第六十九話 正しさの代価
夜。
黒灰圏滞在区。
◇
窓の外では、
巡回灯が規則的に動いている。
一定間隔。
一定速度。
狂いなく。
◇
静かだった。
あまりにも。
◇
レイン・ヴァルト
は、
机に広げた資料を見つめていた。
配給率。
犯罪率。
労働維持率。
人口推移。
◇
数字は美しい。
合理的。
安定。
継続。
◇
王都とは、
比較にならない。
◇
なのに。
胸の奥が、
ずっと重かった。
◇
「……何なんだよ」
小さく漏れる。
◇
黒灰圏は、
間違いなく人を生かしている。
飢えさせない。
暴れさせない。
崩壊させない。
◇
王国には出来なかったことだ。
◇
それなのに。
どこか、
息苦しい。
◇
その時。
通信魔導具が淡く光った。
◇
レインが顔を上げる。
接続。
映像が揺れる。
◇
映ったのは。
セラフィナ
。
◇
少し疲れた顔。
だが。
以前よりは、
ちゃんと眠れている目だった。
◇
「……生きてた」
セラフィナが小さく言う。
◇
「そっちこそ」
レインも返す。
◇
少しだけ、
沈黙。
◇
それから。
セラフィナが、
レインの顔を見て眉を寄せた。
「顔色悪い」
◇
「そうか?」
「そう」
◇
即答だった。
◇
レインは、
少し迷ってから言う。
「……黒灰圏を見た」
◇
「驚いたよ」
「飢えてない」
「秩序がある」
「孤児も保護されてる」
◇
「王都より、
ずっとまともだ」
◇
口にしていて、
苦かった。
◇
セラフィナは、
静かに聞いている。
◇
「でも、
分からなくなる」
レインが続ける。
「自由で崩壊するのと」
「管理されて生き残るのと」
「どっちが正しいのか」
◇
セラフィナは、
少しだけ目を伏せた。
◇
それから。
ぽつりと言う。
◇
「でも」
◇
「あそこには、
笑顔が無かった」
◇
レインの呼吸が止まる。
◇
その言葉。
妙に、
胸へ刺さった。
◇
脳裏に、
黒灰圏の街が浮かぶ。
整列する人々。
静かな配給列。
規律正しい子供達。
均一な灰色服。
◇
確かに。
誰も飢えていない。
誰も暴れていない。
だが。
◇
誰も、
笑っていなかった。
◇
ドラクエラを思い出す。
市場。
怒鳴る商人。
騒ぐ子供。
失敗して怒られる新人。
酒場の喧嘩。
◇
面倒で。
非効率で。
騒がしくて。
◇
でも。
あそこには、
人間の生活があった。
◇
セラフィナが、
静かに続ける。
「人って、
無駄なことするから」
「寄り道するから」
「失敗するから」
「笑えるんじゃない?」
◇
通信越しの声は小さい。
だが。
黒灰圏で聞いたどの理論より、
重かった。
◇
レインは、
ようやく気付く。
◇
この国には。
余白が無い。
◇
無駄が無い。
非効率が無い。
逸脱が無い。
◇
だから。
崩れない。
◇
そして同時に。
人間が、
息をつく場所も無い。
◇
ヴェルガ達は正しい。
少なくとも、
維持という意味では。
◇
だが。
正しさだけでは。
人は、
生きていけないのかもしれない。
◇
通信が切れる。
部屋に静寂が戻る。
◇
窓の外。
灰色の街は、
今日も正確に動き続けていた。




