第六十話 餓死率ゼロ
部屋には。
紙の匂いしかしなかった。
◇
地図。
帳簿。
統計表。
数字。
数字。
数字。
◇
ギルゼア
の執務室には、
装飾品が一つも無い。
あるのは、
維持の記録だけだった。
◇
レイン・ヴァルト
は、
机上へ積まれた資料を見つめる。
黒灰圏統治報告書。
年度別人口推移。
配給維持率。
労働配置効率。
◇
軍事機密のはずだった。
だがギルゼアは、
隠そうとしない。
◇
「見るか」
感情の薄い声。
レインは無言で頷く。
◇
最初の資料。
餓死率。
◇
数字を見た瞬間。
レインの眉が動いた。
◇
「……ゼロ?」
◇
「正確には〇・〇三%」
ギルゼアが訂正する。
「主因は病死併発」
「純粋飢餓死は、
過去三年で確認されていない」
◇
ノアが思わず声を漏らす。
「嘘だろ……」
◇
王都では。
一冬で何万人死んだ。
難民街では、
毎朝死体が回収されていた。
◇
それが。
戦争中の敵国で、
餓死率ほぼゼロ。
◇
次。
犯罪率。
◇
窃盗。
暴行。
略奪。
全て、
人類国家平均を大きく下回る。
◇
イヴァン
が低く呟く。
「あり得ねぇ……」
◇
さらに。
労働率。
◇
九八%。
◇
働ける人間のほぼ全員が、
何らかの業務へ配置されている。
◇
最後。
配給維持率。
◇
九六%。
戦時下で。
この数字。
◇
レインは、
しばらく黙って資料を見ていた。
◇
理解してしまう。
これは、
捏造ではない。
◇
街を見た。
配給列も。
登録制度も。
労働管理も。
全部、
この数字へ繋がっている。
◇
黒灰圏は。
本当に、
機能している。
◇
「……なぜ、
そこまで出来る」
レインがようやく言った。
◇
ギルゼアは、
一枚の統計紙を机へ置く。
王都崩壊期人口損失率。
餓死。
暴動。
略奪。
感染症。
凄惨な数字。
◇
「逆に聞く」
ギルゼアが言う。
「何故、
人類国家は維持できなかった」
◇
「物資不足か?」
「違う」
「生産力不足か?」
「違う」
「輸送技術不足か?」
「それも違う」
◇
ギルゼアは、
淡々と続ける。
「原因は、
配分だ」
◇
「貴族が抱え込む」
「商人が吊り上げる」
「官僚が責任回避する」
「兵士が略奪する」
「民衆が奪い合う」
◇
「全員、
自分を優先する」
「だから崩壊する」
◇
レインは、
反論できなかった。
全部、
見てきたからだ。
◇
ギルゼアは、
静かに告げる。
「我々は違う」
◇
「感情を排除したからだ」
◇
部屋が静まる。
◇
「配給は同量」
「労働は適性」
「例外は最小」
「私欲は罰する」
「役割外行動は制限する」
◇
「だから維持できる」
◇
その声には、
誇りすら無かった。
ただ、
事実を述べている。
◇
レインは窓を見る。
外では。
灰色服の人々が、
静かに街を歩いていた。
秩序正しく。
迷いなく。
◇
確かに、
飢えていない。
確かに、
暴れていない。
確かに、
維持されている。
◇
だが。
そこには。
王都の市場にあった喧騒も。
ドラクエラの笑い声も。
存在しなかった。
◇
レインは、
小さく呟く。
「それでも……」
◇
言葉が続かない。
◇
ギルゼアは、
その沈黙を見て言った。
「理解し始めているな」
◇
「維持とは、
優しさではない」
「切り捨ての技術だ」
◇
その瞬間。
レインは、
この国の恐ろしさを初めて理解した。
ここは、
狂気で動いているのではない。
◇
“正しさ”で、
動いている。




