第十話 英雄の値段
王都レグナスは今日も賑わっていた。
石畳。
噴水広場。
白亜の大通り。
人々は笑っている。
「勇者様がまた魔王軍を撃退したらしいぞ!」
「さすが王国の英雄だ!」
「これで戦争も終わる!」
酒場では乾杯。
新聞屋は号外を配る。
壁には巨大な肖像画。
ザイン
が剣を掲げ、
光の中で笑っている。
完璧な英雄。
王国の希望。
少なくとも。
王都では、
そういうことになっていた。
◇
「――よって北部戦線は依然優勢。
勇者隊の活躍により、
魔王軍は大損害を受けています」
拍手。
豪奢な会議室。
赤絨毯。
金装飾。
王国中央庁舎、
勇者庁会議室。
壇上では官僚が演説していた。
勇者庁
。
勇者を“管理”する組織。
政治。
宣伝。
世論。
全てを扱う。
「市民不安は依然低水準。
勇者人気も維持されています」
「結構」
老貴族が頷く。
「なら問題ないな」
「はい。
新聞各社にも“順調”と発表済みです」
机上には報告書が並んでいた。
だが。
その中身を、
誰もまともに読んでいない。
兵站損失。
補給遅延。
前線壊滅。
護衛隊消失。
赤字だらけの報告。
それらは、
別紙として積まれていた。
「……前線第七補給基地、
壊滅していますが」
若い文官が恐る恐る言う。
部屋が静かになる。
老貴族は眉一つ動かさない。
「で?」
「補給線維持率が既に――」
「民衆に関係あるか?」
冷たい声だった。
「重要なのは希望だ」
文官が黙る。
「勇者が勝っている。
民衆にはそれだけ見せればいい」
別の官僚も頷く。
「不安が広がれば徴税率に影響します」
「地方反乱も起きかねません」
「戦時下では情報統制が必要です」
誰も、
現場を見ていない。
見ているのは数字だけ。
支持率。
世論。
税収。
英雄とは、
国家運営の道具だった。
◇
一方。
前線野営地。
そこには、
英雄などいなかった。
いたのは。
疲弊した人間だった。
「……っ、げほっ」
暗い天幕の中。
ザインが口元を押さえる。
胃液。
血が混じっていた。
呼吸が荒い。
眠れない。
食えない。
頭痛。
耳鳴り。
それでも、
明日にはまた前へ出なければならない。
「勇者様」
外から兵士の声。
「明朝、第三区画視察命令です」
「……分かった」
声が掠れる。
兵士が去る。
静かになる。
ザインは壁へ寄りかかった。
鎧が重い。
呼吸するだけで疲れる。
なのに。
休めない。
英雄だから。
◇
机の上には新聞があった。
『勇者、魔王軍へ大勝利!』
『王国に希望の光!』
『戦局安定!』
全部嘘だった。
「……安定、ねぇよ」
ザインが呟く。
補給は崩壊。
部隊は疲弊。
兵は死ぬ。
街道は寸断。
毎日、
何かが足りない。
食料。
薬。
人員。
そして。
余裕。
ザインは顔を覆う。
最近ずっと、
考えてしまう。
前は、
こんなじゃなかった。
もっと回っていた。
遠征は辛かったが、
崩壊はしていなかった。
誰かが、
全部繋いでいた。
だがその“誰か”を、
自分は追放した。
「……なんで」
声が漏れる。
「なんで気づかなかった」
返事はない。
◇
深夜。
野営地の外。
雨が降っていた。
ザインは一人で座り込んでいる。
誰にも見られない場所。
泥の上。
「……っ」
吐瀉物が地面へ落ちる。
胃液。
まともに食べていない。
身体が震える。
手も。
剣を握る指まで。
遠くでは兵士達の怒鳴り声が聞こえる。
補給トラブル。
また何か壊れたのだろう。
ザインは笑った。
乾いた笑いだった。
「……英雄、か」
誰もいない夜へ呟く。
英雄。
希望。
王国最強。
その値段がこれだった。
眠れず。
吐き続け。
壊れていく。
そして。
本当に必要だった人間を、
切り捨てたまま。




