第九話 無能がいない日
雨だった。
冷たい雨が、
野営地の焚火を弱々しく揺らしている。
「……クソ」
ガレス
が舌打ちした。
その足元には、
濡れた保存食袋が転がっている。
中身は腐っていた。
酸っぱい臭い。
黒ずんだ干し肉。
「これ全部駄目か?」
ルーク
が青白い顔で聞く。
「駄目だな」
「まだ二日目だぞ……」
誰も答えない。
空気が重い。
焚火の周囲には、
疲弊した遠征部隊が座り込んでいた。
勇者遠征軍。
かつては王国最精鋭。
今は、
崩れかけている。
◇
「地図は!?」
ザイン
が怒鳴る。
部隊内がざわつく。
「見当たりません!」
「荷箱のどこかに……!」
「どこかじゃ困るんだよ!!」
苛立ちが隠せていない。
ザイン自身、
限界だった。
眠れていない。
ここ数日、
まともに寝た記憶がない。
なのに、
誰も休めない。
補給が遅れている。
進軍予定も狂っている。
全部ズレる。
全部崩れる。
「おい!! 予備装備どこ行った!?」
別の兵士が叫ぶ。
「知らん!」
「修理用工具も無いぞ!?」
混乱。
誰も、
何がどこにあるか分かっていなかった。
以前は違った。
必要な物は、
必要な時に出てきた。
壊れた装備は、
気づけば直っていた。
薬品は切れなかった。
地図は常に整理されていた。
野営地は安全だった。
だが今は。
全部、自分達でやらなければいけない。
そして誰も、
やり方を知らない。
◇
夜。
雨脚が強くなる。
「結界展開終わりました!」
兵士が報告する。
ザインは疲れた顔で頷いた。
「見張り増やせ。今日は嫌な感じがする」
「はい!」
だが。
その結界は歪んでいた。
方角ズレ。
魔素循環不全。
本来なら、
一目で分かるミス。
しかし今、
それを指摘できる人間がいない。
◇
「……っ」
ルークが木箱へ手をつく。
呼吸が荒い。
指先が震える。
魔力安定剤。
瓶を開ける。
空だった。
「……は?」
顔色が変わる。
「おい」
ガレスが近づく。
「どうした」
「薬がない」
「予備は?」
「切れてる」
「はぁ!?」
ガレスが怒鳴る。
「なんでだ!!」
「知らねぇよ!!」
ルークも叫び返した。
「前は勝手に補充されてたんだよ!!」
沈黙。
その瞬間。
全員、
同じことを思い出した。
補充。
管理。
残数確認。
誰がやっていた?
◇
深夜。
魔物の咆哮が響く。
「敵襲!!」
結界突破。
魔狼群。
「またかよ!!」
兵士達が飛び起きる。
混乱。
焚火が倒れる。
荷車へ魔物が突っ込む。
「食料守れ!!」
「馬が逃げたぞ!!」
叫び声。
血。
ガレスが剣を振るう。
一刀で魔狼を叩き斬る。
だが次。
次。
終わらない。
「ルーク!! 援護!!」
「……っ、無理だ……!」
ルークの呼吸が乱れている。
魔力制御が不安定。
薬切れ。
「チッ!!」
ガレスが前へ出る。
その瞬間。
横から飛び出した魔狼が、
荷車へ噛みついた。
保存食袋が裂ける。
泥へ落ちる食料。
「クソがぁ!!」
ガレスの怒声が響いた。
◇
戦闘後。
野営地は滅茶苦茶だった。
負傷者多数。
食料損失。
馬一頭逃亡。
雨はまだ降っている。
誰も喋らない。
疲弊。
苛立ち。
限界だった。
その中で。
ガレスが突然、
荷箱を蹴り飛ばした。
「なんなんだよこれは!!」
木箱が砕ける。
「なんで毎回こうなる!!」
誰も答えない。
ガレスの肩が震えていた。
「食料は腐る!
装備は足りねぇ!
地図は消える!
結界は破られる!」
怒鳴り声。
「前はこんなんじゃなかっただろうが!!」
沈黙。
そして。
ガレスは、
苦しそうに吐き出した。
「……レインは何をしてたんだ……!」
静かになる。
焚火の火だけが揺れる。
誰も答えられなかった。
答えが、
分かり始めていたからだ。
あの“雑用係”が。
気づかれない場所で。
どれだけの崩壊を、
止め続けていたのかを。




