘘だな」
「お前はさっき何もしなかっただろう」
「んー、助けてほしかった?」
「好きでもしょせんは他人だよね?」
「...そうだな」
「人間など所詮そんなものか」
「ばいばいリン」「ありがとうございましたー」
僕は足早に別れを告げ、ヒールの方を──
「げっ」
あの人は...!
「──そんな訳で、ヒール君には感謝してるよ」
「良かったらこのままウチに入らない?みんな歓迎するよ」
そう言ってその女は 右手でヒールの頭を撫でようとして
バチイッ...!
「!」
力強くヒールに弾かれた。
「へえ...」
女は意外そうな表情を浮かべる。
「...なんなんだ てめえ」
ヒールの表情は照れ隠しのようなものではなく、明らかに臨戦を呈していた。
「ヒールっ!」
僕は慌てて彼に駆け寄る。
「あー強い。じんじんするわ」
その女はヒールに叩かれた手をフリフリと見せつける。
強いかぐわしの香水に、場違いなほど豪勢な衣服。それは彼女がギルドでも特別な存在である事を示唆していた。
「ヒール、その人にはケンカ売っちゃだめ」
僕は彼にこそりと耳打った。
「...ま、今のは暴力じゃなかった事にしておくよ」
彼女は左手のグラスをカラリと鳴らし、右手を落ち着けて膝にすえる。
「...貸しだと言いたいのか」
ヒールはしかし威圧的に返す。
「そんなつもりで言ったんじゃないけど...」
「だったら、また今度軽く奢ってくれよ」
「いいだろう」
そして威圧的に話を終えた!僕の話聞いてる?!
「...」
ヒールはくるりと出口に振り返り、ボタンのある壁に近づいていく。
「ギルドの話、考えておいてねー!」
...ヒールは彼女の声をシカトして、青いボタンを強く押し込んだ。
ギ ギギ
とまた錆びついた音を立てて、重いシャッターが下から開き始める。
「大丈夫かな...あの人怒ってないかな...」
「...」
ヒールは狼狽える僕をじっと見つめた。
「...リント」
「...ん?」
ギギ ギギギ...
「...」
「忘れてないだろうな この後のこと」
「...!」
「もちろんっ!町案内は僕に任せてっ」
ギギ... ガシャンッ!
そうして僕らはトラブルを切り抜けて、ようやくギルドを後にした。
だけど旅路はまだまだこれから。まだすべてが解決したワケでもない...
...ヒールは自分の魔法のことを、生物を転移させる魔法と言っていた。
なのにラースの粘液を消してしまった。
彼が魔法を偽っていたのか、それともまだ何か隠された力があるのだろうか。
...そんなのはこれから、ゆっくり知り合っていけばいい!
僕らは真昼の太陽の元、気持ち新たに一歩を踏み出した──
ギ ギギ
ギギギ...
──シャッターが完全に閉まり、2人の姿が見えなくまで...内からそれを見届けていた者がいた。
豪勢な衣服に身を包んだその女性は、左手に持ったグラスをカラリと鳴らし、端からそっとテーブルに置いた。
ギ...
「...」
彼女の左手の甲には、奇怪な網目の紋様と『7』という数字が彫られていた。
...ガシャンッ
気に入っていただけたら幸いです。
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