第百十四話 語られない英雄
酒場の壁には。
一枚の絵が飾られていた。
◇
巨大な光剣。
灰空を裂く白銀の閃光。
その中心に立つ、
一人の男。
◇
ザイン
。
◇
「聖剣解放で、
魔王軍を吹き飛ばしたんだ!」
「空が真昼みたいになったらしいぞ!」
◇
旅芸人が、
身振り手振りで語る。
◇
子供達が、
目を輝かせて聞いていた。
◇
「勇者様って、
今も生きてるの?」
「魔王を倒したんでしょ?」
◇
旅芸人は、
少し大袈裟に頷く。
◇
「世界を救った英雄さ!」
◇
歓声。
拍手。
◇
酒場の隅で。
レイン・ヴァルト
は、
静かにそれを聞いていた。
◇
地方巡回輸送の帰り。
補給確認の途中で立ち寄っただけの、
小さな町の酒場。
◇
誰も、
彼が何者か知らない。
◇
ただの運送員。
駅舎管理人。
荷物を運ぶ男。
◇
それだけだ。
◇
旅芸人の語る勇者譚は、
どんどん大きくなる。
◇
「たった一人で、
魔王軍百万を止めた!」
「聖剣の光で、
冬を終わらせた!」
◇
半分以上、
もう事実じゃない。
◇
でも。
人はそういう話を求める。
◇
分かりやすい英雄。
世界を救う光。
終わりを変える存在。
◇
歴史は、
そういう形で残っていく。
◇
その時。
酒場の主人が、
困った顔で奥から出てきた。
◇
「悪い!」
「荷車の車輪、
また外れた!」
◇
店の外。
商隊の荷車が傾いていた。
◇
旅芸人達は慌てる。
「誰か直せるか!?」
◇
すると。
レインが、
静かに立ち上がった。
◇
「工具貸してくれ」
◇
しゃがみ込み。
軸を見る。
歪み。
木材の摩耗。
◇
「固定具が緩んでる」
「縄あるか」
◇
数分後。
車輪は、
再び動くようになっていた。
◇
「助かった!」
「兄ちゃん慣れてるな!」
◇
レインは、
短く笑うだけ。
◇
誰も知らない。
この男が。
崩壊した世界で、
何千もの輸送を繋いできたことを。
◇
何万人もの避難を支えたことを。
飢餓を止め。
街道を維持し。
文明を繋ぎ続けたことを。
◇
酒場の中では、
まだ勇者譚が続いている。
◇
眩しい伝説。
語られる英雄。
◇
一方で。
現実を支える人間は、
静かに荷車を直している。
◇
外へ出たレインは、
夕暮れの街道を見る。
◇
遠くを行く商隊。
駅舎の灯火。
帰路につく旅人。
◇
歴史書には、
きっと残らない。
誰も、
歌にはしない。
◇
でも。
こういう人間達がいなければ。
世界は、
続かなかった。
◇
レインは、
荷袋を肩へ担ぐ。
◇
そして。
誰にも気付かれないまま。
また、
街道を歩き出した。




