第五十六話 境界線
灰が降っていた。
雪ではない。
燃え残った村々の、
煤だった。
◇
レイン・ヴァルト
は、
馬車の荷台から前方を見ていた。
空は暗い。
冬雲と煙が混ざっている。
風も冷たい。
◇
後方では、
灰燕護衛隊の馬車列が続いていた。
武装護衛。
食料。
停戦文書。
捕虜交換名簿。
全部、
今回の交渉用だ。
◇
同行者は少ない。
イヴァン
。
ノア
。
そして、
選抜された灰燕護衛隊。
国家使節ではない。
軍でもない。
だが今や。
灰燕の物流網は、
国家より広く機能していた。
◇
「……静かすぎるな」
イヴァンが呟く。
レインも同意だった。
◇
人類側国境地帯。
そこには、
終わった世界が広がっていた。
◇
焼けた村。
崩れた井戸。
放棄畑。
略奪跡。
道端の死体。
◇
難民達が、
虚ろな目で馬車列を見る。
痩せ細っている。
子供の泣き声すら弱い。
◇
「食い物だ……」
誰かが呟いた。
一瞬。
空気が張る。
護衛達が武器へ手を掛ける。
◇
だが。
難民達は動かなかった。
襲う力すら残っていない。
◇
ノアが、
小さく唇を噛む。
「これ、
王都の外だよな……?」
「ああ」
レインは短く答える。
「もう、
どこも同じだ」
◇
街道を進む。
進むほど、
人類側の崩壊が目立った。
◇
放棄された検問所。
壊れた補給車。
脱走兵。
武装盗賊化した元兵士。
統治が死んでいる。
◇
だが。
境界線を越えた瞬間。
景色が変わった。
◇
最初に見えたのは、
塔だった。
黒鉄製の監視塔。
一定間隔で並んでいる。
◇
次に、
街道。
整備されている。
轍が均一。
崩落箇所補修済み。
雪掻き痕まで残っていた。
◇
さらに。
黒灰兵達の巡回。
隊列が乱れない。
歩幅一定。
私語無し。
◇
イヴァンが眉をひそめる。
「……敵地だよな、ここ」
「そのはずだ」
レインは答えながら、
違和感を覚えていた。
◇
秩序がある。
◇
人類側には、
もう無かったもの。
◇
街道脇では、
配給列が形成されていた。
兵士が、
順番に乾燥食を配っている。
押し合いも無い。
怒号も無い。
◇
代わりに。
全員、
異様なほど静かだった。
◇
ノアが小声で言う。
「なんか……怖い」
「分かる」
イヴァンも低く返す。
「静かすぎる」
◇
人類側は地獄だった。
だが。
そこには、
まだ“人間の感情”があった。
怒鳴り。
泣き。
奪い合い。
生きようと暴れていた。
◇
ここには、
それが薄い。
全員が、
規則通り動いている。
◇
レインは理解し始める。
黒灰圏は、
恐怖で統制しているのではない。
維持で統制している。
◇
やがて。
巨大な検問所が見えてきた。
黒鉄壁。
障壁杭。
監視弓兵。
魔導灯。
完全防衛構造。
◇
馬車列が停止する。
黒灰兵達が近付いてくる。
無駄な威圧は無い。
剣も抜かない。
ただ。
事務的。
◇
先頭兵士が、
レインへ視線を向ける。
感情の薄い声。
「所属と目的を確認する」
「灰燕運送ギルド」
レインが答える。
「停戦交渉代表だ」
◇
兵士は即座に書類確認。
後方兵へ手信号。
流れるような連携。
◇
そして。
兵士は最後に言った。
「配給証を提示しろ」
◇
ノアが瞬きをする。
イヴァンも黙る。
◇
脅迫も無い。
略奪も無い。
敵意の演出すら無い。
◇
ただ。
秩序だけが、
そこにあった。
◇
レインは、
黒灰兵へ配給証を渡しながら思う。
――本当に、
壊れているのはどちらだ。




