第三十五話 春
最初に落ちたのは、
雫だった。
屋根端から、
ぽたりと水が落ちる。
次に。
雪が崩れた。
白かった路地に、
黒い石畳が見え始める。
冬が終わる。
◇
自由都市群ドラクエラ
中央市場。
長く閉じていた露店が、
一つずつ開き始めていた。
「魚だ!!」
「南便戻ったぞ!!」
久々の喧騒。
商人達の声。
荷車の音。
怒鳴り声ですら、
どこか明るい。
◇
「……生き残ったな」
イヴァン
が呟く。
市場入口。
灰燕護衛達も、
どこか気が抜けていた。
冬越え。
あの地獄を、
本当に越えた。
◇
灰燕運送ギルド
中央倉庫も、
ようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
荷物。
帳簿。
配送票。
山積みの仕事。
なのに。
皆、
少し笑っている。
◇
「ノア!!
それ北便!!」
「分かってる!!」
ノア
が荷箱を抱えて走る。
前より動きが速い。
帳簿も読める。
地図も分かる。
怒鳴り返す余裕まで出てきた。
「字読めるようになったなぁ」
ラッカ
が笑う。
「馬鹿にすんな!!」
周囲から笑いが起きた。
◇
倉庫横。
以前作られた、
輸送孤児院。
そこから、
子供達の声が聞こえる。
「そっち持って!!」
「地図こっち!!」
「違う!!
北は上!!」
笑い声。
喧嘩。
走る音。
冬前には、
無かった音だった。
◇
セラフィナ
は、
その声を診療所窓から聞いていた。
春風が入る。
久しぶりに、
薬臭さが薄い。
治療待機列も、
以前より減った。
「眠れてます?」
ミレナ
が聞く。
セラフィナは少し考えた。
「……前よりは」
微笑む。
今度の笑顔は、
ちゃんと人間のものだった。
◇
夕方。
灰燕屋上。
レインは、
都市を見下ろしていた。
レイン・ヴァルト
の視線の先。
煙。
市場。
荷車。
往来。
人の流れ。
都市が動いている。
生きている。
◇
「ここにいた」
後ろから、
イヴァンが来る。
酒瓶片手。
「探したぞ」
「仕事は」
「今日は終わりだ」
珍しく、
強引に酒瓶を押し付ける。
◇
「……終わったな」
イヴァンが呟く。
「まだ冬越えしただけだ」
レインはいつもの調子で返す。
だが。
イヴァンは笑った。
「それを終わったって言うんだよ」
しばらく沈黙。
街の音だけが聞こえる。
◇
「変わったな、
この街」
イヴァンが言う。
レインは下を見る。
思い出す。
最初に来た時。
荒れた街道。
飢え。
諦め。
壊れた人間達。
今も問題は山積みだ。
差別。
貧困。
戦争。
何も終わってない。
でも。
少なくとも。
ここには、
帰ってこられる場所がある。
◇
その時。
下から、
子供達の声が聞こえた。
「レインー!!」
見下ろく。
ノア達が手を振っている。
「飯!!」
「早く来い!!」
騒がしい。
うるさい。
でも。
どこか暖かい。
◇
レインは、
少しだけ目を細めた。
昔。
自分には、
そういう場所が無かった。
勇者パーティでも。
王都でも。
ずっと、
必要だからいただけだった。
でも今は違う。
役割だけじゃない。
帰れば、
誰かがいる。
◇
春風が吹く。
雪解け水が流れる。
市場に人が戻る。
子供達が笑う。
荷車が進む。
生きている音がする。
そして。
ドラクエラは、
いつの間にか変わっていた。
辺境都市ではない。
ただ生き延びる場所でもない。
傷ついた人間が、
帰ってこられる場所。
それが今の。
自由都市群ドラクエラ
だった。




