第二十六話 盗んだパン
雨だった。
冷たい雨が、
倉庫街を濡らしている。
灰燕運送ギルド
第二倉庫。
夜警の男が、
ふと足を止めた。
「……誰だ?」
音。
木箱の陰。
何かが動いた。
次の瞬間。
黒い影が飛び出す。
「待て!!」
小さい。
速い。
荷棚を蹴り、
雨の中を駆ける。
だが。
出口前で、
低い声が落ちた。
「そっちは行き止まりだ」
影が止まる。
そこに立っていたのは、
レイン・ヴァルト
だった。
少年は反射的に方向転換する。
だが横から、
大きな腕が伸びた。
「捕まえた」
イヴァン
だった。
片腕なのに、
逃げられない。
少年は暴れる。
獣耳。
痩せた身体。
鋭い目。
ノア
。
腕の中でも、
まだ噛みつこうとしていた。
「離せ!!」
「元気だなぁ……」
ラッカが呆れる。
ラッカ
の視線は、
ノアの抱える袋へ向く。
中身はパンだった。
硬い黒パン。
それでも今は貴重品。
◇
「また孤児か」
「最近多すぎる」
倉庫内では、
夜警達が眉をひそめていた。
「追い出せよ」
「甘くすると増えるぞ」
空気は冷たい。
当然だった。
今の時代、
余裕のある人間なんて少ない。
盗みを許せば、
秩序が崩れる。
それも事実。
◇
ノアは睨み返していた。
怯えていない。
いや。
怯えすぎて、
逆に牙を剥いている。
「殺すなら殺せ」
掠れた声。
ラッカが顔をしかめる。
「物騒だなぁ……」
だが。
ノアの目は本気だった。
殴られる。
捨てられる。
そういう未来しか、
知らない目だった。
◇
その時。
レインが、
床へ袋を置いた。
中から、
別のパンを取り出す。
「食うか」
ノアが固まる。
「……は?」
「腹減ってるだろ」
意味が分からなかった。
盗んだ。
捕まった。
なら普通、
殴られる。
追い出される。
なのに。
パンが差し出されている。
◇
「レイン?」
ラッカが戸惑う。
夜警達も怪訝そうだった。
だがレインは、
淡々とノアを見る。
「盗みは駄目だ」
ノアが唇を噛む。
「……なら」
「働くか?」
静かな声。
ノアは理解できなかった。
「……働く?」
「倉庫整理」
「荷運び」
「掃除」
レインは並べる。
「働いた分、
飯を出す」
ノアは呆然とした。
そんな選択肢、
人生に存在しなかった。
◇
「なんで……」
小さな声。
「なんでそんなことする」
レインは少し考えた。
そして。
「死なれると困る」
あまりにも、
レインらしい答えだった。
優しいのか、
合理的なのか分からない。
だが。
ノアの目が、
少しだけ揺れる。
◇
「おいガキ」
イヴァンがしゃがみ込む。
「一個教えとく」
ノアが睨む。
「盗み続けると、
そのうち殺される」
現実だった。
「でも働けるなら、
少しは長生きできる」
ノアは黙る。
雨音だけが響く。
◇
しばらくして。
ノアは、
差し出されたパンを受け取った。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
それを見て、
ラッカが小さく笑う。
「採用?」
レインは頷いた。
「明日から」
「名前は?」
ノアは少し迷う。
そして。
「……ノア」
小さく答えた。
◇
その夜。
倉庫隅の簡易寝台で、
ノアは眠れずにいた。
毛布。
屋根。
暖かいスープ。
全部、
知らないものだった。
そして。
遠くで帳簿を書き続ける、
レインの背中を見る。
変な大人だ。
意味が分からない。
なのに。
不思議と。
少しだけ。
怖くなかった。




