第三十四話 インターハイ予選前①(★)
体育館は、いつもより少しざわついていた。
インターハイ予選が近い。部内でも、出場枠がある階級は緊張感がみなぎる。ミドル級は部長のアレセン――中道で決まり。あとは、同じライト級で一枠を争う二年生の北条ライと一年生の雨宮レンの選抜だけだった。
青戸ユキはリングサイドで、その空気を少し離れた場所から見ていた。競技を始めてまだ日が浅い自分は、ルール上、今年の予選には出られない。だからこそ、なおさら、目の前のふたりの緊張がひりつくほど伝わってきた。
リング脇では、ライが座ってバンテージを巻き直している。その前に、レンが立ちはだかった。口元は笑っているのに、目は鋭い。
「……なに」
ライは目だけ上げる。レンはわざとらしく肩をすくめた。
「俺が勝ったら、その保護者みたいな顔、やめてもらっていいっすか」
「お前の保護者になった覚えないけど」
「ユキ先輩に。いつもしてるじゃないですか。俺が守ります、みたいな顔。……イラッとするんすよ」
まっすぐ言われて、ライのこめかみがぴくりと動く。
「そんな顔、してない」
「今だってどうせ、後輩見てやるか、くらいのノリなんでしょ」
レンは続けた。
「俺がやりたいのは、それじゃないんで」
宣戦布告みたいに、ライをまっすぐ指さす。
「あんたの線引きの中から、ユキ先輩、引っ張り出しますから」
「……は?」
「ユキ先輩、ずっと先輩の線の内側に置いて、安全ってラベル貼ってるでしょ。あれ、気に入らないんで」
一拍置いて、レンはライに顔を近づけた。
「そのためにも――まず、あんたを殴り倒したい」
ライの顔に、はっきりと苛立ちが浮かぶ。
「お前さ、ユキを勝手に材料にすんな」
立ち上がって、レンと真正面から向き合う。
「勝手じゃないですよ。ユキ先輩を誘ったの俺ですし。スパーもしたんで。当てましたし」
さらっと言う。ライの胸の奥が、ぞわりと逆立って、口の端が吊り上がる。目はまったく笑っていない。
「上等だよ。こっちにも、殴りたい理由、積もってんだよ。倒されて、泣くなよ一年」
ふたりの間の空気が、じり、と熱を帯びる。
「えっと、あのさ」
横から、おずおずとした声が割り込んだ。ユキだった。
「ふたりとも、そんなにピリピリしなくても……同じ階級で、どっちかしか予選に出られないのは分かってるけど、ここ、部活だよ?」
どうにか和ませようと、いつもの癖で口角を上げる。
「ユキ先輩は黙ってください」
レンがぴしゃりと切った。いつもの眠たそうで間の抜けた声じゃない。
「どっちか一人しか行けないから、やってんですよ。先輩の前で手ェ抜いたら意味ないんで。ぬるい試合したくないっす」
言い方は乱暴なのに、どこか必死だ。ユキは、咄嗟に何も返せなかった。
同じ階級。同じ枠を、ふたりで奪い合っている。胸の奥が、少しだけひりつく。
その横で、ライが小さく息を吐いた。
「……ユキ」
「どうしたの、ライ?」
ユキがそちらを向くと、ライはほんの一瞬だけ、目だけでこちらを見る。副会長でも、王子でもない顔。幼なじみの顔だった。
「俺、多分」
うつむいて、言葉を選ぶように低く続ける。
「お前に一番見せたくないところ、見せるかもしれない。……こわい顔、すると思う。ごめん」
その謝り方が、逆にただ事じゃないことを伝えてくる。ユキはぎゅっと手を握りしめて、一瞬だけ迷ってから言葉を添えた。
「大丈夫、じゃないかもしれないけど……ちゃんと見てる」
それしか言えなかった。きっと、どちらも傷つく。でも見届けることしか、自分にはできないと分かっているから。
レンは横目でそのやりとりを盗み見る。
ライは短く「ありがと」とだけ返して、視線をリングへ戻した。
三人の間に、言葉にならない何かが張りつめた、そのタイミングで――
「おーい、お前らやめろ」
顧問が、雑に割って入った。
「こっちは、元気が一番くらいのテンションなの。開戦前から闘志燃やすな、高校生」
ぼやきながら、ライとレンの肩をぽんと叩いて距離を開けさせる。
陸さんは、なんで高校生の部内選抜で煽り合いから入るんですかねぇ、と心の中で苦笑した。
その横で、アレセンがぼそっと付け足す。
「まあ、あいつら、今が一番“素”なんじゃないすかね」
「フォローになってねぇよ、中道」
顧問のツッコミが飛ぶ中、ライとレンはそれぞれコーナーへ向かう。すでに表情は張り詰めている。
ゴング前から始まっていた殴り合いが、拳の距離に変わるまで、あと少し。




