第二十九話 獣人の値段
最初に聞こえたのは、
悲鳴だった。
中央市場
昼時。
人混みの向こうで、
怒鳴り声が響いている。
「この獣臭ぇガキが!!」
鈍い音。
周囲がざわつく。
荷運び中だったラッカが、
顔色を変えた。
「……っ!」
ラッカ
は人混みを押し退ける。
そこにいたのは。
地面へ倒れた
ノア
だった。
頬が切れている。
散乱した荷箱。
そして。
太った男が、
怒鳴っていた。
「商品に触るんじゃねぇ!!」
商会腕章。
中規模卸商人だった。
◇
「違っ……!」
ノアが立ち上がる。
「ぶつかったのそっちだろ!」
「口答えするな!!」
男が再び手を振り上げる。
その瞬間。
腕が止まった。
イヴァンだった。
イヴァン
が、
男の腕を掴んでいる。
「そこまでだ」
低い声。
商人が顔を歪める。
「なんだ貴様!」
「ガキ殴ってんじゃねぇ」
「獣人だぞ!?」
周囲の空気が、
少しだけ止まる。
◇
その言葉は。
この街では、
珍しくなかった。
獣人。
亜人。
戦争以降、
流入した難民達。
安い労働力。
犯罪予備軍。
臭う。
危険。
そういう偏見が、
辺境には根強く残っている。
特に孤児なら尚更だった。
◇
「獣人は信用できねぇ」
誰かが呟く。
「最近盗み多いしな」
「荷物消えたのもあいつらだろ?」
好き勝手な声。
ノアの拳が震える。
悔しい。
でも慣れている。
ずっとそうだったから。
◇
「……帰るぞ」
イヴァンが言う。
だが。
ノアは動かなかった。
「なんで」
小さい声。
「なんで俺だけ」
商人を睨む。
「人間だって盗むだろ」
「は?」
「なんで獣人だからって決まるんだよ!!」
叫びだった。
市場が静まり返る。
◇
その時。
後方から、
静かな声が落ちた。
「確認する」
全員が振り向く。
レイン・ヴァルト
だった。
いつの間にか、
そこにいる。
「誰が最初にぶつかった」
商人が苛立つ。
「そんなのどうでも――」
「答えろ」
冷たい声。
周囲の目撃者達が、
恐る恐る話し始める。
「……商人側です」
「荷車が急に曲がって……」
「その子、
避けきれなくて……」
商人の顔色が変わる。
◇
「誤解だ!!」
「違う」
レインは即答した。
「お前は、
獣人だから殴った」
沈黙。
「違うか?」
男は答えられない。
◇
市場空気が重い。
今まで、
皆なんとなく流してきた。
差別。
偏見。
辺境では珍しくない。
だが。
今、
灰燕がそれを真正面から止めている。
◇
その日の夜。
灰燕会議室。
レインは紙を書いていた。
ラッカが覗き込む。
「……規約?」
紙上には、
新しい契約条文。
『灰燕規約』
さらに。
『種族差別行為を禁止する』
ミレナが目を見開く。
ミレナ
が不安そうに言った。
「これ、
かなり揉めません?」
「揉める」
レインは淡々と答える。
「でも必要だ」
◇
「違反時は?」
イヴァンが聞く。
レインは次の文を書く。
『違反商会との輸送契約を破棄する』
部屋が静まった。
意味が重い。
今や灰燕は、
ドラクエラ最大物流組織。
つまり。
灰燕に切られる=物流を失う。
商会にとって致命傷だった。
◇
「圧力か……」
イヴァンが低く笑う。
「物流覇権って怖ぇな」
「効く方法を使うだけだ」
レインは言う。
「理想だけじゃ変わらない」
現実的だった。
だからこそ強い。
◇
数日後。
灰燕規約は正式に施行される。
市場は騒然となった。
「ふざけるな!!」
「獣人優遇か!?」
「横暴だ!!」
反発は大きい。
だが同時に。
灰燕を敵に回せない商会も多い。
結果。
少しずつ、
表向きの差別は減り始める。
◇
夕方。
倉庫前。
ノアは掲示された規約を見ていた。
難しい文字。
まだ全部は読めない。
でも。
自分のために作られたものだと、
なんとなく分かった。
「……なんでここまで」
小さく呟く。
その隣へ、
レインが立った。
「働く奴を守る」
短い言葉。
「それだけだ」
ノアは黙る。
胸の奥が、
少し熱い。
今まで自分は、
値段のない存在だった。
殴られても。
捨てられても。
誰も止めなかった。
でも今は違う。
初めて。
ここにいていいと、
言われた気がした。




