第二十八話 笑う聖女
最初に気づいたのは、
ミレナだった。
「……また?」
中央診療院
深夜棟。
灯りが点いている。
もう夜明け前だ。
普通の治癒士なら、
とっくに倒れている時間。
だが。
奥の診療室から、
静かな声が聞こえてくる。
「大丈夫ですよー」
柔らかい声。
優しい声。
けれど。
聞いているだけで、
何かがおかしかった。
◇
セラフィナ
は笑っていた。
患者へ治癒魔法を掛けながら。
血塗れの白衣で。
青白い顔で。
笑っていた。
「次の方どうぞー」
また治療。
また魔力使用。
また咳。
赤い血。
それでも笑う。
止まらない。
◇
「寝てないですよね……?」
ミレナがおそるおそる聞く。
ミレナ
の声は震えていた。
「寝てますよ?」
「いつ……」
「たまに」
笑顔。
だが目が虚ろだった。
焦点が合っていない。
机には大量の薬瓶。
覚醒薬。
魔力回復剤。
睡眠抑制薬。
完全に危険域だった。
◇
さらに悪いことに。
セラフィナは、
患者を断らなくなっていた。
「聖女様、
もう無理です!」
「大丈夫ですから」
「魔力残量が――」
「次の患者を」
止まらない。
いや。
止まれない。
誰かを見捨てることが、
もう出来なくなっている。
◇
夜。
診療室裏。
セラフィナは、
誰もいない場所で壁へ手をついていた。
呼吸が荒い。
指先が震える。
視界も揺れている。
なのに。
「……まだいけます」
誰に言うでもなく、
笑う。
その笑顔は。
壊れていた。
◇
「どけ」
低い声。
振り返る。
レイン・ヴァルト
だった。
セラフィナは、
少し驚いた顔をする。
「レイン?」
「座れ」
「患者が――」
「座れ」
強い声だった。
珍しかった。
レインが、
感情を露わにするのは。
◇
「……怒ってるんですか?」
セラフィナが苦笑する。
「珍しいですね」
「薬飲みすぎだ」
「必要なんです」
「寝てない」
「忙しいので」
「飯も食ってない」
「そんな時間――」
「死ぬぞ」
空気が止まった。
◇
セラフィナの笑顔が、
少しだけ崩れる。
「でも」
「でもじゃない」
レインは冷たく言った。
「お前、
最近ずっとおかしい」
「……」
「治療してるんじゃない」
静かな怒り。
「自分削ってるだけだ」
セラフィナの肩が震える。
◇
「仕方ないじゃないですか……!」
初めて。
感情が漏れた。
「治せるんです!!」
声が裏返る。
「私がやれば助かるんです!!」
涙が滲む。
「見捨てろって言うんですか!?」
診療室が静まり返る。
ミレナも。
他の治癒士達も。
誰も動けない。
◇
セラフィナは、
ずっと聖女だった。
勇者パーティ時代から。
傷を治し。
死にかけを救い。
期待され続けた。
だから。
治せるのに治さない、
という選択肢が無い。
誰かが死ねば、
全部自分の責任になる。
そう思ってしまう。
◇
レインは、
しばらく黙っていた。
そして。
低く言った。
「死ぬまで治すな」
セラフィナが息を止める。
「お前が壊れたら、
次は誰が治す」
「……」
「全部救えない」
静かな声。
「俺達と同じだ」
運送も。
診療も。
戦争も。
全部は救えない。
それでも。
残った人間で、
次を繋ぐしかない。
◇
セラフィナの唇が震える。
「……嫌なんです」
掠れ声。
「また、
誰か死ぬの」
涙が落ちる。
「もう見たくない……」
その瞬間。
張り詰めていたものが、
全部切れた。
セラフィナは、
子供みたいに泣き始めた。
声を押し殺して。
肩を震わせながら。
◇
レインは何も言わない。
慰めもしない。
ただ。
机上の薬瓶を片付ける。
窓を閉める。
そして。
椅子を引いた。
「寝ろ」
短い言葉。
セラフィナは泣きながら、
小さく頷いた。
その夜。
診療所の灯りは、
少しだけ早く消えた。




