第三十五話 インターハイ予選前②
コーナーポストを見つめて呼吸を整えているライに、アレセンが声をかけた。
「……ライ、熱くなんなよ」
ライは一瞬だけ視線を上げ、口元だけで笑う。
「なってませんよ」
それ以上は言わない。レンのほうにも、アレセンは何も言わなかった。ただ一度だけ、眠そうな目をした一年を、じっと見ておくだけだ。
陸さんが中央に進み出る。
「じゃあ、始めましょうか。ライト級・部内選抜」
ゴングが鳴る音が、体育館に響いた。
先に動いたのはライだった。軽いステップで外側を取りながら、ジャブを的確に突いていく。
レンは最初の数発を、ほとんど避けずに受けた。額と頬に当たるたび、ヘッドギアが細かく揺れる。
「避けろよ。いつもみたいに」
レンはマウスピース越しに笑った。
「パンチ、ぬるいんで。効かないんすよ」
そう言いながら、じわじわと前に出てくる。
陸さんの「ポイントは取れてますよ」という声がするなか、レンは聞こえないふりをした。ガードの内側で息を整えながら、一歩、また一歩と踏み込んでいく。リング下にいるユキの気配が、妙に近い。ここで下がったら、ただ負けるだけじゃない気がした。
やがてロープが、ライの背中に近づき始める。背中にロープを感じた瞬間、レンの左ボディが飛ぶ。
「ロープ際、嫌いでしょ」
レンの声が近い。次の瞬間、ぐっと一気に間合いを詰める。短い距離から、ボディにまとめて数発。
筋肉にめり込む鋭くて重い音が、体育館の空気を震わせた。
「……ぐっ」
ライの身体が、わずかに折れる。すぐにガードを戻して、右ストレートを打ち返す。
ガツッ。
レンの顎がかすめ取られた。
リング下でユキが、思わず息を呑む。さっきまでとは明らかに違う音。パンチの重さが、空気ごと震えていた。
ライはすぐにロープ際から抜け出し、また中間距離を取り直した。
ジャブ、ワンツー、たまにボディ。打って、打たれて――そんな攻防が続いたところで、ゴングが鳴る。
「はい、1ラウンド終了!」
それぞれのコーナーへ戻る。ライのコーナーでは、アレセンがタオルで汗を拭いてやりながら、淡々と言った。
「ポイントは取ってる。落ち着け」
ライは軽く頷きつつも、視線だけはレンから外さない。ジャブを当てても前進をやめないレンの姿が、脳裏にこびりついていた。
反対側のコーナーでは、レンが水を一口含む。顧問が背中を叩いた。
「お前なぁ、もうちょいポイント考えろ」
「ちゃんと考えてますよ。1ラウンド目は、様子見っす」
「どの口が言う」
顧問が呆れたように舌打ちする。
インターバル終了の十秒前。陸さんが中央に歩み出た。
「二人とも、落ち着いて。まだ1ラウンド目ですからねー」
2ラウンド目を告げるゴング。レンが、いきなりセンターへ出ていった。リング中央に立ち、両手を軽く広げるように構える。
言葉には出さない。けれど、構えと視線が「真ん中で打ち合いましょ」と誘っていた。
ライはその真正面に立つ位置まで出ていって――ほんの少しだけ距離をずらした。半歩、外側へ。
お前の距離には乗らない。ヘッドギア越しの目だけが、そう告げた。




