第五十一話 ライの県予選③
決勝戦。リングの周りの熱気とは裏腹に、青コーナーに立つライの身体は、限界をとうに超えていた。
客席のざわめきも、アナウンスの声も、どこか遠く聞こえる。リングへ上がるライは、自分でも分かるくらい身体が重かった。腫れた頬、重い足取り。脇腹も鈍く痛む。ここまでの試合で受けたダメージが、身体のあちこちに残っていた。
ライは重い息を吐き、対角線上の赤コーナーを見る。天束ナオ。同級生でライバル。だが、その姿は会場の中でひどく浮いていた。
まるで何かのスイッチを切ってしまったみたいな顔。ライのことも、セコンドのことも、観客のことも、まるで目に入らないかのようにぼんやりと虚空を見つめている。
(相変わらずだなぁ、ナオ君は)
ライはマウスピースを噛み締めながら、少しだけ苦笑した。相手への感情で拳が鈍る自分とは、根本的に作りが違う。
開始の音が、鳴り響く。グローブを合わせた次の瞬間、スイッチが切り替わったようにナオの身体が弾けた。
パシッ。ドスッ。
ライのガードの隙間を縫うように、ナオの左が顔面を捉え、右が傷ついたボディを深く抉る。
(速い……重い……!)
必要な動きだけで構成されたみたいなボクシング。ナオの拳は、ライのダメージが蓄積している場所を、機械的な正確さで攻撃してくる。
「ライ……!」
リング下から、ユキの悲鳴のような声が聞こえた。レンが叫んでいる。「ライ先輩、ガード上げて! 足使って!」
聞こえている。けれど、身体が動かない。その遅れにナオのグローブが突き刺さる。
ドガッ、ズンッ。
「っ、が……!」
容赦のない連打。ライの視界が白く弾け、意識の糸がぷつりと切れかける。
(ダメだ、ユキの前で……こんな…………!)
ナオの右ストレートが、ライの顔面を跳ね上げる。足がもつれ、キャンバスに膝が落ちそうになった、その時だった。
ふわりとリングに落ちたそれは、セコンドの陸さんが投げ込んだ真っ白なタオルだった。
試合終了を告げる音。第1ラウンド・わずか一分。体育館が一瞬の静寂の後、どよめきに包まれる。ナオは、足元に落ちたタオルを一瞥し、それからセコンドに立つ陸のほうへと、ゆっくりと視線を向けた。汗一つかいていない横顔。
「陸さん、止めるの早……」
ぼそりと呟く。陸さんは額を押さえた。
「充分でしょう」
ナオは少し考えて、それから。
「優しいね、陸さんは」
とだけ答えて、興味が失せたみたいに踵を返した。
ライはロープに身体を預け、崩れ落ちそうになる膝を必死に堪えながら、荒い息を繰り返した。
ユキは目を赤くして、リングを見つめた。ライを負かしたのは、ナオだったのか。それとも、最後まで相手を倒しきれなかったライ自身だったのか。ユキは答えを探していた。
レンは悔しそうに、体育館の床を強く蹴った。




