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臆病な僕と、リングの約束 ーAパート 放課後サイドー  作者: 叶畑シュウ
第二章

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第三十六話 インターハイ予選前③

 ライはあくまで王道の距離を保った。相手の一歩外側。ジャブでリズムを刻み、タイミングをずらしながらワンツーを差し込んでいく。


 レンのガードの隙間を縫うように、パンチが入る。


 パン。バシッ。


 頭が揺れても、レンの足は止まらない。じわり、じわりとプレッシャーをかけて、距離を詰めようとする。


 レンはフェイントを混ぜ、わざとジャブを空振りさせて前のめりに見せた。そこへライのワンツーが飛ぶ、その瞬間にさらに一歩踏み込む。


 距離が、ぐっと縮まる。


「ライ、外、外!」


 アレセンの声が飛ぶ。


 ライはすぐにサイドへ回ろうとするが、レンは一瞬だけ進路を塞ぐように肩をぶつける。ルールのギリギリ手前のぶつかり方だった。


「おい……」


 顧問が低く唸る。陸さんが慎重に二人の距離を測りながら歩く。

 ライは、そこで一旦大きくステップアウトした。深く息を吐く。


(熱くなるな)


 アレセンの声が蘇る。もう一度、ジャブから組み立て直す。レンの出鼻をくじくように、顔とボディを打ち分けていく。それでもレンは下がらない。被弾しながらも、じりじりと前へ出る。


 ラウンド後半。ライの右がフェイントになった。反応してレンのガードが少し上ずる。その隙に、左ボディが深くめり込む。


 ドスッ。


「……くっ!」


 今までで一番重い音がした。


 レンの身体が、わずかにくの字に折れる。呼吸が一瞬止まる。足が流れた。膝が、かすかにマットへ落ちかける。


 いける。


 そう思ったのは、たぶんライだけじゃない。リングサイドの空気が、一瞬だけ前のめりになる。


 そのときだった。


 レンの視界の端に、リング下のユキが入った。ロープを両手で握って、息を詰めたまま、こちらを見ている。止めたいのに止められないみたいな、泣きそうな顔だった。


 レンの奥歯が、ぎり、と鳴る。


(そんな顔、すんなよ)


 膝が落ちる寸前で、足に力を入れる。沈みかけた身体を、無理やり引き戻す。腹の奥が焼けるみたいに痛い。それでも、ここで崩れるわけにはいかなかった。


「……まだ、っす」


 掠れた声で吐き捨てて、レンは前に出た。


 倒れかけたはずのレンが、妙な意地で踏みとどまる。その視線の先にリング下のユキがいるのが見えて、ライの胸の奥がざらついた。


 ロープ際。ライの足が、また少しロープに近づいた瞬間――レンの左ボディが飛ぶ。


 ドスッ。


 ライの脇腹に重い音が響く。とっさにガードを締めるライに、レンはさらに前のめりで身体を預けるようにしてクリンチに持ち込んだ。肩と胸がぶつかる。


「ブレイク」


 陸さんの声がかかる、その一瞬前。見えにくい位置から、レンの短いボディがライに刺さる。


「っ……!」


 ライの表情がゆがむ。


「雨宮!」


 顧問が思わず叫ぶ。陸さんが二人の間に入り、腕を広げて押し分けた。


「はい、ブレイク。真ん中、戻って」


 それでも、空気はもう元には戻っていなかった。

 中央に戻ったレンは、口の端だけで笑った。


「表情、変わりました? 乱れてますね、先輩」


 わざと聞こえるような小さな声。ライの眉間に、すっと皺が寄る。ここまで、ずっと王道を守ってきた。距離も、打ち方も、自分らしく。それを真正面から崩そうとしてくる相手がいる。しかも、ユキの名前を出して煽ってきた相手が。


 胸の奥で、ぐつっと何かが湧いた。


「うるせぇよ。黙れ」


 頭では分かっている。ここで乗ったら負ける。けれど、身体が先に反応した。

 レンが前に出る。ライも、下がらず迎えに出た。距離が一気に詰まる。


 フック、アッパー、ショートのボディ。肩と肩がぶつかり合う距離で、拳が飛び交う。


 ゴッ。

 ドスッ。

 ガツッ。


 パンチの音が、さっきよりさらに重く響いた。


 ユキの手が、ロープを握る力を増す。アレセンの声も、顧問の「おい、やめろ!」という叫びも、ふたりの耳には届いていないようだった。


 肩で押し合いながら、身体がぶつかる距離でのフックとアッパー。レンのフックがヘッドギアをはじき、ライの右がレンの身体を折り曲げる。お互いの首筋に、汗が飛び散る。


 ライは、ロープ越しにユキが息を呑むのを見た。その視線を感じた瞬間、下がるのが余計に嫌になった。


 レンもまた、視界の端のユキから目をそらせないまま、歯を食いしばって前へ出る。ここで引いたら、何も届かない気がした。


 陸さんがリングの中をぐるりと回りながらタイミングを計る。


(このままじゃ、ただの喧嘩だ)

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