第十五話 生き残るための線
事務室の空気は重かった。
誰も喋らない。
机の上には帳簿。
赤字。
欠損。
不足。
どこを見ても、
終わっている数字しかなかった。
灰燕運送ギルド
の倉庫在庫は、
既に限界へ近づいている。
食料六日分。
薬品四日分。
燃料不足。
輸送路は死んだ。
主要街道は封鎖。
橋梁崩落。
魔王軍遊撃隊出現。
通常輸送は不可能。
つまり。
自由都市群ドラクエラ
は、
このままでは飢える。
◇
「……他のギルドは?」
ダグラス
が低く聞く。
「東風ギルドは撤退準備」
「赤狼商会は輸送停止」
「北区画じゃ略奪始まってます」
報告役の男も顔色が悪い。
「もう駄目です……」
誰かが呟く。
否定できる人間はいなかった。
空気が沈む。
その時。
「……いや」
静かな声。
全員が振り向く。
レイン・ヴァルト
だった。
部屋の隅。
古い地図を広げている。
「まだ道はある」
◇
机へ広げられたのは、
黄ばんだ羊皮紙だった。
端が破れ、
文字も掠れている。
「なんだそれ」
イヴァン
が眉をひそめる。
「旧街道図」
「旧?」
「百年以上前の物流路」
レインの指が、
山脈西側へ伸びる。
細い一本線。
今の地図には載っていない。
「ここ」
部屋が静かになる。
「待て」
ダグラスが目を細めた。
「そこ、“灰牙の森”じゃねぇか?」
ラッカの耳が跳ねる。
ラッカ
の顔が青ざめた。
「嘘でしょ……」
灰牙の森。
辺境最悪級の危険地帯。
魔物領域。
軍ですら深入りしない。
入れば戻らない。
そう言われる場所だった。
◇
「正気かお前」
別の運搬員が声を荒げる。
「そんなとこ通れるわけねぇだろ!!」
「自殺だ!!」
「輸送隊ごと消えるぞ!!」
反対が一気に噴き出す。
当然だった。
普通なら却下。
話にもならない。
だが。
レインは静かに言った。
「道自体は残ってる可能性が高い」
「可能性!?」
「旧帝国時代の石畳路だ。
雪でも埋まりにくい」
「だからって――」
「今の街道は全部死んでる」
その一言で、
空気が止まる。
事実だった。
安全な道は、
もう無い。
◇
「成功率は」
ダグラスが聞く。
レインは少し考えた。
「低い」
誰かが舌打ちする。
だが。
「ただし、
今のままよりは高い」
静かな声。
「このままだと、
街が先に死ぬ」
反論できる者はいなかった。
食料は減る。
薬は尽きる。
暴動は広がる。
既に街は壊れ始めている。
時間がない。
◇
「……他に方法ねぇのかよ」
ラッカが絞り出す。
レインは答える。
「あるなら俺もそっち使う」
沈黙。
誰も口を開けない。
その時。
椅子が軋んだ。
イヴァンが立ち上がる。
片腕を机へつき、
深く息を吐く。
古傷が疼いていた。
戦場の臭いがする。
死地へ向かう前の空気。
だが。
彼は知っている。
何もしなくても、
人は死ぬ。
「……それでも」
低い声が響く。
「行くしかねぇ」
全員が彼を見る。
イヴァンは続けた。
「このまま座ってても終わりだ」
静かだった。
怒鳴りでもない。
覚悟の声だった。
「だったら、
生き残れる方へ賭ける」
長い沈黙。
やがて。
ダグラスが煙草を灰皿へ押し潰す。
「……灰燕輸送隊、
特別編成を開始する」
決定だった。
部屋の空気が変わる。
恐怖は消えない。
誰も安心していない。
それでも。
止まっている時間は、
もう無かった。
生き残るための線は、
魔物領域の先にしか残っていなかった。




