第三十話 帰還兵達の夜
雨の夜だった。
鉄屑亭
は、
いつも以上に騒がしい。
酒。
怒鳴り声。
笑い声。
そして。
どこか、
壊れた空気。
最近、
帰還兵が増えたせいだった。
◇
「飲め飲め!!」
元兵士達が、
安酒を煽る。
顔は赤い。
だが目は笑っていない。
笑い声も、
どこか無理矢理だ。
イヴァン
は、
酒場隅で静かに飲んでいた。
周囲を見ている。
ずっと。
◇
「……今日も駄目そう?」
ラッカ
が小声で聞く。
「何人か限界近い」
イヴァンは短く答えた。
帰還兵には、
二種類いる。
静かに壊れる奴。
暴れて壊れる奴。
今夜は後者だった。
◇
「うるせぇんだよ!!」
突然。
椅子が飛んだ。
酒瓶が砕ける。
悲鳴。
元兵士の一人が、
別卓へ掴みかかっていた。
「なんで笑ってんだ!!」
目が血走っている。
完全に、
今を見ていない。
「やめろ!!」
店主が止めようとする。
だが兵士は、
その腕を払い飛ばした。
「来るな!!」
絶叫。
次の瞬間。
短剣が抜かれる。
酒場空気が凍った。
◇
「下がれ」
低い声。
イヴァンだった。
ゆっくり立ち上がる。
片腕。
重い足音。
元兵士が振り向く。
「……あ?」
「そいつら見えてねぇだろ」
静かな声。
「今、
どこ見てる」
兵士の呼吸が乱れる。
「違う……」
「違うんだ……」
震えていた。
酒場じゃない。
戦場を見ている。
燃える野営地。
叫び声。
死体。
そこから戻れていない。
◇
「伏せろぉ!!」
兵士が突然叫ぶ。
短剣を振るう。
客達が悲鳴を上げる。
だが。
イヴァンは避けない。
真正面から、
兵士を抱え込んだ。
鈍い衝突音。
「落ち着け!!」
「離せぇぇぇ!!」
暴れる。
泣いている。
完全に壊れていた。
◇
数分後。
ようやく兵士は、
気絶した。
酒場は静まり返る。
誰も喋れない。
床へ座り込んだイヴァンが、
長く息を吐く。
◇
店外。
雨が降っていた。
気絶した兵士は、
壁際で眠っている。
ラッカが小声で言う。
「……最近多いね」
「多い」
イヴァンは煙草へ火をつける。
「戦争終わってねぇからな」
「でも前線離れたのに」
「身体だけだ」
煙を吐く。
「頭はまだ戦場だ」
◇
しばらく沈黙。
そして。
ラッカが、
恐る恐る聞いた。
「イヴァンも?」
雨音。
イヴァンは、
しばらく答えなかった。
だが。
やがて低く口を開く。
「……昔、
部隊が潰れた」
珍しかった。
彼が、
自分の過去を話すのは。
◇
「補給切れ」
「撤退命令遅れ」
「魔物包囲」
淡々とした声。
「三百いた」
ラッカが息を呑む。
「帰ったのは?」
イヴァンは煙草を見た。
「俺含めて七人」
重い沈黙。
◇
「逃げたんだよ」
イヴァンが笑う。
乾いた笑い。
「仲間置いて」
「……」
「今でも夢見る」
雨を見る目が、
少し遠かった。
「助け呼ぶ声とか」
「燃える音とか」
静かな声。
「忘れられねぇ」
◇
ラッカは何も言えない。
イヴァンは続けた。
「勘違いされるがな」
煙草を潰す。
「戦争って、
生き残れば終わりじゃねぇ」
低い声。
「生き残った奴ほど、
終われねぇ」
その言葉には、
重みがあった。
実感だった。
◇
その時。
酒場扉が開く。
レイン・ヴァルト
が出てきた。
「暴れた奴は」
「寝た」
イヴァンが答える。
レインは壁際の帰還兵を見る。
泥だらけ。
涙跡。
壊れた顔。
しばらく沈黙。
そして。
「明日、
護衛任務へ入れる」
ラッカが驚く。
「え!?
大丈夫!?」
「放置の方が危ない」
レインは淡々と言った。
「仕事ある方が、
人は壊れにくい」
イヴァンが小さく笑う。
「相変わらず合理的だな」
「事実だ」
◇
夜更け。
雨はまだ降っていた。
だが。
酒場軒下には、
帰る場所のない兵士達がいる。
そして。
少なくとも今は。
その居場所を、
灰燕が作ろうとしていた。




